scene2:砂紋サブレとの対面
市場の喧騒から半歩だけ奥まった路地に、その店はあった。
天幕の下、低い卓。
炭火の上に薄い鉄板が置かれ、淡い香りが漂っている。
菓子職人は若い女性だった。
日に焼けた肌に、砂色の衣。
指先は細く、動きに無駄がない。
「王都からのお客様と伺いました」
柔らかな声。
差し出されたのは、布の上に並べられた円盤。
薄い。
あまりに薄い。
透けるほどではないが、向こう側の色が淡く滲む。
表面には、繊細な模様が刻まれていた。
風が描いたような波形。
砂丘の連なり。
「砂紋サブレです」
名は穏やかだが、形状は頼りない。
グラシエールの氷層クラッケンとは正反対。
重厚でも、武骨でもない。
芸術品のようだった。
レティシアは慎重に一枚を手に取る。
軽い。
重さがほとんどない。
指先にかかる負荷が曖昧だ。
彼女は、いつものように両端に力をかける。
割って、構造を確かめる。
その前に。
端が、さらりと崩れた。
音はない。
ただ、砂が落ちるように、縁がほどける。
彼女の指先に、粉ではない、きめ細かな破片が残る。
思わず眉が動く。
崩れた。
割る前に。
「割るものではありません」
職人が静かに言った。
叱るでもなく、笑うでもない。
ただ事実として。
レティシアはその言葉を反芻する。
割らない。
構造を確かめない。
音を聞かない。
それでは――
どうやって、意思を知るのか。
彼女は崩れた縁を見つめる。
そこに断面の美しさはない。
層も、密度も、主張もない。
ただ、崩壊。
それでも、全体はまだ形を保っている。
危うい均衡。
風が吹けば消えてしまいそうな存在。
市場の喧騒が遠くに揺れる。
色彩と香辛料の匂いの中で、この薄い円盤はあまりに静かだ。
違和感が、胸に広がる。
硬くない。
割れないのではない。
割るという行為そのものが、想定されていない。
レティシアは慎重に息を整える。
この菓子は、戦うために作られていない。
その事実が、彼女の思考をわずかに揺らした。




