表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢レティシアは”カリカリ”が好き  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/52

scene5:思想の揺らぎ

夜のグラシエールは、音が少ない。


 風は吹いているはずなのに、雪がすべてを吸い込む。

 宿舎の窓は薄く凍り、外の月光が白く滲んでいた。


 レティシアは寝台の端に腰かけ、指先でそっと奥歯に触れる。


 鈍い痛み。


 氷層クラッケンの衝撃が、まだ残っている。


「……本気で危なかったですわね」


 小さく呟く。


 王都で“音がない”と断じたあの日とは逆だ。


 ここには、確かに音があった。


 澄んだ、誤魔化しのない破断音。


 それでも。


 彼女は目を閉じる。


 私は、音を絶対視していた。


 噛んだ瞬間に示される意思。

 曖昧さのない輪郭。

 崩れの管理。


 それが誠実さだと信じていた。


 だが、この地の音は違う。


 対立を宣言する音ではない。


 生き延びるための硬度が、結果として鳴らす音。


 思想ではない。


 必然。


 火を落とした部屋は冷え始める。


 毛布を引き寄せながら、彼女は考える。


 王都では、水分は豊かさだった。


 ここでは、水分は危険だ。


 王都では、柔らかさは包容だった。


 ここでは、柔らかさは腐敗だ。


 カリカリは、対立の象徴。


 そう、彼女は語った。


 だが。


 カリカリは、生存戦略。


 それだけなのかもしれない。


 音は主張ではなく、環境への応答。


 そう考えた瞬間、胸の奥に小さな亀裂が入る。


 私は――王都基準でしか、世界を測っていなかったのではないか。


 王都の湿度。

 王都の庭園。

 王都の政治。


 あの空気の中で生まれた理屈を、普遍だと信じていた。


 レティシアは天井を見上げる。


 木材が乾いて、微かに軋む。


 この建物も、きっと湿気には弱い。


 この土地のすべてが、ここに最適化されている。


 ならば。


 王都の“しっとり”も、また最適化の結果なのだろう。


 正しさではなく、条件。


 誠実さではなく、環境。


 指先が、もう一度歯に触れる。


 痛みは、確かに残っている。


 その痛みが、今日一日の真実だった。


「……音は、思想ではないのかもしれませんわね」


 誰に向けるでもなく、呟く。


 誇りはまだ失っていない。


 だが、揺らぎ始めている。


 自分の価値観が、唯一ではないと知ること。


 それは敗北よりも、深い体験だった。


 窓の外で、遠く氷が割れる音がする。


 ぱきり、と。


 自然の音。


 そこに主張はない。


 ただ、温度差が生んだ結果。


 レティシアはゆっくりと横になる。


 王都で信じていた絶対が、少しだけ溶ける。


 そして初めて、問いが生まれる。


 では――


 環境を越えて鳴る音など、本当に存在するのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ