scene3:試食 ― 危険な一口
氷層クラッケンは、作業台の上に横たえられた。
吊るされていたときよりも、なお重々しい。
「どうぞ」
代官が短く促す。
レティシアは当然のように、素手でそれに触れた。
王都のクッキーなら、軽く力を入れれば割れる。
音が鳴り、構造が露わになる。
彼女は縁を掴み、力を込める。
――動かない。
微動だにしない。
もう一度、今度は両手で。
関節が白くなるほど押し込む。
だが、割れない。
空気がわずかに張りつめる。
代官が視線で合図する。
職人が、無言でナイフを差し出した。
分厚い刃。
菓子に向けるには、あまりに物騒な形状。
レティシアは受け取る。
刃先を縁に当て、力を込める。
ぎ、と鈍い抵抗。
さらに押し込む。
――パキン。
乾いた破断音。
割れた、というより、欠けた。
小さな三角の破片が転がる。
彼女はそれを拾い上げる。
透明な氷膜の奥に、圧縮された層が見える。
迷いはない。
口に運ぶ。
歯を立てる。
――衝撃。
思考が一瞬、白くなる。
硬すぎる。
歯の根元に振動が走る。
ひやりとした感覚が背筋を落ちる。
折れたのではないか、と本気で思うほどの衝撃。
噛めない。
砕けない。
顎に力を込める。
骨がきしむ。
ようやく、小さく欠ける。
しかし粉にはならない。
鋭い粒のまま、口内に残る。
味が出る前に、顎が疲れる。
甘みは、遠い。
まず来るのは、硬度。
ただ硬いという事実。
ふと視界の端で、子供が笑いながらかじっているのが見えた。
ぱきり、と軽快な音。
慣れた動き。
周囲の大人たちも、何事もないように齧り、噛み砕き、飲み込む。
特別なことではない。
日常だ。
苦戦しているのは、彼女だけ。
レティシアは、もう一度だけ噛もうとする。
だが、力の入れ方が分からない。
王都のしっとりに慣れた顎は、この密度を想定していない。
ようやく小さく砕けた欠片を、無理に飲み込む。
喉が乾く。
水を差し出される。
彼女は受け取り、口を潤す。
冷たい水が、歯の奥に沁みる。
痛い。
その事実が、何よりも明確だった。
代官は何も言わない。
職人も笑わない。
ただ、静かに見ている。
評価ではない。
確認だ。
レティシアは唇を拭い、姿勢を正す。
「……素晴らしい密度ですわね」
声は揺れていない。
だが指先が、わずかに震えている。
音はあった。
明確な破断音。
曖昧さはない。
だが。
それは彼女の理想とは、どこか違っていた。
誇らしさではなく、衝撃。
意思ではなく、壁。
その違和感を、まだ言葉にできない。
ただひとつだけ、確かなことがあった。
これは――初めての敗北だった。




