第3章 導きの先へ
夏の早朝。ちょうど日の出を迎えたその時、俺はどこかで見たような女の人と出会った。
「ずっと探していたのには、理由があるの。話を聞いてくれるかしら?」
女の人は俺にそう告げた。
だが、俺は神代 響ではない。園田 響だ。
「悪いけど、人違いじゃないかな。俺は園田 響だ。」
動揺を隠せず、声が震えてやっと絞り出した。
女の人は少し考え込み、やがて言った。
「あなたは、すぐ近くにある向日葵園にいる響で間違いないのね?だったら、あなたで間違いないわ。怖がらせるつもりはなかった。本当にごめんなさい。でも、時間があまりないの。話を聞いてくれない?わからないことは何でも聞いて。これは、あなたの出生を知るきっかけにもなると思うの。どうかお願い。」
女の人は少し手が震えている。
直感的に、この人が悪さをしようとしていないことだけは分かった。
それに、どうしても俺と話したいって気持ちも伝わってくる。
必死で弱々しくて……なんか、助けてやりたくなるような雰囲気だった。
「わ、わかった……でも、マ……(やべ、外で“ママ”はねぇわ)……寮母さんが心配するから、一回帰らせて。今日、土曜日だし学校もないから、朝ごはん食べたら話聞くよ。それでいい?」
女の人はこっちを見て、「ありがとう」とぽろっと涙をこぼした。
「え、泣かないでよ。なに?どっか痛い?」
どうしていいか分からなくて、俺は焦った。
女の人をどうやって慰めればいいのかなんて、さっぱり分からなかった。
「ちゃんと約束……ちゃんと話聞くから。」
そう言ってみたけど、しばらく女の人は泣き止まなかった。
やっと落ち着いたころ、女の人は涙のあとを拭って、言った。
「私……神代 奏。9時に、ポポス集合でいい?」
目を真っ赤にした女の人は、「奏」というらしい。
こちらだって、聞きたいことは山ほどある。
「……わかった。必ず行くよ」
少し遠くで鳴きはじめた蝉の声が、だんだんと近づいてくる。
さっきまでの静けさが、むしろ異常だったのかもしれない。
「あ、そうだ。時間……今、何時だろ」
園のことをふと思い出した。
変な時間だったせいで、完全に忘れていた。
「あと10分で6時だよ」
スマホをちらりと見て、奏が答える。
やばい。もう早起きな人たちは起きている時間だ。
ママも、きっと。
「ありがとう。……俺、帰んなきゃ。また後でな」
泣き顔を残していくのは、なんだか申し訳なかったけど——
園でもそうだけど、俺も怒られるのは避けたい。
そそくさと来た道を戻る。
「来るまで、待ってるからね!絶対だよ!」
響いた声に振り返るかわりに、俺は手を挙げて応えた。
そして、そのまま走り出した。
園の近くまで戻ると、外から中を覗ける場所がある。
数人がもう起きているのが見えた。
(やば……)
こっそり裏に回り、一階の開いている窓から、なんとか忍び込もうと考える——。
夏は年々暑さを増していて、共同スペースにはクーラーが入る。
とはいえ、誰かの部屋に入って起こしてしまったらマズいし……
俺の部屋は2階。風呂場は格子窓で入れない。
開いている窓は——廊下か、トイレだけ。
「……よっと。思ったよりギリギリだな」
俺はトイレを選んだ。
廊下よりも人に見られる可能性が低いし、なにより靴箱がすぐ近い。
(……俺、こういうときに限って悪知恵だけは働くんだよな)
そう心の中で苦笑しながら、靴をそっと元の場所に戻し、自室へと急いだ。
部屋の椅子に腰を下ろすと、ドッと疲労感が押し寄せてきた。
ねっとりとした汗が服に染みて、じわじわと不快さが広がっていく。
早朝に起きたせいか、睡魔まで襲ってくる。
……あんな出来事、本当にあったのか?
まるで夢だったみたいに、今はいつもの日常が広がっている。
このままじゃ、うっかり寝てしまいそうだ。
朝食の手伝いに行こう。
すでに共同スペースには、手伝いに来ている仲間たちの姿がちらほらと見える。
「今日は遅かったな!おはよ。昨日疲れてたんだろ?疲れとれた?」
「響!おはよ!」
「響、もう大丈夫なんか?おはよう!」
みんなが、口々に声をかけてくれる。
「ん、おはよ。大丈夫。早く寝すぎて、暑くて起きちまった」
本当のことは言えなくて、適当な嘘でごまかした。
……でも、ポポスに行くんだ。きっと、なにか食べるだろう。
そう思って、今日は自分の分を少なめに準備することにした。
手を動かしながら、まだ胸の奥でざわざわと残っている感情を、そっと押し込んだ。