第三章 破蕾(二)
弔寡にとって春は大事な季節だ。国中の桜が花開き、街や村を彩って、人々は散る花びらと共に舞を舞い踊る。弔寡族の子供は、この世に生を受けてから五年目の桜祭りの前日に、幻神より花を授かり、手のひらの上で開花させられるようになる。桜祭りはこの国で一番大切な行事の一つで、一年の節目でもある。つまり、子供達は盛大な祭りの直前に弔寡の証を貰い、立派な社会の一員として新年を迎えるのだ。燕薔が授かったのは薔薇であったが、燕薔という名の通り、正式に個人の名が決まるのは花を授かった後のことである。
では、燕薔の「燕」とは何のことなのか。これはいわゆる「家」を表すもので、どの家にも必ず鳥の名がついている。特に、燕、鷹、隼、鳩、鶴、梟、雉の七つの家はこの国を回す重要な役割を担っており、七翼家と呼ばれる。これらの家は、この国随一の権力と資金を持ち、分家も多いが、それら全てをそれぞれの当主がきっちり統括し、一つの州を治めている。要するにこの国は、燕州、鷹州、隼州、鳩州、鶴州、梟州、雉州の七つに、首都のある桜州を加えた八つの州で構成されている。
また、弔寡族はその花をもってして鳥を服従させることができる。そして、その鳥の体を借りるという形で空を飛ぶことさえできるのだ。そのため、弔寡族は「鳥花族」と表記されることもままある。どちらも正しいのだが、ある理由で弔寡と表記した方がいろいろと便利なので主にこちらが使われている。七翼家では大体自分の家の鳥を服従させるため、それぞれの州にはそれぞれの鳥が多く飛んでいる。
加えて、各個人の能力は服従させた鳥の能力に依存する。よって、七翼家は各家に特有の個性があるのだが、簡単に言えば、燕家はその水平飛行の速さから見張りや護衛を一手に引き受け、鷹家はその俊敏な身のこなしから優秀な武官を多く輩出する。隼家も武官を多く輩出するが、その急降下最速の能力をもってして奇襲部隊に入隊する者がほとんどである。役割は違えど武家であることは同じなので、鷹家と隼家は互いを目の敵にしており、一度顔を合わせれば喧嘩沙汰になることも少なくない。鳩家はその記憶力の高さから文官のほとんど独占し、鶴家は比較的長寿で争いを好まず、建築や武器製造に特化した技術を有する。梟家は夜を支配し、雉家は商業に秀でている。この国有数の富豪は大半が雉家の出である。
花の方は格付けがないわけではないが、ほとんど花は皆平等で、どの花を授かったからといって能力や身分に差が出ることはない。ただ、例外はある。桜、菊、睡蓮の三つはその花を授かった時点でこの国の王になる資格がある。特に桜は特別で、人を強制的に服従させる能力を持つ。なので、他二つを差し置いて王になることが多く、地位は同じであるにも関わらず菊や睡蓮でさえ支配下に置く風潮が強い。しかし、他二つも決して劣ってはおらず、菊は治癒に特化し、睡蓮は戦闘に特化した能力を持つ。その上、これら三つには、絶大な力である自然能力というものも付加され、桜は大地、菊は風、睡蓮は水を自在に操ることが可能となる。けれど、睡蓮に関しては所有者不在の年も多い。その期間は数百年にも及ぶため、幻の花とも呼ばれるが、その花が生まれたあかつきには国が大いに混乱し、大虐殺が起こるという言い伝えがある。そのため残念ながら睡蓮が生まれるとひっそりと殺されてしまう場合がほとんどだが、その場合はこの国のまた別の場所で睡蓮が生まれることになるので国としては睡蓮を抹消することはできないようになっている。また、睡蓮を殺せば殺すほど後の大虐殺が大規模になるという言い伝えもあるが、知っている者は少ない。
また、花は所有者に根を張るわけではない。つまり、無理矢理引き剥がしたり奪うこともできる。桜などはその標的にされやすく、現国王が桜の元々の所有者であるかどうかは誰にもわからない。
生成する花はいわば肉体の一部である。そのため、自分の体が傷つけば花をあてがうだけでたちまち傷は癒える。ただし、生成にも大量の血液を要するため、あまりにひどい傷だと花を生成できずに失血死することになる。その時は他人に治してもらうしかないが、相手の血液を大量に奪うことになり、また血液自体が合わないこともあるため普通は止血して包帯を巻き、時間をかけて治す。花による治癒は戦闘中などの急を要する場合に多く用いられる手法だ。転じて、花を無理矢理引き剥がすのは体の一部を削がれるのと同じであり、それ相応の激痛を伴うが、高値がつくので人を攫い強制的に花を剥がして売る闇商人も存在する。所有者不在の花を口に入れて喰らえば、誰であってもその花を自分のものとして使えるからだ。高値が付く理由は様々あるが、主な理由は兄のような人がいるからである。
* * *
その日のことはよく覚えている。よく晴れていて春風が心地よい良き日だった。今日は花を授かる日だ、と朝から麓陽村の同い年の子供がはしゃぎ回っていたのでいつもより早く目が覚めてしまった。燕薔は村長の三番目の子で、分家ではあったが格式高い燕家の一員として大切に育てられてきた。その時はまだ花を授かる前だったので、もちろん燕薔という名はなく、三の燕と呼ばれていた。同じように二人の兄はそれぞれ一の燕、二の燕と呼ばれていて、この村を継ぐのは一の燕であると生まれた時から決まっていた。それに異論はない。けれど、燕薔は一の燕が大の苦手だった。兄弟や親でさえ、自分が大きくなるための材料とでも思っていそうな偉そうな口調や振る舞い、幼いにも関わらず大人達を怯えさせるほどの冷徹な判断と鋭い目。燕薔は生まれてこの方、一の燕を兄だと思ったことは一度もない。それに比べて、二の燕は一の燕を補うかのように優しく朗らかな人だった。やんちゃで危なっかしい燕薔を常に気にかけ、忙しい両親に代わって面倒を見てくれていた。
「あ、みつばめ、起きたのか。なんだ今日はやけに早いな。これは空から槍でも降ってきそうだぞ」
そう冗談を言って笑う目の前の人物こそ、二の燕である。兄は燕薔を三の燕じゃ呼びにくいと、みつばめというあだ名をつけて呼んでいた。燕薔はこのあだ名をとても気に入っている。
「兄さん。おはようございます。やっとこの日が来ましたね」
兄に敬語なのは、兄弟であっても年上には敬意を使わなければならないと母親に厳しく躾けられてきたからだ。この国では別に珍しくともなんともない。
「ああ、そうだな。私は一年も余分に待ったのだから何か特別な花を授かってもいいと思うのだがなあ」
兄は去年のこの日、体調を崩して授花の儀式に参加できなかった。幻神が花を授けるのは、この日のみなので逃した場合は一年待たなければならない。
「またそう言って。睡蓮を授かれば殺されますよ」
ははは、確かにな、といって兄は頭を掻いた。普段から二人はくだらない冗談を言って笑い転げては親に注意されている。
「二の燕様、三の燕様。そろそろ広場に移動の頃合いでございます」
従者が膝をついて報告する。
「ああ、分かった。すぐ行く」
そう言って、兄は燕薔を振り返り、呆れたように言った。
「お前、全然準備できてないじゃないか。全く、寝坊癖はいつまで経っても直らないな」
「ちょっと!さっき、いつもより早くて感心、みたいなこと言ってたじゃないか」
燕薔は不満をぶちまけたが、兄はそれを無視して燕薔の服を準備し始める。
「みつばめ。顔洗っておいで。今すぐ」
無視された燕薔は後ろから一蹴り入れてやろうかと思ったが、ここは素直に従うことにした。
* * *
広場には十人ほどの子供達が一列に並んで南を向いている。その一番左端に兄がいて、その右隣に燕薔はいた。周りには親達が集まって自分の子供の晴れ姿を見ようと背伸びしたり首を伸ばしたりしている。その集団から少し離れた左の方に両親はいた。父は腕を組んで真剣にこちらを見ていて、母はほほえみながら手を振っている。一の燕は行く意味がないと言って屋敷に留まった。燕薔は手を振る母を見て正直、恥ずかしいから今すぐやめてくれと叫びたかったが無反応だと悲しむかなと思い、小さく手を振りかえした。
背後から笛の音が聞こえてきた。儀式の始まりである。燕薔たちはそろって、右手を上に手のひらを胸の前で重ねる。空を向く、右手の手のひらはまだ小さく頼りない。子供達はそのまま、頭を下げた。これが献花礼である。文字通り、手のひらの上に咲いた花を捧げ、自分の肉体の一部を無防備にさらけ出すという意味でも、絶対の忠誠を表す。もとは幻神に対してのみ行われる動作だが、いつからか、王に対してもこの礼がとられるようになった。礼のたびに花を咲かせはしないが、特別な場合、例えば王の戴冠式などでは花を実際に咲かせた上で献花礼をとることもある。最近では王に近い目上の人にもこの礼をとると聞いたことがある。首都の方は日々変化があって忙しそうだと燕薔は思った。
頭を上げ、重ねた右手だけをゆっくりと握る。今更緊張してきた燕薔だが、握った手の中がじんわりと温かくなるのを感じてゆっくり手を開いてみた。すると、見事な赤い薔薇が花開いて太陽の光を反射し、燦然と輝いた。あまりの美しさに燕薔はしばらく呆けたようにそれを見ていたが、突然、親の間に大きなどよめきが広がった。驚いて顔を上げると親達の目線は燕薔の少し左に集中している。ぱっ、と隣を見やると、兄は目を見開いて自分の手のひらを見つめていた。その視線の先にある手の上には、何もなかった。花が、咲いていない。これが意味するところを知るのはもう少し先のことになるが、両親の顔が苦しげに歪むのを燕薔は見た。周りの親も次々に表情を変えていく。表れたのは他でもない、嫌悪の表情だった。まるで捨てられた紙屑を見るような、到底人間に向ける表情ではない。焦った燕薔はなぜか、親達と兄との間に立ちはだかった。右手を振って薔薇を消し、両腕を伸ばして兄を庇う。兄が後ろから名を呼ぶのが聞こえたが、燕薔は目の前の大人達を睨むのに忙しかった。兄がなにか悪いことをしたわけでもない。それなのにそんな表情を向けるのは人として間違っている、と叫んでやりたかったが、左手を引かれてはっと我に帰る。両親だった。二人はまるで誰かが死んだかのように沈んだ表情で兄と燕薔の手を引き、屋敷に帰った。
実際のところ、兄は死んだも同然だった。この国には弔寡の親から生まれたにも関わらず、花を持たない者が存在する。その者らは隠華と呼ばれ、弔寡の証を持たないが故にひどい差別を受ける。花を待っていない、ただそれだけなのに奴隷のように扱われ、罪を犯した時には首都である華街から根街「落とされ」る。首都は、信じられないくらい大きくて住居が小さなこぶにしかならないほどの桜が根を張っており、枝に吊り下がった家や枝の付け根に構えた家々から成る華街、幹を掘って造られた家や地上に出ている根の間に建てられた家々から成る茎街、その立派な根によってできた地下の空洞に建てた家から成る地下街の根街の三つの街で構成されている。根街は罪を犯した者や隠華などが落とされるところで、無法地帯となっているが、国が奴隷のようにただ働きをさせて鉱産資源の発掘と加工、衣服やら安物の武器やらを大量生産させており、根街が無くなればこの国の経済は回らなくなると言ってもいい。よって、人材確保のために、隠華というだけでやってもいない罪をなすりつけられ根街へ落とされることも日常茶飯事である。首都ではなく地方の隠華は見逃されることが多いが、周りからの差別がひどく自殺に追い込まれる者も少なくなかった。
その日から燕薔の生活は変わってしまった。兄は部屋から出てこなくなり、訪ねていけば入れてもらえたが兄は日に日にやつれて、見るからに弱っていった。燕薔は一日の大半を一人で過ごし、両親からは村民の前で兄のことを口に出すなと強く言われ、一の燕に至っては、あんな兄のことなんか忘れろ、と言ってくる始末である。その瞬間、燕薔は自分の中で一の燕のことが苦手から嫌いへと変化するのを感じた。
そんなある日、一の燕は燕家本邸へと呼ばれ、そのまま当主の元で働くことになった。分家にとっては、またとない名誉である。燕薔にしてみれば一の燕のどこが良かったのか全くわからなかったが、麓陽村で議論を呼んだのは村の相続問題である。順番的には兄がこの村を継ぐべきだが、隠華なのだから論外だと一刀両断された。そうなれば必然的に燕薔が継ぐことになるのだがそこが問題だった。何人かの豪族が、隠華と仲が良かったことを理由に、村長にふさわしくないと言い始めたのだ。何を根拠に、と燕薔は思ったが驚いたことに両親は、確かにと頭を悩ませたのだ。親でさえ味方ではないのかと失望したが、燕家の子供はそれ以外にいない。仕方なく燕薔が後継者に決まった。それからというもの、村を歩くたびに隠華贔屓の世間知らずと罵られ、同年代からは裏道に連れ込まれて蹴られたり殴られたりした。それがあまりにも辛くて、ある日燕薔は兄に慰めてもらおうと久しぶりに部屋を訪ねた。
これが最大の過ちだった。
兄は始め、驚いたように燕薔を見たあと、甲斐甲斐しく手当てをした。燕薔は久しぶりに会うというのもあって、最近の楽しかったことや辛かったこと、悲しかったことを全て話した。けれど、全体的には辛かったことや苦しかったことを話す時間が長かったように思う。
その次の日、兄は首を吊った。発見したのは朝餉を運んだ召使いである。箪笥の角にどこからか持ってきた縄を引っ掛けて死んでいたそうだ。自分のせいだと燕薔は思った。自分があんな話などしなければ、楽しかったことだけを話していれば、大好きな兄は死ななかったかもしれない。燕薔は麻痺した心でぼーっと白い布が掛けられた何かを見つめていた。
葬式すらなかった。死体は屋敷の裏手でひっそりと燃やされ、骨は裏山に埋められた。一家代々の墓には入れてもらえなかった。どこに埋められたのか燕薔は知らない。だから墓参りもできない。自分の部屋で泣き続ける燕薔を両親は優しく慰めた。
「家族を亡くすのは辛い。私たちもとても心を痛めている。だけどね、悪いことだけ見ていてはいけないよ。これで燕薔は胸を張ってこの村を継げる。もう、陰口を言われることもないんだよ」
よかったね、と。
もう限界だった。燕薔は両親が部屋を出たあと、怒りのままに身一つで村を出た。裏門には誰もいなかった。泣きじゃくりながらしばらく裏山を登って、気づいた時には開けた場所に出ていた。風が吹く。何かが頬を撫でた。顔を上げると、大きな桜が花びらを揺らして咲っている。まるで、燕薔をいや兄を嘲笑うかのように。
全部君のせいだ、君がなにもかもを壊した、お兄ちゃんみたいに、今ここで死んじゃいなよ、と。
燕薔の怒りは最高点に達した。がむしゃら走ってその桜に体当たりをする。肩に激痛が走ったが、弾け飛ぶ花弁を見て、ざまあみろと笑った。我ながら心が壊れかけているのを感じた。急に無気力になって燕薔は村の方を振り返る。しかし、木で何も見えなかったので、桜の木に登ってみることにした。何度も落ちそうになりながら必死で枝を掴み、上がってみれば、遠くまでよく見えた。日も沈みかけているので我が村には所々灯りがともり、なんとも幻想的だったが燕薔の目を引いたのはその村の向こうだった。延々と広がる海のそば、白い砂浜の上に小さな村があった。灯りは全くと言っていいほどなかったが、輝く手前の村よりもずっと魅力的に見えた。
あそこへ行こう。そう思った。桜から下りた頃には暗くなって足元がよく見えず、ほとんど転げるように山を下っていった。喉は渇き、飢えていたが不思議と気力に満ちていた。ただひたすら前へ進み続け、海沿いの村近くまで来た時にはぼろぼろで、ほとんど前も見えていなかった。
朝日が顔を出した。燕薔は髪や目が赤から本来の色である黒へ変化するのを感じた。穢れが体から滑り落ちていくようで清々しい。このまま、一生花なんか咲かせるものかと固く心に誓った。