表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻影の華  作者: 知瑪坂 斎
第一巻
6/17

第二章 心覚(四)

 春の太陽を受けて温まったそよ風は庭に咲く花々を一撫(ひとな)でしてその香りをどこかへ運んでゆく。海斗(うみと)(つばめ)と縁側に腰掛け、柔らかな日を浴びて笑う庭の花を眺めていた。

「なあ、思い出したんだけどさ。あの時お前、「外に出たことない」って言ったよな。やっぱりあれも本当なのか?」

 燕は地から離れて喜ぶ足をぶらぶらさせながら庭の向こうに立ちはだかる高い壁を見た。

「うん。厳密に言えば()()()()外だけどね。だから村長の息子のくせにこの村を見たことないんだ」

 そう言って自虐的に笑った。

 海斗は疑問を素直に口にする。

「俺の村にはあんな壁一つもない。だから俺には何かを隠したがっているようにしか見えないんだよな。しかも、この屋敷に来るまでたくさんの麓陽の人を見たのに子供を一人も見かけなかった」

 燕はそれを聞いて少し思案したあと、

「……そう」

 とだけ言った。

「今の今までどの村とも交易したことないって言うし、なんか色々違和感を感じるんだよなこの村。今回も目的は交易じゃなくて十中八九別にあると俺は思ってるんだけど」

 海斗が言外に意見を促すと燕は観念したように両手を上げて笑った。

「やっぱりうみは頭がいいね。隠し事はしないほうが身のためみたいだ。実は俺もおんなじことを思って父上に聞いてみたんだけど、何も教えてくれなかった。「子供が首を突っ込む事じゃない」ってさ。余計気になるよそんなの。どうやら大人の事情があるらしいね」

 燕は首をすくめて言った。長い黒髪をまとめている髪飾りが日の光を反射してきらりと輝いた。

「じゃあお前は本当に何も知らないのか」

 無意識に落胆の声色を出してしまった。

「……うん。役に立てなくてごめんね」

 燕は申し訳なさそうな顔になり海斗に向かって手を合わせた。

「いや、別に大した事聞いてないからいいんだけど」

 海斗はそうい言いながら手を払いのけた。

 手を払われた燕は目を庭の花々に移して、しばらく眺めてから思い出したようにぽつりと言った。

「……この庭の花も大半はもうすぐ枯れるんだ。本当に殺風景になる。あ、でもつばめの雛がうるさくなるからそこまで寂しくはないかも」

 急に何を言い出すんだと海斗は目を白黒させる。

「え?燕?」

 燕は小さくあっ、と言ってから慌てたように両手を振った。

「ああ、鳥の方ね。そうだよね。ややこしくてごめん。うちの村には毎年春になるとたくさんつばめがやってくるんだ。きっと村中の家に巣を作ってるんだろうね。壁の向こうの空にいつも忙しそうに飛び交うつばめ達の姿が良く見えるよ。多分そろそろなんじゃないかな」

 海斗も燕と一緒になって青く晴れ渡った空を見上げた。

「ああ、ここにいたのか二人とも。なんだい、君達も春の訪れに耳を澄ませているのかい?」

 驚いて振り向くと麓陽(ろくよう)村長(むらおさ)が笑みをたたえて立っていた。

 燕は弾かれたように立ち上がって頭を下げた。

「父上!いつの間に。……すみません、気づかずに」

 麓陽の村長は笑いながら燕の頭を上げさせる。

「いいんだよ。春を感じている君達にとっておきの提案を持ってきただけだから」

「提案ですか?」

 海斗が尋ねた。

「そう。どうやら今、裏山の一本桜が見頃らしくてね、二人に私の護衛と海青(かいせい)の村長殿の護衛を付けて見に行かせようかという話になったんだよ。せっかくの良い機会だしね」

 面白そうな話に海斗は早速乗り気になる。

「いいのですか?ありがとうござ――」

 海斗がそう言いかけた時だった。突然海斗の隣から悲鳴とも叫び声ともつかぬ声が上がった。

「外に出れるの!?そういうことだよね?俺外に出ていいの!?」

 燕はこれ以上ないくらい目を輝かせて父親に飛びかかろうとせんばかりである。あまりの変貌に(はた)で見ていた海斗は少しだけ距離を取った。

「ああ、いいとも。ただし、裏門から出て裏門に帰ってくる事。それだけはきちんと守りなさい」

「分かりました父上!ありがとうございます!」

 父親の言葉に燕は食い気味で返事をする。

「海斗殿。どうかこの燕をよろしくお願いします」

 麓陽の村長がどこか困ったような顔で頭を下げてきた。

「えーと、はあ」

 海斗はなんとも間の抜けた返事をしてしまったが、麓陽の村長は満足そうにうんうんと(うなず)いた。

 

 

   *  *  *

 

  

 朝日が昇る頃、(はか)らったかのように雲一つない空を背に一羽のつばめが気持ち良さげに飛んでいる。まだ少し冷たい風を切るようにして今年の巣作りをする場所を探していた。眼下に見える花に包まれた村はとても居心地が良い。巣の素材集めにもうってつけの場所で、毎年ここに巣を作ることに決めていた。村ではたくさんの子供達が追いかけっこをしたり花を摘んだりとめいいっぱい春を楽しんでいる。そのつばめは、そのまましばらく朝の飛行を楽しんだ後、村の奥にある大きな家に目をつけてゆっくりと降下を始めた。

 

 

   *  *  *

 

  

 海斗達は次の日の朝、裏門に集合することになっていた。海斗は朝早くに目が覚めてどうも二度寝は出来そうになかったので、いち早く裏門に行くことにした。持ち物はそんなに多くない。水が少し入った竹筒とさっき(くりや)から貰ってきたおにぎり二つである。決して見たことがないという訳ではないが、なんだかんだ海斗も桜を見に行くのを楽しみにしていた。ひんやりとした朝の空気を肺に満たし、深く深呼吸をする。手持ち無沙汰だったので、門の側にある庭石に腰掛けてたまたま目に止まった池の白睡蓮をぼーっと見る。

――父さんと母さん、俺のことをどう思ってたんだろう。

 一人になるとどうしても両親のことで頭がいっぱいになってしまう。

 砂浜。海を背にして立つ遠い二人の影。その背後に迫り来る巨大な波。必死に逃げろと言っても、声は声にならない。二人はただ、こっちに向かって手を振り、何かを言うだけでそこから動こうとしない。駆け寄ろうとしても足がすくんで使い物にならず、そのまま、二人は黒い海に飲み込まれて――

 そんな夢ばかりを見る。顔を思い出せないどころか、声も忘れてしまった。会いたい。ただ、もう一度その手で抱きしめて欲しい。名前を呼んで欲しい。今こうやって壁に囲まれていても、時々あの海のことを思い出して、どうしても飛び込んでしまいたくなる。自分も死ねば、自分もあの海に沈めば、その向こうで二人は待ってくれているのだろうか。笑顔で手を振りながら。

 どこかで、つばめが鳴いた。

「お早いですね」

 驚いて振り返ると我が村長の護衛が一人、優しげな笑みをたたえて立っていた。

()()()()()()()。海斗殿」

 その言葉の意味するところを理解した海斗はなんとも言えない顔になる。

「ふふ、その察しの良さは相変わらずですね」

 海斗は立ち上がって、深く頭を下げた。

「その節はありがとうございました。申し訳ないことにほとんど覚えていないのですが」

「大丈夫ですよ。私は覚えていますから。それにしても難しい言葉を使いますね。しばらく村長の屋敷にいたからでしょうか、礼儀も敬語も何申し分ない出来ですよ」

 そう言って護衛は嬉しそうに微笑んだ。

 歓迎会での大失敗を燕に笑われたことを言ってやろうと海斗が口を開きかけた時、遠くから声が聞こえてきた。

「おーい、うみー遅くなってごめーん」

 そう言いながらぱたぱたと走ってきたのは他でもない燕その人である。今日も今日とて豪華な装束を身に纏っているが、いつものように長い(そで)と床に付くほどの(すそ)、というわけではなく流石に動きやすいような服装になっている。その後ろから困ったような顔でついてきている体つきの良い巨漢はきっと麓陽側の護衛だろう。

「すみません。燕殿がなかなか起きてくれなくて…」

 麓陽の護衛はその巨体に似合わず申し訳なさそうに体を縮めて頭を掻いた。

「しょうがないでしょ。昨日興奮しすぎて寝れなかったのに、やっと寝られたと思ったら起こしにくるんだもん」

 ぷうっと頬を膨らませて自分の護衛を睨みつける燕の姿は()()そのものだった。

「大丈夫ですよ。私達もそんなに待ってませんから。では、出発しましょうか」

 海青の護衛がそう言うと、麓陽の護衛が裏門の鍵を外し、押し開ける。正門と違って一人で開けられるほどの小さな門をくぐり、四人は裏山に向かって歩き始めた。

 

 

   *  *  *

 

  

「出発したようですね」

「ああ、今しがた護衛から言伝(ことづて)があったわい」

 小さな茶室には麓陽と海青、それぞれの村長がひっそりと顔を突き合わせていた。

「人払いはしてありましょうな」

 海青の村長が念を押すように低く言った。

「ええ、もちろんです。燕薔(えんしょう)。まさかあなたが応えてくれるとは。変わりましたね」

 そう言って笑った麓陽の村長の目は全く笑っていない。燕薔は眉をひそめた。

「その名で呼ぶな。わしはもう弔寡(ちょうか)ではない」

「髪の色を見る限り、力も使ってないようだ。本当に(あけ)の民になったのですね」

 燕薔はうるさいものを払いのけるかのように手を振った後、湯呑みに手を伸ばした。

「わしのことはもういい。それより燕蘭(えんらん)。一体どうやって村中を黒髪にした?」

 燕蘭は少し考えて言った。

「ああ、簡単ですよ。一日、力を使わせなかっただけです。どうしても使わなければいけない者はあの日、家から出ないよう命じてありました。もちろん子供もです」

 燕薔は鼻で笑った。

「子供が一人もいないというのは流石にわしの連れの豪族も海斗も違和感を感じたとは思うがの」

「ええ、そこは賭けでした。もし聞かれたら適当に学舎(まなびや)が長引いていたとでも答えるつもりでしたがね」

「そうかね。それにしても村民が皆、その(めい)に綺麗に従ったところを見ると相当恐れているようじゃな」

 燕蘭は困ったように頭を振りお手上げの仕草をした。

「私も怖いですよ。露見すれば何が起こるか分かったものじゃありませんから」

 燕薔はふむと相槌を打って、茶を口に含むと小窓から見える庭の池を指差した。

「あの睡蓮はやはりあの子の?」

 燕蘭は外を少し見やると、燕薔に目を戻す。

「……はい」

 その目に浮かぶ色は紛れもなく恐怖だった。

「あなた方が来る数日前、あの子が初めて咲かせました。すぐ取り除こうとしたのですが、切ろうとするとあの子が泣くんです。可哀想だと。だからと言ってそのまま無理やり摘み取ってしまったら、きっと癇癪を起こしてしまう。下手をすれば死傷者が出てしまうので仕方なく、あのままにしてるんです。時期も全く外れているわけではありませんしね。そこだけは幸いでした」

 普通、この時期に睡蓮は咲かない。

「今回話し合いたいのはそこじゃな」

「そうなんです。あの子にも絶対に皆さんの前で力を使わないようにとしつこい程言っているのですが、万が一に力を使うようなことがあれば皆さんを生きて帰すわけにいかなくなりますから」

 ははは、と燕蘭は力無く笑った。

「あの壁もそのためじゃな」

 燕薔はこの屋敷を囲う高き壁を見て言った。

「はい。あの子が生まれて()()だと分かってからすぐに建てましたよ。村民からは(いぶか)しむ声がたくさん上がりましたが、まさか睡蓮が生まれたとは思っていないでしょう」

「わしらには分からないだろうと?」

「ええ、まあ本当は皆さんを呼ぶような危険なことはしたくなかったのですが、どうしても文では上手く伝わらないこともありましたので。……ああ、そう言えばあの海斗とかいう少年、なぜ子供なんかを連れてきたのです?」

 その質問に燕薔は曖昧に笑って答えた。

「まあ、こちらの村の事情よ」

 燕蘭の顔がさっと青ざめる。

「まさか、この村が弔寡族の村だと言うことを……?」

「それはないから安心せい。海斗に教えても、わしに利は無いじゃろうに」

 燕蘭はほっと息をついた。

「それもそうですね」

 しばらく無言で茶を飲んだ後、燕薔は燕蘭の顔をじっと見ながら鋭く切り込んだ。

「……あの子を殺したいんじゃな」

「……。急ですね。まだそこまで言ってませんのに」

 燕薔は深くため息をついた。

「自分の子じゃろうに……。だから弔寡は好かんのじゃ。複雑で面倒くさい。わしの答えを言おうか?海青は反対もしないし賛成もしない。もちろん協力もしない。これはおぬしの村の問題じゃ。殺したければ勝手に殺せば良い。ただ、こちらを巻き込むのだけはやめていただきたい。それだけじゃ」

 燕蘭の目に落胆の色が走った。

「私の思惑に関わらずあなたの村を巻き込んでしまう可能性がありますよ?それほど予測不能ですから」

 今度は打って変わって脅すような口調になる。それを聞いて燕薔は手に怒りをにじませた。

「じゃから協力せえと?は、笑わせるでない。この村がわしらにしたことを忘れたとは言わせんぞ。よくもその面さげて協力を仰げるもんじゃのう。何を言われようが、わしは自らおぬしに助け舟を出したりはせん、その結論は変わらぬ」

 燕蘭は何を思ってか、じっと燕薔を見据えた後、意外にもあっさり引き下がった。

「……分かりました。では明日にでも村にお帰りを。あなた方が持ってきた塩は全て麓陽木(ろくようぼく)との交換成立ということでよろしいですね?」

「ああ、いいとも。あと、この交易を最後に二度と関わりを持たないことも忘れるでないぞ」

 燕蘭は茶を飲み干した後、笑って言った。

「ええ、それはこちらとしてもぜひお願い申し上げたかったところですよ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ