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第二章 心覚(二)

 海青(かいせい)村から麓陽(ろくよう)村までの道のりは一日もあれば余裕で到着できるほどだったが、なにせ海斗(うみと)にとっては初めての長旅である。豪族達に相当心配されながらも、なんとか日が沈む前に麓陽村に到着することができた。

 その村は白く高い壁で囲まれた中にあるようだった。出入り口は正面に一つだけ作られた大門のみで、その扉は大きく開かれている。大門の前には海斗達一行を出迎えようと麓陽村の人々が集まっていた。どの人も海斗の想像とは違ってとても優しそうな顔つきをしている。海青村の人ほどではないが、肌もそれなりに日に焼けて健康そうな色をしていた。

――この感じだと、突然襲ってくることはなさそうだな。

 海斗は村長(むらおさ)達とは違った意味で安堵(あんど)のため息をついた。

 緊張が解けると、今まで目もくれてなかった壁の内側の景観がはっきり見えてきた。

 美しい景色だった。白を基調とした厚みのある土壁は夕日に照らされて赤く染まり、壁に付けられた小窓からは温かい火の光が漏れている。海斗がよく知る床が上がっている家は全く見かけない。今、海斗達がいる門も、豪華に飾られて荘厳(そうごん)な雰囲気を放っていた。そして、何より印象的だったのは規則正しく並ぶ家々の前や広場に咲き乱れる様々な種類の花だった。よく見る花から、海斗が見たことのない花まで所狭しと生えている。まるで、花の絨毯(じゅうたん)の上に家が立っているようだ。

 もちろん全員この村に来るのが初めてのため、あまりの美しさに海斗達はしばらくぼうっと村を見ていた。

 海斗の疑問は深まるばかりである。

 こんなに発展していて自給自足の生活ができるのになぜ今になって「塩が欲しい」などと言い出したのか。

 海青との交流が目的か。単純に塩が欲しいのか。はたまた別の理由か。

――何にせよ警戒は解かない方がいいな。

 そんなことを考えていると、村の奥の方から三十歳くらいの痩せた長身の男の人が小走りでやってきた。周りの人の反応からするに麓陽の村長のようだ。

「いやぁ、すみませんね。こんなにも早くお着きになるとは思ってませんで。」

「いやいや、こちらこそ申し訳ない。なにも、わざわざあなたが出向いて来なくてもわたくしどもから挨拶に行きましたのに。」

 二人の村長は和やかな雰囲気で会話を始めた。

 

 

   *  *  *

 

  

 海斗達は早速、麓陽村の村長の屋敷に向かっていた。屋敷に続く大通りは美しく整備され、その大通りに向かって家々が規則正しく並んでいる。そして、海斗達を見物しようとたくさんの村民が大通りの周りに集まっていた。

「ねぇ、あの人たち肌黒すぎない?なにか塗ってるのかしら」

「やめなさいよ。聞こえちゃうでしょ」

「あらーあの方達が噂の「ウミの人」?やだーみてよ!あたしの夫よりバリバリ働いてくれそうだわー」

「うわ、これがウミの匂いか。村長の家にあるカイガラ?と同じ匂いがするな」

 海斗は有名人になった気分がして少々落ち着かなかった。あんなに近く見えた屋敷がものすごく遠く思える。村長も同じかなと思い、目線を上げる。すると、村長は手を振ってくる村民達に向かって優雅に手を振り返していた。

――なんだよ!気持ちよくなってんじゃねーかよ!

 海斗はあまりに腹が立ったので村長に話しかけることにした。

「あのー村長。少し気になっていたことがあるんですが」

「うん?なんじゃ?」

「村長は麓陽の村長と面識があるんですか?さっき、親しそうに話してましたけど」

「ああ。実はな、数年に一度ここいらの村長が集まって近況報告をする会があるんじゃ。そこでわしが行った五回のうち一回だけ顔を見せたことがあるんじゃ。十年くらい前かの。あんときに初めて麓陽の人間を見たもんじゃからさすがのわしも緊張したのう」

「へぇ。じゃあ、他の四回は来てないってことですよね?そんな大事な会をすっぽかしても罰とかないんですか?」

「うーん、なぜか麓陽村のすることにはなにも口出ししないことがわしらの暗黙の了解になっとるな。わしが村長になる前からあったみたいじゃからわしもよくは知らぬ。まあ、今のところ害はないから放っておいてるみたいな状況じゃ」

――そりゃ、気味悪がられるわ。

 海斗はこの村が普通ではないことをやっと思い出した。

「それなら逆になんで十年前は(かい)に来たんでしょう?」

「村長が変わったからじゃな」

「そうなんですか?確かにあの村長、若そうでしたね」

「うむ。流石にわしらが知らぬ間に村長をコロコロ変えるのは気が引けたんかのう。じゃが、その会でも自分の自己紹介が終わった途端、そそくさと帰りやがったわい」

「ええ!?」

「本当にイミフなやつじゃ」

「海青の村長。聞こえていますよ。」

 海斗達を先導していた麓陽の村長がやんわり止めに入る。否定しないところを見ると事実のようだ。

「おお、すまんすまん。歳を重ねると声が大きくなってかなわんわい」

「そういう問題ではありません」

「わかったわかった。もう何も言わんから」

――ほんとになんなんだこの村。

 海斗は改めて辺りを見回してみる。そのとき、ふと違和感に気づいた。村の雰囲気や景観の違いから生じるものでは無い、もっと本能的な違和感。海青村で当たり前に見かけるものがここには無い……

 そして海斗はその正体に辿り着いた。

 

 子供が、いなかった。

 

「おお!海斗、屋敷に着いたようじゃぞ」

 その声で海斗の感じた違和感はあっけなく霧散した。

「えっ、あ、ほんとだ……ってなんですかこのゴツい門は!?」

 海斗達の前に立ちはだかっていたのは、これでもかというほど高く厚い壁と大人三人はいないと開けられそうにない門だった。遠くから見た感じではちょっと高い塀かなぐらいにしか思っていなかったものが今や圧倒的な存在感をもって海斗達の行く手を阻んでいる。

――また壁かよ!そこまでして守りたいもんなのか村長の屋敷って!

 海斗達一行が呆然と門を見上げているうちに、門番四人が門を押し開けていく。そこから見えてきた光景に海斗の()いていた口はさらに顎が外れそうなほど開いた。

 地面は柔らかい緑の草で覆われていて、その草を隠す勢いで花という花が文字通り咲き乱れ、その花の蜜を求めて蝶達がひらひらと飛び回っている。庭の隅には大きな池があってその周りにはまた違った花々が花笑(はなえ)み、大きな赤い金魚が水面下をゆっくりと泳いでいる。その中で一際海斗の目を引いたのは池に咲く睡蓮である。咲いているものはごくわずかだったがその一つ一つが大ぶりで見惚れてしまうほどに美しい。池の水面(みなも)と蝶の羽根が夕日の光を受けてきらきらと輝いていた。

 まるで桃源郷に迷い込んだかのようだ。加えて、その真ん中に建つ屋敷は庭をも飾りにしてしまうほど静かで(おごそ)かな雰囲気を(かも)し出している。

――あれ?俺、死んだっけ?

 そう思ってしまうほど現実離れした光景だった。

 麓陽の村長が笑う。

「ふふ、皆さん。口が開きっぱなしですよ。美しいでしょう。数十年住んでいる私でも、時々見とれてしまうほどですから。さあさあ、お腹も空いておられることでしょうし、どうぞお上がりください。夕餉(ゆうげ)の準備もできていますよ」

 やっと我に返った海斗達は慌てて麓陽の村長のあとに続いて屋敷に上がった。


 

   *  *  *

 

  

 広間には大きな長机が置かれ、その上に海斗も見たことのない料理が豪華に並べられている。

 野菜の炒め物、鶏の丸焼き、野菜がたっぷり入った金色に輝く汁物、猪肉の煮込み、果物を甘い蜜で固めた菓子など、食べたことがなくても見た目で美味しいと分かるものばかりである。

 それらの匂いを嗅いだ瞬間、海斗は自分が飢えに近い空腹だったことを思い出した。

「さあ皆様、どうぞお好きな席にお座りください。」

 そう麓陽の村長が言うが早いか、海斗は隅の席に飛んで行って誰よりも先に腰を下ろした。

「なんじゃ、海斗。そんなに麓陽の村長が怖いか?」

 我が村長がニヤニヤしながら話しかけてくる。

「いいえ、俺が怖いのはあなたです。村長。」

――楽しい楽しいお食事中に変な話を振られて恥をかくのだけは絶対避けたい。絶対。

「おお、そうかそうか。恥ずかしがり屋さんだのう。海斗よ」

――聞こえない。聞こえない。このままこの人の口車に乗って、幸せなひと時を失ったら墓場まで後悔を引きずること間違いなしだ。

 海斗は目の前の料理に集中した。

 席も大半が埋まり、残っているのは海斗から一番離れた、いかにもお偉いさんが座りそうな三席である。(我が村長はその三席に一番近い席に座った。)

 その真ん中に麓陽の村長が座る。

――ということは、残りの二席は奥さんとその子供か。

 海斗はその子供が自身と同い年であることを思い出し、少し緊張し始めた。

――仲良くならなきゃいけねぇんだよな。どんな奴でも。

 故郷の村でも友達がいない哀れな少年は、同い年の人間との接し方をまるで知らなかった。

「では、皆さんお揃いになったということで、我が妻と息子を紹介させていただいてもよろしいでしょうか?」

 麓陽の村長は皆がうなずいたのを見てから、右手側の空いている(ふすま)の奥に向かってうなずく。

 すると、長身の女性とともに小柄な子供が広間に入ってきた。何気なくそちらに目をやった海斗だが次の瞬間、その目は子供に釘付けになっていた。

 (まと)っている衣は決して豪華ではなかったが、衣の淡い水色と長い黒髪をゆったりとまとめている金の髪飾りが驚くほどよく似合っている。その衣から(のぞ)く手足は華奢(きゃしゃ)で海斗でも折ることができそうなくらい細い。顔立ちは平凡な海斗とは比べ物にならないくらい整っていて、海青村のおばちゃん達が、目の保養〜、と言いながら追いかけ回す姿が目に浮かぶようだ。

 そして、何よりも海斗が驚いたのはその肌の白さである。

――白すぎるだろ。日に当たったことあるのか?

 日焼けを知らないその肌は、海青村はおろか、今日見た比較的白い肌の麓陽村の人々の中でも群を抜いて白い。いや、正確に言えば今日見た麓陽村の()()()の中でも、だが。

 一歩間違えれば少女に見られかねない少年はすたすたと歩いてきて、麓陽の村長の隣にちょこんと座る。その所作は海青村にも時々やって来る貴族を思わせた。

 麓陽の村長が口を開く。

「それでは改めまして…海青村の皆様、ようこそお越しくださいました。皆様ご存知の通り、うちの村は他の村とめったに交流致しませんので至らない所も多いかとは存じますが約一週間、精一杯皆様をおもてなし致しますので何卒(なにとぞ)よろしくお願いいたします」

「わたくしからも重ねて挨拶申し上げますわ。この度はこんな辺境の村にご足労いただきまして嬉しい限りです。短い間ですがくつろいでいってくださいね」

 そう言った麓陽の奥方は声と同様に優しい顔でふわりと笑んだ。

「わ、私からもご挨拶申し上げます。私は村長の一人息子で、まだ礼儀とかもわからないただの子供ですが皆様にご迷惑をおかけしないように頑張ります。よろしくお願いします」

 白い少年はやや緊張した面持ちで一礼した。

 その少年らしい高い声と一生懸命な態度は周りにいる大人達を自然な笑顔にする。

 今度は我が村長が口を開いた。

「いえいえ、こちらこそこんな美しい村に来ることができて大変嬉しゅうございまする。そこで、記念と言いますか、めでたい!ということでうちの村の名産であり高級魚の(たい)を丸ごと一匹使った鯛の塩焼きを持って来ましたので皆様どうぞお召し上がりください」

 その言葉と同時に机の上に置かれた大きな木箱に麓陽の御三方のみならず、海斗も目を()いた。

 部屋が拍手で満たされる。

――鯛だと!?俺も数えるほどしか食べたことないのに。しかもこんなに大きいのを丸ごと!?こりゃ、この鯛を獲る過程で人が死んでるな。

 その木箱の蓋がゆっくりと開けられていく。ふわっと湯気が上がると同時になんとも言い難い良い匂いが部屋に漂う。

 海斗はちらりと少年の方に目をやった。少年はというと楽しみでたまらないというように身を乗り出して、なんとか鯛を見ようと頑張っていた。そのキラキラと無邪気に輝く目を見ていると、海斗の視線に気づいたのか少年がこちらを向いた。そこで、自分以外の子供の存在に初めて気づいたようだ。驚いたように目を見張り、しばらくじっとこちらを観察した後、にぱっと笑った。

 花みたいだなと海斗は思った。まるで、さっき見た池に浮かぶ睡蓮のような。豪華で、それでいてどこか孤独な美しき大輪。

 海斗はその笑顔をぼーっと見ている自分に気づいて、慌てて笑い返した。

「おお、こんなにも豪華なものをどうもありがとうございます。私も鯛はまだ食したことがありませんので大いに楽しみです。さて、みなさんお待たせ致しました。どうぞお召し上がりください」

 麓陽の村長が高らかに言う。拍手の後、皿同士のぶつかる音や楽しげな話し声が部屋に充満した。

 海斗は同い年に笑いかけられたことに動揺しながらも次々と料理を口に運ぶ。どれも初めての味だったが絶品でよく箸が進んだ。ただ、渦を巻いている緑色の山菜はちょっと苦手だった。

 ふと、視線を感じた。顔を上げてあたりを見回す。すると、二人の村長がこちらを目ながらひそひそ話し合っていた。よく見ると我が村長の顔が少しニヤついている。海斗は嫌な予感がした。

「皆様!麓陽の村長はあそこに座る子供のことが気になっておられるようじゃ。ちょうど良い機会じゃから、自己紹介を頼もうかのう。なぁ、海斗よ」

 ついに海斗の恐れていたことが起きてしまった。席をどれだけ離そうとも意味は無かったのだ。自己紹介など考えたこともないし、こういう場での言葉の使い方も知らない。しかも、「皆様!」のせいで場の全員の注目が海斗一点に集中している。海斗の心臓が早鐘を打ち始めた。

――何か、何か言わないと。

 海斗はその場で正座し、知る限りの丁寧な言葉を並べた。

「え、えと、わ、(わたくし)めの名は海斗と言いまして、こ、今回は商いを学ぶ目的でご一緒させていただいてます!えーと、至らないところの多い小僧ではございまするが、なにとぞよろしくお願い申し上げござそうろう!」

 そう早口で言い切ると同時に勢いよく頭を下げる。

 ゴンッ。ガシャン。

 鈍い音とともに机に置かれていた皿は見事に宙を舞い、海斗の頭に覆い被さった。冷たい液体が海斗の頬を伝っていく。やらかしてしまった申し訳なさとあまりの恥ずかしさに海斗は皿という帽子をかぶったまま、石像のように固まった。

「「……」」

 しばしの沈黙の後、瞬く間に部屋は大爆笑の(うず)に包まれた。

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