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幻影の華  作者: 知瑪坂 斎
第一巻
3/17

第二章 心覚(一)

 時はひと月前まで(さかのぼ)る。

 

「では、海斗(うみと)幻神大綱(げんしんたいこう)を音読しなさい」

――まずい。これは本当にまずい。

 村に一つだけある小さな学舎(まなびや)の一室で海斗は一人、危機に瀕していた。

 なぜなら、海斗は今日に限って教科書を忘れて来ている。隣の人の教科書を見せてもらうという手を思いつくも、即刻頭から消去した。どうせ、教科書が海斗の手に触れる直前でひっこめられるか、(つか)む直前に相手が手を離し、紙の束が床に叩きつけられるかのどちらかだ。しかも、こんなクソつまらないことをやってみんなを笑わせたやつが人気者になるのだから自分は相当神様に嫌われているらしい。海斗は心の中でため息をつく。今までいったい何人の人気者を輩出してきたか。そろそろ褒められてもおかしくはない。

 海斗は考えるのを諦めた。ゆっくりと、うつむき加減で椅子から立ち上がり、震える声で言う。

「すみません、先生。教科書を忘れてきました」

 先生の口角が上がる気配がする。

「あら、そう。それじゃあ、授業は受けるつもりがない、ということでよろしい?」

 海斗はその声の中に隠しきれていない歓喜を見つけた。

――クソ、こいつ、俺が教科書を持ってないことを確認した上で指名しやがった。

 かっ、と沸いた怒りをなんとか抑え付け、必死で反省の声音(こわね)を絞り出す。

「すみません」

「では、もうこの場所に用はありませんね?」 

「……はい。今日はありがとうございました」

 教室が(わら)う。

 海斗は急いで荷物をまとめ、目障りな笑顔を振り切るように教室を出た。膝が震えるのはきっと恥ずかしいからだけではない。また、やらかしてしまった。あの教師は海斗のことが嫌いらしく、ことあるごとに教室から追い出そうとしてくる。どうやら死んだ両親と関係しているらしいが詳しい事は知らない。

――今日はあの教師の日だから、忘れ物をしないように再三持ち物を確認してきたのに。

「ちっ、なんだよ、幻神大綱って。大綱のくせに本文短えし、内容ゴミだし、結局何言いたいのか全っ然わかんねえよ!」

 道端の石を蹴りながら、意味不明な方向に八つ当たりをする。このまま真っ直ぐ家に帰る気にもなれず、辺りをふらふら歩いていると一際強く潮風が吹いた。

 海斗の住む村――海青村(かいせいむら)はその名の通り海のそばにある。間違っても裕福な村とは言えないが、高級品とされる塩の生産が盛んなこともあってそれなりに収入はあるようだった。常に潮の香りがするこの村は高床式の住居が立ち並び、活気のある良き村である。村民の多くは健康そうな日に焼けた肌をしており、海斗のように海にちなんだ名前が付けられることが多い。ここからでも、砂浜で忙しそうに塩作りをしている大人達の姿がよく見えた。

「子供は学舎に行く時間じゃないのかね?」

 突然話しかけられ、海斗は文字通り飛び上がった。

 振り返れば、そこにはなんと村長が笑みをたたえて立っている。その優しげな顔に刻まれた深いしわと豊かな白髭はいかに長くこの村を見守ってきたかを暗に物語っていた。しかし、村長と言っても儀式や(うたげ)の時しか姿を見せないので、こんなに間近で見るのは初めてである。海斗は場違いにもその姿に感銘を受けた。

「ええと、ごめんなさい!」

 声をかけてきた人物が人物なので気が動転して、ひとまず謝るという海斗があまり好きではない行為をとってしまった。

「いやいや、謝って欲しいわけではないぞい。教科書を忘れたくらいで教室を追い出されるなんぞ、お主も不幸よのう」

 ほっほっほ、と愉快そうに笑う目の前の老人。動揺がやっと収まり、通常通りの回転を始めた海斗の頭は村長の発言から素早く違和感を察知した。

 村長は相変わらず、ニコニコしながらこちらを見ている。海斗は途端にその笑顔が怖くなった。

「ええと、なぜ俺が教科書を忘れたことをご存知で?」

「ん、なぜかじゃと?知りたいか?」

「知りたいも知りたくないも、とりあえず明日の致命的な睡眠不足をどうにかして欲しいですよ」

 さっきのこともあって、いろいろと頭にきていた海斗は思わず生意気な口をきいてしまったのだが、目の前の老人はそれを叱るどころか嬉しそうに笑い飛ばしたのだから驚きである。

「ほほほ。なかなか度胸がある子じゃのう」

 わしの見越した通りじゃ、と。 

 その言い方で海斗は、この老人があてもなく村を彷徨(さまよ)っていたわけではないことを知った。

 村長は満足そうにひとしきり頷いた後、咳払いをして得意げに人差し指を立てた。

「よし。特別に教えてしんぜよう。なぜなら、わしが今、そなたの教科書を持っておるからじゃ」

 幻聴だと思った。なぜ面識もない初対面の老人に自分の教科書が盗まれなければならないのか本当に理解ができない。海斗の頭は思考することをやめた。

「えーっと、は?」

「つまりは、君は()()()教室から追い出されたということじゃな」

「……。なにしてくれてるんですか。村長」

 俺は今日その教科書に命をかけているというのに。海斗はうらめしげに村長を睨んだ。

 村長はというと、海斗の憎悪など微塵も感じていないかのような(ほが)らかな顔で自分の(ふところ)を探ると一冊の教科書を取り出し、こちらに向けてゆらゆらと見せつけてくる。完全なる煽りだが海斗は膨れ上がる怒りを見事抑えてみせた。揺れる表紙の右下の隅に汚い字で、海斗、と書いてあるのがはっきり見える。

「お主の名はこう書くのか。なんと読むのじゃ?」

 口を開くのも癪だったが一応はこの村を治める人物である。無視はやめておいた方が良い、と海斗は直感的に思った。

「別にひねりも何もないですよ。うみと、です」

「そうか。良い名ではないか。確か二代前の村長と同じじゃぞ」

 意外な事実に海斗は少し驚いた。

「そ、そうなんですか?」

――まぁ、この村ではありがちな名前だしな。

「そうじゃ。ただし、お主とちがって「あおと」と読んでいたらしいがの」

――あ、あおと!?「海」が「あお」!?

「……」

「……」

――なんの時間だ、これ。

 海斗は見失いかけていた本題をやっとのことで引きずり戻した。

「そんなことよりも村長、ちゃんと説明して下さい」

「何をじゃ?」

「ナニヲジャ?ではありません。何であなたが今ここにいるかですよ」

「ああ。まあとりあえず詳しい話は後にして、まずはわしの屋敷に来てくれんかね」

「へ?」

 村長はそう言うと、意外にも強く海斗の腕を掴み、村長の屋敷に向かって歩き始めた。

 海斗はもう抵抗する気も起きず、ただ引きずられるに任せた。

 


 村長に引きずられながら聞いた話によると、どうやら村長は海斗が寝ている間に海斗の家に()()し、教科書を()()()らしい。

――このじいさん、実はなかなかのやり手だな。あの先生の性格も完全に理解してるし。

 それが、話を聞いた上での海斗の感想だった。

 もちろん、口には出さなかったが。

「それでじゃな、海斗よ。本題はここからなんじゃ」

「ちょっと待って下さい。その本題とやらは、こんな大衆の面前で話して良いもんなんですか?」

 海斗は即座に重要な話の匂いを嗅ぎつけて、慌てて止めに入る。残念なことに、教科書を盗まれた事実を知った瞬間からこの老人に対する畏敬の念は綺麗さっぱり消え失せていたので、少々言葉遣いに遠慮が無くなっていた。

「ふむ。それもそうじゃな。では、話は屋敷に着いてからにしよう」

 今も道を歩いている村民はもちろん、道に面した家々からも興味津々にこちらを見る目がある。

普段見ることのない村長とその村長に引きずられる少年、という異様な光景はとりわけ人の目を引くらしい。

「えーと、村長。俺自分で歩けますよ。道に死体を引きずったような跡ができてますし」

 実際のところは道ゆく人の冷たい視線に耐えかねただけである。

「おお!たしかに人殺しにはなりたないのう。」

 そう言って、唐突に海斗を掴んでいた手を離す。

「うわっ、いてっ」

 海斗の頭は容赦なく地面に叩きつけられた。目の前が一瞬真っ白になる。

――このジジイ、ほんとに俺を死体にしようとしてないか…。

 じんじんする頭をさすりながら、海斗は借りるたびに床に叩きつけられてきた教科書を思わずにはいられなかった。

 そうこうしているうちに、村長の屋敷の手前まで来た。しかし海斗は、長い階の前に見慣れない屈強そうな大の男が二人いるのを見て体をこわばらせた。

「村長、あの人たちは何なんですか」

「ああ、心配はいらんよ。あの二人はわしの護衛じゃ」

「あ、はぁ」

――この人、護衛の一人も付けずに俺のところまで来たのか。

「なんで、あんな所にいるんですか」

 村長は少し考えた後、あっけらかんと言った。

「わしを()()ためじゃな」

「……」

――あぁ、だめだ。もう意味がわからない。

 海斗は内心で頭を抱えた。もう、質問する意義すら感じなかった。この老人と一日でも行動を共にすれば、海斗の頭がぶっ壊れるのは確実のようだ。

「村長、おかえりなさいませ」

 護衛の一人が低い声で言い、二人してその場に(ひざまず)く。

「ただいまじゃ。この子が例の子じゃよ」

「なるほど」

 護衛達の目が海斗へと向かう。その目は武人らしく、鋭く凛としている。

 海斗は、わーわーうるさい頭を意地で黙らせ、全神経を挨拶に全振りした。

「はじめまして。海斗といいます」

「はい、よく存じ上げております」

――()()存じ上げられているのか。

「さ、こちらへ」

 そう言って護衛の一人は前を先導して(きざはし)を登り始めた。もう一人はどうしたのだろうと思い、海斗は後ろを振り返る。が、そこには目を疑いたくなる光景があった。

 なんと、村長が残り一人の護衛に負ぶわれていた。

 護衛は当然の顔をして、階を登ってゆく。

――「運ぶ」ってそのまんまの意味かよ。確かに老人にこの階はきついかもな。

 しかも、負ぶわれている村長が威厳そのものの顔をしていたので、海斗は必死に笑いを噛み殺しながら後をついていった。


 

   *  *  *

 

  

「そこでじゃ、海斗に麓陽村に行ってもらうというのはどうかと思うたのじゃが、皆いかがか」

「私は賛成です。あそこの村長の息子も海斗と同い年だったはずですよ」

「私も賛成である。海斗にとっても良い機会だろう」

「僕も始めは流石に幼すぎるのではないかと思っていましたが、本人を見て安心いたしました。この子なら大丈夫でしょう。気の強そうな顔してますし」

――なんか、勝手に話が進んでいる。

 村長の屋敷の一室である。召集された豪族達が村長と話し合い、なにか決め事をするようだ。

 海斗は屋敷に着いて早々、(かわや)を借りに席を外していたので、話が全くもってわからない。

「あの、ただいま戻りました。村長」

「おお、戻ってきたか。して、厠はどうじゃった?」

 海斗は厠の感想を尋ねてくる人に初めて出会った。

「え?厠ですか?ええと、とても綺麗でした」

「そうか、それは良かった」

――反応、薄っ。

「では、ここからは本人を交えて話を進めるとしよう」

――何なんだ、このじいさん。

「海斗。隣の麓陽村は知っておるかね」

「……はい。存じ上げております」

 あまりに自分勝手な話の進め方に海斗は顔をひくつかせながらも、至極丁寧に返事をした。

 麓陽村。海青村の隣村でありながら近場で唯一どの村とも交易をしていない村。隣村といっても馬で半日ほどの距離だが、他の村との交流がないところを見ると、自給自足の生活をしているようだ。海青村の近辺や街道でさえその村人の姿を見た者はいないという。よって、うちの村からの評価は一貫して、不気味、の一択だった。

「麓陽村がどうかしたのですか」

「いや、あの村と交易を始めてみようと思うてな」

――この人、正気か。

「え?だって今までどんな商いの誘いにも乗ってこなかったんですよね。いまさら、応じるとは思えないんですが」

「それがじゃな、塩が欲しいらしいんじゃ」

 麓陽村はその名の通り山の麓にあるため、自力での塩の生産は難しい。その上、山に囲まれているので海青村以外からの接触はできない。他の村との交流がないのは地理的な理由もあるようだった。

「とても、怪しいですね」

――いくらなんでも急すぎる。

「こちらとしても麓陽村の質の良い木材は欲しかったところなのじゃが、なにせあの麓陽村じゃからのう」

 塩作りには水分を飛ばすための大量の木材がいる。

「何か裏があると?」

「それが何とも言えんのじゃよ」

 麓陽村は不気味ではあるが決して攻撃的なわけではない。ただ単純に情報が少ないのだ。

「そこでじゃな、海斗にあそこの一人息子と仲良くなってもらい、少しでも情報を集めようという算段なのじゃがどうかね?」

「なるほど、計画は分かりましたけどなぜ俺が?」

 あの学舎には海斗より頭の出来が良くて教室を追い出されたことのない優秀な同い年がわんさかいるのだ。なぜ村長が海斗を選んだのか(はなは)だ疑問だった。

「海斗、今のわしには学業しかできない()()()は必要ないのじゃよ」

 そう言って村長は楽しそうに笑った。

 

 

   *  *  *

 

 

 そうしていろいろ具体的な予定を聞かされた後、海斗と村長と数人の豪族達で構成される一行の出立(しゅったつ)は三日後と告知された。

 不安は大きかった。ただ、いつも海斗を馬鹿にしてくる先生やその生徒達を見返す良い機会だとも思っていた。通常、他の村との交易の場に子供が同席することは許されない。つまり、海斗だけが特例なのだ。

「なんか俺、村長に気に入られてるみたいだし、この調子でいけば、後継ぎの線もあるかもなぁ」

 今の村長には子供がいない。しかもなかなかの年齢であるので、村でも後継ぎを指名したほうが良い、と言う声がちらほら聞こえるようになっていた。

 海斗は村長になった自分を想像し、優越感に浸る。しかし、その優越感も長くは持たなかった。

 麓陽村に行く前日になると、海斗の中ではどんな感情よりも緊張が勝つようになり、夜も眠れないほどだった。

 門をくぐった瞬間矢を射込まれたらどうしよう、とか、商談の最中にいきなり後ろから切りつけられたらどうしよう、とか、やけに物騒な考えが頭の中をぐるぐる回る。

 その結果、海斗は出発の日を完全なる睡眠不足で迎えたのであった。


  

  *  *  *

 

 

 その日は朝から海斗達を見送る村民で村の門はごった返していた。嬉しそうに手を振って声援を送る者、相手の村が村だけに不安そうな顔をしている者、人や荷物を麓陽村まで運ぶための馬を物珍しそうに眺める者など、その顔はさまざまだった。

 今日、海斗達が麓陽村に行くことはもうすでに村長間で話がついているらしいので、村へ着けばそれなりに歓迎はされるはずだ。ただ、海斗の不安は尽きない。なにせ、あの麓陽村だ。歓迎されるのは最初だけで、その後は監禁でもされるかもしれない。そんなことを思ってしまうほどにあの村に関する情報はほとんど無いに等しかった。

 また自分達が暗殺されている映像が頭の中に流れ始めたので海斗は自分の顔を手で叩き、気合を入れ直す。

 交易――特に交渉をしに行く場合は長く滞在するのが普通だ。つまり、海斗達は最低でも一週間ほどは海青村に帰ってくることができない。

 海斗の両親は早くに死んでいるので、親と離れるのが辛いという感情は湧いては来なかったが、やはり住み慣れた土地を後にするのは少し寂しい。でも、羨ましそうにこちらを見る同級生や驚いた顔の教師を馬上から眺めるのは少し小気味(こぎみ)がよく、頭上に広がる青空がいつもより綺麗に見えた。

「では、行って参る」

 その村長の言を合図にして、列になった馬達が歩き出した。

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