第六章 初桜の香(一)
突如麒蕾院に転がり込んで来た小さな「王」は、自ら、ここの一員になりたい、と言った。しかし、鷺丹は難色を示した。
元来、ここは隠華のための施設だ。国もその体で設備を整え、物資を配給している。かと言って、弔寡の者は絶対に入門してはならない、という決まりがあるわけではない。そもそも、弔寡族が入りたがるわけがないからだ。だが今、目の前にいる頭のおかしい奴は、どうやらその例外になりたいようだ。
「じゃあ、俺が弔寡ってことがバレなきゃいいわけでしょ?」
「いや待て、燕蓮。それは無理があるだろう」
「なんで?開花させなかったら見た目は変わらないし、ほら見て。どっからどう見ても隠華じゃん」
そう言って、ひょいっと燦耀の隣に並ぶ。
燦耀は、失礼な奴だなと軽く舌打ちした。
こいつが初めてここに来た日からもう一週間ほどが経った。燕蓮は、ほんの数日でこの国の基礎知識を頭に入れ、基礎的な刀の扱いを覚えた。この見た目で記憶力が抜群に良く、この見た目で戦の才能が目を見張るほどある、という事実を燦耀はしばらく受け入れられなかった。それが睡蓮という花によるものなのか、持って生まれた才能なのかは知らないが、燕蓮の戦い方は無駄な動きが少なく、まるで息の合う友達を見つけたかのように刀が手に馴染んでいた。日が経つごとに別人のように腕を上げて、より高度な指導を要求してくるので、あの暁川でさえ戸惑いを隠しきれていなかった。それは上達などという生ぬるい感じではなく、ほぼ覚醒のようなものだった。華奢で背が低いという短所を、小回りと機動性で補完し、まず攻撃を受けないという戦略を取った。闇討や寝首を掻っ切ることもいとわない姿勢は、正面切って少し野蛮な戦い方をする自分とは正反対で、燦耀のあまり好きではない立ち回りだった。
なのに、その動きに見惚れてしまうのはなぜなのだろう。初心者でまだ動きも完璧でないのに、彼の一挙手一投足を目で追ってしまうのはなぜなのだろう。刀を振るう燕蓮が、心底楽しそうにするのを怖いと思わない自分は、どうかしているのだろうか。
いつも、彼を見るたびに思った。もし戦いの神がいるのならきっとこんな感じなんだろう、と。
「確かに、君は武官に向いているとは言ったが、なにも麒蕾院に入って欲しいと言ったわけではない。燕蓮にその気があるのなら、私は桜守院に話を持ちかけようと思っていたのだ」
燕蓮はそれを聞いて、ふんと鼻を鳴らした。
「やだよ、そんなとこ、桜家の息がかかった奴らばっかりでしょ。ただ主上の思惑通りに、桜家が力を保てるようにって作られた形だけの軍だよ。なら麒蕾院の方がよっぽど国のためになってる。あんな役立たずの――」
「おい燕蓮、やめとけって。誰がどこで聞き耳立ててるかわかんないだろ」
燦耀は慌てて止めに入りながらさりげなく周りをうかがった。鷺丹の書斎は、大きな麒蕾院の最上階に位置するので、盗み聞きは難しい。だが、根街では客でもある貴族の悪口を言った者は、即極刑だ。しかも、どういう仕組みなのかわからないが、「耳」は至る所にいる。燦耀からすれば、暇なのかと一発言ってやりたいところだ。
「あ、そうだね。ごめん。えっとつまり、麒蕾院院主様、俺は桜守院には行きとうございません!」
ふざけているのか、と思うが、燕蓮にとってこれは通常運転のようだ。なんというか、彼には危機感という大事なものが欠けている気がする。変に緊張感がないというか、模擬戦闘の時でさえ良い意味でも悪い意味でも普段と変わらない。肯定的に捉えれば冷静であり、否定的に捉えればすぐ死にそう、という感想だ。もっと真面目にやれと言われると、びっくりしたような顔をして、これ以上ですか?などと言うので、本人は至って真剣なのだろう。だんだんと「燕蓮」が分かってきている自分には、少し腹が立つが。
「うーん、確かに開花さえしなければなんとか隠蔽できそうな気もするな。しかし、それなら王の許可が必要だ。一人前になるまで面倒を見るという許可がな」
「許します」
「……ん?何か言ったか?」
「王の許可がいるんでしょ?許します。はい、これでいい?」
鷺丹は軽く吹き出した。
「違う。現国王の許可がいると言ったんだ」
「現国王って、鷹桜様?」
燦耀は授業の成果をすかさず発揮した。
「そうだよ」
「え、鷹って……鷹家の人なの?」
燕蓮は驚いたような声を出した。鷺丹は少し複雑な顔をして、残酷な話なんだが…と切り出した。
「生まれたのが鷹家、というだけなんだ。だから服従するのは鷹なんだが、授花で桜を授かった時点でその子供は桜家に引き渡される」
「え、両親も一緒…よね?」
燕蓮は不安そうに質問したが、答えはもう分かっているようだった。
「残念ながら、否だ。桜家には桜母と呼ばれる「王の母」がいる。桜家の当主だな。よって分かる通り、桜家は女系相続の家だ。特異な家だと習わなかったか?燦耀」
急に話を振られ、え?と間の抜けた声を出してしまった。初耳だ。あはは、と力なく笑うしかない。
「あーそういえば、そんなこと言ってたような、言ってなかったような」
鷺丹はため息をつく。
「試験に出たらどうするんだ」
「だって、最初の方に習ったことだし」
なんとか尋問を回避した。
「話が逸れたな。だから、桜が判明するとその子供はすぐに桜母に預けられ、育てられることになる。そして、立派な王になるんだ」
ふーんと燕蓮は興味が無さそうだったが、燦耀は見返しも兼ねて、ふと気になったことを聞いてみた。
「でも桜家は桜家でたくさんの人間がいるんだろ?桜家から桜が出ることだってありそうな気がするけど、その場合鳥はどうなるんだ?」
鷺丹は、おお、と感心したように目を見開くと、なぜか嬉しそうにうんうんと頷いた。
「なかなか鋭いじゃないか、燦耀。その場合はな、なんと鳳凰が服従する。あの霊鳥だ。鳳凰に桜で鳳桜となった王の代は安泰になると伝えられている」
そしてな、と鷺丹は声を落とした。
「実は、今、桜家に鳳桜がいると噂されている。年齢は君たちより一回り上らしい。将来関わることになるかもしれんな」
そう言って、いたずらっぽく笑った。燕蓮はおおーと手を叩く。
「どんな人かな、会ってみたいなー」
「……燕蓮は絶対に会える、というか一緒にこの国治めることになんじゃねーの」
へ?と素っ頓狂な声が聞こえた。
「く、国を、治め、る?」
「だって王だろ?さっき自分で言ってたじゃないか。この国は代々、桜、菊、睡蓮の三人で治められてきたんだ。睡蓮の代わりに桜軍将軍がその地位に就く王朝の方が多いけどな。……どう?鷺丹爺、この回答は満点だろ」
どうだ、という目で鷺丹を睨みつけてみる。鷺丹は、まあ教科書をなぞっただけだなと言った。
「君たちはまだ、この国の現状をよくわかっとらん。鷹桜様は高齢、その上将来有望な若い鳳桜がいる。となると次に起こる事は何だ?」
二人はしばらく沈黙した。燕蓮は必死で頭を捻り、うーんと唸っている。燦耀はなんとなくこの先訪れる未来を理解し、顔をしかめた。
「……戦……?」
「その通りだ、燦耀」
燕蓮はぽかんとしている。
「え、なんで?次の王は鳳桜様、それは決まってるんでしょ?戦わなくても待ってたら王様になれるじゃん」
「それがな、待てないものなのだよ」
上の方はこちらよりも全然せわしいようだな、と笑う。
「……なにそれ、子供じゃん。そんなことのためにいっぱい人が死ぬの?」
燕蓮はあからさまに軽蔑の表情を浮かべた。鷺丹は、いやいやと手を振る。
「王には王なりの苦悩がある。新王が立つとなると新王朝の設立と安定まで数年はかかる。王によっては制度を大幅に変える場合もあるから尚更だ。そうなると、安定して長く国を治めるためには、二十を超える頃には王として玉座についていないと色々難しくなるんだ。まあ鶴家は長寿だからあまり関係ないが、他のほとんどの家は皆同じような感じだ」
へー、と納得いっていないような不満そうな声が上がる。
「なら、鷹桜様が譲ってあげればいいのに。王様は民が一番大切なんでしょ?戦なんて民が死ぬだけ」
街も壊れちゃうし、何も良い事ないよ、と燕蓮の顔はまだ暗い。
「私も戦を正当化したくはないが、実のところ、主上から禅譲の提案があっても、鳳桜様は戦を起こすだろうな」
ええ、と諦めたような呆れたような声が隣から聞こえた。燦耀もこれに関しては理由がわからない。
「なせだかわかるか?これこそ、新王を正当化するための一種の策なんだ。禅譲も悪い事じゃないが、王が変わるだけで、王朝の根の部分はほとんど変わらない。一方、革命軍として現王朝と敵対すれば、新王側にとって利益となる何かがはっきりする。燦耀、なんだと思う?」
燦耀は、講義じゃないんだから、すんなり教えてくれたらいいのに、と内心げんなりしながらも、「教育」に心底楽しそうな鷺丹を突き放すことはできなかった。
「うーん、民の支持?」
おお、と鷺丹は手を叩く。
「なかなか良い線だよ。答えはな、味方だ。どこの誰が革命軍側に付くか、それは新王朝を作る上でとても重要な判断材料になる。政はいかに嘘や裏切りに引っかからないかが大事だからな。命をかけて付いてくる意思があるかどうかは戦をやってみないとわからない。皮肉にもね。その上、現王朝に勝利すれば、民は革命軍こそ新王朝にふさわしいと熱狂し、新王の支持を獲得するきっかけにもなる。案外王朝にとっては、国をある程度荒廃させたって構わないほどの理由があったりするんだ」
ほら、目の前の十人を殺して、未来の千人を救うとよく言うだろう?と鷺丹は燕蓮に語りかける。燕蓮は、うつむいていた。
「でも……誰だって、死ぬのは……やだよ」
途端に、鷺丹は優しい目つきになって、燕蓮の目線に合わせてしゃがみ、肩にそっと手を置いた。
「そう。だからね、燕蓮が望むなら戦の無い国も作れる。君だってこの国の王だ。私たちがどんなに努力したって手に入れられない力を燕蓮は既に持ってる。それをどう使うかは君の自由だけれど、私が言いたいのは、よく考えてほしいということなんだ。正義や正当は一つじゃない。一見悪に見えても誰かにとっては正義だったりする。君の年齢でこんなことを考えさせるのは苦だけども、背を向けてはいけない。睡蓮に生まれた、君の使命だ」
優しく、けれど真剣に。燕蓮に訴える鷺丹の目は、教育者であると同時に、この国の民のものだった。自分たちには決して手の届かない雲の上。そこ向かって良い国にしてほしいと叫ぶことしかできない民は、無意味に見えても、国の基礎だ。
「だからね、この国のいろんなところを見て回ると良い。たくさんの人と出会って、たくさんの街を見ると良い。桜家に囲われて、ほとんど外に出ることがない桜の代わりに、この国を知って欲しい。そして、彼をたすけて欲しい。大丈夫。燕蓮なら良い国を作れるよ」
鷺丹は優しく微笑んで、燕蓮の肩をぽんぽんと叩いた。側で見ていた燦耀は、鷺丹を見つめる燕蓮の目つきが少し変わっているのに気づいた。
「そういう意味では、麒蕾院にいるのも良いかもしれないな。この国では至る所で事件が絶えないから」
ははは、と鷺丹は自虐的に笑った。と思えば、そうそう、といたずらっぽい顔に戻った。
「鳳桜様はもう「年頃」だから、君たちも今まで以上に鍛錬に力を入れておきなさい。近々「お誘い」がくるかもしれんからな」
燦耀は燕蓮と顔を見合わせて首を傾げた。なにか意味ありげな言い方だが、どういう意味なのだろう。
この状況だと、燕蓮を見逃すことを条件に出してくるだろうな、うーむ、まあ良い機会といえばそうだが……
鷺丹は顎に手を当てて、なにかぶつぶつ言っている。
「鷺丹爺?何の話?」
耐えかねた燕蓮が質問する。含みのある言い方が得意のこの老人には慣れたと思っていたが、今でも時々何が言いたいのかわからなくなることがある。そういう時に限って、いつも面倒事が起きる。
「うん?ああ、まあ、簡単に言えば……未来の桜は君たちを御所望、ということかな」




