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第五章 断翼の麒麟(四)

 は……?こいつ何言ってんだ……

 燦耀(さんよう)は正座したまま、目の前の輝く笑顔をぽかーんと眺めていた。鷺丹の執務室は麒蕾院の最上部にあって、窓やら格子やらでやけに開放感がすごい。木を基調とした部屋は麒蕾院院主にふさわしく豪奢だがどこか繊細な威厳を感じさせる。きっと目の飛び出る値打ちがするだろう、よくわからない置き物。それが置かれている、これまたお高そうな机。全てが金色でふちどられ、ところどころに嵌められた宝石がきらきらと輝く。燦耀もこの部屋に入ったのはこれで三度目くらいだ。

 ひゅうと風が入ってくる。本当は、朝だし初春(しょしゅん)だしで、信じられないくらい寒い……はずなのだ。なぜか暖炉に火は入っていないし、膝の上で握った手がかじかんで赤くなっていた。のに、先ほど目の前の少年が放った言葉の衝撃ですっかりどうでも良くなった。そんな燦耀を見た彼はというと、なぜ名乗っただけで、そんなアホ(づら)を見せられなければいけないのかと、笑顔の裏で疑問に思っているのは間違いなかった。ちょこっと首を傾げる姿は、可愛らしい小鳥に似ている。その少し傾いた、これ以上ないほど純粋な顔は、燦耀の貴族嫌いから来る嫌悪感を吹っ飛ばし、戸惑いに変えた。その笑みは人とは思えないほど完璧で、澄み切ったひやりとする湖のようだった。決して温かくはないが、見る者の心に響く、恐怖さえ感じるほどの透明度。

「え、燕家(えんけ)……の人?」

「うん。まあそういうことになるらしいんだけどね、俺もよくわかんないんだ」

「わ、分からない……?」

 彼――燕蓮(えんれん)は、同じく正座したまま、首をすくめた。少し小柄で華奢な体つきだった。高い声とあり得ないほど白い肌のせいで、ぱっと見、女の子に見えなくもない。

「え、でも、燕家って七翼家の一つ……だよね鷺丹爺?」

 近くて執務をしている鷺丹は少し考えて、筆の尾骨をとんとんと顎に当てる。そして不意に筆を滑らせた。それらを眺めて満足したように頷くと、こちらに顔をやって、面白そうににやりと笑い、そうそう、と言った。

 何が面白れぇんだよ。こっちは大真面目なんだって。

 燦耀はにやにやする老人をひと睨みして、顔を燕蓮に戻した。

「……ってことは、めちゃくちゃ普通に大貴族様じゃん。なんでこんなとこに?」

 言葉に皮肉の色があるのを、声に出して初めて気づいた。

「えーっと、なんというか、故郷が、その、な、無くなって?それで、あの人にここに連れてこられたっていうか……」

 燕蓮は鷺丹爺を指差し、下を見たり天を仰いだり、頭を掻いたりと忙しい。あからさまに何か誤魔化している。助けを求めて鷺丹爺を見ると、彼は筆を置き真っ直ぐこちらを見つめて来た。

「燦耀、気づいていないようだが、燕蓮こそがこの前言っていた麓陽村の生き残りだよ」

「……は?」

 ぱっと、目線を燕蓮に戻す。身なりは全く貧しくなく、所作、顔立ちからして貴族なのは間違いないし、燕家の一員というのは嘘ではないのだろう。だが、聞いていた限りでは――

「髪が黒い……?」

 この世に純粋な黒い花など存在しない。だからこそ黒髪は、自らを隠華であると完璧に証明してしまう。鷺丹爺の話では、持つ花に問題があるとか言っていたが……。よく考えれば貴族であり黒髪であるという組み合わせはありえない。貴族に隠華は生まれない、少なくともそういうことになっているのだから。

 頭が混乱してきた。必死で溢れる情報をすくい上げて、脳を回転させていると、一つの結論に至った。

「あ、じゃあ隠華だけど、殺されずに秘密裏に育てられた幸運な人なんだ」

 思いついたことをそのまま口に出すと、すぐさま否定された。

「違う。私は燕蓮の持つ花に問題があると言ったろう。すなわち隠華ではない」

 とうとう燦耀の小さな脳はその回転を止めてしまった。

「じゃあ、その問題のある花って何なんですか?早く教えてくださいよ」

 少し棘のある言い方になったが、これくらい許されてもいいだろう。

「わからないか?エンは(つばめ)。ならばレンが花になるはずだろう?」

「……あ、そうか」

 弔寡の名の付け方は笑ってしまうほど単純だ。まるで個性が感じられない。家柄である鳥と自分の持つ花。その無機質な二文字は名前というより、人を判別する記号のようだ。初めてそれらについての講義を受けた時、心中で思いっきり憐んでやったのを覚えている。自分達には誰かが愛を込めて一生懸命考えてくれた名前があるのだと。

「レン……?そんな花あったっけ」

 一応、講義で代表的な花は一通り習った。(あおい)とか(うめ)とか(すもも)とか(ふじ)とか、ありすぎて覚えられる気がしなかった。その中にレンという花もあったのだろうか?

「では、少し手がかりを与えてやろう」

 唸る燦耀を見かねて、鷺丹は楽しそうに人差し指を立てた。

 燦耀は少し身構えた。この笑みは何か。嫌な予感がする。そうだ、予想できない重大なことをさらっと言ってのける時の顔だ。よし。今のうちに、絶対ありえないことでも予想しておいてやろう。そうだな……。実は黒い花の持ち主とか?いや無理があるか。レンっていう新種の花とか?うーん、ありえなくはないな。あとは――

 

「燕蓮はな、王だ」

 

 音が消えた。今度こそ完全に思考が止まった。呼吸すら忘れた。この山に吹き上げる風が木々を揺らす。その風は部屋に吹き込んで、熱という熱を奪っていったが、そんなことはどうでも良かった。

「「……え?」」

 そこには二人分の驚愕があった。そう、燕蓮本人が誰よりも言葉を失っていた。

「王って、この国の一番上の人?主上(しゅじょう)ってこと?」

 燦耀は持ち前の頭の回転の速さで、早速質問攻めを開始した。

「ああ。その通り。燦耀、国学で王位三花(おういさんか)について習ったな?」

「あーうん。確か、桜、菊、睡蓮を持って生まれた者は例外なくこの国の王となる、って風月(しげつ)大綱に書かれてるんだよね?――って、待って!もしかして、レンって睡蓮のレンなの!?」

 我ながら、なぜ気づかなかったのかわからない。王位三花については講義一回分を丸ごと使うほど、詳しく習った。同時に、将来朝廷で成り上がった時には隠華の待遇改善を認めさせる相手だと、頭に焼き付けたのに。だが、この国に王は三人いた。

 大地と支配の花、桜。風と治癒の花、菊。水と(いくさ)の花、睡蓮。桜は王の顔として、菊は文官の長として、睡蓮は武官の長として、この国は均衡を保ってきた。と、大綱に書かれてはいるが、実際は睡蓮などは滅多に生まれず、代わりに桜軍将軍が武官の長として実権を握ってきた。睡蓮についてはほとんど資料が無く、その存在すら定かではなかったため、幻の花として名高い。

 今までも、睡蓮を名乗る者が時々現れたが、いずれも()()ではなく、ただの(はす)の花だった。けれども、蓮でさえも珍しいので、国は蓮も王として認めて、統治を行った。しかし、睡蓮との差は歴然で、所有者は武芸の面は努力で補えたものの、肝心の水を操る力が全く使えなかった。それすなわち偽りの王を玉座に据えていることになるが、王の顔は桜であるので、隠蔽はいくらでもできた。加えて蓮は睡蓮のような異様な見目ではないため、すんなりと朝廷に上がって来ることができたようだ。

 ……とまあ、そんな感じのことを長々と聞かされた。そして、その講義の最後に、講師はこんなことを言った。

 睡蓮はこの国を滅亡させるためだけに生まれてくる、血も涙もない、ただのばけものだ。だから、その見た目に惑わされるな、その言に騙されるな、決して関わるんじゃないぞ――

「そうだな、ここではっきり言っておく。麓陽、海青この二つの村に起きた悲劇。その元凶は燕蓮だ」

 まあ、そうだろうな、と思った。

「そして、二つの村を滅亡させたのも、燕蓮だ」

 ……そうだろうな、と思った。

 それが、睡蓮の仕事だもんな。

 じゃあ、次は、麒蕾院(ここ)か。

 そっか、無くなるんだ。全部。

 叫び声と、鼻をつく嫌な匂い、燃え盛る赤い寺院。火と、火と、火。この耳障りな叫び声は、はたして自分のものなのか。なんだか、とても苦しそうだ。いったい誰に救いを求めているのだろう。助けてやりたい。真っ白な世界でただ一人うずくまっている……少女……?

「おーい、二人とも?大丈夫か?」

 鷺丹爺の声にはっと我に帰る。隣を見ると、燕蓮も目をぱちぱちさせていた。

「ああ、そうか、寒いよなぁ。すまんすまん。今火を入れるからな」

 そう言って、暖炉に向かう。何か胸騒ぎがした。火かき棒で崩される炭。その上に、とさっと乗せられた木。小さな種火。ぼわっと火がつく。と次の瞬間、金切り声が耳をつんざいた。

「いやだ!死にたくない!」

 高い悲鳴が鼓膜を揺らす。燕蓮が両耳を塞いで、床をのたうちまわっていた。鷺丹爺が慌てて火を消すまで、燕蓮は悲鳴を上げ続けた。服が引っかかって破れても、腕に擦り傷ができても、彼は動きを止めなかった。まるで、何かを振り払うような、そんな動きだった。

「燕蓮。落ち着け、誰も攻撃しないから」

 燦耀は側に寄って、必死に耳を塞ぐ腕を掴み、もう片方の手で、優しく背中をさすった。

 誰かが発狂する声というのは、久しぶりだった。自然と手は背中に添えられ、なだめ始める。

 根街には無罪の隠華以外にも、精神に異常をきたした者、あるいは上で心身共に使い物にならなくなった者が、たくさん落ちてくる。そういう者達の世話もまた、根街の役目だった。ならず者の集まりとはいえ、野郎達もそういう人達には優しかった気がする。この街の始まりは助け合いだった。だからか、根街の人々の根には、お互いを補い、惜しみなく手を差し伸べる精神が宿っているのだ。ただ、表に出づらいだけで。

 落ちて来た始めは四六時中発狂していた者も、根街での暮らしに慣れると、徐々に笑うようになり、ごく普通に働くようになる。それを見るたびに、上はどんなに恐ろしいことをやらせているのか、恐怖したものだ。だが、実際上に出てみると、そこにはただ()()()世界が広がっているだけだった。そう、綺麗すぎたのだ。この国の歪みという歪み、汚れという汚れを、視界に入らないように地面に埋めてきた結果だった。

 その景色を見た時、燦耀は早くも悟った。これが、「国」かと。自分はその歯車の一部でしかなかったのだと。

 だから、ここに来たのだ。歯車であることを放棄するのではなく、欠ければこの国が回らなくなるくらいの大きな歯車になってやろうと。そうして、国に分からせる。隠華という小さな小さな無数の歯車がどれだけこの国を回しているかを。その小さな歯車一つが、努力でここまで大きくなれることを。

 証明する。絶対に。

 

 ――関わるな。

 

 ひた、と背中をさする手が止まる。

 わかっているのか、「睡蓮」だぞ。ばけもの、なんだぞ。

 「燦耀」を嘲笑う、冷静な自分。

 そんな上手くいくわけがない。だって、隠華だから。

 密かに根を伸ばす、諦念。それを許す自分。

 麒麟児だって?飛べもしないくせに。

 この足は陸から離れることができない。同胞(はらから)の見えない手が、足を掴み、地にはりつけている。

 蜘蛛の巣に囚われたとんぼを思い出した。

 もがけばもがくほど糸は絡まり、死が近づく。

 ――「おい、燦耀。このとんぼ助けてやれよ」

 あの日、ここに来たばかりの時。まるで挑発するように投げかけられた言葉。

 ――「ん、逃げんのかよ。へへ、虫が苦手なんだろう?ガキだな、お前」

 ――「あーあ、とんぼ可哀想」

 おんなじ場所でいつ来るかわからない獲物のために、雨の日も強風の日も、ひたすら待つ。やっと捕まった獲物は人間に取られる。

 本当に可哀想なのは、蜘蛛の方ではないのか。

 当時はそう思った。

 とすれば、あの時自分が憐れんだのは……国。今だって、同じ。未来の王というほぼ国のようなものと関わろうとしている。(そっち)側の人間になろうとしている――

「さ、燦耀?だっけ、あの、ありがと。なんか、急に叫んじゃってごめん。怖くて」

 いつの間にか、目の前には七色に輝く白髪の少年が、頼りない笑顔を浮かべていた。

「……え?」

「え?あれ、燦耀って名前じゃなかった?」

「あ、違う。それ……」

 燦耀は燕蓮の髪を指差した。

「わ、いつの間に。ごめん、驚かせちゃって。これ、睡蓮の色らしいんだ」

 そう言って、軽く手を握ったかと思うと、次の瞬間には目を奪われるほど美しい睡蓮が、顔を見せた。ゆっくり回る花に合わせて、色が踊る。消えたかと思えば別の色。現れたかと思えば、ふっと消えた。きらりと輝く花弁の端は、鋭利な刃を思わせた。彼は、ふふ、といかにも貴族らしい笑い方をした。

「燦耀ってさ、見た目によらず優しいんだね」

「見た目によらず……?」

「え、だって、目が合った人全員殺してやるって顔してるもん」

「……は?」

 燕蓮は慌てて手を振った。

「ごめん、嘘嘘。でも、さっきはありがとう」

 そう笑ったかと思うと、こっちに擦り寄ってきて、抱きついてきた。

「え、は?なんで?」

 全く予想外の行動に、心臓は一跳ねして、脳は混乱する。

 触ったこともないような、なめらかで繊細な長髪が、腕にかかる。女郎のよく手入れされた、艶やかな黒髪に似ていた。

 思わず母親を思い出した。同時に、心の底に沈んでいた思い出が溢れ出してくる。母はよくこうして自分を抱きしめてくれた。

「これからよろしくお願いします」

 燕蓮は、ぱっと離れて、両手をちょこんと膝の前で揃え、ゆっくり頭を床につけた。なんとも綺麗なお辞儀だった。

 上げた顔は怖いほど明るくて、村を壊滅させたようには、到底見えなかった。

 燦耀はそこに得体の知れない恐怖を感じた。

 

 

断翼(だんよく)

鳥が飛んで逃げないように、翼の羽の一部を切る行為。

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