第四章 白き玄鳥(四)
睡蓮の開花には相当手こずった。なにせ、開花の仕方を分かっているのに咲かせられないという事例は鷺丹も聞いたことがない。まずは何が力の出現を妨げているのか、洗い出して克服することから始めることにした。
「咲かせられない原因に思い当たることはないか?些細なことでも構わない。何かに邪魔されている感覚があるとか、引っかかっている感じがするとか、抽象的なことでもいい」
燕蓮はさっきからしきりに手を握ったり開いたりしているが、咲く気配は微塵もない。
「うーん。引っかかったり邪魔されたりしてる感じはないなぁ。やっぱり咲かせちゃだめって言われてきたから無意識に自分を抑えてるのかも」
ふむ、と相槌を打ってはみたが、何も進む気配がしない。ここで鷺丹は一歩踏み込んだ。
「ではあの日、なぜ力を発現させていた?」
なんでもない風に。単刀直入に。なるべく自然な回答を引き出す要となるのは、不意をつくことだ。これに関しては麒蕾院のお家芸である。
「え?」
燕蓮の目に戸惑いの色が走った。動揺ではない。つまり、自覚がないのか。
「あまり思い出したくないのかもしれないが、君のためにも重要なことだ。あの日、君は睡蓮を開花させたのだろう?でないとあんな髪色にならない」
すると、燕蓮は焦ったように話を遮った。
「待って、ちょっと待って。何を言ってるの?髪の色?黒じゃなかったの?鷺丹爺みたいに赤かったの?」
まさか、気づいていない……
「違う。七色に輝く白髪だ。本当に気づかなかったのか?視界に入るだろう?」
燕蓮は遠くを見る目つきになり、しばらく考えた後、首を振りながら言った。
「あの時のことは……なんだか記憶がぼんやりしてて……確か海青が急に攻めてきて、逃げようとしたら、父上と母上に箪笥に閉じ込められて……」
なんだか聞き捨てならない話になってきた。
「そして…熱かった。ただ熱くて怖かった。それでぼーっと二人は俺に死んで欲しかったんだって思って、そこから何も考えられなくなって、どうしたら良いのかわかんなくて……なんだか感情がぐちゃぐちゃになって、気づいたらみんな倒れてた。何が起こったのか全然分からなかったけど、俺がやったんだって、俺が殺したんだって、それだけは知ってた」
「……」
睡蓮だからか。朝廷に見つかりたくなかったからか。怖かったからか。だから、殺してしまえと。自分の子なのに、この国の害になるからと。だからといって、自らの手で殺めるのは嫌だからずっと機会を伺っていたのだ。仕方なく死んだように見せられる機会を。
もっと、できることがあっただろうに。燕蓮が睡蓮を選んだわけじゃない。好き好んで殺戮をする性格でもない。本当にこの道しか残されていなかったのだろうか。燕蓮は一人の弔寡として皆と同じように、親から愛を受ける権利があるのではないか。しかし、その権利は子供自ら主張できるものではない。親が当然のように守らなければならない、人間の在るべき姿。
隠華と同じだ、と思った。花を持っていないから、社会の何の役にも立たないから。神の失敗作だから。何をしても良い、どんな扱いをしたって構わないと。人として見られることさえない、単なる労働力達。麒蕾院だって、表は社会に貢献する立派な朝廷機関だが、その実はただの捨て駒だ。戦争が始まれば、一番に前線に送り出され、敵をどれだけ多く道連れにしたかでのみ評価される人間兵器。その評価でさえ、本人は死んでいるのだから意味はない。
それでも、自ら命を断つことは許されない。将来生まれてくるであろう、仲間や同士。彼らが少しでも良い環境で生きていけるように、今たとえ死にたいほど苦しくても足掻いてひたすらもがいて、少しでも生きやすい社会にする。我らにはその義務がある。朝廷を前に仲間がどれだけ首をはねられていっても、自分だって殺されるとわかっていても、突っ込むしかない。そのおかげで、いつか首をはねるその手が止まるかもしれないから。そのほんの少しの、奇跡に賭けて。
ただ、隠華に生まれたというたった一つの事実のために。
「それで、しばらく魂が抜けたように死体の山を見てた。殺したって知ってるのに、実感が全然なくて、本当に悲しいとも怖いとも思わなかった。でも、側に俺を止めようとしてくれてた友達の死体があって、義務みたいに手を合わせたのは覚えてる。その後、なんとなく海青村の方を見たんだ。その友達の故郷だったからかもしれない。門も壁もほとんど吹き飛ばされて、日も昇ってきてたからよく見えて。そしたら海が海青村を全部飲み込んで引きずり込んでいくところだった。あれも俺がやったのかな。だとしたらあの村にいた人も全部俺が殺ってしまったことになるよね。もう俺生きてて良いのかすら分からない。でも、生きたい。なぜか分からないけど死ぬのが本当に怖い」
子供にしては淡々と語るな、と思った。人を初めて殺した時には、大人でさえ吐くほど狼狽するというのに。これも睡蓮を持つが故か。
睡蓮は別名、戦花とも言う。その名の通り、戦の花、人を殺すためだけの花だ。それが持ち主の性格にどう影響するのかは分からないが、殺戮に特化した花であるのは間違いない。他の花と決定的に違うのは生成した花を使って自ら武器を生み出せるところだ。弔寡は攻撃を受けた際、手のひらの花で受け止めれば刀でさえも刃が通らないその硬さのおかげで、身を守ることができる。しかし、ただ身を守れるだけで攻撃することはできない。その唯一の例外が睡蓮である。本人が知っている武器であれば、難なくその手に生み出せる。その種類は刀、弓、槍、薙刀、双刀、短刀、吹き矢など豊富で、重量は軽く扱いやすい。しかし、軽いが故に脆くもあり、武器が壊れた場合、花一つを咲かせるのに要した血液を一気に失う。それは零落と違って特に痛くはないらしいが、できることなら真剣を普段使いしていた方が安心ではある。
もし、燕蓮にその気があるのなら武官側に引き込むのも悪くないかもしれない。睡蓮の戦い方を見てみたいと思う気持ちもあるが、今まで一緒に過ごしてきて彼には戦いの素質があるのではないかと鷺丹は思っていた。もちろん本人が嫌だと言うなら無理強いはしない。けれど、育ててみたい。そういう思いも無いと言えば嘘になる。いや、むしろ育てなければならないのか。
「もしかすると、そういう経験で無理やり力が引き出されたことで君の中の潜在意識が、開花は命に危機が迫った時の最終手段だ、と認識してしまっているのかもしれないな」
「あ、うん。そうかも」
燕蓮は腑に落ちたように頷いた。
「じゃあ、自分に開花は日常的なことだよって教えてあげればいいんだ」
見えてきた希望に目が輝いたのも束の間、またすぐに影がさした。
「でも、どうやって?潜在意識なんてどうしようもないし……」
鷺丹はしばらく考え込み、良い案を思いついてにやりと口角を上げる。
「そうか。君に、開花をすれば良いことや楽しいことがある、と見せれば良いわけだ」
何かを察した燕蓮の顔がぱっと明るくなった。
「まさか、飛ぶの?飛んでくれるの?」
鷺丹は笑った。
「そういうことだ。さあ、外に出よう」
そう言って燕蓮の手を引き、家から出た。
「あれ?雁槐さん、どこに行ったんだろう」
庭には雁槐の姿はなく、畑の側にある小さな机の上に水盆が置かれていた。位置は決まった、ということだろうか。にしても、声もかけずに姿を消すとは。厠だろうか。
数日前、雁槐に麓陽村のことを聞かれた。家が近いから気になるのだろう。鷺丹は見てきたまんまを話したが、もちろん燕蓮がすべてやったのだとは言わなかった。あの時点では推測でしかなかった上に、たとえ言ってみたしても、睡蓮を知らない者にとっては到底信じ難い話なので実質同じことである。そのため、原因や犯人は分からないと言っておいた。
まさか、真実が気になって様子を見に行ったというのか。いやいやそんなはずはないと頭を振る。第一、何も言ってこないのだからそんなに重要な用事でもないのだろう。鷺丹は、何事も必要以上に深読みしてしまう自分の癖にうんざりした。
「ねえ、早く。早く飛んで」
燕蓮が待ちきれないというようにそわそわしている。
「まあ、待ちなさい」
鷺丹は苦笑しながら、近くにある高台に登る。
一度、形を借りれば花の力を使わなくても鳥の姿になれるが、代わりに必要となるのが浮遊感だ。高いところから飛び降りた時のあの感触が変身する動力源であり、合図になる。だから、露台の無い家は近くに高台を作っていたりする。同時に見張り台にもなるので一石二鳥なのだが、桜都などの土地が狭いところではあまり見かけない。
「しっかり見て、自分の気持ちに素直になりなさい」
こちらを見上げてくる燕蓮に向かって叫んだ。
高台から飛び降りる。燕蓮の悲鳴が聞こえたのも束の間、次の瞬間には紅の鷺が大きく翼を広げて、空を掴んだ。あっという間に地面は遠ざかり、新緑が視界いっぱいに広がった。ひやりとした風が気持ちいい。一方には果てしなく広がる青が太陽を反射して眩く輝き、一方には遠く満開の桜の大樹が堂々と根を張っている。その周りに広がる平原にも所々に桜色が見え、地面は新芽の柔らかい緑で覆われ、数多の花で包まれた家々からは笑い声が聞こえてくるようだ。美しい国だ、と思う。だからこそ悲しい。この美しさの陰でおぞましい闇がうごめき、一つまた一つと命が消されていること。消されたことにされていること。それを知っていること。この素晴らしい景色でさえ、その闇を必死に隠そうとしているように見えてくる。
朱の島はどこだろうと辺りを見渡すと、かなり左傾の方に大きな陸地が見えた。その島は目立った花も色もなく、ただ静かにそこにあった。しかし、その静かさの下に復讐にも似る炎がふつふつと燃えているのを鷺丹は知っている。数百年前、朱の民は弔寡に大敗した。
鷺はしばらく悠々と空を飛んだ。そして、段々と高度を下げ、しまいには一度大きく羽ばたいて地面に降り立つ。その姿はもう人間に戻っていた。
燕蓮が目を輝かせて駆け寄って来る。
「すごい!綺麗だった。鳥の形した玻璃が飛んでるみたいだ」
よほど興奮しているのか早口になっている。
「ねえ、楽しい?飛ぶのってどんな感じ?」
そして、鷺丹の袖を引っ張り顔を覗き込んでくる。
「そうだなぁ、とても気持ちいいよ。ひんやりとした空気とあの絶景。経験しないのは損だよ」
大きく揺さぶりをかけてみた。すると、燕蓮のどこかに火がついた。
「今ならいける!今なら咲かせられる!鷺丹爺、早くこっち」
そう言って水盆の方へ走ってゆく。鷺丹も苦笑しながら後を追いかけた。追いついた時には、燕蓮はもう手を水の中に入れていた。
「いくよ。見ててね」
そして、握った手をゆっくりと開いた。
何かがきらりと輝いたかと思うと、大きな白くふっくらした蕾が現れて破れ、鋭く鋭利な花弁を形成する。その一枚一枚が厚くみずみずしい。開花した白睡蓮は水中で光を反射し、七色に煌めく。そのあまりにも美しい大輪は、燕蓮の白い手の中でゆったりと回転していた。鷺丹のみならず燕蓮までが目を奪われぼぅっと見つめている中、その睡蓮はふわりと燕蓮の手を離れた。それと同時に燕蓮の体が後ろへと大きく傾く。鷺丹は添えていた手で燕蓮を支えた。
「大丈夫か」
そのままゆっくりと地面に座らせる。
「ごめんなさい。なんか急にふらっときて」
「心配するな。誰でもこうなる。花の生成には多量の血液を使うから、その花が体から離れるということはその分の血を失うということだ。無理に立とうとしなくて良い。今は貧血に近い状態だから」
鷺丹は小さな背中をさすった。
近くて鳥が鳴いた。驚いて水盆を見ると、小さめの燕が一羽、縁に留まっている。早い。あまりにも早い。花を浮かべてからまだ三十も数えていない。それほど花が魅力的で強いということか。普通なら一日はかかるというのに。
「あ、燕だ」
燕蓮が机を支えにしながら立ち上がった。
「おい、あまり激しく動くな」
安静にしてなさい、と燕蓮の肩に手をかける。
「大丈夫。だいぶ良くなったから。それよりなんで燕が来たの?」
そう言って、不思議そうに燕に顔を近づける。燕は逃げなかった。
「君と契約を結びに来たんだよ」
燕蓮の背に手を添えながら鷺丹は言った。
契約?と燕蓮はこちらを見上げる。
「ああ。君に形を貸す代わりに言葉を貰いに来たんだ。契約を結べば君はいつでも空を飛べるようになる。そしてこの燕は人間の言葉が分かるようになるんだよ。どうやら他の動物にとって人間の言葉を授かるということはこの上なく名誉なことらしくてね。頼めばこちらの願いも聞いてくれるようになるよ。手紙を届けて欲しい、とかね」
燕蓮はすごい、と目の前の燕に視線を戻した。
「でも、俺でいいの?あんまり主人にしない方が良いと思うよ。君もみんなみたいに……」
そこで言葉を詰まらせ、うつむいた。
「殺されてしまうかもしれない」
鷺丹は励ますように背中を軽く叩いた。
「いいんだよ。この鳥が選んだことだから。それに、君が努力すればいいだろう?その力を制御できるようにね」
「うん。そうだよね」
それでも落ち込んだままの少年を見て、鷺丹はわざと明るい声を出した。
「あーあ。やっぱり燕家の水は格別なんだろうなぁ。この燕も早く飲みたいって顔をしてるよ」
燕蓮が顔を上げた。
「えんけ?俺と関係あるの?」
「関係あるどころの話ではないよ。君は燕という家に生まれた、ということだ。どの家にも必ず鳥の名が付くし、その鳥が水を飲みに来る。燕は燕家の、鷺は鷺家の血が好きだからね」
ふうん、と言って燕蓮は燕を見る。そして突然、
「飲んで良いよ」
と言った。燕はまるでその言葉が分かったかのように、嘴の下側を水につけてすくうように飲み始めた。通常、燕は水面に嘴の先をつけて飛びながら水を飲むので、留まった状態では飲みにくいだろうなと思うが仕方がない。すると、
「うわっ!喋った!」
と燕蓮が大声を出した。どうやら燕が人間の言葉を習得したようだ。鳥の声というのは服従させた本人にしか聞こえない。そのため、鷺丹にはただの燕の鳴き声にしか聞こえないが、燕蓮にはしっかり聞こえているのだろう。
「あれ、鷺丹爺聞こえないの?はっきり喋ってるよ」
ほら、と手を燕に向かって広げる。鷺丹は笑った。
「その言葉は君にしか聞こえないんだ。私の鷺の言葉も君には聞こえない。そういう――」
仕組みなんだ、と言おうとした時だった。遠くから足音が聞こえて来た。こっちへ向かって走って来る。雁槐だろうか。しかし、その速度は遅まるところを知らず、逆に加速する。変だなと思った次の瞬間、鷺丹の全身の毛が逆立った。足音と共にこちらへ向かって来るもの。それは、間違いなく殺気だった。そう頭が理解するよりも先に身体が動き、燕蓮を背に振り向いて抜刀する。視界に何かぎらりと光るものが飛び込んだ。刃物だと見た鷺丹は、すぐさま刀を大きく振ってそれを跳ね上げる。きぃんという金属音と共に、包丁がくるくると宙を舞い、地面に落ちた。あっけにとられている敵の腕を掴んで引き寄せ、刀を首にあてがう。こわばった体格の良い体と怯えた表情で固まった顔。雁槐だった。
「雁槐?何をしている?」
鷺丹の声は先ほどとは打って変わって、冷え切った氷のように冷たい。
雁槐は様子が変だった。
「だ、だめだ。睡蓮は危険なんだ。こ、この国を滅ぼそうとしている。と、止めないと。殺さないと」
その目の焦点は合っていない。鷺丹は心の中で密かに動揺していた。どこで睡蓮のことを知った?ちゃんと確認したはずなのに。
「適当なことをほざくな。何を根拠にそのようなことを言う?理由を言え」
「だ、だめだ。殺さないと。皆殺されてしまう」
「理由を言えと言っている!」
鷺丹は握る刀に力を込めた。刃が首に食い込み、血が滲む。
「こ、殺せぇ。睡蓮を殺せぇ」
雁槐は泡を吹き始めた。体は痙攣し、目は白目になっているが、懸命に手を伸ばし、首が切れていくのをものともせず、歩みを進めようとする。鷺丹は恐怖を覚え始めた。もう一思いに斬ってしまおうかと思っていると、突然雁槐はこときれた。どさり、と地面に突っ伏した雁槐は、もうびくともしなかった。燕蓮は怯えたように後ずさる。一刻も早くここを離れた方が良いと判断した鷺丹は、
「燕蓮、さあ、飛ぶぞ。私の家に行こう」
と言って、二人して高台に上がり、同時に飛び降りた。燕蓮は無事、白く輝く燕に変身した。赤と白の二羽は空高く舞い上がり、天空の寺院を目指した。
[玄鳥]
ツバメの別名。




