第三章 破蕾(三)
次の日に会った時には、村長の姿はもとどおりになっていた。聞いたところによれば、朝日を浴びると本来の姿に戻るらしい。たしかに、海斗からすればあの姿は異常にしか見えないが、弔寡からすれば普通のことなのではないだろうか。村長は弔寡を異常だと思っているのか。つくづく、あの人の考えは読めない。
村長は昨夜、自身の幼少期について簡単に話してくれた。それは海斗の想像を越える壮絶なものだったが、あの日親を失った自分に手を差し伸べてくれた理由が分かった気がして少し嬉しかった。
しかし、うかうかしている場合ではない。いよいよ今日が麓陽村襲撃の日なのだ。昨日は結局ついて行く許可をもらえなかったので、考えに考え抜いた結果、火薬や武器を積んだ荷車に紛れ込むことにした。幸い体は小さいし、荷車を抜け出す頃には陽が落ちているので、麓陽に着くまで見つからなければこっちのものだ。
海斗は朝早く家を抜け出し護衛の目を盗みながら村長の屋敷近くに置かれた荷車を目指した。いけないことをしているという自覚が体を興奮させ、身を震わせたが荷車に辿り着き、被せられている布に潜り込んだ時には不思議と落ち着き、自信に満ち溢れていた。出発は昼なのでまだ時間はある。海斗は一眠りしようと目を閉じた。
次に目が覚めた時には辺りはすっかり明るくなり、がやがやと人の声が聞こえていた。いよいよか、と海斗は身を引き締める。すると、がたんという音と共に荷車が揺れ、移動を始めた。門に近づいているのだろう、だんだん周りの声は大きくなり、やじのようなものも聞こえるようになった。何を言っているのかは分からないが、海斗は得体の知れない興奮が突き上げてくるのを感じた。
しばらくすると急速に人の声が遠ざかった。村を出たのだ。その途端、信じられないくらい荷車が揺れるようになった。小さな小石を越えるたびに海斗は武器と一緒に飛び上がり、次の瞬間には硬い木の床に叩きつけられた。あまりの痛みに、思わず口から声が漏れたが、幸い武器同士のぶつかる音の方が大きかった。長いこと揺られて、海斗の腰の骨が悲鳴を上げ始めた頃になってやっと荷車が止まった。村長が皆を招集する声が聞こえる。荷車の側の人の気配が遠ざかった。今だと素早く荷車から出る。身体中がずきずきしていたがなんとか立って、辺りを見渡した。すっかり陽は落ちている。そこは街道から少し森に入った場所だった。遠く、木の間から麓陽の火の光が見えた。まだあんなに遠いのかと絶望したが、聞こえてくる話によれば、どうやらここで二手に分かれるようだ。燕を助け出すなら、爆破隊の方について行かなければならない。海斗は森の奥に向かって歩き出した爆破隊を慌てて追いかけた。
暗い。だいぶ奥の方まで来た。黙々と歩く一団が頼りにする光源は先頭の持つたいまつ一つだ。海斗はその一団から少し離れて後を追っていた。お互いの顔は見えないし、足音もばらばらなので気づかれる可能性は低かったが、なんと言っても森の中である。歩きづらいことこの上ない。つまづいて転びでもしたら、必ず誰かが振り返ってその背の低さに驚くだろう。海斗は足元に細心の注意を払いながら進んでいった。
見覚えのある戸が見えた。爆破隊はそろそろとその扉に近づく。開いているかどうかを確かめるためだ。もし、開いていなければ戸の爆破から始めなければならない。海斗は木の陰に隠れてその様子を見ていた。爆破隊の一人が小さく首を振るのが見える。開いていない、つまり戸を爆破するという意味だ。彼らは扉から距離を取り、その中の一人が玉のようなものを取り出す。
海斗は焦り始めた。扉を爆破すれば次々と爆破隊が中に入って、一瞬にして村長の屋敷は吹っ飛ぶのではないか。助け出す暇がない。まずい。なぜ事前に綿密な計画を立てなかったのか。過去の自分を激しく恨んだ。
どんっ。
心臓が揺れるほどの爆音と扉が割れる音。周りの爆破隊が雄叫びを上げて中へ入って行く。屋敷の向こうが赤く染まった。火の色だ。だんだんと聞こえてくる怒号と悲鳴。感じたことのない異様な雰囲気に足がすくむ。あの夢と同じだ、と思った。俺はいつだって大切な人が海に、火に飲み込まれてゆくのをただ見ているだけだ。何度同じ夢を見ても自分の足は自ら動こうとしなかった。今だって同じだ。自分は成長なんてしていない。乗り越えてなんかいない。強がって大人という仮面を被り続けるただの――
「父上!母上!――してそんな――なにをして――やめて!――して!」
はっ、と我に帰る。燕の声だ。爆音の合間に聞こえてくる少し高い声は聞いたことのないくらい切羽詰まっている。足が、動いた。まるでたった今走ることを思い出したかのようにがむしゃらに駆けて、全速力で門をくぐる。屋敷の構図は大体頭に入っている。声が聞こえたのはおそらく海斗達の歓迎会が行われた場所だ。海斗は靴を脱ぎ捨て広間へ走った。あらゆる所が爆風で飛ばされ、崩れている。砂埃が舞い、視界が悪かったが見知った場所なので大した障害にはならない。海斗はそれよりもぴたりと止んだ燕の悲鳴が気になっていた。まさか、もう――
人影が見えた。何枚も畳を隔てた遠くにいるが、はっきり見える。麓陽の村長と奥方だ。二人は必死の形相でうごめく何かを押さえつけている。影で見えづらいが海斗は懸命に目を凝らした。燕だった。大人二人は暴れる燕を上から押さえつけ、さるぐつわを噛ませていた。あまりに信じられない光景に海斗の足は思わず止まる。そのまま二人は燕をそばにある大きな箪笥に連れて行く。燕は顔を真っ赤にして泣き叫んでいるが何一つ言葉にはなっていない。よく見ると手足も縛られている。二人は燕を箪笥の中へ押し込み、扉を閉めたかと思うとなんと錠をかけた。村長はその鍵を床に投げ捨てたかと思うと、奥方の手を取り外へと走り去った。
なんということだろう。海斗は二人が走っていった方向を口を開けて見ていたが、漂ってきた焦げ臭い匂いに気づいてはっ、と箪笥の方を見る。火の手が上がっていた。ごうごうと燃え上がる火は今にも箪笥に燃え移ろうとしている。海斗は再び走り出した。走っている間にも火は箪笥をじりじり侵食し黒く変色していく。海斗は床に落ちている鍵を走り様掴み取り、錠に飛びつく。
「燕!燕!しっかりしろ!今助けるからな!」
中からの反応はない。焦れば焦るほど手はすべって思うように動かない。箪笥の左側はすでに火にさらされ煙を上げている。汗が頬をつたい、床に落ちた。がちゃっという音と共に錠が外れる。急いで扉を開け放つと、中には座り込んでぐったりとした小さな少年が左側の壁に寄りかかっている。慌てて引きずり出したが右手の二の腕にひどい火傷を負っていた。急いで手足を縛る縄をほどく。さるぐつわも外して体は自由になったはずなのだが、燕は畳に横たわったまま少しも動かない。海斗は必死で燕をゆすった。
「おい燕!目を覚ませよ。早くここから逃げねぇといつ崩れるかわかんねぇぞ!火だってどんどん燃え広がってる。ここにいたら危険だ!」
ここで死なせるわけにはいかないと声の限り叫ぶ。
すると突然、燕はふらっと立ち上がった。そして、
「父上と母上は、どこに行ったの?」
と、だけ言った。その感情がごっそり抜け落ちた声に海斗は驚いて燕を見る。その目はなにも見ていなかった。ただぽっかり目を見開き、前を向いている。火傷の痛みも感じていないかのような表情だ。
「そんなの知らねぇよ!いいから早く逃げるぞ。裏門から出ればもう安全だ」
そう言って燕の手を引く。しかし燕はそこから動こうとしなかった。
「逃げたんだ。俺を置いて。ねぇ、そうだよね?」
空が光った。雷だ。いつの間にか外は嵐になっている。しかし、打ち付ける雨も業火の前に空気となって霧散した。爆音は少し前に進んでいるようだ。
「お、おい燕。お前どうしたんだ。なんかおかしいぞ」
海斗が戸惑い始めると燕はふらりと歩き出した。視線の先は、村の中心。
「燕!なにしてんだ!裏門はこっちだ、早く来い!」
海斗の必死の呼びかけに耳も貸さず、何かに取り憑かれたかのようにひたすら歩みを進める。ついに裸足のまま外に出た。雨が火傷の部分を濡らしたが痛がっている様子は全くない。海斗は慌てて追いかける。屋敷と村の間の門を抜けた。壁の外はまさに地獄だった。燃える家、燃える畑、燃える人。村中が赤く照らし出され、昼間のようだ。爆風で崩れた家や壁。そこに垂れ下がる恐怖に引きつった人の顔。その人の腹から下は無かった。あたりに散らばる誰かの臓物、誰かの腕、誰かの顔の一部。血液であろう黒い液体が火の光を受けて、でろりと光り、どこかへ流れてゆく。その中を燕は一歩また一歩と前へ進む。遠くの大門近くには悲鳴を上げて逃げ惑う人々がいた。門は閉まっており開く気配がない。その人々の上に火矢が降り注ぎ、次々と人が倒れていく。そして彼らに近づいていく爆音と火の手。
ああ、人が死ぬ時というのはこんなにもあっけないものなのかと思った。こんなにも一瞬で多くの命が失われてしまうなら一人一人の価値はいったいどれほどのものだろう。
気づけば燕と距離ができていた。まずいと走り出した瞬間、燕がふっと立ち止まった。視線の先のごったがえす人々の中に麓陽の村長と奥方の姿がある。二人はなんとか門を開けようと他の村民達と共に一生懸命門を押していたが、何を思ってか二人揃ってこちらを振り返った。そしてその目にはっきり燕を映した。その途端、二人の顔は恐怖で歪み、逃げるように群衆の中に姿を消した。その瞬間だった。
燕が、発狂した。
その耳をつんざく絶叫は村中に響き渡り、全ての時を止めた。海斗の身体は燕に手を伸ばしたまま固まり、雨は球体となって空中で停止する。吹き飛ばされた家の一部はそのまま空に浮かび、人も火も音もなにもかもが止まった。ただ、意識はあった。目の前の燕が急に笑い始めた。
「ぜーんぶ嘘なんだね。分かった。分かったよ。みーんな嘘つきだ。面白いね」
その男とも女ともつかぬひび割れた声はどこかで聞いたことがある。
一通り笑ってから燕はため息をついた。
「あーあ。でも知ってた?嘘って悪いことなんだよ?」
だんだんと声が低くなるのと同時に燕の長い黒髪の色が変わっていく。現れたのは光を反射して虹色に輝く白髪だった。その髪は燕が動くたびに赤に青に緑に煌めく。周りに浮かぶ水滴が震え始めた。
「嘘つきは嫌い。いらない」
その言葉に呼応するかのように、水滴は燕の髪と同じ色の矢に形を変える。そして海斗の近くの数十本の矢はくるりと向きを変えた。その矛先は――
「だから、消えて無くなればいい」
次の瞬間、一気に矢が飛んできた。目にも止まらぬ速さで白い矢が接近する。そして、矢が突き立ったのは、心臓だった。痛みを感じる暇もなく、次また次と矢が心臓を貫いていく。何十本という矢が海斗の心臓目掛けて飛んだ。時が進み始めた。呆然と自分の胸を見る。血濡れた白い矢が所狭しと胸から突き出ている。
痛いな、と思った。目の前がふっと暗くなった。
[破蕾]
花弁の色が見え始める前の蕾のこと。




