8日目
「……おい、起きろ」
女の低い声と共に、頭を蹴飛ばされた感覚がした。
起き上がり、確認するとそこには昨日、俺のご主人様になった女……アウロラ・パリスが俺を睨めつけるように立っていた。
別に機嫌が悪いわけではなく、平常の視線がこれなのだと気付いたのは昨日のことだ。
世の全てに対して怒りを燃やしているような顔をしている彼女だが、見た目と違って理不尽なことはまだ俺にしてこない。
奴隷に人権なんて存在しないのだから、どんなふうに扱ったところで誰も咎めないというのにだ。
そこそこいいご主人様に譲渡されたのかもしれない。
この時はまだ、俺はそう思っていた。
「は、はい……ご主人様」
俺が立ち上がると、アウロラは顎をしゃくってついてくるように示した。
彼女の後に続くと、徐々にいい匂いが近づいてくる。
食べ物の匂いだ。
そういえば、奴隷商館での食事はまずいとまでは言わないが、栄養さえ取れればいいんだろうと言わんばかりの献立が基本だったことを思い出す。
なので、こういう美味しいものの匂いというのは食欲を強く刺激した。
俺の腹が鳴ると、アウロラは立ち止まり、笑う。
「腹が減っていたか。ちょうどいい」
そう言って部屋に入った。
そこは食堂のようで、すでに食事が二人分並んでいた。
誰か料理人でも雇っているのだろうか。
特に姿は見えないが……。
俺がキョロキョロと周囲を見ていると、アウロラは言う。
「そっちがお前の食事だ。座れ」
「え、これ俺が食べてもいいんですか?」
食べたいとは思っていたが、まさか奴隷である俺に与えるために作らせた品には見えなかった。
だが、実際には俺用らしい。
これはかなり嬉しい。
しかも、席についていいと来た。
奴隷商館で学んだことだが、奴隷となど絶対に同席しない、奴隷は地べたで這いつくばって食べろ、なんて扱いをする主人たちもたくさんいるのだと言う。
そうでなくとも、主人がいなくなった後にやっと食べられるとかもあるという。
アウロラはそういうことをするつもりがないということが分かってよかった。
アウロラは俺の対面に座り、静かに食べ始める。
俺も同様にした。
やはり怒ることはない。
ここで理不尽にテーブルをひっ繰り返すとかする主人もいるというからだ。
これも問題ないようだった。
食事を口に運ぶと、俺は驚く。
「これは……」
美味い。
もちろん、地球のレストランで食べるような品と比べると食材や香辛料の問題で少しばかり味が弱いようにも感じられるが、それくらいだ。
こんな食事を、毎日提供してくれるのだとしたら、奴隷生活も悪くないのかもしれない。
そう思ってしまうくらいにはちゃんとしていた。
そんな風に感心する俺に、アウロラは言う。
「美味いか?」
「はい! 驚きました。作ってくれた料理人にお礼を直接言いたいくらいです」
「料理人だと? ……目の前にいるではないか」
アウロラは不思議そうにそう言った。
「え? 目の前って……ご主人様がお作りになったのですか?」
「あぁ、そうだ。そもそも、この館には私とお前しか住んでいないぞ」
「そうなのですか……」
アウロラの家は、館と呼べるほどに大きかった。
というのも彼女は高名な冒険者であり、金も腐るほど持っている。
そうでなければ俺のような穀潰しの奴隷など買わないだろう。
しかしそんな彼女が料理なんて。
しかも奴隷に振る舞うなど……。
一体何を考えているのか、よく分からなかった。
「……よし、こんなところだな。さて、行くぞ」
アウロラは食事を終えるとそう言って立ち上がる。
「ど、どこにですか?」
俺が慌てて追いかけると、アウロラは答えた。
「中庭だよ。そこそこ広めにとってある」
……何のために?
その答えはすぐに分かった。
「ほら」
アウロラはそう言って、俺に何かを投げてきた。
俺はそれをキャッチする。
「これは……木剣?」
「あぁ。昨日言っただろう。訓練をすると」
「本気だったのですか」
「当然だ。そもそも奴隷など買いに行ったのは私と並んで戦える、裏切らない人間がほしかったから、だからな」
奴隷は基本的に裏切らない。
というか、裏切れない。
この世界に存在する魔法契約書というものを使用してなされた契約は、破った場合にペナルティーが生じるからだ。
俺の場合、自害することが定められている。
契約破っただけで自害かよ、という気がするが、こればかりはどうにもならない。
「だったら俺ではなく、元冒険者とか、元騎士とかを買えばよかったのでは? あの店にはいたでしょう」
「いたがな。大抵のやつは目が死んでるか濁ってるかしていた。その点、お前はそうではなかった。だから買った……さて、無駄話もこれくらいにしよう。今日はとりあえず体力と度胸をつける。お前はその剣を構えて私の攻撃を受けるか避けるかし続けろ。いいな」
「えっ……うわっ!」
そして、女はものすごい速度で木剣を俺に向かって振り始めた。
*****
……悪くないご主人様とか言っていたな。
あれは嘘だ。
いや、嘘になった。
朝からの訓練は夕暮れまで続き、その間に俺は身体中の骨を十回は折られた。
それなのにどうして動けているかって?
あの女……いや、クソ女に改名する。
クソ女は剣士であると同時に魔術師でもあり、治癒術を修めているらしい。
俺がどれほど骨折しようと、たちどころに治癒術で復活させられてしまうのだ。
それは訓練にも身が入るだろう。
あまりにもキツくて、途中で俺は限界に達しかけた。
ただ、クソ女は絶妙な手加減で俺を気絶させなかった。
酷すぎる。
しかし、最後の方はもう意識が朦朧としてきて、同時に怒りも湧いてきていた。
なんで俺がこんな目に遭わなければならないんだと、そう思って。
だからだろう。
俺は無意識にスキルを使った。
あの使い道のわからない《耐える》と《癇癪》だ。
それを見たクソ女は意外にも驚いた顔をしていて、さらに楽しげに笑っていた。
その時の彼女の頬には、一筋の傷がついていた。
どうやら、《耐える》は、それを使って貯めたダメージを、《癇癪》によって使うことが出来るらしい。
考えてなかったやり方だが、妙な偶然で見つかるものだ。
いや、追い詰められない限り気づかなかったかもしれないが。
ともあれ、クソ女には一筋の傷しか与えられなかったとはいえ、反撃できたのでよしとする。
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