雪が溶ける前に
雪の降る日だった。
僕は独り、病院から帰っている途中だった。
ふと横を見た時僕は、ぽつり、ぽつりと雪の降るなか独りブランコをこぐ君を見つけることができた。
「どうしたの?」
そんな場所で寒くないのか?と不思議になった僕は、ただ一言問う。
「私の友達が、、、死んじゃったの」
悲しそうな顔で、君は言った。
普通なら知らない人に問いかけられてもこんなプライベートなことは言わないだろう。
だけど、君はすでにそんな判断もできないほどに弱りきっていた。
「そう、、、なんだ」
あまりにも答えにくい返答に、僕はこの質問をしたことを後悔してた。
「、、、家に、帰らないの?」
答えにくい返答はもう返って来ないだろうと、当たり障りのない質問を選ぶ。
「こんなに雪が降っているのに外に長居すると、風邪ひくよ?」
「家は、、、お母さんがいるから嫌だ」
「あぁ、そっか」となぜか僕は妙に納得した。
僕はこの子を知らないはずなのに。
今更だけど、僕は記憶がない。
なぜさっき僕は病院にいたのか、僕は《《何》》なのか、何もわからない。
「じゃあ、一緒に遊びに行こうよ」
ふと思ったことを言う。
一緒に遊んだら少しは気がまぎれるんじゃないかとそう思ったから。
「...え?」
「一緒に遊んだら、少しは気が晴れるかもしれないよ?」
「...じゃあ、行く」
どこに行けばいいのかわからないけど、子どもが遊びそうな場所を選んだ。
「僕さ、実は記憶がないんだ」
河川の居ない運動公園。
ここにくる前にコンビニで買い、投げたボールは、白い雪を沈めながら少女の元に落ちる。
「そうなの?」
少女はすでに先ほどの弱りきった様子のかけらもなく、元気になっていた。
「そうなんだ。だから僕も、家に帰れないってわけなんだよ」
「それじゃあ、私が記憶を取り戻すお手伝いをしてあげる!」
年に似合わない、されど輝かしい笑みを浮かべて君はいう。
その笑みを見た瞬間、いきなり僕は猛烈な頭痛に苛まれた。
「う...ッ」
「だ、大丈夫?!」
一度も経験したことないのに、僕は何も覚えてないのにこの光景に妙な既視感を感じる。
——「私、大きくなったら絶対に——くんのお嫁さんになるんだ!」
脳内で、いきなりそんな音声が再生される。
誰が発した、誰に対する言葉かはわからないけど、
僕はそれが僕の忘れていた記憶だと妙に納得した。
「大丈夫、少し頭が痛かっただけだよ」
「そっか、じゃあ遊ぼ!」
少女が足元に落ちたボールを僕に向かって投げる。
何度目かの既視感、忘れてはいけないのに忘れてしまったという焦燥感がなぜか僕の脳内を埋め尽くす。
気を紛らわせようと少女の方を向いても、その焦燥感は余計に募るのみ。
僕は無理に笑みを作り、少女が投げたボールを手に取った。
柔らかくて、冷たい。雪がうっすらとまとわりついていた。
「ほら、次は君の番だよ」
できるだけ何でもないように言って、ボールを投げ返す。
少女は嬉しそうにキャッチして、また僕へと投げた。
ぽすっ。
小さな音とともに、また白い雪が弾ける。
何度も繰り返しているうちに、彼女の笑顔が心なしか明るくなっていくのがわかった。
それが嬉しくて、僕もいつの間にか笑っていた。
「ねぇ」
少女がふと、ボールを胸に抱えたまま立ち止まる。
「記憶がないって言ってたけど……それって、全部?」
「うん、全部」
「そっか」
少女は一瞬だけ悲しそうな顔をしたけど、すぐにまた笑顔に戻った。
でも僕は、その一瞬の表情を見逃さなかった。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない!」
そう言って、彼女はボールを大きく投げた。
けれど力加減を誤ったのか、ボールは公園の隅、街灯の影に落ちていった。
「ごめんね、取ってくる!」
少女が駆け出す。
その後ろ姿を見送る僕の中で、また何かが疼く。
——雪の日。
——ブランコ。
——悲しそうな少女。
どこかで、僕はこの光景を知っている。
何か、大切なものを、僕は忘れている。
「見つけた」
少女がボールを拾い上げ、僕の方へと振り返る。
その瞬間、街灯の光が少女の影を長く引き伸ばした。
そして——
——『私、大きくなったら絶対に——くんのお嫁さんになるんだ!』
その声が、また僕の頭の中に響いた。
目の前の少女の姿が、重なる。
忘れていた記憶が、確かにそこにある。
「……君は、」
言いかけたその瞬間——
がくん、と世界が揺らいだ。
視界が暗転する。
何かが、僕の中からこぼれ落ちていく。
「——っ!」
誰かの声が聞こえた気がした。
けれど僕の意識は、そこで途切れた。
暗闇の中、ふっと何かが弾けた気がした。
——「ほら、もっとしっかりつかまって!」
——「やだ、もっと押して!」
——「そんなに強く押したら危ないって!」
次々に脳裏を駆け巡る、断片的な記憶。
楽しそうな声。笑い声。手のひらの温もり。
そして——
——「危ない!」
突き飛ばされた衝撃。
鈍い音。激痛。そして、雪に染みる赤い色。
僕は、思い出した。
どうして記憶がないのか。
どうして病院にいたのか。
どうして彼女のことを知っていたのか。
僕は——彼女を庇って死んだのだ。
***
気がつくと、僕は雪の降る公園に倒れていた。
目の前には、泣きそうな顔をした少女がいた。
「よかった……! 目、覚めたんだね……!」
彼女は僕の手をぎゅっと握りしめていた。
その温もりが、やけに切なかった。
「……思い出したよ」
僕はゆっくりと言った。
「僕の名前は———」
その言葉を発した瞬間、彼女の目が大きく見開かれる。
「え……?」
「君が言ってたでしょ。友達が死んだって……あれ、僕のことだったんだよ」
そう言うと、彼女の目から涙が零れ落ちた。
「そんな……! だって、そんなの……!」
彼女は震える声で言った。
「じゃあ、じゃあどうして……? どうして記憶がなくなってたの……?」
「わからない。でも、きっと僕は……君のことを忘れてまで、そばにいたかったんだと思う」
それが、どんな理由かはわからない。
でも、今ならはっきりわかる。
僕は、彼女を置いていくのが嫌だった。
だから、忘れても、ここにいた。
「……ねぇ」
少女は涙を拭いながら、僕の目を真っ直ぐに見つめた。
「私、ずっと……ずっと——くんが好きだった。だから、お願い……行かないで……!」
その言葉を聞いて、僕は小さく笑った。
「ごめん」
「え……?」
「僕は、もう生きていないんだよ」
彼女はかぶりを振る。
「でも……!」
「でも、君は生きてる。僕のことを忘れない限り、僕は君の中にいるよ」
僕は、そっと彼女の髪を撫でた。
「だから、もう大丈夫。君は前に進んで」
雪が降る。
冷たいはずのそれが、不思議とあたたかかった。
「さよなら——」
僕は微笑みながら、ゆっくりと目を閉じる。
「——大好きだよ」
僕が生前言いたかったその言葉を発して、そして——
白い光に包まれ、僕の存在はそっと溶けていった。
***
それから、どれくらいの時間が経ったのか。
彼女は、独りブランコに座っていた。
ふと、静かに呟く。
「ばか……」
ぽつり、ぽつりと降る雪が、彼女の涙を隠すように降り積もっていった。
初めて書いた切ない系小説
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