第三話 プロポーズ大作戦-ラブコメ-
「やっぱり名画は良いよね。あのサイモンとガーファンクルの曲が物語をさらに引き立てるんだよねえ」
さっき見てきた映画を頭に引きずって、まだ没頭している風に見える男性。そのまま隣にある百貨店に入った。この挿入歌の歌手名から推測できる程、見てきた映画は有名である。タイトルは言いますまい。賢い読者諸君はおわかりだろう。
ジャケットにループタイで、休日スタイルの男性。デートと言うことで、一応ワンピースにローヒールの女性。外からもカップルと分かる二人だ。
「登場人物のエレンは、きっとあの後大変ね」
女性は映画を見るとき、ロマンチックな場面を意識はするが、すぐに現実に置き換えて冷静になる。意外に男性とは真逆だ。言うなれば、彼女は自分自身のことはロマンチックな場面に身を置きたい生き物なのだが、他者のロマンチックさには案外クール、客観的な判断をする。
エスカレーターを降りた二人は三階に来た。
「これなんかどうかな?」
「いいんじゃない、似合っているよ」
甲府大月は、熊谷明夫を故意に宝飾品売り場へと誘う。
月並みだが、映画を見た後の軽いウインドウショッピングは定番である。だが実は彼女、ここ、百貨店で、可愛い企てを計画していた。彼にプロポーズを意識させること、つまりさりげなくプロポーズを誘発するための作戦だ。そう、言うなればプロポーズ大作戦。
その理由、何故なら今日は彼女の誕生日デート。誕生日と言うことで名画好きな彼女、その好きな映画をおごってくれた彼。既に交際を始めて七年、ついに大月は来年、婚姻適齢年齢の大台に乗る。要は三十歳の壁を突破すると言うことだ。
今店員を前にして、彼女が目にしているのは、指輪。ダイヤモンドをあしらった美しい指輪である。もちろんさりげなく婚約指輪のコーナーに彼を誘導している。目的は指輪がほしいのでは無く、婚約というワードに気付いてほしいだけだ。
その甲斐も全くない彼。残念なほど鈍感だ。
「でも普段はめるには、あまり高価なものよりも、アメジストのように数千円で買えて高価に見える石の方が機能的だよ」と明夫。そう言って半ば強制的に場所替えを行った。
『ええっ!』と彼女。
彼は告げた後、ショーケースにデカデカと貼ってある『婚約指輪コーナー』というステッカーには目もくれず、すたすたと日常宝飾コーナーに歩いて行く。彼女の誘導作戦は失敗である。
仕方なく用事の無い『デイリー』のコーナーを一緒に見学した後、大月は彼の手を引いて、オートクチュールの婦人服売り場へと場所を移す。彼女の好きな、と言っても数着しか持っていないが、国内デザイナーブランドの『ハマ・ミユキ』の売り場に来る。良いお値段でもあり、彼女は背伸びしたときしか購入できない。
ちょうどそのブランドショップのウエディング・フェアの真っ最中だ。白で彩られる店内のショーウインドにはブーケを持ったマネキンが所狭しと並んでいる。レースのベールを纏ったシースルーのものや、月桂樹に似せた白いヘアバンドなどドレスとマッチしたデコレーションが多数飾られている。
そのブランドコーナーに足を踏み入れる矢先に、明夫の携帯が鳴った。
「あ、桑名からだ。出ても良いかな?」と許可を取った彼。
渋々顔ではあるが、子供じゃあるまいし無理強いは出来ない大月。
「どうぞ」と素っ気ない返事をする。
足早にショップの前から移動して、コーナーの裏手、階段の脇にある休憩スペースで電話を取る明夫。
『もう、あとちょっとで店内のウェディングコーナーだったのに……』と心中でぼやく大月。
仕方なく彼女は一人で美しく飾られた店内のドレスを見て回る。やはり彼女のセンスにあったブランドなので、これを見ているだけで夢心地にはなる。
「ああ、ゼロが一個多いわ」とぼやく彼女。
その独り言が聞こえたのか、黒いスーツのスカート姿で店員が話しかける。
「お嬢様、もしそのドレスがお気に召したのでしたら、当館の十階にあるレンタル衣装店にも同じものをご用意してございます。リーズナブルに済ませたい方や置き場に困るという住宅事情をお持ちの方には好評です。勿論、この売り場でお買い上げいただけるのでしたら、ご結婚後に取っておく方もおりますが、おおよその方々は、丈つめや染色を施してフォーマルドレスに仕立て直しをするサービスもやっております。ハマ自身が再度デザインを担当して、リユースをお手伝いすることで、効率的にお衣装を使い回せるという利点もあります」
「はあ、素敵ですね」と相づちを打つ。
彼女はそっと名刺を差し出すと、
「もしよろしければ十階のレンタル店舗もご参考になさって下さい」と言った。
店員が他の客に呼ばれたのと時を同じくして、明夫が電話から戻ってきた。
「ねえ大月、ちょっとおなかすいちゃったよ。少し早いけどレストラン街に行こうよ」
彼はそう言って、純白に飾られた美しいドレスを見ることも無く、彼女の手を引いてエスカレーターへと向かった。今度も彼女の思惑は失敗に終わった。
「ごめん、その前にもう一カ所だけ、寄っておきたいところがあるの。お願い」
拝みこんだ大月に、「わかった」と優しく頷く明夫。
明夫は基本、優しい彼氏だ。ちょっとしたことでは不機嫌にもならないし、大抵のことは許してくれる。ウルトラ級の鈍感な部分さえ大目に見れば、良い旦那さんになるタイプの男性だ。顔は十人並みより少し良い。人にもよるが、「イケメン」の類いと彼を見たとき、会ったときの感想を大月に述べた彼女の友人もいた。
二人がやって来たのは旅行カウンターである。
百貨店の旅行カウンターも、他の売り場と連動するようにハネムーンツアーの商品を並べている。パンフレットには『ハネムーン』、『新婚旅行』の文字が躍る。
「どっか旅行に行くの?」と明夫。
さすがにここまで鈍感だと、大月も心の中ではぞんざいな言葉が渦を巻く。
『くおら、いい加減、気付けよ、鈍感にも程があるぞ。あたしゃ、もう三十歳まであと一年を切ってんだ。お前の時間の流れに合わせている余裕がないんだよ!』
そんな心中とは裏腹に気の弱い大月は、
「うん、多恵子たちと温泉行きたいね、って言ってたからパンフレットもらっていくの」と平静を装う。
「そっか、じゃあ持って行ってあげないとねえ。きっと喜ぶよ」
満面の笑みを演じる大月は、「うん」と爽やかな声を発すると、『水上温泉』というパンフレットに手を伸ばした。
そのお淑やかで、優しげな笑みの裏で、彼女は『まじか……』と肩を落として、気抜けした心を隠していた。
半日近く一緒にいて、『こりゃ、今年も結婚は無理かな?』とあきらめの境地に達した。今回も失敗。三度目の正直である。プロポーズ大作戦は、ついに無駄なあがきと実感した。
「さあ、私の用事は終わり、で、どこに行くの?」
「この館の十五階にあるフランス料理のお店を予約したんだ。桑名が教えてくれた」
その彼の言葉に、『なるほど。それで桑名さんから電話があったのか』と頷く大月。
「十五階って、あのグレ=シュル=ロワン (Grez-sur-Loing)ってお店?」
「うん、知っているの?」と明夫。
彼の言葉を問い返すように、
「逆にあなた、あのお店がどういうお店か知っているの?」と訊ねる。
「なんで?」
「あなた、あのお店、結構お値段張るのよ。鈍感で気付いていないの?」と精一杯の嫌みで返す大月。
『これくらいの嫌みは言っても罰は当たらないでしょう』と内心思った。
「ううん。知っているけど、誕生日だから」と笑う明夫。いつも通りの優しい笑顔だ。
エレベーターを降りると、その出口が入り口となっているお店『グレ=シュル=ロワン』。
給仕が既にエレベーターの扉の前で出迎えている。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「熊谷です」
「二名様ですね」
「はい」
慣れない光景に緊張しながら、二人は給仕の後を付いていく。
キャンドルが中央に置かれた小型の丸テーブルに案内される二人。手慣れた所作で、椅子を押して着席させると、
「お飲み物はいかがしますか?」と訊かれる。
「ロゼを二つ。グラスで」と明夫。
「かしこまりました」
ゆっくりと頷く品の良い給仕。
ナプキンを膝の上に置いて、ナイフとフォークを確かめる二人。
「外側から、順に使うのよ」と大月。
「うん」
やがてグラスワインが届くと、二人は肉料理をコースで注文した。
「明夫、ここの払い大丈夫? 足りなかったら困るから、いま私、五階のATM行って下ろしてこようか?」と小声で囁く。
すると表情にカラフルな色が塗られていくように、みるみる彼は快活な笑顔を見せる。
そして「そういうところが好きなんだ」と言う。
「えっ?」
「大月のそういうところが好きなの」
全く彼女の言葉が届いていない返事が返ってきた。明夫は、今のように心配してくれる彼女の思いやりが好き、と感想を述べているようだ。ATMの件は理解しているのだろうか?
「あんた、私の話聞こえてる?」
するとゆっくり微笑んで、
「聞こえているから、そういう大月と一緒にいると安心できるって言っているの」と言いながら、なにやら鞄の中をごそごそ探り始めた。既に銀行で下ろしてきた現金を探しているようにも見えた。
「あった」と明夫。
「お金、大丈夫なのね」と大月。
「そうじゃなくて……」と明夫の返しに、
「なに、足りないの?」と彼女。
「そうじゃなくて」
再び言い直す明夫。
「なんで二回言ったの?」
まどろっこしくなった明夫は言葉では無く、膝の上から見つけ出した小箱を差し出した。
「これ!」
差し出された小箱はさっきの宝飾売り場の包みだ。
「えっ?」
出された方の彼女は、半信半疑の顔で、
「これ誕生日のプレゼント?」と訊ねる。
「違う」
否定の彼に「じゃあ、何?」と訊き直す。
「開けて」
彼の言葉に彼女は包みをはがす。中には藍色のジュエリーケース。それを開くと輝く五月の誕生石、エメラルド。その石が立体的に輝く指輪が入っていた。その横にはダイヤモンドの縁取り。
「どうしたの? 私の誕生日には豪華すぎるけど」
そう言った矢先、彼女のスマホがブーンと鳴る。
「出て良いよ」と明夫。
彼女は画面を見て驚いた。目の前の明夫からのSNSの連絡で、吹き出し部分に『結婚して下さい』と画面が光っていた。
大月は涙目になりながら、小さな画面キーボードで二文字を打ち込む、そして送信する。
『はい』
「こんな手の込んだことやらなくても……」と言う大月に、
「だってプロポーズの言葉を文字でフリーズドライにしておけば、いつでも初心を思い出せるでしょう」という明夫。
彼女は小さな声で「ありがとう」と呟いた。
気がつけばさっきの給仕がバラの花束を持って明夫の前にやって来た。
「こちらをご用意させていただきました」
「ありがとうございます」
「お幸せに」と言うと、背後の従業人に合図を送る。
サービスのシャンパンが届き、ピアノ演奏が始まる。見たこともない料理と経験したことの無い場面が大月を囲む。
プロポーズ大作戦は、一見鈍感に見える明夫の方が一枚上手だった。かつて体験したことの無いサプライズに酔いしれながら、大月はにじむ涙をハンカチで拭って、店内皆にお辞儀をしていた。
そして大月はバラの花束を受け取りながら、二十代最後にして、三十代のインターバルとなる誕生日を幸せに迎えているのだった。
了