狂い始めた世界
情報提供者で恩人でもある女性が無残にも食われてしまう。
あまりにも衝撃的な展開に言葉が出ない。
話には聞いていたがまさか目の前で捕食シーンを見せつけられるなど。
狂気の沙汰。もはや現実かと疑うほど。
世界が徐々に狂い始めている。そんな気さえする。
あまりに残忍で残酷な世界。
「なぜだ? 」
ようやく声が出せるようになった。
それでも震えは止まらない。
ああ! ああ!
うわあああ!
まずい。恐怖のあまり狂ってしまったか?
口を噤んでいるはずなのになぜか叫び声を発す。
おかしい? おかしいぞ?
まるで自分の声ではないよう。そんな気がする。
だがそんなはずはないのだが。不可思議な現象に困惑するばかり。
仕方ない。物理的に口を利けなくするしかない。
自分の手で息ができないほど強く塞ぐ。
これでおかしな現象も収まるはずだ。
後先考えずに異常行動に出る。
それでも声はする。叫び声はずっと耳に。
耳? まさか?
二人を見る。
イセタンは青い顔をしている。
そして口元を押える。もう戻す寸前。
そうかこの叫び声はイセタンの?
もちろん最初は俺も叫んでいたんだろうな。
危ない危ない。俺が変になったかと思ったぜ。
「大丈夫かイセタン? 」
「先生…… 」
「イセタン? 部長? しっかりしろ! 先生が着いてるぞ」
「ははは…… 」
隣では狂ったように笑う。
「おいなぜ笑うカズト? 」
「へへへ…… 分かりません」
素直な子だ。
「ははは…… 」
俺も釣られて笑いが止まらない。
「先生も…… へへへ…… 」
「先生は大人だからいいんだ。ははは! 」
疲れるまで現実を忘れるまで二人で笑い続けた。
その間イセタンが盛大に吐いてしまう。
「良いぞ。良いぞ。好きなだけ吐け。ははは…… 」
笑い終えるとその場で戻してしまう。
カズトも堪えきれずに。
イセタンは泣いている。後悔してるのだろう?
俺は抱きしめてやることが出来ない。
何て薄情な先生なのだろうと自分でも思う。
大人しくそのままでいること十分。
「さあ今見たことは忘れろ! これは現実なんかじゃない。
そうだな。ゲームの世界だと思え。そうすればほら気持ちも落ち着くだろう?
いいな。絶体にもう振り返るな! 忘れろ。忘れるんだ! 」
現実逃避などすべきではないがこれも落ち着かせる為。
最悪の結果をもたらすだけでなく立ち直らなければ切り捨てなければならない。
そんな非情な決断したくはない。
まだ高校生に過ぎない二人。特にイセタンの憔悴の仕方は危険だ。
このままでは体力を奪われてしまう。
大人の俺でも一杯一杯なのに。可哀想なイセタン。
それに対してカズトはまだ笑っている。癖になってるらしい。
どうやら彼もおかしくなりつつあるのだろう。もはや人間ではない。
それはさすがに言い過ぎか。
だがカズトが少しずつおかしくなっていくのが見て取れる。
当然イセタンも。ただイセタンの方が本来あるべき姿な気がする。
それを我慢するのが大人だがでも俺だって本当は泣き喚きたい。
ミホ先生に抱きしめられて忘れたいもんな。
「おい二人とも。ここにいればまた化け物に狙われる。
見事に餌食になったのをさっき見ただろう?
その後の耳を塞ぎたくなるほど不快な骨を砕く音を?
さあ戻るぞ。ぼやぼやするな! 」
二人を促す。そして半ば強引に。
「よく見ろ! よく聞け! 異変があったらすぐに報告しろ」
ゆっくり辺りを見回して怪物がいないことを確認して歩き出す。
恐怖に駆られて誰も必要以上に言葉を発さない。
その方が集中力も増してより安全に行動できる。
だが欠点も。寂しくなるのだ。心細くなるのだ。
その内カズトが笑い出す。そうするとイセタンも釣られて。
「馬鹿! 静かにしろ! 喰われたいのか! 」
もういつ襲われてもおかしくない。
慎重にも慎重に歩みを進めようやく目的の場所へ。
暗くなる前に館にたどり着いた。
ふうどうにか帰って来れた。
どうやらミラーロードを突破することはなかったようだ。
命からがら逃げて来た。
「ただ…… いま…… 」
恐る恐る中へ。
世界は常に変化するものだ。
もしかしたらミホ先生たちも奴の餌食に。
そんなネガティブな感情に支配される。
当たり前だが笑ってただいまなど言えない。
一人また変な笑いを続ける者もいるが。
ただ普通ではない。それは確かだ。
続く