羊季の舞踏会へようこそ
初投稿です。
よろしくお願いします。
並びを変えました。
中身は変わってません。
ノランは意を決して、柱状節理の崖の先に魔術の足場を組んで扉の前まで行った。
深呼吸してから、凹凸のない六角柱の鍵を差し込む。
すると鍵が月色の取手となった。
取手となった鍵を持ってそのまま扉を押し開くと、中には大きな玄関ホールが広がっていた。
白黒模様の床に灰色の壁は色がなく、睡蓮のシャンデリアだけがうっすら暖色の影を落としている。
両脇の壁には2階へ続く階段が繋がっていて、吹き抜けの天井だから部屋は広いはずなのに、不思議と少し窮屈に感じるのは色がないからだろうか。
中に入れば扉は消え、手の内に鍵が残った。
副業で預かっている大事な鍵を懐にしまうと、いつのまにか現れた黒い羊頭の男に迎えられた。
「いらっしゃいませ。本日はお忙しい中、羊季の舞踏会にお越しいただき、ありがとうございます」
「……え、あ、どうも……?」
「夜燈の書庫の代理人様のご参加、お待ちしておりました。……ふむ。まずはこちらでご準備をどうぞ。ここから先は時の狭間ですので、まずは疲れをとって、ごゆっくりお支度下さいませ」
流れるように話しかけ、片眼鏡を煌めかせた羊頭が軽く会釈する。
ノランは急な立ち眩みを堪えることしかできず、やっと治って辺りを見渡すと、全裸で浴場にひとり立っていた。
「ん」
「まずはお疲れでしょう。どうぞ汗を流して下さい。持ち込まれたお品物は全てお預かり致しました。お帰りの際には全てお返し致しますからご安心下さい」
「はい?」
どこからか聞こえてきた黒羊の言葉に思わず、大きな疑問符がこぼれた。
場所が場所だけに、相手が人より高度な存在である事は分かっていた。しかしこちらの話も聞かず、身ぐるみ剥がされたのだ。人とは違う作法があるのだろうが、問答無用すぎやしないだろうか。
「いや、あの……俺はうちの羊がこちらに迷い込んでいるようなので、回収に伺ったのですが……」
「用件は後ほどお伺い致します。まずはそこにある石鹸で身を清め、お湯に浸かることをお楽しみ下さい。羊季の名物なのですよ。ここでは時も流れておません。どうぞ身体が解れるまでごゆっくり」
身綺麗にしなければ話も聞かぬという態度で、それきりうんともすんとも聞こえなくなってしまった。
「なんだかなぁ……」
ノランは諦めて浴場に向き合った。あまり見慣れない高級そうな設備に気遅れする。
とはいえ、やらねばならないのだろう。
水が貴重な地域だから、水に浸した布で全身を擦っておしまいにしているので、勝手が違って何をするべきなのか全く分からない。
せめてと書庫で見かけた作法を必死で思い出す。
確か濡らして石けんを泡立てて、全身に塗って水で流すんだよな?
水が出ると思しき所を色々触って水の出方を確かめる。軽く全身を濡らした。
次は石けんだ。
目の前の小さな台には石けんがいくつか置いてあり、それぞれに名前がついていた。
氷削――冷たい氷の清涼な香り。身を削られそう。
雪溶――柔らかな香草の香り。肌が溶けそう。
青嵐――濃い緑の香り。嵐……?不穏だな……
毛刈――果物の様な香り。毛が刈られる……散髪?
落葉――木の実の薫香の様な香り。どう見ても脱毛。
さんざん悩んだ挙句、雪溶を少し泡立てて使ってみる。とりあえず肌に異変がないから大丈夫だろう。
泡を全身に塗り、水で身体を流す。
次は湯に浸かる、だったか。
「いや、これは無理だな」
隣にある優美な白の大きな桶にはたっぷりと水が入っている。まるで大きな鍋が沸騰しているみたいだ。
これでは火傷するだろう。
茹で肉を作るには丁度いいかもしれない。
困って辺りを見回すと、壁につまみと目安らしき図が描いてあった。
ぎんぎん――氷が浮いている。
きんきん――普通の水みたいだ。
とろとろ――湯気あり、泡はなし。
ふつふつ――湯気が沢山と、小さな泡。
ぼこぼこ――湯気が沢山と、大きな泡が沢山。
つまみの位置を見るに、今は『ぼこぼこ』なのだろう。きんきんを選んで桶に手を入れてみる。
これなら大丈夫だ。
身体を桶の中に慎重に沈めてみる。すごい贅沢だ。
こんなに水を使っていいものだろうか。うっかり長い髪が入ったら水が溢れてしまう。
水に慣れた所で、気になったとろとろを選んでみる。
「……ああ……なるほど…………」
ここち良さにノランは思わず瞼を落とした。