魔界の街
アッシュの魔法で、アッシュとリモールにジークの気配が移された。リモールには何がどうなっているのか感じ取れないが、二人が魔物の近くへ行っても人間ではなく、ジークの気配がするはず、らしい。
ただ、ジークは竜だ。かたまって歩いていたら、竜が複数で何をしに来たんだろう、と好奇の目で見られる可能性が出てくる。
夫婦や親子ならおかしくはないのだが、それにしたって竜が団体行動することは滅多にない。だから、並んで歩いていたら注目を浴びてしまうことはありえるのだ。秘密裏に行動したいのに視線を集めては、探れる情報も探れなくなってしまう。
だが、人間のままでいるよりはいい。究極の二者択一だ。
ジークは人間の姿になり、アッシュとリモールからは少し離れて歩くことにした。同じ注目を浴びるにしろ、少しでも短い時間の方がいい。二人で行動する方が怪しまれにくくなる。もちろん、ジークは二人が見える範囲で動くことにして。
こうして行動開始したが、思っていたより早く街へ入れた。森から歩いて十分くらいかかるかな、と思っていたのが五分ほどで着いてしまったのだ。見た目とは距離感が微妙に違うらしい。もしくは、錯覚させられているのだろうか。
ジークが話していたように、人間界の街とほとんど変わらない。住居らしい建物があり、店があり、通りには人間とそう変わらない姿の者達が歩いている。
だが、ここには一人として人間はいないのだ。
「……」
リモールがアッシュの袖を掴む。ここへ来る前もまた「離れるな」としつこく言われていたのだが、言われていなくてもリモールは絶対同じことをしていた。
確かに人間とそう変わらない……と言えるかも知れない。だが、明らかに人間ではない者達ばかりだ。
ジークが人間の姿になった時、人間にはまずありえないであろう赤い瞳になる。それくらいなら少し遠かったり暗かったりするとわからないので問題ないのだが、銀色の瞳が三つあったり、口元から牙がしっかり出ていたり、耳の先が尖っている……なんて姿はほとんど当たり前。
どう見たって爬虫類系の顔だったり、山犬のような獣系の顔をしている者もいて、知らずに見たらかぶりものみたいだ。しっぽがあったり、爪が光っていたりもするし、リモールが一人でいきなりこんな所へ放り出されたら間違いなく叫んでいる。
ジークが現われた時も、叫んでたんだっけな。
自分の服を握るリモールの手に力が込められ、アッシュは昨日のことを思い出した。
人でない者を見るのは初めてのようだし、小さいとは言っても突然竜が現われれば驚きもするだろう。
だが、あの時の悲鳴はかなり大きかった。アッシュはあの時、本気で家の中にやばい魔物でも現われたのかと思ったくらいだ。
ジークを初めて見て、これまであんなに叫ぶ人はいなかった。天を突くような巨大な竜が現われたならまだしも、仔ねこサイズなのに。
ジークがあの大きさでいるのは、屋内だからというのもあるが、人間に余計な恐怖心を与えないようにという配慮からだ。にも関わらず、あの悲鳴。
アッシュが部屋へ飛び込んだ時、リモールは本当に怯えた顔をしていた。あの顔からして、リモールはかなりの恐がりだとアッシュは確信している。
一人で魔物が出るかも知れない森で妹を捜す度胸がありながら、魔物が出たら脱兎のごとく逃げるか、失神するタイプだ。もしくは、近くにある物を手当たり次第に投げるパターンか。
今だって、本当はここから逃げ出したいはず。だが、ラノーラの存在がリモールをとどめさせているのだ。脈を計れば、きっと全力疾走した後のように早いに違いない。
「大丈夫だ。こいつらは俺達に興味はなさそうだから」
「……」
リモールは無言で頷いた。
ここへ来るまでの強気はどうした、とでも言えばリモールのことだ、すぐに「勝手なことするなって言うから、おとなしくしてるんじゃない」くらいのことは言い返しただろう。
ただ、それくらいで済めばいいが、興奮して言葉が止まらなくなったら困る。強がるタイプに限って、そうだったりするのだ。自分からわざわざ注目されるネタを提供することはない。
「怖がるな。気付いた奴らに突っ込まれるぞ。見物に来たって顔してろ」
竜の気配を持つ相手に、そうそう絡んでくる魔物はいないはず。だが、借り物の気配だとばれたら、単に人間だと知られるよりもまずい。
「服を握るな」
「……」
「構わないから、掴むなら腕にしろ。その方がずっと自然に見える」
そう言われて、リモールは素直にアッシュの腕を掴んだ。彼女の心の中では色々と言葉が並んでいるのだろうが、口に出ることはなかった。やはり強がりを言っていられる心境ではないようだ。
リモールの格好ではしがみついているように見えなくもないが、こうしている方が親しい関係だと思われるくらいで済む。
見物してる顔って言われても……そんな気分じゃないわよぉ。叫ばないようにするだけで精一杯なんだから。
アッシュが推測した通り、リモールはこの場が怖くて仕方がない。泣きたい気分になってくる。服を握るなと言われた時、一人で歩かなくてはならないかと思って本当に泣きそうになった。人の腕を掴むだけで、こんなに安心できるものなのか。
とにかく、自分から行くと言った手前、逃げ出す訳にはいかない。リモールはひたすらその気持ちを抑え込んでいるのだ。
あーん、ジークのうそつき。何が、人間とほとんど変わらない、よ。あのヒトなんか、目が五つもあるじゃないの。うそ、あっちは手が四本? やだぁ、頭のてっぺんにどうして口があるのよぉ。
怖いと思っているくせに、やたらしっかり観察している。観察して、人間との違いを認識するから余計に怖くなるのだが、一度陥った悪循環からはなかなか抜け出せるものじゃない。見る度に鳥肌ものだ。
アッシュは怖くないのかしら。
ふと思い、リモールは隣を歩く長身の魔法使いを見上げた。
森を出た時に話していたが、彼も「魔界」へ来たのは初めてのようだった。いくらリモールに比べれば魔物を見慣れていると言っても、この世界そのものは彼にとっても未知の世界だ。全く不安がないとは思えない。なのに、すました顔で歩いている。
やっぱり魔法使いって、こんな場所に来ても冷静なんだな。狼の群れの中に羊が入り込んでるようなものなのに、自分も狼だって顔して。いくらジークの気配でごまかしてるって言っても、いつばれるかわかんないのに。
口が悪くても、やっぱり魔法使いはすごいんだな、などと素直(?)に感心するリモールだった。
「こんな所にいたら、人間の気配なんて簡単に隠されちまうな」
魔界の中で気配のみを頼りにラノーラを捜そう、なんてことはアッシュだって思っていない。いくら腕と勘のいい魔法使いだって、それは無理だ。
かと言って、この人を捜しているんですが知りませんか、と聞き回ることもできない。それができるのは、人間界だけだ。
魔物が他の魔物がさらってきた獲物のことをベラベラしゃべるとは思えないし、逆になぜそんなことを尋ねるのかと不審がられる。
こうなったら、レベルの低い奴をみつくろって聞き出すしかないか。
低級の魔物なら、少し脅せばすぐにしゃべり出す。自分の命が何をおいても一番だからだ。義理も仁義もあったものじゃない。
もし何も知らなくても、自分の魔力をもって従わせ、情報収集させることができる。自分で動き回るより、早くて確実だ。
さてと……どいつならいけそうかな。
アッシュが自分の力が十分に通用しそうな魔物を探し始めた時。
ふと視線を感じた。もちろん、つかず離れず歩いているジークではない。
アッシュは視線が感じられる方へ、素早く目だけを動かした。そこには、二匹の魔物が何やら話しながらこちらを見ている。気のせいではない。明らかにこちらを見ていた。
気配が妙なのがばれたか。
リモールやこちらを見る魔物達に警戒しているのが知られないよう、アッシュは足の向きを変えた。道のだいたい中央を歩いていたのを、さりげなく端へと寄って行く。
(ジーク)
アッシュは頭の中でジークに呼び掛けた。
(どうした?)
(こっちに気付いたらしい奴がいる。援護、頼むぜ)
(そっか。わかった)
見ただけでは、相手のレベルがわからない。場所が場所だけに、自分一人で何とかしてやる、と強気には出られなかった。そばには何も知らないリモールもいるのだ。彼女を傷付ける訳にはいかない。
「リモール」
急に名前を呼ばれ、リモールはびくっとする。
「な、何?」
街へ入る前に比べ、声が小さい。
「今から横道へ入る。大声を出したり、走り出したりしないでくれ」
アッシュの言い方は、命令ではなく依頼だった。
するな、ではなく、しないでくれ。
離れるなと森で言われた時よりも、こちらの言い方の方がリモールにはずっと切羽詰まったように聞こえる。禁止より懇願の方が重く感じた。
リモールが返事するのを待たず、アッシュは横道へと入って行く。建物と建物との間で、そんなに狭くはないが薄暗い路地だ。
それまで歩いていた道がにぎやかだったのに比べ、また別の世界へと放り出されたような、不気味な静けさが漂っていた。大通りの喧騒が、はるか遠くに聞こえる気がする。そんな所も人間界に似ていた。
アッシュは路地へ入ってしばらくすると、足を止める。アッシュが止まるので、リモールも同じようにして止まった。
「どうしたの?」
アッシュは答えず、指を自分の口元に立てた。
「よぉ、そこのお嬢ちゃんよぉ」
突然声をかけられ、リモールは見た目にもはっきりわかるほど、ビクッと肩を震わせた。
リモールのアッシュの腕を掴む力が強くなり、一方でアッシュは怪訝の念を抱く。
自分達に気付いた魔物がいるとわかっていたから、アッシュはここへ誘い込んだつもりだった。案の定、つられてくれたのはいいが、魔物が声をかけたのが自分達二人ではなく、リモールだけに、というのが引っ掛かる。
二人同時にばれるならわかるが、どうしてリモールだけなんだ?
「何か用か」
さりげなく自分の後ろにリモールを隠すようにしながら、アッシュは魔物達の方を振り向いた。リモールはされるがまま。と言うより、自分で動けない。
そこにいるのは爬虫類顔の魔物と、人間に近いが目つきの悪い魔物。彼らがこちらを見ているようだとアッシュが気付いた魔物達だ。
「おめーじゃねぇよ。後ろにいるお嬢ちゃんにだ」
目つきの悪い方が言う。最初に声をかけてきたのは、こちらの魔物ようだ。短い髪のある、人肌色のゴブリン、といったところか。ニタリと嗤った口の中には、小さいが鋭い牙が並んでいるのが見えた。肉食の獣と同じだ。
はっきりと自分を指定され、アッシュの後ろでまたリモールが震える。
「だから、何の用だ」
「おめーには関係ねぇっての」
しゃべり方がどこの街にでもいそうなならず者風。魔界でも似たような輩はいるものらしい。
「関係なくはない。こいつは俺の連れだ」
「連れ? 本当にお前の連れかぁ?」
ヘビのかぶりものをしたような魔物が言う。こちらのしゃべり方も、似たり寄ったりだ。
「連れでもない女と、腕を組んで歩くか」
「へぇ。けど、装ってるってこともあるよなぁ?」
言いながら、ヘビ顔の方が近寄って来る。
「だとしたら、何だ? 仮にそうだとしても、お前らには関係ないことだろう」
やっぱりリモールのすがりつき方じゃ、不自然に見えたか。
こんな場所で魔物に免疫のない人間に、自然に振る舞え、と言う方が無理なのだ。それはアッシュにもわかっていたこと。おかしいと思われるのも時間の問題だ、と。
「お前らがどういう関係だろうと、わしらにしたら知ったことじゃねぇけどな」
ヘビ顔がさらに一歩近付く。
「そこにいるのがラノーラだとしたら、放っておくのもどうかと思ってな」
唐突に出た名前に、アッシュも一瞬詰まった。
「おんやぁ? 知らない名前でもなさそうかな?」
ポーカーフェイスを貫き通せなかったアッシュに、ヘビ顔がわざとらしい嗤いを浮かべた。獲物を萎縮させるような、いやらしい目つきになる。
「よぉ、ラノーラ。もう人間界が恋しくなったのかなぁ? どこのヤローか知らねぇが、私を連れて逃げて、なんて色仕掛けで頼んだとか?」
ヘビ顔の言葉に、後ろにいたゴブリンもどきが引きつけを起こしたような声で嗤う。
詳しい事情はまだわからない。だが、疑う余地もなかった。
この魔物達は、リモールとラノーラを間違っているのだ。
リモールの話では、ラノーラの方は少し髪が長いらしい。だが、そんな細かい部分などわからない魔物達は、そっくりな顔を持つ二人を混同しているのだ。
「ここでお前を連れて行ったら、礼金たんまりもらえるかねぇ」
二股になった舌で、ヘビ顔は自分の口の周りをなめた。
礼金? こいつら、何の話をしてるんだ。ラノーラにそこまでの価値があるのか?
相手から感じる気配は、そんなに邪悪なものではない。人間のならず者に、ちょっとばかり魔力が備わっている程度。二対一だが、アッシュが相手にできないレベルでもなさそうだ。
束縛の呪文で相手の自由を奪い、なぜラノーラの名前を知っているかを問い詰めれば、すぐにでも口を割るだろう。
アッシュがそう考え、呪文を唱えようとするより一瞬早く。
「誰が色仕掛けするですってぇっ」
啖呵と同時に、派手な音がした。
アッシュの後ろで震えていたはずのリモールがいきなり前へ出て、ヘラヘラしていたヘビ顔の魔物に強烈なビンタを食らわしたのだ。
「そんなこと、あの子にできるはずないでしょっ。あんなおとなしくて、いつも静かに笑ってるような子なのに。そんなひどいこと言うなんて、ラノーラが許してもあたしが許さないわ!」
怒鳴りながら、リモールはヘビ顔の胸ぐらを掴んで揺する。ふいうちを食らった魔物は、人間の少女にされるがまま。
「言いなさいっ。人間界が恋しくなったって、どういう意味なの。連れて行くって、どこへ連れて行くつもりだったの。礼金って、誰からもらうつもり? その誰かがラノーラを連れてってたの? ちょっと、答えなさいよ!」
アッシュが問い詰めようと思っていたことを、リモールは矢継ぎ早に口にする。質問している間にも、リモールは魔物を揺すって。
その勢いに圧倒され、頭を振られて魔物は目を回しかけていた。質問に答えるどころじゃない。
「おい、ちょっと落ち着け」
予想外の展開にアッシュもしばらく呆然となっていたが、のんきに見ている場合ではなかった。
自分が聞いたことになかなか答えてくれないので、さらに魔物を揺すり続けるリモール。その肩を掴み、ようやくそれをやめさせる。
「だって、こいつってば、間違いなくラノーラの名前を口にしたじゃない。絶対に何か知ってるのよ。ラノーラの居場所や、さらった奴のことを知ってるのよ!」
「だからって、そのままだと話せるものも話せないぞ」
魔物の胸ぐらを掴むその手を、アッシュが掴んだ。ようやくリモールも渋々ながら手を離す。
「お前、こいつらが怖かったんじゃなかったのか」
さっきまでは確かに震えていたはず。あれは何だったのだ。
「ヘビなんか大っ嫌いよ。だけど、ラノーラのことを知ってるなら、そんなこと言ってられないじゃない」
怒りに我を忘れて、といったところか。アッシュがしっかり捕まえていないと、また魔物に手を出しそうだ。
ヘビ顔は完全に目を回したらしく、その場にへたりこむ。それを見て、ゴブリンもどきはどうも相手が悪いと悟ったようで、仲間を見捨てて逃げようとした。
だが、走り出そうとした足がすぐに止まる。目の前に、別の影が現われていたからだ。
「悪いな。ここから出るのは遠慮してもらうよ。もちろん、誰にもこの場の会話は聞こえていないから」
赤い瞳に見据えられ、ゴブリンもどきは仲間と同じようにへなへなと座り込んだ。