魔法使いに会いたい理由
リモールはしばし悩んでいた。
自分はあくまでも「魔法使い」に用があって、ここまで来たのだ。竜はともかく、目の前にいる少年に話してもいいものだろうか。
もしかすると、彼に話を通さないと魔法使いには会えないシステムになっているのかも知れない。でも、リモールとしては直接魔法使いと会って話がしたかった。
「あの……あたし、メルザックさんに会いたいんだけど」
やんわりと言ってみる。
「無理だ」
それに対するアッシュの答えは簡潔すぎる。
「無理って……どうして? あ、仕事で留守とか?」
「いや。仕事は何年も前に引退した」
引退しているとは知らなかった。やはり田舎は情報が遅い。
「じゃ、旅行とか?」
「ある意味、旅立ったな」
意味がわからない。話が進まず、リモールは少しいらっとする。
「いつ帰って来るの? ……あ、もしかしてアッシュ、あたしを魔法使いと会わせたくないとか思ってるの? 田舎から来た小娘なんかに偉大な魔法使いと会わせるもんか、とか思ってたりして」
田舎者だという自覚はあるが、会う会わないくらいは魔法使い本人に決めてもらいたい。ここまで来て門前払いだけはごめんだ。それは絶対に困る。
「そんなことして、俺に何のメリットがあるんだよ」
「え……そんなのはわかんないけど」
聞き返されても、すぐには理由が思い付かない。
リモールが口ごもり、間で二人の会話を聞いていたジークが小さくため息をついた。
「アッシュ、遠回しに言っても仕方ないぞ」
「……」
ジークの言葉に、アッシュは視線を泳がせる。それを見たジークは、リモールの方に向き直った。
「リモール、メルザックはもういない。亡くなったんだ」
「……え?」
すぐにはジークの言った意味が理解できず、リモールはただジークの顔を見るだけ。
「十日前だ。国葬も行われた。国に多大な貢献をした魔法使いだったからね。それが終わって、今はばたばたしていたのがようやく一段落したってところだよ」
その話を聞いて、リモールは呆然となる。国葬というくらいなら、村人の中にも聞いた人がいたかも知れない。
だが、リモールは顔も知らない魔法使いの葬式の話など、聞いている余裕なんてなかったのだ。
ここは魔法使いの家。だが、本来の主がいなくなり、そのせいで家の中がガランとした感じを受けてしまったのだろうか。
「あたし、知らなかった……」
魔法使いがもういないなんて、リモールの頭にはこれっぽっちも浮かばなかった。魔法使いが住むという、ここベイルの街へ来れば会える、と信じて疑わなかったのだ。
「アッシュはメルザックさんの子どもなの?」
さっき、この家は自分の家だと言った。単純に考えれば、その辺りが濃厚。さっきもそういう可能性を少し考えていた。
「違う」
また簡潔すぎる答え。だが、さすがにこれだけではまずいと思ったのか、アッシュはちゃんと付け加えた。
「養父だ」
「ようふ? それって……つまり育ての親ってこと?」
「ああ。引き取られて、魔法も教え込まれた。だから、師匠でもある」
ということは、やはりアッシュも魔法使いだということだ。
リモールはメルザックという魔法使いに会いたくてここまで来たが、何が何でもメルザックでなければならない、という訳ではない。メルザックがリモールでも知っている有名な魔法使いだから、というだけ。
魔法使いであればいいのだ……頼りになるレベルであれば。
「弟子はアッシュだけなの?」
「いや、大勢いるぜ。正確な人数は俺も知らないけどな。王室付きの魔法使いになった人もいるし、独立して自分で弟子を持つようになった人もいる」
「リモール、魔法使いに会いに来たってことは、魔法使いに何か頼みたいことがあるんじゃないのかい? アッシュは経験こそまだ少ないけれど、メルザックが自分の持つ技術を叩き込んだ。どういう依頼か知らないけれど、力になれると思うよ」
ジークに言われ、リモールはアッシュを見る。
「いやなら言わなくてもいい。ベイルの街には俺の他にも魔法使いは大勢いるからな。自分で選んで頼めばいいだけだ」
「あれ。アッシュ、ずいぶん控えめだな。せっかく来てくれた客を他に譲るつもり?」
「俺に無理強いする権利はないだろ」
「確かにね。だけど、アッシュはこれからもそういう姿勢でやっていく気? そんなことじゃ、単なるやる気なしヤローに映るぞ」
「だからって、いやがる奴の口を開かそうとしても、それはそれで問題だろ」
「いつも思うけど、アッシュはこう……何て言うのかな、言葉のやりとりが下手すぎだよ。商売なんかを抜きにしても、対応がまずい」
その点については、リモールも同意見だ。言うべきことを言わないし、言わなくていいことを言う。
「誰彼構わず口説くような奴に、そんなこと言われたくない」
「誰彼って、人聞きの悪い。少しでもこっちに好意を持ってもらった方が、話もスムーズに進むってものだろう。自分からわざわざ嫌われるような真似をしたって、何も得をしないぞ」
「あ、あのっ」
何だかよくわからないが、自分のことが発端で口論になってしまったみたいで、リモールは慌てて口をはさんだ。言い争いが中断され、彼らの視線がリモールに集中する。
「あたし、魔法使いに助けてもらいたいの。あたしが知ってる魔法使いの名前がメルザックさんだけだから、ここへ来たんだけど……。アッシュが魔法使いなら、あたしを助けてほしいの。お願いします」
リモールはぺこっと頭を下げた。
「……話、聞かせてくれ」
アッシュに促され、リモールは大きく頷いた。
☆☆☆
リモールはラグロの村で、双子の妹ラノーラと暮らしていた。
母を三年前に亡くし、父はその前から出稼ぎに出ていて、時々思い出したように仕送りをしてくる。だが、最近ではそれさえも途切れがち。
一番最後に仕送りしてくれたのがいつだったか、もう思い出せない。元々家庭をあまり顧みない人だったので、ほとんど期待はしていなかった。
今ではもう生死すらもわからない。どこの街で働いているかもさっぱりだし、今更捜す気はなかった。何年も会っていないので、どこかですれ違ってもたぶんもうわからない。
リモールとラノーラは手先がそれなりに器用だったので、現在は小さな畑でわずかの野菜を作りながら、母に教わった仕立ての仕事をして生活を何とかやりくりしている。
今のリモールにとっては、ラノーラだけが家族だ。
そのラノーラが、大切な妹が、突然いなくなった。
朝方、畑を見て来ると言って家を出たラノーラが、昼を過ぎても太陽が完全に沈んでも、いつまで経っても戻って来ない。
リモールは思い当たる場所を捜し回り、ラノーラを見なかったかと村人に尋ねた。そのうちの数人が、ラノーラを見たと教えてくれる。
「ルクの森へ向かってるのを見たわ」
「森の方へ向かうのを見たから、隣村へ仕立てた物でも持って行くのかと思ってたよ」
「ずいぶん早くから出掛けるんだな、とは思ってたけど」
森には隣村へ通じる道がある。ラグロの村からザントの村へ行くには、その道を通るのが一番の近道だ。リモールとラノーラの仕事はていねいだからとよく注文してもらうので、できあがった服を持って行くことはそれまでにもしばしばあった。
でも、この時はどこからも注文を受けていない。持って行く物もないし、だいたいラノーラは畑へ行くと言って出掛けたのだ。リモールにも言わずに隣村へ行くとは思えない。
ルクの森へ向かったと聞いたリモールは、念のためにザントの村まで行き、ラノーラが来ていないかを確認した。
もしかしたら……理由はまるで思い付かないが、リモールに内緒で何かの仕事を請け負い、それを持って行ったはいいが何かしらの帰れない状況になったのではないか、と考えたのだ。
帰れない状況……例えば足を傷めたとか、疲れから急に熱を出したとか。
しかし、自分の村と同じくらい顔なじみの人が多い村だし、村同士はそんなに離れていないから、馬を使えば半時間程度。そういうことがあったとしても、誰かが送ってくれるなり、知らせに来てくれたりしそうなものだ。
期待はしていなかったが、やはりラノーラはザントの村へは来ていなかった。つまり、隣村へ行くために森へ向かった訳ではないのだ。
森には人が造った道が通っている。だが、その道から外れて奥へ行くと、二度と戻れないと言われていた。リモールが生まれるずっと前にも、森の奥へ入ってそれっきり、という人がいたと聞く。奥に何があるかは知らない。
リモールは村人達に頼み、ラノーラを捜しにルクの森へ入った。だが、ラノーラの足跡らしきものは一つとして見付からず。獣の足跡がある程度だ。
奥へ入った人間が戻って来ないのは魔物のせいだ、と思われている部分もあって、村人達もある程度まで進むとそれ以上奥深くへ踏み込もうとはしなかった。ミイラ取りがミイラになることは十分に考えられるからだ。
リモールもそれ以上は無理を言えず、三日捜してラノーラの捜索は打ち切られた。リモールは一人で捜し続けたものの、捜せる範囲はどうしても限られる。
きっとラノーラは森の魔物にさらわれたんだ。
リモールの前では口にしないが、村人達はそう言い合った。そして、リモールもそう思った。そうでなければ、ラノーラが森へ入って行く理由がわからない。
魔物にそそのかされ、自分でもわからないうちに森へ入ってしまった……のかも知れない。
たった一人になった家の中で、リモールは考えた。
ラノーラの行方を知りたい。どこで何をしているのか。
運悪く出会ったのが質の悪い盗賊の類や魔物で、考えたくはないが……もし死んでしまったのなら弔ってあげたい。生きているのなら、捜し出したい。自分で逃げられない状況になっているのなら、そこから救い出したい。
でも、このままではダメだ。何も進展しない。普通の人間は、自分の目で捜すだけで精一杯。しかも、すぐに限界がくる。
それなら、魔法使いはどうだろう。人間より魔物の仕業の方が確率として高いような気がするし、だったらなおさら普通の人間では太刀打ちできない。
でも、魔法使いなら対処できる力がある。自分達では見付けられない人間を見付けることも可能なはず。
だが、魔法使いなんて特殊な存在は、こんな田舎の小さな村にない。もっと大きな街へ行かなければ。
そこまで考え、リモールの頭に浮かんだのは、メルザックという名前だった。
このティンスの国で、一番強い魔法使いと言われている人。彼なら、ラノーラの居場所を探る力があるに違いない。
この国だけでなく、他の国でも一目置かれている、ということも聞いたことがある。確か、ベイルの街にいるはずだ。ティンスの国で一番大きな街。中心には王宮もある。
メルザックがどんな人か、リモールは知らない。すごい魔法使い、というだけだ。でも、頼み込めばラノーラを捜してくれるかも知れない。
いや、何として捜してもらわなければ。
ラノーラはリモールにとって、大切な家族。もうメルザックしか頼る存在はないのだ。仮に一度や二度追い返されても、絶対に頼み込む。
ラノーラを取り戻すために。