ラノーラの真実
「……?」
いつまで経っても、何も起きない。最後に見えた光の矢が身体を貫く、と思ったのに。
リモールが不思議に思って閉じていた目を開けると、自分達とランシェの間に立ちはだかるようにして、ジークが立っていた。
「それ以上この二人に手を出すのは、オレが許さないから」
にこやかにすら見える表情。人間の姿をしているが、違う。
今まで相手にしていた魔法使いの少年とは違い、目の前に立つ男がただ者ではないと悟ったランシェは、すっと一歩下がった。
そして、気付く。そこにいるのは竜だ。いくらランシェでも、竜を相手にのんびり構えてはいられない。
しかし、なぜ竜がここで絡んでくるのか。
「ランシェ」
呼ばれて振り返ると、少女が立っている。今度こそラノーラだ。間違いなく、自分が求めていた少女。
「ラノーラ! ラノーラ、無事か。何もされていないか」
他の人間や新たに現われたジークなどはもう目に入らない様子で、ランシェはようやく現われたラノーラを抱き締めた。その顔は、再び人間のものに変わって。
「ええ、私は何ともないわ。心配しないで。ごめんなさい」
ランシェが最後にアッシュを殴ろうとした時、リモールが飛び出した。ラノーラもすぐに出るべきだったのだろうが、あの危険な状況に飛び出したリモールに驚き、一瞬立ちすくんでしまっていたのだ。
さらにはリモールまでが危険にさらされそうになり、ラノーラもようやく柱の陰から出ようとしたのだが、少し遅かった。
リモールが殺されてしまう、と思った次の瞬間、見たことのない男性が光の壁を出し、ランシェの光の矢を防いだのだ。
「リモールは私の姉なの。双子の姉さん。だから、私に似てるのよ」
ラノーラはまず、リモールについての誤解を解いておく。
「双子? そんな話は聞いていなかったぞ。ただ、姉としか……」
ラノーラの言葉に、ランシェが戸惑っている。
「ごめんなさい。だって、まさかあなたがリモールと会うことがあるなんて、考えたこともなかったから。彼の方は誰なのか知らないけど……」
言いながらそちらを見ると、リモールとジークでアッシュを起こしているところだった。
「遅くなったね。悪かった」
「何やってたんだよ、ジーク」
「こっちに彼のお仲間が来ないよう、細工していたんだよ。下手に大きな力は使えないから地道にやっていたら、急にまずい雰囲気が流れて来て。間一髪だな」
部屋にいた侍女達はともかく、部屋の前の廊下などに魔物達の姿がなかったのは、ジークがこちらへ来ないように催眠術をかけていたからだ。
本当なら一気にかける力もあるが、何せここは敵の本拠地。それをすると、ランシェや敏感な者達にばれてしまう。
まさか本当にアッシュがランシェと対峙するとは思っていなかったので、ジークは地道な作業にいそしんでいたのだ。
「リモール……」
改めて、リモールとラノーラが向かい合う。髪の長さと服を除けば、まるで鏡がそこにあるかのようだ。
「ラノーラ、どういうことなの。あなたは……あたしが知ってるラノーラなの?」
「そうよ」
ラノーラに肯定されるまでもない。
ランシェとの短い会話の中で、彼女の意識がまともだと示すような言葉が出ていたのをリモールは確かに聞いていた。
心配しないで? 自分を操ってる魔物に向かって言う言葉じゃない。
それは、ラノーラの本心。
「うそっ」
それでも、ラノーラの言葉が信じられず、リモールは叫んでいた。
「ラノーラは心を操られてるのよ。だって、どうしてラノーラが魔物を好きになるの。そんなの、ありえない。ありっこないわっ」
「リモールがそう言うと思ったから……私は黙って出て来たの」
ラノーラは静かに答えた。
「私、ルクの森でランシェと出会って、彼に恋をしたの」
結界になっている、ルクの森の道。そこでラノーラはランシェと出会った。
遠い昔、ルクの森の道に結界を張ったのは、ランシェの祖先だと言う。あの森に境界線を引くことで、人間と魔物はお互いのテリトリーを明確にしていた。
時が流れ、魔物達は魔界という新しい世界へ移り、結界は形だけが残る。
もうあの結界を残しておく意味もないだろうと考えたランシェは、解くことを考えた。人間が魔界へ来ることはほとんどないし、魔界の者達も人間のいる場所へ行けば魔法使いに追い返され、あるいは消されてしまうことを知っている。何かあれば、自己責任だ。
余計な力を残しておく必要はない。
そうして向かったあの道でランシェは、たまたま仕立物を配達した帰りに歩いていたラノーラと出会う。すぐに怯えて逃げるだろうと思ったが、少女は彼に近付いて来た。
そして、彼らはごく自然に、恋に落ちる。結界のことなど、後回しだ。とにかく、一緒の時間を少しでも長くすごしたい。
ふたりの間に、魔物だの人間だのといった壁はどこにも存在しなかった。
「何度か会ううちに、ずっとランシェと一緒にいたいって思った。だけど……リモールは絶対に反対すると思ったの」
当然だ。何の免疫もないリモールにとって、魔物はただ人間を害する存在でしかない。実在するかも怪しい存在だ。
そんな相手と大切な妹が一緒になりたいと言われても、祝福なんてできっこない。
相手が人間なら。淋しいと感じても、いつかはそれぞれ家庭を持つだろうから、笑って見送れる。おめでとう、と言ってあげられる。
その相手が、魔物なんて考えたこともない。
なぜ魔物なのだ。よりによって。
たった一人の妹なのに。父親がいないに等しい今、たった一人の家族なのに。
「だけど、私はもう彼と別れるなんてできなかった。ランシェがいなければ、私は死んだも同じになるの」
時々、顔を赤らめて帰って来たラノーラ。上の空で縫い物をしていたラノーラ。
あの時、彼女は恋をしていた。夢でも見てるのかとからかって驚いた顔をしていた彼女は、ランシェの夢を見ていたのだ。
「リモール、私はあなたが大好きよ。だけど、大好きなあなたに大好きなランシェのことを否定されるだろうって思うと、とてもつらかったの」
リモールは恐がりだ。強気な振りをしながら、実は大したことでもないのに怖がったりするのをラノーラは知っている。
そんな彼女が、魔物のランシェを受け入れてくれるとは思えない。
ランシェに熱い想いを抱くと同時に、ラノーラは悩んだ。
このままこっそり森の中で会っていたら、いつかは村の誰かに見られ、知られてしまう。狭い村のこと、その話はリモールの耳にもすぐに入るだろう。
でも、もうランシェと会わずにすごす時間は苦しくて耐えられない。
だから、ラノーラは究極の選択をした。
家族を捨て、ランシェを取ることを選んだのだ。
ランシェのことを、自分が決めたことを話せば、家から出られなくなるだろう。リモールに泣かれたら、決心がにぶってしまう。
そう思ったラノーラは、何でもない顔で家を出る振りをして……全てを捨ててランシェの元へと来たのだ。
「ここは私が住んでいた世界と時間の流れ方が少し違うみたいなの。こちらでは、もうじき五日目になるけど」
「オレ達の世界では一週間を超えているよ」
あの魔物達の話を聞いた時、日数のズレがあるとは思っていたのだ。同じようで、だがやはりここは別世界。
そんなことよりも、ラノーラが人間界のことをすでに過去形で話していることに、リモールは大きなショックを受けていた。
私が住んでいた世界。
ラノーラにとってはもう、昔の話なのだ。こちらの世界へ来た瞬間から。
「そう……。もう少し落ち着いたら、ちゃんと手紙を書くつもりだったの。本当のこと、私はここへ来て幸せだってことを。家を出る前に書くべきだったんでしょうけど」
その頃の人間界では二ヶ月や三ヶ月、いや半年くらい経ってしまっているかも知れない。リモールは心配しすぎで寝込んでいたりするだろうか。
最後に「心配しないで」と言ったところで、事情がわからない彼女にその言葉の奥深くに隠された気持ちまでは知りようがないだろう。
それでも、自分が何かに巻き込まれたのではなく、愛する男性と共にいることを知らせたかった。たとえそのことをリモールに受け入れてもらえなくても。
自分にとっての真実を伝えたかった。
だが、思いがけず、この魔界にまでリモールは来た。恐がりなのに、妹を助けようと。
それは嬉しくもあり、また悲しくもあった。
姉はひたすら妹の窮地を助けようとしてくれていることが痛いくらいにわかるのに、自分はその気持ちを拒否しようとしているのだ。
「だから……さっき、ラノーラはごめんって言ったのね」
助けに来てもらって嬉しいなら喜びの言葉、もしくはこれまでの恐怖に対する言葉が出てもよさそうなのに。
ラノーラの口から出たのは、謝罪だった。迷惑をかけてすまない、という意味ではなく、あなたの気持ちに私は応えられない、という意味で。
「ランシェが私をさらったんじゃない。私がランシェと一緒に行く、と言ったの。だから、彼はさらってないって言ったのよ。あれは嘘じゃないわ」
「私は……てっきり全ての話が終わっていたと思っていた」
ラノーラの傍らに立つランシェが言った。言い訳ではなく、それが彼にとっての真実。
家族に反対されても当然だ、とランシェもわかっていた。文字通り、住む世界が全然違う。
だから、ラノーラがランシェと一緒に行くと言った時は、何度も繰り返し聞いた。
本当にいいのか、と。
彼女が自分の元へ来てくれるのは嬉しい。が、それは同時に深い悲しみを彼女に背負わせてしまうことになる。それがランシェにはつらかった。
愛する者を悲しませたくないのは、魔物も同じ。
しかし、ラノーラはランシェの問いに頷き、もう姉の元へは帰らないと言い切った。
その姉が怒っているにしろ悲しんでいるにしろ、話し合いは物別れに終わったのだろうと推測する。ラノーラの決心を尊重し、ランシェはそれ以上深くは尋ねなかった。
魔界へ行ってしまえば彼女の家族が連れ戻しに来るとは思えないし、そういう意味でも全ての話は片が付いたようなものだと、無理に納得するようにしていたのだ。
魔物と人間が一緒になろうとする以上、何の犠牲もなしに話が進むはずがないのだから、と。
「そうね……話を聞いてたら、きっと大反対してたし、絶対に家から出られないようにしてた。行こうとしたら、泣いて止めてた。今だって……大反対よ……」
話を聞きながら泣いていたリモールは、しゃくり上げながら途切れ途切れに言った。
詳細はともかく、城へ忍び込む前くらいからこんなことじゃないかと薄々気付いていたのだ。わからないフリをしていただけ。ラノーラは操られているのだと、一縷の望みを抱いていたのだ。
ジークから魔物と一緒になる人間がいると聞いた時は、まだ信じられなかった。
だが、ラノーラを見たという魔物達の話やその夜のジークとの会話、最近のラノーラの様子を思い返し「まさか……」という気持ちが次第にふくれていた。
それに、さっき目の前で見せ付けられてわかったのだ。
ランシェは本当にラノーラを大切にしている。深い想いを抱いている。
ようやく現われたラノーラを、ランシェはとても愛おしそうに抱いていた。魔物とか人間とかは関係なく、リモールが同じことをしようとしても、彼のようにラノーラを抱き締めることはできない。ラノーラを包み込む想いが、リモールとランシェでは違うのだ。
ランシェは大切な家族を奪った。でも、もう彼からラノーラを取り戻せない。
リモールとランシェ。ふたりのうち、ラノーラはランシェを選んだから。
「ラノーラ……家に帰ることはないの」
グズグズになった顔で、それでもリモールは聞きたいことを口にした。
返る答えがわかっていても。
「ないわ。私は……もう帰らない」
静かに、しかしきっぱりと言い切るラノーラ。さらってしまわない限り、もうラノーラは自らの意志でこの世界を出ることはないのだ。無理に連れ帰っても、ランシェが迎えに来ればすぐにまたこちらへ戻ってしまうだろう。
普段はリモールよりもずっとおっとりして見えたラノーラだが、自分がこうだということは決して曲げない強さがあった。彼女が言い切った以上、リモールが何をどれだけ言おうとそれがくつがえることはない。
「わかった……」
彼女の性格を知っているリモールには、もうそれしか言えなかった。
「あたし、帰る」
かすれながらも、リモールはその言葉を出し切った。
「もうここへは来ない。どうせ来られないし。だから、これで……お別れ」
リモールがラノーラを抱き締め、彼女も同じことをした。
しばらく二人して泣き、それからどちらからともなく離れる。
「ランシェ!」
涙を袖で強くぬぐうと、リモールは指差しながらランシェの名前を呼んだ。
さっき見た怒りの形相や気配などは微塵もなく、彼はとても静かな表情でラノーラの隣に立っている。
「ラノーラをいじめたら、あたしが絶対に承知しないから。時間の流れ方が違うってことは、あたしの方が先に寿命が来るわよね。もしもラノーラを不幸にしてたら、魔王だろうと何だろうと化けて呪い殺すから」
その言葉に、アッシュが目を丸くする。
「お前、何てこと言うんだよ。相手が誰だかわかってるのか」
魔王にこんなセリフを言うのだから、怖いもの知らずだ。勝ち気と言うにもほどがある。
「だって、あたしの妹のダンナなんだから、あたしにすれば義理の弟でしょ。姉が弟に偉そうに言って何が悪いのよ」
「……」
もう返す言葉もない。確かにそう言えなくもないが、魔界の王を弟だと言い切ってしまえる人間はそうそういないだろう。
これまで見た恐がりのリモールは演技か、そうでなければ夢だったんだとアッシュは思った。
しかし、ランシェはリモールの言葉に怒ることもなく、ゆっくりと頷く。
反対だと言いながら、リモールが認めてくれたことを悟ったからだ。アッシュが絶句してしまった「弟」という言葉の中に。
「我が名に誓って。ラノーラを不幸にはしない。私と共にいることを後悔させはしない」
その言葉とこちらに向けられる金色の瞳に真実を見たリモールは、くるりと回れ右をしてアッシュとジークの方を向いた。
「帰ろ」
「……いいんだな」
いいはずがない。でも、リモールにはもうどうしようもないのだ。
リモールは小さく頷いた。
「本人が帰らないって言ってるのに連れ帰っても、きっとここへ戻って来るわ。あたしと同じだもん、一人で行動しようとしちゃうわよ」
「だろうな。余計な動きはするなって言っても、絶対にするような奴の妹だし」
「何よ。そんなこと言うなら、連れて帰ってあげないわよっ」
「あのなぁ……いつからお前が主導権握ったんだよ」
どうもこういう会話が増えてきたような気がするな……。
そんな気はないのだが、どうでもいいような掛け合いが続いてしまう。
「はいはい、どっちも抑えて。じゃ、戻ろうか」
笑いながらジークが仲裁する。
「もう穴の中を進まなくていいのよね?」
リモールはともかく、アッシュはもう立っているだけで精一杯のはずだ。あの通気口にはもう入りたくない。
「正体を隠す必要はなくなったから、オレもフツーに力を使える。帰りは早いよ」
今までは竜が近くにいることを知られたくなかったから、レベルの低い魔法で対応するしかなかった。
今はこの世界の長の前にいるのだから、ばれるばれないの問題は完全にクリアだ。
「リモール、言い残したことはないのか?」
アッシュに尋ねられ、リモールはもう一度ラノーラの方を見た。
自分とほとんど同じ姿をした少女。でも、見慣れたはずのもう一人の自分は、もうそこにはいない。いるのは、恋をしてずっとずっときれいになった少女。
ラノーラは……あたしじゃない。知ってたはずなのに。
「元気でね」
言い残したことはあるだろうか。自分でもわからない。後になって、あのことも言えばよかった、などと考えたりするのだろうか。
でも、今はどうしても浮かんで来ない。
だから、リモールはそれだけ言った。
「リモールもね」
きっとラノーラも同じ気持ちだ。
「騒がせたね。失礼するよ」
ジークがアッシュとリモールの肩を抱くと、その場から消える。
後にはランシェとラノーラ、そして順に目を覚まし始めた侍女達が残った。
「……本当に、いいのだな」
「いいって言ったでしょ。答えが同じだから、その質問はもうしないでってことも」
ラノーラの肩を抱くランシェの手に、それまでより力がこめられた。





