妹との再会と魔王
突然現れたリモールの姿を見て、ラノーラが目を丸くする。
なるほど、あいつらが間違うはずだな。
ラノーラの姿を正面から見て、アッシュは納得した。
双子だから似ていても当然だろうが、本当に見分けがつかないくらいに似ている。目鼻立ちや体型など、まさにうり二つ。
ラノーラの方がやや髪が長い程度で、彼女がリモールのように肩までの長さしかなければ、アッシュにはどちらがリモールでラノーラかなんてわからない。本当にわずかの違い。
アッシュもこれまでに何組かの双子を見てきたが、ここまで似ていると思ったのは初めてだ。
「リモール……あなた、どうしてここに……ううん、それよりどうやってここまで来たの」
ラノーラの疑問は当然だろう。ここは普通の人間に来られるような場所ではない。
森から魔界へ迷い込むことはあっても、魔王がいる城へ「迷い込む」ことはまずありえないから。
「そんなことは後よ。さ、早く」
事情を話している時間はない。驚くラノーラの腕を掴むと、リモールは部屋の外へと向かう。
「ちょっ……ちょっと待って、リモール」
「待ってられないわ。こうしている間にも、誰が来るかわかんないのよ。早く逃げなきゃ」
「だから……」
ラノーラが何か言おうとした時、アッシュがそれを制止した。
「静かに。誰か来る」
リモールは柱の陰に、ラノーラを引っ張り込んで隠れる。そこは二人がようやく隠れられるだけのスペースしかない。扉やカーテンがある訳ではないので、角度を変えれば丸見えだ。
アッシュは二人が一時的に魔物の目から見えなくなる魔法をかけ、自分はそこから少し離れた場所にある柱の陰へと隠れた。
「ラノーラ、私だ」
扉の向こうで声がする。ラノーラが動こうとするのを、リモールが止めた。
返事がないのをいぶかってか、ノックの音が大きく響く。
「ラノーラ、いないのか?」
問いかけと同時に、扉が開いた音が聞こえる。部屋へ入って来たのは、美しく光る豊かな銀の髪を持った男性だ。ジークよりも背が高く見える。
銀の狼が本性だと、アッシュはジークから聞いていた。だが、今の姿は完全に人間。尾も獣の耳すらも見えない。
リモールは魔王の本性を聞いていなかったが、魔物だとわかっていても、美形なのは認めるしかない。
だが、それはそれ。
あれが……ランシェ? ラノーラをさらった、あたしからラノーラを奪った魔物。
相手が醜ければ目をそらしただろうが、その姿は人間と変わらないので、リモールはランシェを睨み付けた。
何が魔界の王よ。魔王って偉そうに言うくらいなら、何もできない人間の女の子なんてさらうんじゃないってのよ。
本当は声に出して言いたいところだが、それをするといくらアッシュの魔法があっても見付かってしまうので、リモールは必死にこらえていた。
一方、ランシェは妙な気配を感じてはいるようだが、賊になりえる姿が見えないのでそのまま部屋の奥へと入る。金色の瞳が部屋を見回し、そこで倒れるようにして眠る侍女達を見付けた。
「これは……ラノーラ! ラノーラ、どこだっ」
部屋を見回すが、アッシュの魔法でラノーラの姿はランシェの目には映らない。
「ランシェ!」
リモールの隣にいるラノーラが、魔物の名を呼んだ。リモールは血の気が引く。
柱の陰から出ようとするラノーラを、リモールが必死に引き止めた。だが、声までは止められない。それに、ラノーラがまさか魔物の名前を呼ぶなんて思わなかったのだ。
うそ……ラノーラ、どうして……やっぱりあいつに操られてるの? あんな奴の名前を呼ぶなんて。
アッシュの魔法は姿が見えないようにするだけで、声までは効果がない。
もちろん、ランシェにはラノーラの声がちゃんと聞こえた。まだこの部屋のどこかにラノーラがいることがばれてしまったのだ。
風もないのに、腰まであるランシェの髪がふわりと広がる。さっきまで人間らしく見えた顔は、その目が鋭くなったことで狼の形相に変わった。
「誰だ……この部屋に入ることを許されておらぬ者のにおい……お前は誰だっ」
ランシェが手を振り払った……ようにしか、リモールには見えなかった。
「うわっ」
だが、たったそれだけでアッシュは隠れていた陰から見えない力で引きずり出され、部屋の中へ放り出される。
アッシュも自分が見えなくなる魔法をかけていた。だが、時間がなくてにおいまでは消せていなかったのだ。
なので、本質が狼であるランシェは自分の知らないにおいに敏感になり、アッシュの存在に気付いた。
ラノーラを同じように見付けられないのは、ここがラノーラの部屋であり、彼女のにおいで満たされているために判別しにくいのだ。
さらにさっきアッシュがまいた薬がわずかに残っていて、それもランシェの鼻を鈍らせている。
リモールはラノーラにくっついているので、今はごまかされているのだろう。
「っ……」
床に叩き付けられたアッシュは、痛みをこらえて何とか起き上がる。だが、すぐには身体も動いてくれない。
「お前は何者だ。……人間、だな。人間がこの城へ何の用だ」
アッシュと一緒にラノーラが隠れているのでは、と思ったランシェだったが、実際に現れたのは少年一人。
「ちょっとヤボ用があったもので」
「この者達への仕打ちも、お前だな。ラノーラをどこへ隠した」
ランシェが一歩近付く。それに合わせてアッシュも一歩下がったが、コンパスの差と後ろ向きという不利な体勢のために、お互いの距離が縮まった。
「もう一度問う。ラノーラをどこへ隠した」
「……ラノーラを見付けたら、どうするつもりなんだよ」
聞かれたことには答えず、アッシュは逆に問い返した。
「どうもこうもない。ラノーラは我が妻となる娘だ」
ここへ来るまでにわかっていたことだが、ランシェの口から出たので確定した。
ラノーラは本当に魔王の花嫁になるため、魔界へ来ているのだ。
「で、人間界からさらって来たのか」
「さらってなどおらぬ」
「そうなのか? そう思ってるのは、あんただけみたいだけど」
「お前が何を知っていると言うのだ。私はラノーラの意志を確かめたうえで、ここへ連れて来た」
ラノーラの意志を確かめた? この魔物、何を言ってるのよ。
ランシェの言葉に、リモールは驚きと同時に怒りを覚えた。
どういう確かめ方をしたと言うのだろう。今のような人間とはかけ離れた姿で迫り、脅して無理にラノーラの首を縦に振らせたのではないのか。
承諾すれば地獄、拒否すれば死。
そんな二択を迫られたであろうラノーラに、彼女の意思を確かめたと言われたって納得できるはずがなかった。
「さぁ、早く言え。ラノーラはどこだ。今なら苦しまずに済ませてやる」
ちょっと、それって……殺すって意味?
あっさりと死刑宣告をされ、アッシュよりもリモールの方が青ざめた。
「そういう約束してもらっても、こっちとしてはあまり嬉しくないね。余計言う気がなくなる」
「では、言いたくなるようにしてやろう」
ランシェが言うと同時に、突風がアッシュを狙って吹き付けた。防御の壁を出しながら、アッシュは柱の陰に隠れる。広い部屋なので、こういう時には逃げ場があって助かった。
だが、完全にはよけきれない。袖や裾には幾筋も切れ目が入り、前髪の一部がはらはらと落ちる。後ろで髪を束ねていた紐も切れたらしく、背中に広がるのがわかった。
なんて風だよ。俺の出す力がナイフなら、あっちは斧だ。あんなのに当たったら、腕や足なんか簡単に切り落とされちまう。
ランシェの風から逃げたアッシュは、ランシェに向けて炎の矢を飛ばす。さっきの風に勝るとも劣らないスピードだ。
しかし、ランシェはその矢を一睨みで全て床に落としてしまう。逃げる、かわすといった動作はまるでなく、指一本すらも動いていなかった。
スピードは負けていなくても、力の大きさが違いすぎるのだ。床には焦げ跡一つ残らず、どこか冷めた目でランシェはアッシュを見やる。
やっぱり魔王と呼ばれるからには、それなりの力を持ってやがるな。
今の互いの攻撃だけで、どちらも相手の実力は察しがついた。
アッシュが相手の魔力の大きさを見せ付けられたように、ランシェは人間のちっぽけな力に心の中で嘲笑しているだろう。この程度で魔王に逆らう気でいるのか、と。
「お前は……なぜラノーラを隠した」
「隠したかったからだ」
「私を愚弄する気か」
「そんなつもりはない。それが本心だ」
言いながら、アッシュはリモールに向けて念を飛ばした。
(リモール、逃げろ)
いきなり頭の中に響いてきたアッシュの声に、リモールはもう少しで声を上げそうになった。
(俺がかけた魔法はしばらく効果があるから、早く城を出ろ。ラノーラがそばにいるんだから、お前は強くなれるだろ)
そんなことを言われても、リモールは動けない。
(ここまで引っ張り込んだんだ。お前が生きて逃げてくれなきゃ、俺がバカみたいだ。いや、みたいじゃなく、本当のバカだ。まだペーペーの俺が、魔界で魔王なんかと対峙してるんだからな)
そう言われても、ここでアッシュを見捨てては行けない。このままだと、アッシュはランシェに殺されてしまう。
「お前、誰と話している」
アッシュはリモールにだけ念を飛ばしたつもりだったが、ランシェはそれに気付いたらしい。
内容まではわからなくても、誰かと会話をしていることを知ったのだ。近くに仲間がいる、と。
「あんたと話してる」
冗談のような返しをするが、ラノーラを隠されていらだっているランシェにはもちろん通じない。
「……そういう見え透いた嘘は、お前の首を絞めるぞ」
「嘘なんか言ってないぜ。こうしてあんたと話してるだろ」
もうリモールに念は飛ばせない。恐らく、そこからリモールやラノーラの居場所がわかってしまう。
頼む、早く逃げてくれ。
こうなっては、もう願うしかできない。だが、アッシュの視界の端には、まだその場にとどまってこちらを見ているリモールが映っていた。
今なら、音さえたてなければ気付かれずに逃げられるのに。
「ほう。では、こう言えばいいのか? お前は私以外の誰と話している、と。それなら正確な返事ができよう」
「返事はできるけど、したくない」
「余程、苦しみたいと見える」
「そんな趣味はないぜ」
空気がどんどん張り詰めてゆく。まだそんなに魔法を使った訳でもないのに、アッシュの顔に汗が吹き出た。
これが……魔物に対する本当の恐怖ってやつか。半端じゃないぞ、このオーラ。気迫だけで圧倒されちまう。
アッシュは今までにも何度か魔物と対峙することはあった。だが、どんなに強い魔物が相手でも、恐怖という感情がアッシュの中に生まれることはなかった。
あったとしても、それはどちらかと言えば嫌悪感に近いもの。命の危険にさらされるようなものは感じなかった。
強いと思っても、自分が負けると考えたことはなかったし、いつも誰かがそばにいたためでもある。
目の前にいる相手は、これまでとは桁違いだ。立っているだけで押されてしまう。気を抜いたら、すぐに倒れてしまいかねない。
さっきの魔法も、ランシェは軽く手を振った程度でしかないのに、とんでもない力だった。手加減どころじゃない。
人間が小さな羽虫に息を吹きかけるような、彼にとってはその程度の力でしかないのだ。
アッシュはそれから逃げるだけでも精一杯だったのに。
「言えっ」
ランシェの金色の瞳が光った。