潜入
「アッシュ、この道……ちゃんとお城へ通じてるよね」
城までの抜け道を歩くリモールの手は、もちろんアッシュの腕をしっかり掴んでいる。
「だといいな」
「いいなって……」
アッシュの言葉に、リモールは少なからずショックを受ける。当たり前だ、とか何とかいう返事があると思っていたのに。
「あいつらが嘘をついていたなら、それを見抜けなかった俺の未熟さだ。道が城へ通じてなければ、その時に何とかする」
「何とかって……」
きっぱりと言い切られ、最初はあっけにとられたものの、リモールは不安が少し消えた気がした。
ここでアッシュがあいまいな言い方をすれば、リモールの足は止まってしまったかも知れない。彼が何とかすると言うのなら、とにかく進もうという気持ちになれる。
襲って来た魔物達を戦闘不能にした時も思ったが、すごいんだなと感心する。魔法使いという肩書きがあるアッシュは、やはりただの少年じゃない。口は多少悪いが、頼りにできる存在だ。
アッシュなら……きっとラノーラを取り戻してくれる。
リモールはそんな思いを強くした。
そうこうするうち、天井が低くなって歩きにくくなってくる。
「まさか道が埋まっちゃったんじゃないわよね」
「いや、このまま行けば倉庫の壁にあいてる穴が見えてくるはずだ」
二人並んで歩けなくなって来たので、アッシュが先に進む。頭を低くしたくらいではもう無理になり、四つん這いになってさらに先を行く。
「行き止まりだ」
「え?」
アッシュが止まってそう言い、後をついていたリモールはかろうじてアッシュにぶつからずにすんだ。
「行き止まりって……やっぱり道が埋まってるの?」
「違う。土や岩じゃないものが……たぶん、倉庫に置かれてる物が穴をふさいでるんだ」
アッシュは目の前の壁をそっと押してみた。案外、簡単に壁は動く。軽い物でフタをされているようなものだ。
誰の気配もないことを確認して、アッシュはその壁になっている物をさらに押した。身体が完全に出られるだけの広さになると、アッシュは外へ、つまり目的地である地下倉庫の中へと出た。
「誰もいない。リモールも出ていいぞ」
言われて、リモールはそっと顔を出した。アッシュが持っていた松明だけしか明かりがないので、今までいた地下道と暗さはそんなに変わらない。だが、広い場所へ出て来られたので気分はずっと楽になる。
「何の倉庫?」
「さぁな。ざっと見たところ、ほとんど樽ばかりだから、酒蔵じゃないか。これがちょうど穴を隠すフタになっていたらしい。それより、こっちだ」
自分達が今出て来た穴は、空の樽で再び隠しておく。
それから、アッシュは出て来た所の向かい側の壁へと向かった。樽が二つずつ積まれているその少し上に、通気口らしい穴がある。一人がどうにか入れそうな大きさだ。
「また穴の中へ入るのぉ」
せっかく広い所へ出られたと思ったのに。気が滅入って、つい文句が出る。
「仕方ないだろ。廊下を堂々と歩いていたら、すぐに見付かる」
それはそうだ。今の自分達は忍び込んでいるのだから、誰もが通る場所を歩くことはできない。
樽が二つも縦に積まれていると、その上に乗るのは難しい。まず、一つの樽に乗った。そこから二段目の樽に乗り、後は樽づたいにその通気口へ近付く。中身が入った樽は重くて安定感があるので、上に乗っても揺れない。
誰かが酒を取りに来ないうちに、アッシュとリモールはさっさと通気口の中へと潜り込んだ。
「アッシュ、ルートは覚えてるの?」
「だいたいな。しばらくはこの姿勢だから、つらかったら言えよ」
通気口は歩くために造られているのではないので、当然狭い。またしばらく這った状態での移動が続いた。
リモールよりも身体が大きかったあの魔物達がここを通れたのは、きっと獣の姿になっていたからだ。人間は大きさを変えられないから、とにかく這うしかない。
時々、通気口の通路の途中で格子状になっている部分があった。そこから廊下や部屋の中が見える。様子を窺うと、魔物達がいるのが見えた。こちらに気付かれた様子はない。
獣顔の魔物がほとんどだ。リモールが眠っている間、アッシュがジークから聞いた話によれば、ランシェは自分と同じ種族かそれに近しい種族を配下に置いているらしい。狼や山犬などだ。中には別の種族もいるようだが、ほんの一握り。
アッシュにとっては魔物に違いないので、誰であろうと相手にしないで済む方が助かる。
「さっき、えらく大量の布地が運び込まれてたけど、何に使うんだ?」
何度目かで廊下が見える所を通った時、近くを通った魔物が隣を歩く仲間に尋ねているのが聞こえてきた。
「ああ、あれだろ? ラノーラの衣装を作るって」
その会話の内容に、二人がはっとする。思いがけず、ラノーラの情報が得られそうだ。
「衣装? ふぅん。けどさ、布地を運んでる奴しか見なかったぜ。採寸とかする奴は後で来るのか?」
「自分で作るんじゃないのか。人間界にいた時は、自分が仕立屋してたんだから」
「へぇ、そうなのか。便利なもんだな」
まだ何か話しているようだが、その場から離れてしまったので会話の中身はもう聞き取れない。
「行くぞ」
じっとしていられないので、アッシュは再び進もうとする。
「アッシュ……」
リモールがその場にとどまったまま、アッシュの名を呼んだ。
「衣装って……かな」
肝心な部分の言葉は聞こえなかった。実際、リモールは口にしていない。
だが、アッシュには彼女が何を言いたいか、わかった。
「昨日の奴らの話からすれば、そうなんだろ。だから、それを着させないために、俺達がここまで来たんだ。ほら、行くぞ」
ラノーラが作ろうとしているのは、自分の花嫁衣装。本人はどんな気持ちで作るつもりなのか。
くちびるを噛み締め、リモールは先を行くアッシュの後ろを追った。
☆☆☆
何度か倉庫のような誰もいない部屋へ出ては、別の通気口へと移動する。リモールには一人で元の酒蔵まで戻れる自信はなかった。絶対にここで置いて行かれたくない。
確かアッシュはティンスの王宮よりはややこしくないって言ってた気がするけど……。それじゃ、王宮ってどれだけの迷路になってるのかしら。このルート、本当にあの魔物が教えたの? もう方角が全然わかんないわ……。
二人はまた通気口の外へと出たが、今度はもう別の通気口へは入らない。
ここは召使い達の控えの間らしく、そんなに大きくはないテーブルにイスが数脚あるくらいの、質素な部屋だ。
「ここから三つ隣の部屋にラノーラがいたそうだ。ただ、その部屋へは通気口から出られない。ここを出て廊下を突っ走ることになるけど、どうする」
答えはわかっているが、一応聞いておく。
「行くわよ。それに、アッシュだけだとラノーラが警戒するかも知れないでしょ。人間だってことがすぐにわかったとしても、初対面な訳だし」
アッシュはリモールと同じ顔の少女を捜せばいいが、ラノーラの方はもちろんアッシュを知らない。助けに来た、と言われても、すぐには信じないだろう。
理由はともかく、リモールはこんな所で待つつもりなどない。
「わかった。とりあえず……転ぶなよ」
「大丈夫よ。ここは石畳じゃないもん」
城は岩でできているようだが、内装は普通の城と変わらない。廊下にジュータンが敷かれているのは、人間の城と同じだ。魔物の城らしさが全然ない。もっとおどろおどろしいだろうと思うのは、人間の勝手なイメージ、ということか。
アッシュはそっと扉を開け、廊下に誰もいないことを確認した。耳をすませ、廊下の曲がり角の向こうから来る気配もないとわかると、部屋を出た。
その後にリモールも続き、二人は一気にラノーラがいるであろう部屋へ向かって走り出す。
どうにか無事にその部屋の前まで来ると、アッシュはノブを握った。特に何かの魔法が仕掛けられている様子はない。
ゆっくり回すと、何の抵抗もなく回る。鍵はかかってない。
本当にこの部屋にラノーラがいるとして、逃げられるとは思っていないのだろうか。もしくは、彼女が逃げてもすぐに捕まえられる、という自信があるのか。
逃げる気が起きないように術をかけられている、ということも考えておくべきだろう。
ノブを回し切ると、音がしないように扉を押し開く。部屋の中の声がかすかに聞こえてきた。
「こちらはいかがです? きっとお似合いですし、この色ならランシェ様の銀の髪とも映えますよ」
「そうね。でも、もう少し光沢があった方がすてきじゃない?」
片方は知らない。でも、その声に応えたもう片方の声は、間違いなくラノーラだ。
はやる心を抑え、リモールはアッシュと一緒に部屋の中へ忍び込んだ。
扉を開けても、中はすぐに見えない。一旦壁に突き当たり、それから部屋の中へ入る間取りになっている。扉を開けても中が丸見えにならないような造りなのだ。
そのため、声だけでしかラノーラだと判断できなかったが、おかげで二人は見付からずに部屋へ入れた。
隠れた柱の陰からそっと見ると、獣の耳を持つ女性が数名。そして、人間の少女がいる。さっき魔物達が話していたものであろう布地に囲まれ、あれやこれやと吟味していた。
リモールとそっくりな姿の少女。聞き覚えのある声。
間違いない。リモールの双子の妹、ラノーラだ。
ラノーラ、生きてた……生きていてくれた。よかった……。
ラノーラの生存を知って泣きそうになるリモール。だが、大変なのはこれからだ。
「アッシュ、どうするの」
ラノーラは見付かった。だが、このまま物陰に隠れているだけでは何も変わらない。
召使いであろうあの女性達がいては、アッシュ達が出て行けば騒がれてしまう。そうなると、他の魔物達までここへ来てしまうだろう。
ここが城であることを考えると、衛兵と呼ばれるような魔物が来ると思われる。抜け道を教えてくれた魔物とは、レベルが全然違うのだ。そんな魔物に見付かる訳にはいかない。
アッシュはポケットから小さな巾着を取り出した。その中から白い粉が出て来る。それに向かってアッシュが呪文を唱えると、粉はまるで風が吹いたように部屋の中を舞った。
そして、ラノーラを囲む女性達へ降りかかる。
「何、あれ」
「魔物に有効な眠り薬だ。人間には無害だから」
ラノーラの行方不明に魔物が関わっているらしいと判断した時、必要になるかもと思って持って来ていた物だ。
アッシュとしては、だいたいのことは自分の魔法で何とかするつもりでいたので、ここで実際に使うことになるとは思っていなかった。
だが、少しでも穏便にことを運びたい。使える物は使っておかなければ。
眠り薬は魔物の女性達に対してその効果を現わし、ラノーラ以外は次々に倒れて全員が眠ってしまった。
「え……みんな、どうしたの?」
それぞれ床にうずくまるようにして誰もが眠ってしまい、ラノーラは自分のそばにいる女性から順に肩を揺さぶったりするが、誰も起きてはくれない。中には本性を現わし、狼の姿で丸くなっている者もいた。
「ラノーラ」
もういいだろうと見計らって、リモールがラノーラの前に姿を現わした。
「え……リ、リモール?」





