ラノーラと魔王
魔物を並んで座らせ、その前にアッシュとジークが立つ。
リモールはその後ろだ。アッシュから手も口も出すな、と言われて追いやられてしまった。
本当なら、リモール自身がすぐにでも情報を聞き出したいところ。だが、アッシュに「お前が出ると、進む話も進まなくなるから黙って見ていろ」ときっぱり言われたのだ。その言われ様にカチンとくる。
「当事者だと、どうしても感情的になってしまうだろ。こういうことは第三者がやった方が冷静に話を聞けるし、正しい判断ができるよ。仮に相手が何かごまかそうとしても、見破れることだってあるしね」
リモールはアッシュに反論しようとしたがジークにやんわりと諭され、不承不承ではあったが後ろへ引いたのだ。
「話を聞かせてもらおうか」
アッシュが切り出すと、さっきまでのリモールのように魔物達はビクッとなる。完全に立場が逆転していた。
相手の力量はすでにアッシュもだいたい見極めていたが、あんなに偉そうにしていた割にやはり大した魔力もない。ラノーラを人間だと知っているから、大きな態度に出ていたのだ。
連れであるアッシュについてはその力を読めなかったものの、自分達の方が数も多いからどうとでもなる、などと考えていたらしい。
「お前ら、ラノーラについて何を知っているんだ」
「あ、あの……そこにいるのがラノーラなんじゃ……」
ゴブリンもどきが、リモールの方を見る。てっきり本人だと思っていたのに、リモールがさっき「あの子」という言い方をしていた。自分のことを言うのに「あの子」なんて言わないだろうし、もう何がどうなっているのか、彼らには理解できないでいる。
「違う。ラノーラの姉だ。こいつを見てラノーラと思ったなら、お前らは彼女を見たことがあるんだな。どこで見た」
「えっと……その……」
魔物達は口の中でもごもご言うばかりで、はっきりしゃべろうとしない。
「あんた達、いまさら隠すつもりっ。さっさと言いなさいよ!」
がまんできず、後ろからリモールが怒鳴る。彼女の言葉には同感だったので、アッシュはいさめなかった。
「あの……あの、ランシェが連れてるのを見たんです」
ヘビ顔が震える声で答えた。さっき見せた獲物を萎縮させるような目は、どこへ消えたのだろう。今では首をすくめ、すっかり縮こまっている。
「ランシェって、誰っ」
リモールが後ろから問い詰めるのを聞いて、楽できると思うべきか、黙らせておくべきか、アッシュは判断に迷う。
「この世界で一番力がある奴で……」
「魔王、ということか」
ジークの言葉に、魔物達は何度も細かく首を縦に振る。
「魔王がって、どういうことなの。魔界の王様が、どうしてラノーラを連れて行くのよ」
「……おい」
アッシュがリモールの方に向き直る。
「頼むから、黙っててくれ。俺が質問するから」
このままだと、勢いにまかせて何を言い出すかわからない。やっぱり黙らせておいた方がよさそうだ。
「……わかった」
そのセリフを聞いて、何度裏切られただろう。今まで何も起きなかったのが不思議だ。
「魔王自らが、人間の娘を連れて歩いていたのか?」
改めて魔物達の方を向き、アッシュが質問する。
「そうです。娘の名前は後から別の奴に聞いて……」
魔王が連れている人間の少女の名前を、こんな力の弱い魔物がよく知り得たものだ。ずいぶんと情報通の連れがいたものだと感心する。
「その時の彼女の様子は?」
「様子って……?」
おどおどしながら、魔物達が聞き返した。
「自分の足で歩いていたのか、意識を失って運ばれていたのか。自分で歩いていたなら、それは自分の意志でか、操られた状態だったのか」
「えっと……わしらが見た感じでは、ランシェの隣を寄り添うようにして歩いてました」
「寄り添う、ですって。何よ、それっ。恋人どうしじゃあるまいし。そういうのは、従えるって言うのよ」
黙ってろと言われても、魔物の話す内容はリモールにとって黙っていられるものじゃない。
「そのランシェは、何のためにこちらの世界へわざわざ彼女を連れて来たんだ? メイドにするため、ではないだろう? それなら自分の世界の者にさせた方が、何かと都合がいいだろうしね。お前達、その辺りのことは何か聞いてる?」
ジークの問いかけに、魔物達はビクビクしてすぐには話そうとしない。その様子からして知っていそうだが、彼らの目はリモールの方に向けられている。
どうやら彼女の怒りが怖くて話せないでいるようだ。魔力の有無がどうこうではなく、リモールの勢いに太刀打ちできないのだろう。
「お前達に危害を加えさせないから」
加えない、ではなく、加えさせない。
アッシュは魔物達の気持ちを読み取り、リモールは押さえておいてやるから話せ、と言っているのだ。こう言わなければならない辺り、本当に情けない魔物達である。
「あの……自分の妻に……」
ゴブリンもどきが、消え入りそうな声で言った。前にいたアッシュとジークには聞こえたが、後ろにやられたリモールにははっきり聞こえない。
「何ですって?」
リモールが聞き返し、魔物達は「ひっ」と小さな悲鳴を上げて互いの身体を抱き合って震える。これではどちらが魔物かわからない。
「ラノーラを自分の妻にするつもりだそうだ」
魔物達では言えそうにないので、代わってアッシュが答えた。
「何ですってぇっ」
「ひぃっ」
魔物達が大きな悲鳴を上げた。情けないにも程があるな、とは思ったが、これなら余計な脅しをかけなくても知っていることは洗いざらい聞かせてもらえそうだ。
三、四日ほど前、この世界の魔王ランシェが人間の娘を連れて戻って来た。少女には魔界へ連れて来られたという恐怖や悲しみの様子などはまるでなく、むしろ嬉しそうに彼の隣を歩いていたという。
ラノーラの姿はランシェがいる城に仕える魔物が見るくらいで、街にいる魔物達は彼女の姿形を知らない。だが、ランシェが人間の娘を連れて来たことは噂になっている。まだ噂の段階なので、真実だガセだと意見が分かれているようだ。
アッシュ達に絡んできた魔物達は、本当ならラノーラの顔を見られる身分ではない。実はこの魔物達は城で盗みをしようと忍び込み、その時に遠目でラノーラを見たのだ。
直接対面した訳ではないので、髪の長さの違いなどは気付かない。だから、リモールをラノーラだと思い込んだのだ。
その時の彼女を見ている限り、ラノーラはランシェの城にいても楽しそうだったと言う。つくりものではない、笑顔を浮かべていたらしい。
魔物達がリモールを見て絡んで来たのは、その時は楽しそうに見えたがやはり人間界が恋しくなり、城の魔物を説き伏せて自分の味方につけ、城を抜け出して来たのだろうと思ったからだ。
ラノーラの本心がどうであれ、わざわざ人間界から連れて来るくらいだから、少なくともランシェはラノーラを気に入っているはず。そのお気に入りが逃げ出しているのだ、自分達が捕まえて城へ連れて行けば、礼金がふんだくれると単純に考えたのである。
ジークの、つまりアッシュ達がまとっている竜の気配については魔物達も気付いたが、ランシェの城に竜はいない。きっと何かの方法でごまかしているに違いないとふんだのだ。
ごまかしている、という点については当たっていたが、最悪の誤算はラノーラではなかった、ということか。
「どうしてよ。どうして魔物がラノーラを妻にしようなんて思うの」
「そう珍しいことじゃないよ」
リモールは驚いて、そう言ったジークを見る。
「よくあること……なの?」
「魔物が人間を見初めて、人間の言葉で言うところの結婚をすることはよくあるよ。当事者にすれば、相手が人間だろうとなかろうと、あんまり関係はないみたいだね。民族の違い程度にしか思っていないんじゃないかな。周囲はそんなふうに思ってくれないことの方が多いけれどね。人間の姿になって相手の住む場所に居着くこともあるし、今回のように相手を魔界へ連れて来ることもある。……オレ達がたまたまそういった事例をよく知っているってだけで、リモールみたいに知らない人間の方がほとんど。でも、現実にはあちこちでこういうことが起きているんだ」
リモールはよその国の言葉を聞いてる気分になってくる。ジークの話す内容は、リモールの予想をはるかに超えてしまっていた。
「こういうこともありえるって、アッシュはわかってたの?」
「ああ」
「それじゃ、どうしてさっき言ってくれなかったのよ」
「あくまでも可能性でしかないって言っても、リモールにすればそういう話は受け入れにくいだろ。喰われるって言えば、まだ納得できると思ったんだ。それに、ああだこうだといやな可能性をいくつも並べたって仕方ないだろ」
「……」
森の外でジークを待ってる時、ラノーラが魔界へ連れて来られた理由で考えられることを聞いた。
アッシュから出たのは、どれもいやな話ばかり。不安がつのるような話ばかり聞いていたくないのは確かだが、わかっていたのなら前もって言ってほしかった気もする。いつ聞いてもショックなのは変わりないかも知れないが、そういうこともあるとわかっていればこちらの心構えも違ってくるというものだ。
「で、ラノーラは今、どこにいるんだ?」
「逃げてないなら、北の城に……」
アッシュに問われ、魔物達はぼそぼそと答えた。目の前にいるのがラノーラでないなら、本人はまだランシェの城に残っているはずだ。
「……だそうだ」
アッシュが魔物からリモールに視線を移す。
「だそうだって、何よ」
言われたリモールの方は、首を傾げる。
「ラノーラは魔王の城にいる。行方不明者の居場所はわかったぞって言ってるんだ」
「ちょ……ちょっと待ってよ。これでアッシュの仕事はおしまいって言いたいの?」
「依頼はラノーラを捜すことだったろ」
「この状態で見付かったことになる訳? 本人の顔を見るどころか、髪一本だって手元にないじゃない。こんなの、まだ途中だわ」
確かに、リモールの依頼は「ラノーラを捜して」ということだった。だから、予測はしていなかったが、こんな魔界まで来たのだ。でも、こんなところで終わるなんて、絶対におかしい。
魔王に喰われました、ならリモールだって悲しくてもあきらめがつく。喰ったのが誰であれ、やはりラノーラは亡くなっていたのだ、と。
だが、ラノーラはちゃんと生きていて、今は魔王の城にいるのだ。
それなのに、会うこともできない。これで任務遂行しました、なんて言われたくはなかった。
「……お前がこの依頼をした時、不幸な結果が出ても文句は言うなって言っただろ」
「それは聞いた。だけど、これは不幸な結果じゃない。ラノーラは生きてるのよ。それなのに、あたしの前にはいないじゃない。これが見付かったって言う状況なんて、変だと思わないの?」
文句を言うな、と言われたのはリモールだってちゃんと覚えている。だが、その時にアッシュが話していたのは、死んだのにそれを認めない人がいた、というものだ。あの話と今とでは、状況が違う。
「ラノーラは生きてるのにっ」
「死んだも同然だ」
「違うわよっ」
リモールはアッシュの胸ぐらを掴んだ。と言っても、相手がかなり高いので、すがりついているようにしか見えない。それでも、必死に魔法使いと目線を合わせようとする。
「だって、この魔物達が言ったじゃない。ラノーラは生きてるって。居場所もわかってるのに、ここで帰れる訳ないじゃないっ」
涙をためながら、リモールはアッシュに食ってかかる。
だが、アッシュも黙ってはいない。自分の胸ぐらを掴んだ少女の手を掴み返した。
「お前は魔界どころか、魔法使いのこともあまり知らないらしいから言ってやる。魔法使いの力を買いかぶるな。人間の力なんて、たかが知れてるんだ。さっき歩いてる時に通り過ぎてった魔物達は、みんな強い力を持ってる。そんな奴らを束ねてる奴を、魔王って言うんだ。魔界のてっぺんにいる奴のそばにいる人間になんか、会える訳がないだろ」
「……」
くちびるを噛み締めながら、リモールはアッシュを睨む。
「黄泉か魔界か。場所が違うだけで、どちらも俺達には手の出せない世界なんだ。ラノーラはもう、人の手の届かない場所にいる」
「だからって! だからって……このまま帰るの? ラノーラは楽しそうだったって聞いたけど、それって操られてるかも知れない。好きでもないのにラノーラの心は無視されて、好きだって思わされてるかも知れない。自分の大切な妹が何をされるかわからないって時に、あたしは何もしてあげられないのっ?」
「……」
少し緑がかった青の瞳に見詰められ、アッシュは目をそらした。涙をこぼしながら訴えられても、アッシュにだってどうしようもない。
「……アッシュ、忍び込むくらいならできるんじゃないか?」
二人の目がジークに向けられる。
「このレベルが低い魔物達にも入れたんだ。魔王の城にだって、抜け道になるような所はあるはずだと思うけれど」
リモールの目に、希望の光が灯る。逆に、アッシュの表情が渋くなった。
「ジーク、たきつけるな」
「オレはできそうなことを言ってるだけ」
人型をとった赤い瞳の竜は、さらっと言い返す。
「相手は魔界の王だぞ。わずかなミス一つで命取りだ」
「ここで尻込みするのも、どうかなぁ」
「挑発しようったって、そうはいくか。相手が悪すぎる」
「……わかったわ」
静かに言って、リモールは掴んでいたアッシュの服を離した。アッシュも掴んでいたリモールの手を離す。
リモールは涙のあとを手でこすると、鼻づまりの声で言い切った。
「あたし一人で助けに行く」