第9話 沈みゆく水瓶
近衛隊副隊長、神足 蓮が、珍しく砂漠に持ち出したロッキングチェアで眠りこけている。
「副隊長、よっぽど疲れたのね」
「毎日、誰よりも作業して、誰よりも演習して、さすがの体力馬鹿もエネルギー切れか」
失礼なことを言う隊員に、他の者が笑いつつもたしなめようとした時、蓮が叫ぶ。
「む……、むぐう、誰がヘナチョコだってえ! ……ぐう」
ずいぶんはっきりした寝言に、隊員たちは目を丸くしたあと大笑いだ。
「あはは、ちょっと、聞こえてるわよ」
「まあ、目が覚めたら覚えてないさ。さ、俺たちは作業に戻ろう」
「そうね、副隊長はもう少しお休み下さい」
彼らが離れたあと、「……む、む、ありがと~」と、また蓮が寝言で答えていた。
あれから第1班と第2班が交代して順調に作業が進む世界の果てでは、第6拠点の解体はほぼ終わっていた。
残っているのは簡易の宿泊所だけだ。
第2班はそこを拠点として、あとしばらく演習をしてからクイーンシティへ帰る予定だ。
丁央と月羽、ロボット研究所の面々、琥珀とララも、近衛隊とともに帰ることになっている。
「それでは、俺たちはこいつをクイーンシティに運びます」
解体した移動装置を乗せた天文台型移動部屋から、チーム斎のメンバーが音声を送ってくる。
「ああ、本当にご苦労だったな。作れと言ったり解体しろと言ったり。その、俺がもう少し下調べしたりしていたり水瓶の護りとよく話し合ったりしていたら、こんな手間をかけさせなかったのにな。すまなかった」
ディスプレイに向かって頭を下げる丁央。
「クイーンシティに帰ったら、他の奴らにも謝るよ」
珍しく真面目に言う丁央に、ディスプレイから声がかかる。
「そんなしおらしいのは、国王らしくない」
「そうですよ。俺たちにとってはどれも貴重な経験ですから。実際、国王だって解体作業ノリノリだったじゃないですか」
すると、丁央は唇をとがらせて言う。
「俺らしくないいって、ノリノリって……」
「まあ、国王はまだ若いんだから、失敗をどしどし経験しながら国王らしくなっていけば良いんじゃないか?」
「う……」
まだ少し不服そうな丁央の後ろから、蓮がガバッと抱きついて言う。
「そうですよお、国王が元気ないとクイーンシティも元気なくなっちゃうんですからあ」
「うわあ蓮、離せ!」
驚いて叫ぶ丁央に、蓮がニィっと笑ってディスプレイに手を振る。
「はい! この通り国王も元気を取り戻しましたので、チーム斎の皆さんは心おきなくクイーンシティにお戻り下さい」
「了解」
笑い声の答えが聞こえたかと思うと、天文台型移動部屋はグニャグニャとゆがんで消えていった。
ため息をついてそれを見送った丁央が、蓮の腕を引き剥がしながら言う。
「ふう、まったく……、こら、蓮! ふざけてたら演習内容を目茶苦茶きついのにしてもらうからな!」
「ふふーん、望むところですね。けど、国王も一緒にだよお」
「ええ?! そんなことは言ってない! まて!」
楽しそうに笑いながら、果てから落ち込んでいく蓮を追って、丁央も世界の果てへと足を踏み出してしまった。
「あれれ、副隊長と国王、俺たちをほっぽって行っちゃった」
「本当に世話の焼ける奴らだ。では、第5から第8まで、揃っているか?」
「イエス、サー!」
「よし、それでは最後の演習だ、気合いを入れて行くぞ」
「はい!」
第5部隊長の声を合図に、近衛隊もまた世界の果てから落ち込んでいった。
いつになく気合いの入った演習を横目に見ながら、泰斗は最後の一体をプログラムし終える。
「これで良し、と。ちょっと起き上がってバランスが悪くないか確かめてみてくれる?」
ロボットは設置された寝台から起き上がって地面に降りると、立ってぐるりと回りを見渡す。そのあと、大丈夫と言うようにカクンと頷いた。
「良かった。今度来るときは、自己修復のプログラムを持ってくるからね」
またひとつ頷いたロボットは、そのまま演習に参加するようだ。
演習の行われているあたりへ視線を向けると、飛ぶようなスピードで走り去って行った。
「お疲れさん」
ジュリーがドリンクボトルを手に持ってやってくる。
「あ、先輩。はい、ありがとうございます」
手渡されたそれを美味しそうに一口飲んだ泰斗が、さっきのロボットを目で追いながら言う。
「うん、動きが軽くなってるな。無駄なエネルギーを使わなくてすんでる、良かった。……けど」
「どうしたんですか?」
ジュリーの後ろから来たナオが言う。
「叶うのなら、あの子たち全員を護衛ロボに戻してあげたい」
「先輩……」
そんな泰斗の肩をボンと叩いて、ジュリーが言った。
「いつか必ずそんな世界になるさ。俺たちはあきらめずに平和であれと願っていこうぜ」
泰斗はジュリーを目をみはりながら見たあと、満面の笑顔になって言った。
「はい! ジュリー先輩かっこいいです!」
そしてなんと、泰斗はガバッとジュリーを抱きしめる。
いつもと反対の立場に立ったジュリーは、「およ? おわ!」と意味不明の言葉を言いながら驚いている。
「わあ、泰斗からのハグだあ~。けどちょーっと苦しいかも~」
「いつも私たちはこれの10倍苦しいんです! 少しは私たちの苦労も知りなさい」
ナオが容赦なく言うと、ジュリーは「ええ~?」と抗議の声を上げたあと、
「わかったよお、次回からは、少しは遠慮するよ」
「本当ですね!」
「う~ん、……たぶん」
この調子だと、きっと次回からも同じかな、とナオは思ったが、そこは許してやることにした。
そうこうするうち、第2班最後の演習もつつがなく終了したようだ。
蓮が水瓶の護りに丁寧に礼を言い、そのあとロボットたちに敬礼をする。
そして近衛隊第2班は、先に世界の果てへと落ち込んで行った。
それを見送ったロボット研究所チームが、水瓶の護りの元へ行く。
「それじゃあ俺たちも帰ります。色々ありがとうございました」
代表してジュリーが礼を述べると、水瓶の護りはかすかに微笑んで言う。
「こちらこそ、ロボットたちがかなり動きやすくなったようだ。ありがとう」
「また様子を見に来ますね」
泰斗が言うと、水瓶の護りの代わりに、また1台ロボットがやってきて彼と手を繋ぐ。
「私も、来ていい?」
ナオが遠慮がちに聞くと、そのロボットは、もちろんと言うようにナオの手を取ってユラユラと揺り動かす。
「わあ、ありがとう」
ナオはとても嬉しそうだ。
「さーて、なごりはつきないけど、そろそろ行くか」
ジュリーが伸びをしながらあとの2人に声をかけた。
そのあとに、琥珀がララとともにやってくる。
「結構自由にあちこち歩き回らせてもらえたこと、ありがとうございました」
「おかげで一角獣の観察が大いにはかどったそうよ」
ララが言うと、水瓶の護りがそばへ来た一角獣を優しくなでながら言う。
「礼ならこいつらに言ってやってくれ」
「ああ、本当に。ありがとう、ここでのデータはきっと役立てるから」
琥珀も一角獣をなでながら言うと、一角獣はわかったというように何度も首を縦に振るのだった。
彼らが世界の果てへ落ち込むのを見届けると、最後に残っていた丁央と月羽が水瓶の護りの前へ進み出る。
「それでは、俺たちはいったんここを引き上げます。習慣の違いから知らずに無礼を働いていたかもしれません、それは謝ります。そして、数々の心配りには本当に感謝致します」
そう言うと国王と王妃は、膝を降りながら深々と頭を下げる。
水瓶の護りは少し驚いたように2人を見ていたが、気を取り直して言葉をかける。
「そんなに堅苦しくしなくてもいい。習慣の違いからおこる無礼は私も同じ事。それに」
と、爽やかに風が吹き抜ける草原を見渡して言う。
「ロボットたちも、一角獣も、とても嬉しそうだったから。礼を言うのはこちらの方だ」
そんな言い方をしてくれる水瓶の護りに、丁央はいつもの丁央に戻る。
「いやあ、そんなに褒めてもらうと、照れちゃいますねえ」
「ロボットや一角獣が嬉しそうだったのは、泰斗と琥珀のおかげよ。貴方じゃないでしょ」
調子に乗る丁央をたしなめる月羽もいつもと同じだ。
水瓶の護りはそんな夫妻を微笑ましく見ていたのだが。
ゴ、ゴゴゴゴ!
いきなり、水瓶の国の地面が揺らぐ。
「なんだ?」
驚く丁央と月羽。
「?」
水瓶の護りが何かを察してぐるりと頭を巡らせたあと、彼方を見やる。
「これは……」
なんと、彼が目を向けたかなたから砂色が、いや、その色そのまま、大量の砂がこちらへ押し寄せてきているのが見えた。
「砂? それもあんなにたくさん!」
「あの勢いじゃ、当然ここも埋もれてしまう。水瓶の護り、ここは危険です。一緒に向こう側へ!」
「私たちは行けないのだ、知っているだろう」
「そんなこと言わずに!」
叫ぶ丁央の腕を引く月羽。彼女は無言で首を横に振る。
「それよりも、ここがこうなったと言うことは、向こう側にもきっと何か起こっているはず。お前は戻って国王としての役割を果たせ」
しばらく悔しそうに唇をかみしめていた丁央だが、次に顔を上げたときには、もう迷いはなかった。
「進言、肝に銘じます。で………」
「?」
言葉を切った丁央を不思議そうに見やる水瓶の護りに、彼はニヤリと笑って見せた。
「これくらいの事で消えてなくなるような、柔な国じゃあ、ないですよね? ここ」
すると、水瓶の護りはしばし無言でいたが、仕方がないなと言うように大きく頷いた。
「ああ、そうだな」
丁央はその答えを聞いて満足すると、月羽を伴って世界の果てへと落ち込んでいった。
その頃。
世界の果てへ戻った近衛隊は、信じられないものを見ていた。
「副隊長!」
焦ったように言う隊員に、蓮が不思議そうに聞く。
「んー? どうしたの?」
隊員が指さす先、そこは延々と続く砂漠。
「ああ~今日も砂漠は見渡す限りだねえ、遮る物もなく……って、ええ?! 砂嵐は?!」
そう、蓮が驚くのも無理はない。
砂嵐が消えていたのだ。
あれほど彼らの行く手を阻んでいたものが、どこを見ても綺麗さっぱりなくなっていた。
「なんでえ?! って言ってる場合じゃない。通信班! クイーンシティ、ダイヤ国に通信を入れろ。国王は? まだあっち? じゃあ至急呼び戻せ」
蓮はテキパキと指図をしていく。そこは伊達に副隊長をしているわけではない。
次に世界の果てへ戻って来たロボット研究所のメンバーと琥珀も、遮るもののない砂漠に目を丸くしている。ただララだけは硬い表情で、砂漠ではなく落ち込む世界の果ての方に視線を走らせていた。
「琥珀」
「ん? どうしたララ」
「望遠鏡はどこ? まだここにある?」
琥珀はララのただならぬ雰囲気に、すぐに返事を返す。
「ああ、あそこに」
と、ララを伴って望遠鏡の所へ行く。
「果ての果てを見てみて、今すぐ」
「ああ、わかった」
琥珀はララを全面的に信用しているので、こういうとき何故と聞くことはしない。そのあたりは遼太朗とステラの2人と同じである。
彼らの行動に何かを感じた蓮たちもやってくる。
「どしたの?」
「ララが果てを見てみろと。……、あ!」
望遠鏡を落ち込む先に合わせたあと、覗いた琥珀が思わず声を上げる。
「え? なに」
続いて覗いた蓮が「ええ?!」とこれも声を上げたあと、ゆっくり目を離しながら言った。
「果てが、砂で埋まっていく……」
彼らが見たものは、落ち込んでいる下の方から砂がどんどん湧き上がり、そこが地続きの砂漠になっていく様子だった。
それもかなりのスピードでこちらに向かってくる。まさに怒濤の勢いだ。
「ララ、これは」
「元々ここは地続きだった。……それが元に戻っているだけ」
琥珀が聞くと、ララは少し息を荒くしている。
「今はそれ以上は。……ラバラさまか、ステラがいれば良いのだけれど」
「そうか。けど、水瓶の国は? かれらはどうなるんだろう」
「難なく過ぎる、はず……」
うつむいてよろめくララを抱きしめる琥珀。慣れない土地でトランスを使いすぎたのだろう。
ただ、2人の会話を聞いていた泰斗が、「何とかしなきゃ」とつぶやくと、誰かが止める間もなく、世界の果てから向こうに落ち込んでしまう。
「先輩!」
あとを追おうとしたナオは、すんでの所でジュリーに抱き留められた。
「駄目だよ、ナオ!」
「でも、先輩が」
そんなやり取りをしている2人の横から、ぐるんと現れたのは丁央と月羽だった。
「皆! 大変だ! え? ジュリーとナオ、どうしたんですか」
「国王! 先輩が、先輩が!」
「泰斗があっちへ行っちゃったんだよお」
「何だって?! まったくこのくそ忙しいときに」
と、丁央がまた足を踏み出そうとすると、その腕をぐいと引っ張る者がいた。
「だーめですよ。国王はここで皆に指示を出さなきゃです」
蓮だ。さすがにこの場面で国王をあちらに行かせるわけには行かない。
「だったら僕が行くよ。一角獣も心配だし」
そう言ったのはもちろん琥珀だ。けれどそれも却下される。
「行ってはだめ……。泰斗は大丈夫」
琥珀の腕をとるのはララだった。
「……わかった。けど丁央。向こうで何があったの?」
琥珀に聞かれて、はっと気が付き、水瓶の国の状況を説明する丁央。
そんな短いやりとりの間に、近衛隊には月羽が説明を終えて、クイーンシティとダイヤ国にも通信を入れていた。
「とにかく今は刻一刻と変わる状況を見逃さないようにするだけだ。皆、気を抜くな」
丁央が言い終わる前に、彼らの後方で空間がグニャグニャとゆがみ始める。
クイーンシティで荷下ろしを終えた天文台型移動部屋が戻ってきたようだ。
丁央と入れ替わるように現れた泰斗に、水瓶の護りは珍しく大きな声で彼をいさめる。
「お前、何しに来た。早く戻れ」
泰斗はぐるんと回った世界で、美しい草原を飲み込みながら押し寄せる砂を見て、こちらも焦りつつ大声で言う。
「そんなこと言ってる場合ですか! 早く逃げて!」
サァーーー
そんな泰斗の周りを取り囲むように彼を守るように、いつの間にかたくさんのロボットたちが来ている。
「君たち、早く向こう側へ行かなくちゃ。ここにいると砂に飲み込まれてしまう」
「言っただろう。私たちは向こう側へは行けないのだ」
「そんなの、試してみなくちゃわからないじゃないですか! もしかしたら、もしかしたら!」
泰斗らしくない物言いに、水瓶の護りは少し口元を引き上げる。
「試した。何度も。せめて一角獣だけでもと願い。けれど押し返されてしまう」
「……そんな」
絶句する泰斗に、水瓶の護りが「わかったら戻れ」と頷いて言う。
「いやだ、嫌だ。水瓶が埋もれてしまったらどのみち水もつきてしまうんでしょ。だったら最後の最後まで僕もここに残って、できる限りの手を尽くしてみます」
駄々っ子のように言う泰斗を、ただ苦笑のような顔で見るしかない水瓶の護り。
そんなことをしているうちにも、砂はどんどん押し寄せて来る。
「水瓶が埋もれても、水が涸れることはない」
「嘘です」
「嘘ではないのだ。どうすれば信じてくれる」
ただ純粋に皆を救いたいと願う泰斗に、これは丁央よりも手強いなと水瓶の護りが思ったそのとき。
どおん、……どおん
聞き覚えのある足音がやってきた。水瓶の最後の護りの一体だ。
彼は、乗れと言うように手を差し出してくるが、意図を察した泰斗はプイと横を向いたままだ。
♪♪♪
悲しそうな音を出した彼は、仕方がないと言うように、
ぐぐ……
なんと、泰斗の身体を、優しくではあるが手のひらで巻き込むようにつかむ。
「え? 何するの? え? 駄目だよ、僕は戻らないよ」
叫んでもがく泰斗をつかんだ手を、果ての向こうへと押しやる。
すると、ぐるんと回る感じがして。
泰斗は手につかまれたまま、世界の果てにいた。
「「泰斗!」」
複数の声に呼ばれてあたりを見てみると、もうそこはほとんど一面の砂漠。落ち込む果てもほぼ埋もれている。
優しく泰斗をつかんでいた手は、彼を離したかと思うとどんどん砂に沈んでいく。
「だめだよ! 行っちゃ駄目だよ、君だけでも、……こっちへ、……来て」
指の先をつかんで言うが、それはあっという間に砂の底へ消えてなくなる。
残ったのは、泣きながら砂に座り込む泰斗だけだった。