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いつの日か、鬼札を手に  作者: 荒木田久仁緒
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十六夜に吼ゆるは獣


「油揚げ。大きいのを、四枚」

「……あいよ」


  通りの一角にある、一軒の豆腐屋。

  店の親父は、藍と視線を合わさないようにしつつ、注文の品を紙に包みながら、ぼそぼそと声を出す。


「珍しいね……あんたが、こんなに続けて買い物に来るなんて。それも、子連れとは」

「ええ。ちょっとした用事がありまして」


  いつものように少し多めの硬貨を親父に渡し、包みを手に取る。


「釣りは結構。……ところで、ご主人」


  ほんのわずかに、藍の声色が変わったのを、親父は聴き取っていた。


「……なんでぇ?」

「つい昨日、近くの竹林に住んでいた化け物が、退治されたそうですが、ご存知ですか」


  思わず、はっと顔を上げた親父の目を、金色の眼光が射抜いた。


「……っ! そっ……んな、ことが、あった……のかい。知らんかった、な……」


  顔をそむけ、その瞳から無理やり視線を外す。


「そうですか? 小さなことでもいい、何か知っておられるなら、教えて頂きたいのですが」

「だから知らねって言ってん……っ!?」


  吐き捨てるように怒鳴りかけた、その時。

  ふと気づく、違和感。


  静かすぎる。


  時刻はまだ昼下がり。表の通りには多くの人が行き交い、多くの店が木戸を開いて、商売に精を出している。

  だというのに。その喧騒が、聞こえない。


  静かすぎるのは、この店の中も。

  それほど客の多くない時間帯とはいえ、普段ならそう間を置かず、誰かしら豆腐を買い求めに来ているはずなのに。

  この二人が、現れてから。誰一人、新たな客が来ていない。


  まるで、この店と通りとが、戸口のところで切り離されてしまったかのように。


  悪寒と共に、全身に冷たいものが噴き出してくる。


「ご主人」


  半歩、前に身を進め、わずかに顔を近づけて、藍は静かに言葉を続けた。


「私はただ、昨日のことについての情報が欲しいだけです」


  氷のように冷たい声と、熱く湿った獣の息が、親父の耳元に掛かる。


「その情報を、誰が話したのかなど、どうでもよい。あなた自身には、何の興味も無い。あなたがそれに直接かかわっていないのなら……なおの事」


  ごくりと、喉を鳴らす音が響いて。


  数秒の後、親父は口を開いた。


「俺は……何も知らねえよ。ただ……噂話を、小耳に挟んだ、だけだ」

「ええ。それで構いません」


  藍の声は、少しだけ柔らかくなっていた。


「どっかの畑が……荒らされたんだと。その近くにある竹林の、狼がやったらしいって……そう話してたな。それで……」


  その言葉に、なにか声を上げかけた少女の口を、藍の手がぴしゃりとふさぐ。


「それで?」

「それで……誰かが、そいつに効く毒薬を見つけてきた。その薬を使って、畑を耕してた連中みんなで、うまいこと退治した、って話を、今朝がた……。まあ、一緒にいた子供のほうは、取り逃がしちまったみたい……っ!?」


  あることに気づいた親父の目が少女に向けられ、恐怖に引きつった顔が体ごと後ろへ飛びすさる。ばん、と音がして、その背中が蛙のように店の壁に張りついた。


「ほかには?」

「知らねえ! 俺が聞いたのはそんだけだ! 俺は何もやっちゃいねえし、その化け物だって見たこともねえ! 本当だ!!」


  脂汗を流しながら、首を左右に激しく振る親父の顔を、藍はしばらく見つめた後、


「そうですか。ありがとうございました」


  さらりと言って鷹揚に背を向け、かすかな妖気の残り香だけを漂わせて、戸口の向こうへと消えた。


  少女は、藍よりもいくらか長く、震える口をへの字に曲げて親父を睨みつけていたが、やがて身をひるがえし、藍の後を追って駆け去った。




  誰もいなくなった店の中で、汗でぐっしょり濡れた親父の背中が、ずるずると壁から落ちた。

  土間に座りこみ、頭を抱えて、大きく長い息を吐く。


「あのー……」


  不意に掛けられた声に、慌てて顔を上げると、なじみの近所のおかみがそこに立っていた。


「どうかしました? どこか具合でも……」

「あ、ああ、何でも、何でもねえです。大丈夫。ええと、今日はどいつをお求めで?」


  立ち上がり、精一杯の愛想笑いを作って、親父は自分の日常に戻った。




  ◆ ◆ ◆




「……おかしい……絶対、おかしいよ……」


  人里からしばらく歩いた、小道の上。

  後ろから聞こえた声に、先をゆく藍は歩みを止め、振り返った。


「さっきの店で、言おうとしたことか?」


  こくんと少女は頷き、言葉を続ける。


「あんな……あの話、おかしい。母さんも、あたしも、畑なんか荒らしてない……荒らすわけないのに。ニワトリとか、なら別だけど……どっちみち、襲ってないし……」


  うつむいて眉根を寄せ、かぶりを振る。そんな少女の様子を見て、藍は、


「ああ、そうだろうな」


  至極あっさりと、同意した。


「じゃあ、なんで……」

「時計草だ」

「え?」


  トケイソウ。どこかで聞いたような。


「鎮静剤として使われる薬草の一つだが……天上の巡り、特に月に関わる妖怪に対しては、その力を狂わせる毒として作用する。お前たち母子に盛られたのは、恐らくそれだ」


「時計草……毒……」


  少女の脳裏に、ひとつの光景がよみがえってくる。

  ついさっき。竹林での、藍とムジナの会話。



『お前がもといた川べりには確か、時計草が生えていたな』

『……さあ、どうだったかな。それが一体、どうしたってんだ』

『いや、別に』



  ぞくり、と悪寒が走る。


「……まさか……」


  小さな口からこぼれた掠れ声に、そのまさかだ、と藍が答えた。


「畑を荒らしたのは、奴だろう。その上で、人に化けて里の中に入りこみ、お前たちに濡れ衣を着せ、自分の持ちこんだ毒が使われるよう仕向けた……」


  そこまで言った藍の目が、わずかに細まり、そして見る。

  目の前の小さな獣から、熱せられた何かが立ちのぼり、陽炎のように揺らめくのを。


「あっ……

 あ、あいつ……あいつがっ……!

 あの野郎……っっっ!!」


  少女の体と、絞り出される声が、ぶるぶると震えている。

  怒りを中心とした激情の渦が、ざわざわと、足元から頭のてっぺんに向かって這い上がり、全身の毛が波打ち、ふくれあがっていく。


「……まあ、人間を扇動して、他の妖怪を襲わせてはならない……などという定め(ルール)は、なかったからな、確かに」


  そう呟いて、再び前を向き、歩きだそうとした藍の背後で。



「あの竹林は、あたしのものだっっっっっ!!!!」



  柳眉を逆立てた少女が、大声で叫んだ。


「母さんと!あたしが!住んでた!! あたしの居場所だっっっ!!!!」


  喉が割れんばかりの叫びだった。


「……絶対、取り返す……! いつか、必ず……っ!」


  自分の服の裾をぎゅっと握りしめ、涙をぼろぼろこぼしながら。

  けれどその瞳には、ただ泣きつくした昨夜とは違う、強い光が宿っていた。


「……そうか。ならば、せいぜい力をつけることだ、な……」


  感情のなさそうな声で言い、藍は道を歩みだす。

  やや遅れて少女も、泣きながらその後についていく。


  また、ぽつりぽつりと、雨が降り始めていた。


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