魔女の館
「私、魔女に会ってくるね。今までありがとう」
ルークにそう言い残すと、セリムは館の方向へすたすたと歩き始めた。
「え、ちょっと待てよセリム! 危ないぞ!?」
「ルークはアーレイをお願い。気をつけてね」
「ちょっ……」
ルークが止める間もなく、セリムはもう視界から消えてしまっていた。
一人ぽつんと残されたルークは、ただ呆然としながら立ち往生する。
「……って、呆然としてる場合じゃない」
霧は晴れて、目の前に館があるものの、周りは相変わらず"森"の中である。
アーレイが側にいるし、館の前へといきなり瞬間移動したわけではなく、ルーク達のいた場所自体は変化はないようだ。
この森の魔術が解けたので、どうやら魔術による霧が晴れて館が現れたらしい。
「……とりあえず応急処置をしないとな」
セリムを追いかけたいところだが、案内人として怪我人の治療は最優先の役目である。
そして、魔女に挑戦する彼女を止める資格は、自分には……無い。
そう頭で整理して、自分の鞄から救急箱を取り出すと、アーレイの背中に簡単な処置をする。
傷口に消毒をして、薬草をあてながら、その上に包帯を巻いていく。
後は医者に頼まないと治療は無理だ。セリムの魔術で多少の傷は引いたものの、相変わらずアーレイの火傷が酷い。
(――しかし、ドラゴンの炎に当たってこれだけで済んだのは奇跡だな)
これだけで済んだのは、セリムのおかげだろう。おそらく。
(……セリムは、何をしに"森"へ来たんだろう)
初めて宿屋で会った時には、華奢で大人しい少女だと思っていた。
しかし、"森"へ単身やってきた覚悟は相当強く、初めて来た猛者も音を上げるほどきつい霧の"森"にも未だへこたれていない。アーレイと喧嘩になったときには、何か目的があると言っていた。先ほど竜に遭遇して酷く恐怖感も負っただろうに。しかし、それにも負けずに館へと向かって行く。そして、実は魔術が使えることも分かった。
ルークがそう考えている間、てきぱきとしたアーレイへの応急処置は完了した。
状態を見て、思わず顔をしかめる。
「……なるべく、早く治療に行かないと悪化するな」
そう、事は一刻を争う。
応急処置をしたとして、まだ"森"から宿場町までの帰り道が残っている。ジオールに着くまでには、早くても二日はかかるだろう。
それまでに、アーレイの体力が尽きないうちに早く帰らなければ。
案内人であるルークは、重傷者が出た場合には速やかに行動をとらなければならない。
「……」
けれど。
ルークの視線は、館へと向かっていた。
思い浮かべるは、一人の少女。
時間はない。
けれど、魔女のいるかもしれない、館へ単身行った彼女は。
放って行けるだろうか。このままだと一人残った彼女は。
「……オレは」
「追、え……!」
ルークは、アーレイの声に目を瞠る。
「気がついたのか! 大丈夫か!」
ルークが目を向けると、アーレイは自分から起き上がって口を開く。
「……バーカ、これくらいで死ぬかよ。だてに戦士やってねーぞ」
アーレイの声は、少し枯れてはいるがしっかりした口調だ。
木に寄りかかり、ふーっと一息ついてルークを見据える。
「行け。俺はまだ大丈夫だ。戦士の体力なめんなよ」
「……アーレイ」
「こういう時、男が守ってやらんでどうする」
アーレイは腕を伸ばしてルークの髪をぐしゃぐしゃと力強く掻き回した。
「行け」
「……」
そして今まで黙っていたルークは、覚悟を決めたように顔を上げて自分の頬を両手で音を立てて叩く。それから、顔を上げて言った。
「行ってきます!」
その力強い言葉に、アーレイは、にかっと笑顔を見せた。
ルークは、アーレイに必要な救急道具や飲み水、食べ物を置いていくと館へと向かった。
「間に合ってくれよ……!」
息を切らしながらも、ルークは走り続ける。草を掻きわけ、枝を掻きわけ、視界に館が大きく映ったところで何か遠くで音が聞こえた。立ち止まって、辺りを見回す。
「何だ、この音……」
そう呟くとともに。
「――きゃあああ!」
少女の叫ぶ声が。
それが聞こえ、ルークがはっとその方向へと顔を向けると、少女の姿があった。
そして、その姿はだんだん大きくなり、勢いよくこちらに飛んでくる。
「え、ルーク! 避けて!」
「……は!?」
セリムは、何故か吹っ飛ばされながら叫んできた。
ルークが返答する間にも、すぐ目の前に彼女が飛ばされてきて、
「無理だし!」
ルークが言ったときには、お互いの体がぶつかって地面に激突していた。
「痛たたた…」
「……痛ぅ…」
二、三秒ほどお互いが痛みで悶えたあとに。
「……大丈夫か? セリム」
「う、うん、ごめんね。ルークは?」
「大丈夫だ。……何があったんだ?」
「館に近づこうとしたら、魔術で吹っ飛ばされてしまったの」
その言葉に、ルークはぎょっとする。
しかしそれとは反対に、セリムは嬉しそうに目を煌めかせていた。
「よく分からない強い魔術で押し返されたわ。あんな魔術は生まれて初めて見た!」
攻撃されて喜んでいるぞ。
ツッコまなければならないのだろうか……と考えていると、セリムが言葉を続けた。
「彼女なら、私の願いを叶えてくれるかもしれない!」
「……願い?」
ルークは思わず聞いてしまい、セリムはルークに顔を向ける。
「ええ。私は願いを叶えて貰うために此処に来たの」
それだけ答えると、セリムは再び館の方へと足を運ぶ。
少し進んで行くと二階建ての簡素な漆黒の館が大きく見えてきた。
しかし、大分距離が縮まっていくとチリチリと擦るような音が聞こえてくる。
それと共に、館から不思議な光が収束していき、二人に向かって放たれた。
「うわっ何か来た!」
「避けて!」
二人は、走って攻撃を避ける。光は、先ほど二人が居た所に直撃し、近くにあった木が音を立てて倒れた。その轟音が、ふたりの体にびりびりと響いてくる。
「すごい……!」
「願いよりも、先に殺されそうだぞ!?」
セリムはそれにも怯まずに、館へ向けて走り出した。
「おい、セリム! 危ないって!」
「危ないから、ルークはここにいて!」
「そんなこと出来るわけないだろ!」
そういう間にも、再び館から光が収束して二人を襲う。何度か二人に向けて攻撃されるが、何とかかわしつつ接近していく。しかし、そんな二人の行動にさらに光が収束して攻撃して来た。
「くっ……!」
その攻撃が二人を掠る前に、ルークはセリムをかばいつつ転がって避ける。
二人が動かなくなったのを見ると、館の攻撃も停止した。
「攻撃が止んだ……」
ルークがいち早く起き上がって、館の様子を見る。どうやら、こちらから仕掛けない限り何もされないようだ。
そう考えていると、後ろから声をかけられる。
「ルーク!」
セリムは、ちょっと厳しい目をしながら話す。
「危ないから無茶しないで。下手すると死んでしまうわ」
「……いや、それは案内人としての俺の台詞なのですが」
そういうと、セリムは困ったように目を泳がせた。
ルークはため息をつく。
「魔女に会いたいのは態度から分かる。でも、無茶は良くない」
「私は大丈夫だから」
「どこが」
ルークの指摘に、セリムは言葉に詰まり困ったように微笑む。
「この森は、"大丈夫"で何とかなるような森じゃない。それは、セリムも理解してるだろう?」
「でも、いくら危険でも行かないと。そのために来たんだもの」
相手に有無を言わせないような笑顔ではっきりと答える。
その揺るぎない表情に、ルークは思わず口をつぐんでしまった。
怖くないのだろうか。今まで色々怖い目にあってるのに。
いよいよ、これからこの館へと入ろうとしているというのに。
セリムは今でさえ、笑顔を見せながらも何も言わない。
「違う」
ルークは、笑顔のままのセリムを見ながら言った。
セリムは不思議そうに見返してくる。
「セリムは、いつも笑ってるけど、笑っていない。笑顔だけど、笑顔じゃない。
だって、今の笑顔は、前にオレを狼から助けてくれた時の嬉しそうな笑顔とは全く違うんだ。」
セリムは何も答えない。
「ほんとは怖かったんだな。……ここに来てからずっと」
そういうと、セリムの笑顔がさっと消える。
「そんなに無理しても、魔女に会わなきゃいけないのか?」
「――違うの」
ポツリ、とセリムは震えた声を響かせる。
「私は、魔女が怖いわけじゃない」
小声ながらも、はっきりとした口調。その声に、ルークは思わず顔を向ける。
「怖いのは、魔女に会った後。願いが叶わなかった場合……」
すると、セリムは先ほどまでに浮かべていた笑顔は既になく、泣きそうな顔を浮かべていた。
それは、今までとは違った生きた表情で。
「ルークは優しいね。ありがとう」
そう言いながら、ルークに向かってゆっくりと話す。
「だから、私なんかのためにここで命を散らさないで」
それだけいうと、立ち上がってくるりと向きを変えて歩きだす。彼女の足は、黒き館に引き寄せられていた。
「セリム!」
「私は死なない。絶対に」
ルークの声を遮るかのように、答える。
「ううん――正確には、"死ねない"」
そういうと、セリムは携帯していたナイフを取りだす。すると、自分の手のひらを薄く、切った。
「何を……!」
流血する手を見て、ルークは驚いて止血しようとするが、セリムはそれを遮る。
そして見せつけるかのように自分の手をルークの目前に差し出した。
「え……」
ルークの声が無意識に洩らす。その手には――異変があった。
その手は――既に流れ出る血液が止まり、固まるとかさぶたができて、みるみると肌が再生していく。
ルークが戸惑ってセリムを見つめるが、彼女は何も答えない。そして、再び手のひらに目を向けると、そこにはもう何も残っていなかった。
そこには、少女の華奢な手が無傷に存在しているだけ。
「私はもうとっくに、呪われているの」
そうして、彼女はふわりと顔を綻ばせて笑った。
「……ありがとう。こんな私を守ってくれて」
清々しい笑顔だった。
「私は大丈夫。心配せずにここで見てて」
「……」
ルークは、何も言葉を発することが出来なかった。
表情も、どうしていいのかわからない。
自分はどうすればいいのか。
彼女は本当に大丈夫なのだろうか。
自分は――このまま見過ごしていていいのだろうか。
ぐるぐると頭はまわってショートしそうだ。
そのうちに、役割なども何も考えられずに、ただただ感情のみが高ぶっていく。
セリムは、ルークの返答を待たずに歩き始める。
再び館が反応して攻撃してくるが、セリムは体が小さい分身軽なのでひょいひょいと避ける。
そして、とうとう館の玄関にたどり着く。そうすると、館は攻撃射程内から外れたのか、ぴたりと攻撃をやめた。セリムは、息を整えながら扉に近づく。そして、少しの間の後に息を吸い込み、ノックをした後、扉を開けようとした。
その前に。
「開けるな!」
ルークが、叫び声を上げた。
セリムは、驚いて振り返ると、ルークが必死に走ってくるのが分かる。しかし、それにも構わずに扉を開け放った。
(私は、魔女に会うためにここまできたのだから)
「――森の魔女、いらっしゃいますか!」
そう叫んで、扉の中を見ると共に。
光が――眩しい光だけが、見えた。
これは。
「……魔術――!?」
それが、確認できたときにはセリムはルークに抱えられて館から遠ざけられていた。
「ルー…!」
ルーク、どうしたの?と聞く前に。
黒き館から、大きな閃光が放たれる。
思わずセリムは目をつむって光を避ける。そして、その一息後に大きな爆音が周りに鳴り響いた。
続いて、物凄い威力の爆風。
「うあああッ!」
二人は、それに耐えられずに吹き飛ばされる。地面に勢いよく叩きつけられた後に、痛みを覚えながらも呆然と館を見つめる。
館は――自爆して、粉々になっていた。
「――嘘」
建物は跡形もなくなっていた。そこには、どこにも人の姿は存在せず。
「……良かった。無事で」
その言葉にセリムは、はっとして顔を上げる。
そこには、心底ほっとしたようなルークの顔が見えた。
「ルーク……」
そうセリムは声を洩らすと、ルークはハッとしたように、慌てて離れて言葉を紡ぐ。
「……何だよ、あの館。どういうつもりだよ魔女は……」
ルークはそういうが、セリムは返答できない。
だんだんと冷静になってきた。そして、今の状況を必死に整理しようとする。
「セリム、大丈夫か?」
「……」
ルークは、座りこむセリムに手を差し伸べる。
それに甘えて立ち上がるけれど、セリムは、何も答えない。答えられない。
セリムは、魔女の館に向かった。それから、その館は扉を開けるとそのまま自爆してしまった。
そしてそれを、危ないところで何とか切り抜けた。
(切り抜けた?……私が?)
ううん……その前に。
攻撃される前に、彼が。
行きつく状況に、思わずセリムは目を見開く。
目を見開いたまま、ルークを呆然と見つめる。そのまま、足の力が抜けてすとんと地面に崩れた。
「セリム?」
「……そうか」
ぽつりと、小さくセリムが呟く。不思議そうにルークは見つめる。
そして、セリムはルークに厳しい顔を向けて、静かに言った。
「……ルーク。あなたは魔女を知ってるのね?」
「……一体どうしたんだ? セリム」
ルークは困惑して、首を傾げながら静かに聞き返す。
セリムは覚悟を決めたように、話し始めた。
「思えば、ルークはすごく親切に案内してくれたよね。私にも持ち物とか、魔女についてとか細かく教えてくれて。森でもこの辺りには何の魔物が出るのかちゃんと案内にも熟知してて、私達にちゃんと細かく教えてくれたし」
「……」
ルークは何も言わない。
セリムはルークの目をまっすぐ見つめながら、話を静かに続ける。
「でも、もしこの"森"のシステムを既に知っていたとしたら――それは"誘導"とも取れるね」
ルークは何も答えない。
セリムは構わず、話を進める。
「そして、さっきの"開けるな"――この仕掛けを知っていたような言葉は」
そしてもう一度、その言葉を繰り返す。
「ルークは、森の魔女を知っているんだよね?」
セリムは、射抜くようにルークに視線を向ける。
ルークは何も言わずにそのまま黙っている。
セリムは静かに立ち上がり、ルークに手を差し出した。
「さぁ、案内人さん。私を魔女の元へ案内してください――あ、ううん」
そう言葉を途切らせると、有無を言わせないようなにっこりとした笑顔で語りかける。
「その必要はないね。この"森"は想像した者を召喚できる。今すぐここへ森の魔女を呼んでもらえる?ルーク」
セリムはにっこりとルークを見つめて、言った。
「私、案内料はちゃんと払ってるよ?」
静寂が包んでいた。
双方、どちらも動かずにただ立っている。
「――ひとついいか」
空気が動いた。
ずっと、黙っていたルークが顔を上げて言葉を紡ぐ。
その顔は、何かを決意したように固く、まっすぐとセリムに向いていた。
「目的は、魔女を殺すことか?」
「いいえ。会って話したい。それだけ」
ルークの問いかけに、セリムは即答する。
その態度にルークは、はーっと息を吐きながら頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。
「……あー、失敗したなぁ」
「――ということは正解でいいんだね?」
ルークは、手を止めるとセリムに向き直りながら、
「……条件1、魔女の館に着くまで挑戦者に案内と試練を与えること。条件2、見事に当てた人には始末せずに包み隠さず話しなさい――これが云われたオレの役目。それと」
ルークは、まっすぐセリムを見つめて、ゆっくりと答える。
「オレの信条で魔女を殺そうとする奴は始末する。けどセリムはこれに該当しない。……だから、話さないとな」
「……ありがとう」
セリムは、ルークを見返しながら呟く。
「ま、とりあえず本人を呼びますか」
ルークは、静かに目を閉じて魔女の姿を思い浮かべた。
魔女は、部屋の中にある鏡でこれらの光景を見ながら微笑んでいた。
「まさか、この魔術を逆手に取るとはね。面白い子……」
そう言っている間にも、目の前の視界がぶれていく。
手のひらを目の前に持ってくるが、体は透けて、視界はだんだんと森林の緑が色濃く見えてくる。
まさか、この魔法を自分が実体験するとは露にも思っていなかったが。
一度、目を閉じて再び開くと、目の前には森の中に二人の影が見えた。
さっきまで、鏡から見ていた人物だ。
青年――ルークは少し不安そうに自分を見つめながらも口を開く。
「悪い、バレた」
その言葉に、思わず条件反射で殴ってしまう。軽い効果音の後に「痛え!」と声が上がる。
「全く、肝心なところでツメが甘いんだから。この愚弟は」
そう呟くと同時に、一緒に居た少女が目の前に歩いてきた。
彼女は少し、目を見開きつつも姿勢を正して魔女を見つめてくる。
魔女は、それに悠然と構えながら自らの白銀の髪を振り払い、悠然と腕を組んだ。
そして、セリムは彼女の目の前に覚悟を決めたかのように歩み寄る。顔を引き締めると言いたかった言葉を紡いだ。
「あなたが――"ヴェッテル"ですね?」
その言葉に、森の魔女――シルクは、満面の笑顔でにっこりと微笑むと答えた。
「おめでとう! 貴女が最初のお客様だわ」