魔女の領域
それから二、三日と森の奥へ進むと、それに伴って襲撃数も比例していった。
今もまだ太陽が真上に存在してるというのに、本日5度目の狼の襲撃に遭って一息ついているところである。ルークは息をまだ切らしつつ剣を収めると、周りの状況を見てまわる。
「セリム、怪我は?」
ルークは、一番堪えているだろう彼女を見舞う。
そろそろ体力も女性には厳しくなる頃だが、セリムは気丈にも怪我人を治療して包帯をまいていた。一見大丈夫そうだが、疲れの気配は隠せていない。
「私はまだ平気。それより前衛の人たちを優先して治療して」
「でも」
「大丈夫。私は戦闘には参加してないし、他の人を優先しないと」
「――そうか。分かった」
そのしっかりした視線に、ルークは安堵を覚えながらその場を離れる。
もう"森"に入って四日目だ。
そろそろ、疲労によって苛立ちや倦怠感が浮き出てくる頃である。
悪い時には仲間内で喧嘩を始めて、そこから怪我人が出て"森"を退却しなければならない場合もあるので、出来ればそれは避けたい。
まぁ、今回はセリム以外は常連の強者ばかりなので大丈夫だろうとは思うが。
初心者のセリムもまだ根を上げていないので、今回はいい所までいくかもしれない。
そう思いながら様子を見渡していると、それぞれ怪我の治療をしている。
その中に、アーレイの姿も見えた。
「アーレイ、大丈夫か?」
「お、ルークか。ちっとドジったがまだまだいけるぞ」
アーレイは右足を深く損傷したらしく、未だ血が止まっていない。
彼は流れる血を拭い、薬草を貼って傷を塞いでいる所だった。
彼も、誰よりも率先して魔物を倒しに剣を向けているため、怪我が多く目立っている。
「手伝うよ」
そう言ってルークが近寄ると、アーレイは無傷な左腕をルークに向けて近寄らせない。
「大丈夫だ。それより昼メシの用意を頼む。もう腹ペコで死にそうだ」
アーレイはおどけたように言うが、それはわざとだとルークは察する。
恐らくそれだけ損傷が酷いのだろう。
その中でも、豪快な態度を取るのは剣士の自尊心。決して、弱みなどは見せてはいけないという表れだ。ルークも男なので、相手に自分の弱さを見せたくない気持ちは分かる。なので、「了解」とだけ呟いてその場を離れた。
「ルーク! 手伝うよ」
ルークが一人で、昼食分の食料調達に向かおうとするとセリムが声をかけてきた。
「いや、一人で大丈夫だ。セリムは休んでなよ」
「平気。ルークも疲れてるでしょう。手伝わせて」
「……分かった。でも無理はするなよ」
そういうと、"森"の中で食料を探しに足を進めた。
少し歩いたところにキノコが生えていたので、それぞれ採取する。
「あ、セリム。それは食べられないよ」
「え? でもこの丸い模様のは食用で使われてるし食べられると思うけど」
「あー似てるけど、それは毒キノコだよ。何か魔女の森のせいか変質したみたいで」
「……そうなんだ。これは食べられるかな?」
そんな問答をしながら、ある程度の食料調達が完了した。
そしてルークがセリムの元へ向かおうとすると、一瞬視界に違和感を感じる。
"森"の木を見ると、今までは枝葉を大きく張った、平たく滑らかな広葉樹の葉であったが今では葉が鋭い形状に変質していた。
「――これは」
「どうしたの?」
なかなかルークがやってこなかったせいか、セリムがこちらに歩いてきて顔を覗きこむ。
その言葉を返す前に、第三者からの声が介入してきた。
『――また、やってきたのね。全く懲りないこと』
少し甲高い女の声が、"森"から響いてきた。
素早く周りを見渡しても、女の姿は何処にもない。
しかし、声は聞き違いではなく、再び聞こえてきた。
『ここから先は、魔女の領域。呪いを受けし覚悟があれば、好きに入ってくるがよい』
「オレが案内できるのはここまでです」
焚き火を中心に皆が囲み、昼食を取っていると、ルークは切り出した。
「さっき、女の声が聞こえたでしょう。あれは警告です。オレ達が魔女の領域に入ったということ。ここからは、本当に危険になります」
そういうと周りがしん、と静まる。表情も硬くなっていった。
「一応、帰りも案内しますのであと三日はオレはこの焚き火にいます。あとは各自の行動で判断して下さい。ここからが本当に生存率二割となりますので、体力がなくなったりしていたらここで中断したり休むことをお勧めします」
そうルークが話すと、剣士の一人がクッと笑う。
「――そんなことできるかよ」
「そうだ。ここで帰ったら意味がねえ」
「ここまできたら魔女を倒す。それだけだ」
「今度こそ魔女を狩るぞ!」
一人が言うと、周りも盛り立てるように便乗して叫んで立ち上がる。
そして、一斉に気合を入れて「魔女を倒す!」と騒ぎ出した。
「――だと思いました」
ルークは、ふっと顔を歪ませると、ため息をついて呟く。
「でも、くれぐれも気をつけて下さい。ここからは魔女の攻撃が来ると思います。何でも狼だけでなくて"森"には存在しないような強い魔物が出たりするそうです。何かあったら遠慮なくここに来て下さい。命が無くなったらもう魔女は倒せないんですからね」
「何だよ、ドラゴンでも出るってか?」
「はっ!魔女の呪いなんて掛けさせるヒマを与えねえよ」
「俺たちは魔女に会いに来てやったんだぜ。招待を受けて行かないわけにはいかねぇ」
「もちろんだ!」
だんだんテンションを上げているようで、昼食を食べ終わった面々は準備運動を始めている。
ルークがそれを、見ていると横切る姿があった。
セリムが、準備をしに荷物を整理し始めているところだった。
「……セリム」
「何?」
ふっと呟いただけなのに、セリムは気づいて笑顔でルークに顔を向ける。
「本当に行くのか?」
そういうと、申し訳無いように微笑みつつ顔をうなずかせた。
その問答は、"森"に行く直前にもあったのでルークは言葉を止める。
以前に、真剣な表情で話すセリムを思い出す。彼女は地元民でも恐れるこの"森"に単身やってきた。今も疲労があってもひたすら先へと進もうとしている。どうしてそのような行動に出ているのか分からないが、この数日で彼女には相当の覚悟があるように感じている。
――それをしがない案内人の自分が、止めることができるだろうか。
二人の間に何となく沈黙が流れた。
「やめておけ」
その第三者の言葉に、ルークとセリムは、ぱっと顔を上げる。
アーレイが目の前に来ていた。
「セリム、ここまで来たのは同行者として本当に感心する。正直すぐ気が済むだろうと思ってやらせていた。だがな、ここからは生死に関わる。初めてだし、ここでまず様子見するのが得策だ」
真剣な顔でアーレイが話すのを見て、セリムも真面目に姿勢を正して首を横に振る。
「それは出来ないよ」
その言葉に、アーレイはちっと舌打ちをして向き合う。
「俺にはな、妹がいんだよ。俺とは全く似てねぇ美人でな。でも病気で動けねぇ。それで今、家族総出で金を集めてるが、治療代には程遠い」
アーレイは語りかけるように続ける。
「お前はせっかく元気な体を持ってんだ。それをここで無駄死にすることはない」
それを聞いて、セリムはこらえるように目を伏せて、手を服の裾に握り締める。
「……アーレイからすれば、凄く、我慢が出来ないことかもしれないね」
視線を逸らして地面に視線を向けながら、セリムは声を吐く。
「でも、私にも目的があるから」
「セリム!」
アーレイが言葉を荒げた瞬間。
ズズン、と地面が響くような衝撃が襲ってきた。
その衝撃がとてつもなく、その場に立っていた三人も地面にひれ伏す形となった。
「何だ!?」
その予想外の衝撃に、思わずルークは叫ぶ。
しかし、その衝撃は一度だけでなくて何度も彼らを襲って、冷静な反応は出来ない。
「う、上を見ろ!」
誰かが、それを指摘してくる。
動揺したまま、言われるがままに上に視線を向ける。
すると、木々の隙間から大きな影が見えてきた。
「おい! ――ドラゴンがっ!」
悲鳴を上げて、誰かが叫ぶ。
見えてきたのは、木々をも軽く超えた背の高さを持つ竜。
こうみると、小さな一人の人間が、この巨大な魔物に敵うはずも無い。
「――まさか」
思わず、ルークは声を洩らす。
「――うそだろ! まさか本当に出てくるなんて」
誰かが、そう呟くと共に。
一斉に、悲鳴を上げながら散り散りとなっていった。
「伏せろ! 目を合わせるな!」
アーレイがセリムとルークの頭を掴んで、無理やり地面へと押しつける。
竜は気が立っているのか、空を吼えながら、こちらに近づいてくる。しかし地面の振動がふと止んだので、ルークは思わず顔を竜に見上げた。すると、竜は空を見上げて空気を吸い込んでいるようであった。
「危ねぇ!」
アーレイが押さえていた二人の頭を自分に引き寄せて、抱きしめる。
竜は辺り一帯を火で襲った。
「――"防御"!」
セリムの声が響く。
直前に火が迫ってきてルークは思わず目をつむったが、何も起こらなかった。
ルークはそっと目を開けると、ぐらりとアーレイが声も無く前のめりに倒れる。その背中を見て、二人は目を見開いた。
アーレイは、二人を庇って背中で竜の火を全部受け止めていた。
「止血を――!」
ルークが立ち上がろうとすると、セリムが腕を取る。
「ルーク! アーレイを押さえてて」
「でも!」
「大丈夫だから!」
セリムが真剣な顔で叫ぶ。思わずルークは、言われたように彼を押さえた。
彼女は目の前で素早く幾つかの印を作ると、
「"天の神エスカティアよ、この者を助けたく願う我を聞き入れ治癒の力をお貸し下さい!"」
すると、セリムの手が光が収束していく。それをアーレイの背中に差し出した。
その焼けただれた背中が、損傷を軽くしていく。
ある程度、傷が引いたところでセリムはそっと手を離した。
「これで、一応応急手当は大丈夫かな。痕が残るかもしれないけど……」
「セリム、魔術が使えるのか……?」
呆然と呟くルークに、セリムは少し後ろめたい顔をする。
「少しだけね」
それだけ、短く呟いた。
ふと見ると、先ほどの一件でセリムも腕から血が流れ出ている。
「セリムも怪我を――」
近づいて具合を見ようとすると、セリムはびくりと体を反応させてルークの手を払った。
突然の拒絶に、ルークは呆然と彼女を見つめる。
そして、セリムもはっとしたような表情をした後、顔を背けてうつむくと呟く。
「ごめん、でも大丈夫だから。自分で手当てできるよ」
そういうと、ルークから離れて歩いていく。
「セリム、あまり遠くに行くと危ないぞ」
「大丈夫。分かったから」
セリムは周りを見渡しながら、返答する。
そして、くるりとルークの方に向き直ってきた。
「これは幻惑魔術だよ」
「え?」
ルークは、突然のセリムの言葉に顔を上げる。
セリムもルークに視線を向けながら、静かに話し始めた。
「この霧は魔術からできてる。そしてさっきの人が"まさか本当にー"って言ってたでしょ。恐らく私達が想像したものが次々と出てくる仕組み。でも普通なら幻のままだけど、そのまま実物が襲撃してくるってことは、召喚魔術も付加されている……」
「オレ達の想像したものが……」
ルークがそう呟くと、セリムはいつの間にか目の前まで近づいている。
「つまり、考えることがいけないの」
そして、手をルークの額に差し出した。
ルークは思わず身構える。
「何を――」
「大丈夫。目を閉じて」
セリムは笑顔でやさしく囁くと、ゆっくりとルークの額から瞼まで手を動かしてくる。
「何も考えないで。静かに、眠るように肩の力を抜いて」
数秒後、ゆっくりとセリムの手が自分から離れていくのを感じる。
ルークはそっと目を開けると、その光景は別の場所に移ったようだった。
「見えた?」
セリムがルークの目を覗きこんでくる。
ルークは、目の前に現れたものを見つめて呟く。
「これは……」
今まで、霧に覆われてよく見えなかった視界が晴れて。
顔を上げたすぐ目の前には、小さな館が建っていた。