魔女の森へ
次の日、目が覚めると周りの空気が澄んでいた。
今日はきっと良い天気になることだろう。遠征日和だ。
今の季節は夏から秋への変わり目で、朝は少し肌寒い。しかし、夏や冬のような過度の暑さ寒さは控えるため、今回の"森"への遠征はいつもより過ごしやすくなるだろう。
ルークは、ベットから降りて身支度を整える。地が厚く動きやすい上下の長袖長ズボンに上からコートを羽織り、剣を下げる。いつでも出発できるように荷物をまとめると朝食の準備に食堂に向かった。
そこで朝食を並べていると、客が次々と降りてきた。宿泊客は全員遠征に参加するためである。
しかし、雰囲気は昨日と変わってピリピリとしている。
これから、魔女の森に向かうのだ。緊張感を持っているのだろう。
宿泊客の配膳はテーブルに並べ終えたので、自分は台所にて食事をしようと踵を返したところ、セリムとはち合わせした。
「おはよう」
先に言ってきたのはセリムで、笑顔で挨拶してきた。
セリムは肩までにある金髪を後ろで小さく一つにまとめ、長袖長ズボンでかばんを肩に下げた軽装をしていた。"森"は獰猛な動物や虫の存在があるし、また霧深い気候なのでその服装は正解である。
「おはよ。準備万端だな」
「うん。今日から一週間頑張らないとね」
「ああ、お互い頑張ろうな」
簡単な挨拶を済ませると、それぞれ朝食を食べに別れた。
太陽が少し昇った頃。
ウチの宿の前には確認通り、十人が集まっていた。うーんほぼ戦士。つまりは体を鍛えている剣士が多い。
相手が凶悪な魔女だけあって、魔術で対抗するよりは剣でという輩が多いのだ。
(何だか、俺とセリムだけ浮いてるな……)
参加者の中でも頼りなさそうな二人を見比べていた剣士の一人が、早速指摘してくる。
「案内人~女連れ込んでんじゃねえぞ」
おいおい。何だか、思いっきり誤解されている。
ルークは、やんわりと訂正した。
「いえ、彼女も参加者なんです」
「は!? 本気かよ。嬢ちゃん、遊びじゃねえんだぞ」
「そうだ。今のうちに親の元へ帰りな?」
そういうと、聞いていた周りの者も笑いだす。
「ちょっと――」
外見だけの判断で暴言を吐く輩に反論しようとしたルークを、服の袖を引っ張ってくる腕があった。
セリムだった。
「いいの。気にしないで」
やんわりと笑顔で止められる。
本人に言われてしまったので、それ以上言うのは止める。行き場のない怒りは地面を蹴って静めた。
「やだねぇ、緊張してガキにあたる連中は」
戦士八人の中から、一人の声がする。
視線を向けると、昨日の赤髪隻眼大男がやれやれというふうにこちらに向かってきた。
――ええと、確かウチの客で……戦士五号か。
彼は、にかっと笑いながら話しかけてくる。
「ま、気にすんなよ、お嬢ちゃん。剣士ってのはどうもガサツでな。あんな言い方だけど心配してんのよ」
そう言って、気さくに挨拶してくる。
「でも、奴らのいうことにも一理ある。これから"魔女討伐"に行くんだ。厳しくなったら嬢ちゃんを助ける余裕はないからな」
そんな剣士に向かって、セリムも頭をぺこりと下げる。
「大丈夫です。よろしくお願いしますね」
「おう。俺の名前はアーレイだ。遠征中よろしくな」
そういう名前だったのか、戦士五号。
"森"へ踏み入れると、相変わらず深い霧に覆われている。
「とりあえず、初日だしまだ"魔女"の森へは遠いので攻撃等は無いと思います。しかし、この辺では獣系の魔物がうろついてますので、霧が深い分、前後左右に気をつけて。何かあれば言って下さい」
ルークは、案内人としてパーティに忠告する。
周りの男たちも、その言葉に頷いて無言で気を引き締める。
やがて自然と無言で歩くようになった。霧で視界が見えない分、触覚や聴覚に頼らなければならない。
「結構詳しいんだね。ルークもよく"森"に入るの?」
セリムがルークの側に寄ってきて、ひっそりと小声で聞いてくる。
「まぁ、案内人としてな。でも、途中までの道順を知ってるだけだよ」
ルークも小声でそう答える。すると、アーレイも参加してきた。
「いや、コイツは俺らにとって穴場だぞ?この辺りの案内は地元民に聞くのが一番だ。でも、地元民は怖がって近寄らねぇから案内人は少ない。数少ない案内人でもコイツは最年少だからと信用しない奴らも多いが、責任感はあるし、危ないと判断したらすぐ忠告するから"森"での安全率が高い。見る目のある奴は皆コイツを利用してる」
にやにやと話しながら、ポンとルークの頭を叩いて説明する。
「……まぁ、よく宿の食料調達も兼ねて"森"に入ってるからね」
そう言われてルークは少し照れながらも説明する。
セリムも感心したようにへぇ、と呟いた。
その時。
「――おい! 獣の声がしたぞ!」
誰かから怒鳴り声が聞こえる。
一瞬、ざわっと騒いだがすぐ静かになる。
ルークは耳を澄ませると、確かに遠くから唸るような声が聞こえた。
「落ち着いてください。――これは、狼ですね。多分五匹以上」
ルークは、聞こえてきた方向に指をさす。
それと見ると、皆、剣を鞘から引き抜く。
「嬢ちゃんは、俺らの後ろにいな」
アーレイがセリムを背後に庇いながら備える。
「ルークは?」
「俺も、一応剣は振るえるから」
そういうと、ルークは腰に下げていた剣を取り出す。
できればセリムを守りたかったが、アーレイの方が技術は上だと感じるのでそれだけ言って唸りの聴こえた方向へ剣を構えた。
だんだんと、遠くから走ってくる多くの足音が聴こえる。
「――来た!」
狙い通り、聞こえてきた方向から七匹の狼が駆け込んで来る。
そこからは、血の争いとなった。
剣を突き刺す音、獣が人に喰らいつく音、獣の悲鳴、人の悲鳴。
ルークの所にも目掛けてやってきた。獣の歯が、体に噛み付く前に剣で体を突いて負傷させる。
狼は倒れて血を流しつつも、立ち上がって再び唸りながらルークを見据えてくる。
そして、再び襲い掛かってきた。
「ルーク!」
セリムの声が聞こえてきた。
と、同時に後ろから十センチほどの小さなナイフが狼の目を襲う。
ナイフは数分の狂いもなく獣に命中し、狼は悲鳴を上げた。
その一瞬の隙をルークは見逃さずに、渾身の一撃で仕留める。
「……ふう」
「ルーク! 大丈夫!?」
汗を拭ってから振り返ると、セリムが心配そうに寄ってくる。
他の面々はもう狼を退治してしまったようで、剣についている血を拭っていたり、鞘に収めていたりした。各自軽傷は負ったものの、どうやら死傷者はゼロのようだ。
「ああ。……今のナイフは、セリム?」
「あ、うん。ナイフなら持ってたから」
「そっか、ありがとな」
そういうと、セリムは嬉しそうにふわりと笑顔を浮かべる。可愛い。
(――本音を言えば、助けがなくても何とかなったけど)
しかし、タイミングよく援護を請けたのは助かった。大丈夫だと予想していたとして、決してそれが確信ではないからだ。この生存率二割の"森"ではそう安易な考えをしてはいけない。
だから、ルークは素直にお礼を言った。
「はい。ナイフ」
ルークは、屍となった狼から刺さったナイフを外してセリムに渡す。
その血の生々しさを直で見たセリムは、一瞬たじろいたが手で受け取った。
しかし、セリムがナイフをしまってもルークは獣から離れようとしない。
なので、思わず聞いてしまう。
「……ルーク、行かないの?」
「あ、ちょっと待ってくれる? 食料調達するから」
そして、大男たちに「すみませーん」と声をかける。
それだけで、男たちは了承したように死んだ獣をルークのもとに持ってくる。
「ル、ルーク……まさか」
「ごめん、女の子にはグロイかも。ちょっと目を背けてて」
その言葉に、反射的にセリムは背を向ける。こういう場面には慣れていないようだ。
ルークが「食料調達」していると、男達が嬉しそうに声を掛けてくる。
「楽しみだな。今日の晩飯はコレだろ?」
「一週間分は一応見積もりますが。まぁ期待してて下さい」
ルークと戦士が楽しそうに話す中で、聴こえてくる鈍い音。
セリムはさすがに笑えず、ちょっと泣きたくなった。
「今日はここで野営しましょう」
その後、特に外敵とは出会うことなく日が暮れた。
丁度区切りがいい所まできたので、ルークはパーティに声をかける。
焚き火を中心に、それぞれ居心地のいい場所に移動した。
ルークが一段落して軽く体を伸びをしていると、アーレイとセリムが近くにやってきた。
「よっ」
「ルーク、お疲れ様」
二人とも、ルークを気遣って声をかけてくる。ルークも自然と笑みを浮かべて片手を上げた。
「ああ、そっちも。セリムは初めてで疲れただろ?」
「大丈夫。まだ初日だし、これからもっと大変になるだろうから」
「そうだな。でも今日はもう休んでおいた方がいいよ」
そう話しながら、三人は比較的近くの場所で固まることにした。
ルークは一息ついて、夕飯の前に荷物の整理をしていると、下の方で何か硬いものが手に当たる。
「あれ、なんだこの本――」
入れた覚えのない本が入っていたので、中を見てみると――
『女性の口説き方指南書~シルク特製初版本』
ルークは脱力してへなへなと腰を下ろし、へたりこむ。思わず頭を抱えた。
(お姉さんが今日中に女性への効果的な口説き文句を考えといてあげるからー!)
ああ言っていたさ。確かに言っていたけどさぁ!
「これを作る気力を、どうして少しでも宿に尽くしてくれないんだ……」
ルークは情けなくてちょっと涙がでそうになった。
くそ、泣いてたまるか。
頭を抱えてうずくまっていると、アーレイが心配したのか後ろから声をかけてきた。
「どうした坊主、腹でも下したか?」
それにセリムも気がついたのか、「本当? 大丈夫?」と気遣ってくる。
「ななな何でもない!」
そのまま彼女がこちらに近寄ってきたので、慌てて返事をしながら思わず本を隠す。
ルークの挙動不信な行動にアーレイは一瞬目を丸くした後、にやりと笑いを浮かべてさらに近づいてきた。
「何だよエロ本かぁ? 何動揺してんだよ。ちょっと兄さんにも見せなさい」
人差し指でちょいちょいと手招きしながら、ルークを誘い出す。
「いや、こ、これはダメだ!」
ルークは、がばっと両手で本を抱えて見えないように精一杯隠す。
決していやらしいものではないが、こんなの見られたら確実に誤解される。そして、そのままセリムに見られでもしたら顔の合わせようがない。
その怪しい行動に、思わずアーレイとセリムは顔を見合わせた。
アーレイは、本を自分の予想通りと確信したのか意地の悪い顔になる。
「もしかして恥ずかしがってんのか? 青いねぇ」
「初々しいね~」
アーレイはにやにやしながら言うと、近くにいたセリムも悪乗りしてニコニコとこちらを生温かい目で見てきた。
そして、「ねーっ」と二人は顔を合わせて言い合う。
というか、何だその反応は。
何だかこの本に対してとてつもなく誤解をされているようなので急いで訂正する。
「ち、違う! 誤解するな!」
「わざわざ訂正しなくても大丈夫だよ、青少年には情操教育も必要だものね」
「お。嬢ちゃん、話が分かってるな」
「いえいえ~」
「誤解なんだー!」
こうして、第一日目の夜は無事に更けていった。