宿場町ジオール
森に近づいてはいけない
魔女が貴方を森へ招くよ
森に入ってはいけない
魔女が貴方をお茶会に誘うよ
森で魔女と会ってはいけない
魔女は主と名乗り貴方もろとも闇へ消えるだろう
黒き魔女、"ヴェッテル"
今もどこかで生きている
誰より強きその力、今も何処かで眠ってる――
その場所は、リシュトラムと呼ばれる王国の、賑わい華やかな王都から馬車で北西に一週間ほど。
霧深い"森"を背にした正に辺境といえる所に"宿場町・ジオール"が存在する。
そのジオールでの、とある一角の宿屋。昼下がりにて。
カランカラン。
今日も宿屋の扉の上に立てかけてあるドアベルが来客を知らせてくれる。
青年ルークは、受付カウンターで今日の晩御飯の献立をどうするかをうつらうつら考えていたら、ドアベルが耳に入った。顔を向けると、扉を開けてくる野太い上腕二頭筋が真っ先に視界に入ってくる。
その野太い腕だけでなく、扉をくぐって入ってくる赤髪隻眼の大男戦士は体格が良く、張りのある筋肉を持っていた。いつもどおりの日常だ。
「いらっしゃいませ、お客様」
もとい、本日の戦士五号な。
そんなことを頭に浮かべながらも、笑顔で入ってきた客に対応する。
「久しぶりですね。今回はどの位の滞在ですか?」
「とりあえず当分だな。ま、テキトーに頼むわ。食事もいつもどおりでな」
正確に言ってくれ。いつもどおりってそんなこと覚えてるわけないだろ、料理は季節ごとに食材が違ってくるし。大体こっちは客を沢山抱えてるんだよ。まぁ、食事は肉中心で大盛りなら満足するだろ、と内心溜め息をつきながらも対応する。
「……分かりました。"討伐"へは明日からの遠征で?」
「当たりめーだろ。今回こそ"森の魔女"を狩ってやる!」
大男は言いながら興奮してきたようで、筋肉をぴくぴくと動かしている。やめてくれ。
「では、明日の明朝にうちの宿の前に集合で。おそらく一週間程度の旅になりますので準備をしておいて下さい」
「了解。ところでよ」
「はい?」
「今日はシルクさんはいないのか?」
戦士五号はキョロキョロと宿内を見回す。
どうせならば、今日もはりきって掃除をしたぴかぴかの床や磨いた額縁を見て欲しいところだが、常連客はひたすらある人物を視界にいれようと首を動かしている。
すると、噂をすれば影。という言葉というタイミングがぴったり重なったようにその人物は現れた。
――まるで、狙ったように。
艶のある白銀の髪を腰まで伸ばし、それと同色の眼を持つ美女が後ろからドアベルを鳴らして入ってきた。
「まぁ……! 今回も来て下さったのね。嬉しいわ」
「シルクさん!」
戦士五号の一声で、一瞬の間の後に宿の奥から次々と歓声が響いてきた。
「シルクさんだと!?」「待ってました!」「俺のシルク!」「ここここんにちは!」
戦士一号が現れた!
戦士二号が現れた!
戦士三号が現れた!
戦士四号が現れた!
ちなみに今日のうちの宿泊者だ。全員筋肉戦士。
そして乱暴に部屋扉を勢いよく開けてきたり二階から見下ろしたり、バタバタと階段を降りてくる大男四人。
追加で部屋扉の蝶つがいの壊れる音、軋む階段、傾く額縁。
(あああやめてくれ! オレの宿がぁぁ!)
叫び出したくなったが、一応相手は客なので握り拳を作りながら心の中で絶叫する。そして宿の入口にいる彼女の所に再び集まってくる。非常に暑苦しい。
「こんな危ない場所にシルクさんをいつまでも住ませておけませんよ」
「今回こそ俺が魔女を仕留めてここに平穏をもたらせますぜ!」
「テメー! 一人で良い格好すんなよ」
戦士達は、我こそはと彼女に主張し合っている。
「ありがとう……! 皆さん」
シルクは、彼らの言葉に感嘆したように頬を染めて、眼に雫を潤ませた。
「もう不安で夜も眠れなくて」
戦士達は、彼女の涙を見ると皆で「任せてください!」と言い合っている。
何でオレの目の前でこんな事態が……とため息をついてふと彼女を見ると、目が合った。
彼女は、目が合うと戦士達に見えないような死角でこちらに顔を向けて、にやりと笑ったのだった。
「ねこかぶり」
「――何よ」
客が去って、シルクは二人きりになった途端にやる気のないような顔でルークを見下げる。
ちなみに、見下げるのは彼女の方が背が高いからだ。だからルークは彼女に見つめられるのが凄く不快だったりする。因みにルークは165センチ。身長差は約5センチだから、ルークは17歳だしまだまだ成長期なので追い抜くのを虎視眈々と狙っている状態だ。
「何が不安で夜も眠れなくてぇ~だよ。夜更かしはお肌の敵! とか言ってさっさと寝てるくせに」
「そっちこそ何言ってんのよ、愚弟。あたしはこの宿の女将よ? この位サービスしとかないと客が寄ってこないでしょ」
「女将って……料理も掃除も客対応も全部オレの役目じゃないか」
シルクはうるさそうに弟を見つめて呟く。
「細かいことうるさいわねぇ、小姑ルーク。だから背が伸びないのよ」
「こ、こじゅうと……!? 背、」
「んじゃ、そろそろ夕飯の支度よろしくね! お姉さん今日はヘルシーなのがいいなぁ」
と、客用に鍛えてきた笑顔を駆使して、鼻歌を唄いながら奥の部屋へ消える。
きっと一番風呂に入るつもりだな。
「……胃が痛い」
身長が低いのは本当にストレスのせいだろうか、とルークは一瞬頭をよぎった。しかし、すぐ首を横にふる。もしそうであったら嫌すぎる。
「――魔女のせい、ということにしておこうかな」
窓の外にすぐ見える霧深い"森"を眺めながら、うつろにルークは呟いた。
晩御飯の前支度を済ませたルークは、カウンターのそばにある小部屋で早めに明日の"討伐"の準備をすることにした。ああ忙しい。
「明日は……ウチの宿の連中と他に3人で、8人。オレ含めて9人か」
男性9人。そのうち、5人は戦士。華がない。
(――まぁ、"魔女討伐"なのだから仕方ないけどな)
森の魔女。それがこの辺境の町に戦士が集まる理由である。
自然と肩が下がる。
一週間も一緒なのだ。ああ、せめて他3人のうち1人位普通の人でありますように、と願う。
男として勇ましい体は憧れるが、共に連れ添って行動するとなるとかなり暑苦しい部隊になろう。しかも5人は筋肉戦士確定。無意識に背筋が震える。ダメだ、想像したら負けだ。
その時、再びドアベルが鳴った。夕刻も近いし、おそらく今日最後の客だろう。
「……いらっしゃいませー」
もしかして戦士六号かよ、もう間に合ってますとつい言い出しそうになったのを胸に押し込めてしぶしぶ顔を上げる。
と――
ルークは思わず、口を開けてぽかんと数秒間扉を開けた来客と見つめあってしまった。
体は扉より小さく、外から漏れるいつの間にか夕日に変化した光がカウンターを照らす。
扉を開けた来客の腕は、いつも立派な上腕二頭筋を見慣れているせいか、自分でもちょっと触ったら怪我をさせてしまいそうな細さだ。
いかにも世間なんてしりませんというような初々しい顔。そして肩までにある綺麗な金髪が夕日に反射してさらに光をきわ立たせ、碧眼は吸い込まれるように色が深い。それがなお、清楚な印象として植えつけられた。
決して、"このような場所"では滅多に見られない――華奢な少女がおずおずと入ってきたのだ。
「すみません。"魔女討伐"に参加したいのですが、とりあえず一ヶ月の滞在をお願いできますか?」
鈴を転がすような声で、笑顔を浮かべながら。
少女は今日やってきた戦士達と似たような台詞を口にした。