白昼夢はビッグマウス
今朝は何で咲の言うことを聞き流せなかったんだろうか。あんなにムキになって否定したせいで、今日はなんとなくもやもやした気分のままだった。
ついさっきまで充電していたので体調は万全だし、ボールの感触も悪くない。でもなんだか不安と言うのか、さえない気分のままでキャッチボールをやっていた。
「おいカズ、緊張でもしてるのか?
表情が硬いぜ」
隣でオノケン相手にキャッチボールをしている丸山が声をかけてきた。
「いや、そんなことないさ。
たかがけんみんテレビの取材くらいで緊張なんてしないよ」
「その割には顔が強張ってるぜ。
なあチビベンもそう思うだろ?」
丸山が僕を挟んで反対側にいるチビベンへ声をかけた。しかしチビベンから返事はない。
「おい、チビベン? 聞いてるのか?」
「えっ!? なんか言った?」
「おいおい、チビベンまで緊張してるのかよ。
そんなんじゃ全国行っても実力が発揮できないぜ」
確かにチビベンはどこか上の空な様子だ。丸山のような無神経さ、いや太い神経があれば緊張なんてしないのかもしれない。
かと言って僕は緊張してるわけじゃない。ただチビベンの様子は気になってしまう。
「緊張してるわけじゃないけどさ。
あとでバレー部が何人かで見に来るって言っててさ……」
「マジかよ! それってもしかして俺に紹介してくれるってのと関係あるか?
俄然張り切っちゃうな、こりゃ」
その時対面から大きな声が聞こえてきた。
「おい! お前ら喋りながらだらだらやってんじゃねーぞ!
特にマルマン! こっちまで声が聞こえるくらいデカい声でなにくだらねえこと言ってんだ!」
木戸の激が飛んで、僕たちは肩を竦めた。そのおかげかチビベンの表情はほぐれているし、丸山は期待しすぎだとはおもうが機嫌よく練習を続けている。
僕も表面上は固さも取れた気がしたが、本質的なところは何も解決していないのは自分でもわかっている。このままだとまともなプレイができないかもしれない。いったい僕はどうしたらいいのだろうか。
そうこうしているうちに美術部の面々がやってきてまたスケッチを始めた。その他にもネット裏の見学者がいつもより多く、特に一年生部員は緊張を隠せない様子だ。
「ちょっと早いけどいったん休憩にすっか。
浮ついてるやつが多くて練習にならねえよ」
口は悪いがやはり主将としては見過ごせないのだろう。木戸がたまらず声をかけて全員を集めた。
「緊張すんなって言っても無理な話かもしれないけどよ、今日は練習を見に来るわけじゃねえから。
新入生勧誘と似たようなもんなんだから、あんまり構えなくていいってよ」
「うむ、真弓ちゃんの話だと学校自体の校風や風景を取材するということだな。
テレビカメラが回ると言っても生放送じゃないし、緊張するだけ無駄と言うものさ」
こういう時ハカセは意外にも平然としていられるようだ。まあ僕も普段なら何ともない。
「ただよ? かと言って恥かくような練習じゃカッコがつかねえわけ。
マルマンとチビベンは緊張してるわけじゃないらしいけどよ、一年と一緒にカズまで緊張してるなんてだらしねえぞ」
「いや、僕は大丈夫だよ。
ちょっと考え事してただけさ」
「それならいいけどな。
なんにせよ練習中は集中しないと怪我にも繋がるから、全員真剣に取り組むように」
全員の返事がグランドへ響く。やはり木戸にはリーダーシップがあると感じる瞬間だ。一年生たちも表情がほぐれたのがわかり、これなら取材が来ても平常心でいられるだろう。
わずかな休憩時間だが気分転換にはいいタイミングだった。そんなことを考えながら僕は周囲を見回していたがある一点を見たところで一瞬固まってしまった。
そこには明らかに僕をじっと見つめている亜美の姿があったのだ。その視線は僕だけを見ていて、まるで一挙一動を監視されているような感覚に陥ってしまう。
まったく厄介な女子に目をつけられたものだ。そんな嘆きを周囲に悟られないよう平気な顔をしつつ、練習再開の替え越えと共にグラウンドへ駆け出して行った。
◇◇◇
「おい、今日の真弓ちゃん、化粧濃くないか?
テレビ写り気にしてんのかね?」
「かもしれないな。
もしかしたら放送が切っ掛けで彼氏が出来たりするかもしれないじゃん」
「まさかな、そんなこと考えてないと思うぜ。
きっと頭の中は今晩飲む酒の事だけだろ」
まさかマウンド上で木戸とそんな話をしているとは誰も思わないだろう。すでにテレビ局のスタッフがスタンバイし、練習風景へ向けてカメラを回していた。
シートバッティングを終えた後は走塁と牽制の練習だ。木戸のサインで牽制を混ぜつつ、一人ずつ走塁練習をこなしていた。
「しかし今日は球の走りとコントロールがいまいちだな。
なんだかんだ言ってもやっぱり緊張してるのか?」
「そうかな?
特に調子が悪いわけじゃないんだけど、かといってすごくいいってわけでもないかなあ」
「まあ後はブルペンでチェックするか。
チビベン! 木尾! 交代してくれ」
あいよ、といつもの返事が返ってきてマウンドへ木尾がやってきた。僕はボールを渡してからマウンドを降りてブルペンへ向かう。
やっぱりあまり調子が良くないのかもしれない。指のかかりは悪くないんだけど、どうも走らないというか気持ちが乗っていかない。結局ブルペンでもごく普通としか言えない球を投げ続けて練習を終えた。
「今日はいまいちだったなあ。
これじゃ甲子園行きます! なんて偉そうなこと言えないよ」
「まあとりあえず本番に調子がよきゃいいんだからよ。
今日は今日、明日から気持ちを入れ替えて行きゃいいさ。
さてと次は部室でインタビューか、結構面倒だな」
「しかもどうせ放送されるときは五分か十分くらいになっちゃうんだろ。
取材ってのも大変なんだな」
僕たちは片づけやシャワーを後回しにして部室へ集合した。
「今日はありがとうございます。
後は一人一人にプロフィールと抱負を聞いていきますのでよろしくお願いします」
取材スタッフの一人が何を聞くのかを説明してくれる。その間にもカメラは回っているのか、カメラマンが肩に大きなカメラを乗せている。
部室の中で集合写真を撮ってから、一人順番に前に出てさっき言われたことを答えていったのだが、やはり一年生はカチカチで時折他の部員から笑い声が上がる。
大分場もほぐれてきたところで一年生最後の部員、いや一年生最後はマネージャーの掛川由布だった。
「一年生! 掛川由布! ポジションはマネージャーです!
今年の抱負は甲子園の優勝校マネージャーになることです!」
これには取材スタッフも部員たちもざわめくしかなかった。甲子園へ行くことが目標じゃない。優勝することが目標と言い切ったのだ。
やはりこれくらいの大口が叩けないことには夢のままで終わってしまう。僕たちにとって甲子園出場は夢ではなく目標なのだ。
かと言ってそれを公言するのは簡単な話ではない。夢と目標と現実とが、必ずしも一致するわけではないのだ。
ざわめきが収まってから二年生の番になり、優等生的なチビベン、ハカセ、カワと無難な答えが続いたが、次は丸山の番となり嫌な予感がする。
「二年生! ライト! 丸山満! 通称マルマン! 彼女募集中!
今年は甲子園で最多ホームラン記録を狙うぜ!
目標は打率打点も含めた三冠王だ!」
これまた大きく出たもんだ…… 次の番は僕なのに直前でそんなビッグマウス、まったく神経が太すぎる。部員たちは大笑いだったが、言った本人はいたって大真面目なのが恐ろしい。
僕が丸山と交代で前に出ようとすすると木戸が肩を押さえて引き留めた。
「カズはエースだから最後から二番目な。
次は先輩に先いってもらうわ」
そう言うと三年生たちに声をかけた。それぞれが最後の大会なので頑張ります、みたいに無難なことを言っていたが、まあそれが当たり前の事だろう。由布と丸山は普段からだが、どこかずれているのだ。
そしてようやく僕の番がやってきた。無難にしゃべるつもりだったことが、順番が変わりいったん気持ちが途切れたことで頭の中が真っ白になってしまった。
「二年生! ピッチャー! 吉田カズ! えっと、一と書いてカズと読むけど次男です。
今年は予選を完璧に投げて抑えて甲子園出場します。
夏の大会ではノーヒットノーラン達成、できれば完全試合をやりたいです。
そのままの勢いで夏春夏の三連覇、卒業後はメジャーでプレイする予定です」
は? 何を言ってるんだこいつは。今喋ったのは本当に僕なのか? リトルリーグの小学生じゃないんだからいくらなんでもこれは夢見すぎな発言だろ。
丸山が抱負を語った時は笑い声で包まれた部室が今はシーンと静まり返っている。もしかしてこれが滑ったってやつなんだろうか。
恥ずかしくなった僕は周囲を見回して反応を確かめる。するとなんということだ、全ての時間が止まったかのように固まっていた。
そこへなぜか咲の声が聞こえてくる。
「どう? 恥かいちゃいそうかしら?
今ならまだ間に合うわよ?」
「間に合うってどういう意味?
僕が大口叩いたことがなかったことにできるってことかい?」
「そうよ、私はこのまま言い切るキミもかわいくていいと思うけどね。
でもキミは恥ずかしいんでしょう?」
「う、うん、いくらなんでも盛りすぎだからね……
本当はこんなこと言うつもりじゃなかったんだよ」
「じゃあ今回は助けてあげる。
目をつむって三つ数えたら目を開けなさい。
そしてこれに懲りたら私の言うことに詮索を入れようなんて気持ちは持たないことね」
「うん、わかったよ、約束する」
こうして僕はまるで弱みを握られたかのように咲へ完全服従を誓ってしまった。そして言われた通りに目をつむり頭の中で三つ数えた。
「おい、何固まってるんだよ。
早く何とか言えって」
目を開いた瞬間、横にいた木戸が僕の脇腹をつついてきた。
「あ、ご、ごめん。
えっと、二年生の吉田一、ポジションはピッチャーです。
今年の抱負は…… 投げる球全てを大切にして悔いの残る投球をしないことです」
「なんだか優等生だなあ。
まあいいか、あとは俺で最後だな」
ついさっきの出来事は夢だったのだろうか。それとも本当に時間が戻ったとでも言うのだろうか。不可解すぎて現実と幻の区別がつかず、僕の頭の中は混乱していた。
さっきの大口は本心と言えば本心だが、それはあくまでも夢であり現実的な話ではなかった。しかもそれは小学生のころに将来の夢という題目の作文で書いたものほぼそのままだ。
すっかり忘れかけていたけど、心の底ではその想いを持ったままだったのかもしれない。そんな物思いにふける僕を、木戸の大声が現実に引き戻した。
「よしラストは俺だ。
二年生! 野球部主将、木戸修平! ポジションはキャッチャー!
今年はいい部員がそろってるのでマジで甲子園狙ってます。
夢は日本一の居酒屋店主になること!
その前にまずは甲子園制覇だ! ごっさん亭ヨロシク!!」
結局木戸も自信満々ででっかいことを並べ立てていた。これくらい堂々と言えたなら気持ちいいだろう。
「みなさん元気があっていいですね。
雰囲気も明るいしいいキャラクターがそろってる。
応援してますので頑張ってくださいね」
アナウンサーか何かなのか、取材陣の中で唯一の女性が閉めの言葉を述べた。そこで終わりにしておけば良かったものの、こういうときに一言多いのが木戸の悪いくせだ。
「アナウンサーさん、良かったら今日の夜にでもうちの店に飲みに来てよ。
顧問の真弓ちゃんも毎日入り浸るくらい料理の旨い居酒屋なんだぜ」
「ちょっと木戸君、そんなことばらさないの!
それにそんなナンパみたいな真似、先方さんにも失礼でしょうが!」
そういうと真弓先生は立ち上がった木戸の尻を、手近なスコアブックで思いきりはたいた。それを見たスタッフは大笑いし、僕たち部員は恥ずかしい思いに頭を抱えていた。