帰り道の不審者
球場からの帰っていく大勢の人波に紛れてしまえば、つい先ほどの騒ぎを気にする人たちも、僕達の存在を気に留める人達ももういない。
「野球の試合見てどうだった?
楽しめたなら良かったんだけど、まさかあんなことになるなんてびっくりだよ」
「そうね、楽しめたわよ。
正直言えばルールはわからないし、今何が行われてるのかもよくわからなかったわ。
でもキミが喜んでるところを見るのが楽しかったのかもね」
咲はあのこと、宮崎選手と真剣勝負をして騒ぎになってしまったことには関心がないようだ。そのおかげで席も変わってしまったり、途中で出歩くことも難しくなってしまった。それでも楽しめたのならまあ良かった。
それでも色々と謎が残る。
「あのさ、ここへ来る前に咲が言ってたよね?
力を出せればなんとかってさ。
それだけじゃないんだけど、もしかしてまさか未来のことがわかるとか?
そもそも抽選に当たったこと自体が奇跡みたいなものなのに、それもランダムに引いたはずが僕と一番違いで咲の番号が当たりだったし、」
そこまで話したところで咲が僕の口を人差し指で抑えるようなしぐさをした。そんなことをされたら、僕もそれ以上のことを言えなくなってしまう。
少し不満げに口を閉じると、咲も少しむっとしたような顔をした。僕達は人波の中で立ち止り、それはまるで時間が止まったように埋もれていく。
その直後、咲は膨らませていた頬を元に戻し微笑みながらごく小さい声で呟いた。
「かっこよかったわよ」
「えっ? 今なんて言ったの?」
そしてそのまま振り向いて歩き出してしまった。よく聞き取れなかった僕は慌てて追いかけながら今なんといったの? と聞くのだが、咲は二度は言わないと返事をしてからいつもの無表情に戻ってしまっている。
前を歩く先のすぐ後ろを歩いてついていく僕。間もなく駅についてしまうが、このまま帰るつもりだろうか。少し時間をつぶしてからどこかで夕飯を食べようと思っていたのに、まだ怒っているのかもしれない。
切符売り場まであと少しと言うところで僕は思い切って聞いてみた。
「この後どうする?
野球観終わったら咲の希望を聞くって約束したじゃん。
てっきりどこかで食事かなにか連れてくって話になると思ってたんだけど・・・・・・ 違った?」
「私は繁華街は好きじゃないの。
だからゆっくり出来るところへ行きたいわ。
もちろん二人きりでね」
ちょ、ちょっと、咲はいったい何を言ってるんだ!? 二人でゆっくりできるところなんてそんな場所は限られてるじゃないか。僕の心臓は高鳴り手のひらには汗がにじみ出てくる。
それでも精いっぱいなんでもないふりをしてみるが緊張の色は隠せていない気がする。方や咲はと言うと、相変わらず冷静沈着な面持ちでこちらを見つめている。そんなに見つめられたら余計に緊張してしまう。
だがそんな僕の心の内はお見通しなのかもしれない。咲は僕の方へ手を伸ばし手を取ってまた歩き出す。あっと言う間に切符売場へついて、二人は最寄り駅までの切符を買った。
「さ、帰りましょう。
この後は私の言うことを聞いてもらう番よ」
「う、うん」
怒ったままなのかと思えば二人きりでゆっくりできるところへ行きたいといい、かと思うと帰ろうと言い出す。いったい何がなんだかさっぱりわからないが、野球観戦に付き合ってもらったらその後は咲の希望に沿うといった以上任せるしかない。
機嫌がいいのか悪いのかわからず不安な気持ちのままで咲の後についていき、やがて自分たちの町へ帰ってきた。
「じゃあここで別れましょう」
僕は上手く返事もできずうなだれるように頷いた。
「もうっ、なにをそんなに落ち込んでいるの?
別々に帰らないと誰かに会ってしまうじゃない」
「それじゃあ……」
「私は買い物してから帰るわ。
あとで声をかけに行くから家へ帰ってシャワーでも浴びたらいいんじゃない?
あれだけ大騒ぎしたから汗かいたでしょ」
「うん! そうだね、うん、わかったよ。
じゃあ先に帰るね」
急に元気になった僕はウキウキしながら返事をした。そうか、きっと二人きりって言うのはいつもと同じ、自宅で過ごすという意味か。あまりに深読みしすぎていたのか、それとも興奮のあまり自分を見失ってしまっていたようだ。
咲は豹変した僕の態度が予想外だったのか、なんとなくきょとんとした様子でこちらを見て、それから駅の反対側へ向かって歩き出した。
今日は一緒に野球を見に行けて本当によかった。宮崎選手と勝負出来たり、ベンチ横の特別室で試合が見られたり、普通じゃ考えられない体験ができた。
そんな楽しい一日を誰にも自慢できないなんて少しつまらない気もするけど、そんな喜びを一番分かち合いたいのは咲なのであまり問題ではない。それよりもこの後咲が要求するはずである「野球観戦の後、今度は咲の言うことを聞く」という約束が気になっていた。
それがいったい何なのか想像もつかないが、咲が僕に要求して僕ができることなんてたかがしれているだろう。どうせ明日も休みだし、次はどこか咲の行きたいところへ連れて行ってもいい。そんなことを考えていた僕のところへ唐突にメッセージが飛んできた。
しかも一度に三通も飛んできたのでびっくりして足を止め確認する。一通は木戸からだ。文面はシンプルで、カワが退院してきたから見舞いに行ったことと元気だったことのみ書かれている。この調子なら昨日の諍いはもう気にしていないだろう。とりあえずこれで心配事が一つ消えた。
もう一通は母さんからだった。とても豪華な刺身の盛り合わせ、船盛ってやつの写真と一緒に、帰りは火曜日の日中の予定らしい。食事代が残っているか心配だったようなので、多めに貰ってるから心配ないと返事をする。さすがにクラスメートの家で毎日ごちそうになっているとは言えなかった。
三通目は咲だ。そこにはとんでもないことが書かれていた。まさかそんなことがあり得るのだろうか。僕は焦って平常心を失いかけたが、とりあえずはメールで咲が伝えてきたように、きょろきょろせず注意しながら真っ直ぐに帰らず遠回りしながら歩くことにする。
しばらくすると次のメールが来た。咲の指示に従ってスーパーへ入り買い物をする。買い物が終わったら帰り道にある児童公園のベンチで休憩しろと言うことだ。別に疲れているわけじゃないがとりあえず言う通りに公園へ入りベンチへ腰を下ろした。
五分ほどぼーっとしていただろうか。咲からの指令メールがやってきた。
『ベンチから立ち上がったらキミから見て右手の出口から大急ぎで出て。
灰色のジャンバーを来た人が逃げ出したら捕まえるのよ。
買い物の荷物はそのままにしていいわ』
どうやら咲は僕の後ろからずっとついてきていたようだ。そしてその間には僕をつけている男性が一人。僕は気が付いていなかったけど、どうやら球場の人込みで見かけた後同じ電車に乗っていたらしい。
僕と咲が駅で別れた後、その男性は僕の後ろをつけていて、咲はそれをさらにつけていたのだ。このタイミングで僕をつけてくるなんて、おそらくは記者か何かなのだろう。
『無理に取り押さえなくていいのよ。
追いかけるだけで君の体力に勝てず観念するわ』
僕はメールに返信をしたあと立ち上がり、一呼吸おいてから公園の出口へ全力で走った。幸い遊んでいる子供もいなかったので迷惑にはならなそうだ。
公園の一番奥にあるベンチから出口まで数秒、そこから通りへ出て右を見ると誰かが走っている。一瞬だけこちらを振り返ったがそのまま走り去ろうとしていた。
僕は咲の言ったとおりだったな、と思いつつその男を追いかける。しかし全力で走るつもりがそんな必要もなく、灰色のジャンバーを来た男性はどちらかと言うと足が遅くすぐに追いついた。
「あなたは誰なんですか?
ずっとつけ回してなんの用でしょうか」
「いや、はっ、はっ、用とか、はあはあ」
どうやら走りながらしゃべることはできないらしい。その男性の足取りはあっという間に遅くなり、二百メートル程度で足を止めた。ぜえぜえ言いながら肩で息をしているところを見ると少しだけかわいそうになる。
その男性の息が多少でも戻って、話ができるようになるのを待っていると咲からメールが来た。
『お疲れさま。
多分記者さんかなにかだと思うから名刺くらい貰っておいて。
私は先に戻るから後で家に来てね。
買い物袋は持ってるから大丈夫よ』
僕は了解と返事をしてその男性が落ち着くのを待つ。きっと普段あんまり運動をしていないのだろう。まだ肩で息をしていて苦しそうだ。年齢はそれほどいってなさそうで三十代だろうか。やはりある程度の運動はしていないと何かあった時に困るものだろう、なんて思っていると咲から追加のメールがやってきた。
『もしかしたらキミの写真を撮っているかもしれない。
正体明かさずに逃げたりしたら警察へ相談してもいいわね。
少しでも害がありそうなら野林のおじさまへ言いつけるわ』
なるほど、野球関係者なら野林監督へ、違うなら警察へ、と言ったところか。
ようやく息の整いかけた男性へ向かいもう一度話しかける。
「そろそろ話せそうですか?
いったいあなたはどこの誰ですか?
場合によってはこちらも然るべく対応をしますよ」
「ま、まってくれ、怪しいものじゃない。
俺はボールパークウェッブというサイトをやっている脇山と言うものだ。
野球少年なら知ってるかな?」
「サイト? インターネットですか?
僕はそういうの興味ないので知りませんし怪しさしか感じませんけど。
名刺とかありますか?」
「名刺は作ってないんだよなあ。
あ、でもチーターズの城山は後輩で仲がいいから、球団に問い合わせてくれても構わないよ」
城山選手は入団三年目の若手外野手だ。まだ二軍と一軍ベンチを行ったり来たりしているが、将来有望視されている長距離打者だ。
「問い合わせはとりあえず置いといて、なんでつけ回すようなことしたんですか?
こういうの困るんですけど……」
「いや、本当に悪かった。
球場で見かけてすごいなって思ったんだ。
そしたら帰りの電車でも見かけて、同じ方向なのかとツイね……
別につけ回してなにかってこともないんだけど、今日の試合レポートを書くときに一緒に載せようかと思ってさ」
「絶対にダメです。
困るんで書かないでください。
大体僕はプロじゃないんだから勝手に記事にするとか勘弁してくださいよ」
「うんうん、わかってる。
俺も普段は球場の設備とか盛り上がり方とかを中心に書いてるんだ。
ファンイベントについても、こんなことがありました、程度しか書いてないよ、普段はね」
「じゃあ普段通りでいいじゃないですか。
僕を名指しで書くのはやめてください。
写真を撮っているなら消してください。
もし記事になるようなことがあったら野林監督へ言いつけますから」
「わ、わかった、約束する。
でもね・・・・・・ 多分手遅れだよ。
これちょっと見てみて」
脇山と言う人が自分のスマホを何やら操作した後、僕へ向かって差し出した。そしてそこには驚くべきことが載っていた。
『今日見に行ったCB戦でチーターズの宮崎が素人に打ち取られてたわ。フルスイングしてるように見えたけどまさか本気じゃないよな? #チーターズ #ブレイカーズ #矢島市民球場』
『高校生くらいの子がファンイベントでプロに勝ってて草 #チーターズ #ブレイカーズ』
『宮崎選手のファンだから言うわけじゃないけどアレは本気じゃないよ。ファンに打ち取られるのも仕事だからね #チーターズ #ブレイカーズ #CB戦』
『今日矢島であったチーターズとブレイカーズのデイゲーム前に投げた高校生くらいの子球早かったな』
よくわからないけどSNSというやつだろう。僕に関する書き込みがちらほらあるようだ。
「君の事を見た人がこうやってSNSへ書き込んでいるんだよ。
かといって身元までわかるとか限らないけどね。
どちらにせよ全員の口をふさぐのは難しいと思うよ」
「それでもあなたみたいにつけてくる人が他にもいるわけじゃありませんから。
そのサイト? でしたっけ? そこへの掲載はやめてください。
有名で見る人が多いところならなおさらです」
「オッケー、球団から注意されたら俺も困るしね。
ただ他の誰かのことは止められないからそれだけはわかってくれよ。
決して誰かをたきつけたりもしない。
それは約束するから、君の名前と学校を教えてくれないか?」
「嫌です。
でも今年は夏の大会で全国出るつもりでやってます。
もし僕やチームメイトに実力があればまたお会いすることもあるでしょう。
でも今後見かけることがなかったら、僕はその程度の選手だったということです」
「おお、言うねえ。
同じ県民としてチェックしておくよ」
「はい、よろしくお願いします。
まだ何の実績もないのに騒がれるのは不本意ですから」
僕は自分でも驚くくらいのビックマウスだなと思いつつその場を後にした。まったく思わぬところで時間を取られてしまった。咲のことは待たせたままだし、お腹も空いてきたから早く帰ろう。
さっきの人が本当に約束を守ってくれるかわからないけど、こちらの素性がわからなけりゃなんとでもなるだろう。僕としては咲と一緒に出掛けていたことが周囲にばれなければそれでいいのだ。
しかしまたつけてこられると面倒なので、僕は朝のジョギング位のペースで走り、遠回りしながら帰った。