ケンカするほど仲が悪い
午後の授業はあっという間に終わった。決して寝ていたわけではなかったが、週末を楽しみにしているせいか時間の流れが早く感じる。ホームルームも終わり部室へ向かうため荷物をまとめていると、早くも背後で席を立つ気配がする。どうやら咲はもう帰り支度ができたようだ。
僕は振り向いたり声をかけたりできないことをもどかしく思いながら、咲が教室を出ていくのを背中で見送った。
その直後、ほんの少しだけ意外な出来事があり僕の耳に何やら聞こえてくる。今までそんなことがなかったのか気が付かなかっただけなのかわからないが、教室を出る寸前の咲へ誰かが声をかけたのだ。
それは扉を開ける音が聞こえる前の出来事だった。声をかけたのは出口に一番近い席の小野寺小町だろう。小町はクラスの中で、いや二年生の中でも目立つ存在だ。長くて真っ直ぐな髪と細身で凛としたルックスは清楚な雰囲気があるように感じる。
ただ、実際には女子のグループでは中心的存在で、休みの日には他の学校の男子と遊んだり化粧をして繁華街をうろついたりしているらしい。まあ娯楽の少ない田舎では遊べる場所も少ないだろうから退屈で仕方ないのかもしれないが、あまりほめられた素行ではないだろう。
ちなみに小町と木戸はとても仲が悪いようだ。なぜかはわからないけど、同じ中学出身だからいろいろあったのかもしれない。わかっているのはどちらもルックスのいい美男美女だということくらいか。
実際に見たわけじゃないが、並んで歩いていたらきっと誰もが羨む似合いの二人と言うことになりそうなのだが、現実は仲の悪いなじみの二人なのが面白い。もしかしたら同族嫌悪なのかもしれないなんて思ったりもする。
そかし僕にとってそんなことはどうでもいい。問題なのは小町が咲へ話しかけたということなのだ。別にいじめだとか嫌がらせだとかそんなことはしないと思うが、なにか悪いことに誘い込んだりしなけりゃいい。咲はおかしな誘いに乗ることはないだろうが、そのことで小町と険悪になったりするとクラス内でますます孤立することになるかもしれなくて、それが心配じゃないというと嘘になる。
そんなことを考えていたらいつの間にか手が止まっていた。気が付いた僕は急いで部活へ行くための準備を再開した。
そこへ大きな声が教室へ響く。木戸とチビベンが勢いよく扉を開け入って来たのだ。
「よおカズ、早く行こうぜ、ちょっといいこと思いついたんだよ。
これなら全員いっぺんに練習になるなってやつをさ」
「木戸のやつ、授業中にいいこと思いついたからって話しかけて来てさ。
授業中騒ぐなって俺まで一緒に怒られちゃったよ。
まあでも確かにいいアイデアだとは思ったけどね」
「木戸はともかくチビベンまでそう言うなら本当にいいアイデアかもしれないな。
気になるから早く行こう」
「いやいや、急がなきゃいけないのはカズ、お前だよ。
まったくのんびりしすぎなんだよなあ」
木戸がせっかちなだけじゃないのか、と言いかけたが、確かに手が止まってて支度が遅れたのは僕なので言い返しはしなかった。
しかしここで、木戸の背後からいかにも怒り心頭と言った顔が近づいていた。
「木戸修平! 人のクラスにどかどかと土足で入ってくるような真似していいと思ってるの?
迷惑だから早く行きなさいよ! ホントうるさくて仕方ない」
その怒り顔の主は小町だった。わざわざ注意しに来ると余計に遅くなると思うんだけど、当人は一言言わないと気が済まないのだろう。
「なんだ小町か、何言ってんだよ、俺はちゃんと上履き履いてるぜ」
そういって足を上げて見せた。
「なんだとはなによ! ホントに嫌なヤツだわ。
それにね、実際に土足かどうかを言ってるんじゃないわ。 バカじゃないの」
「何言ってんだ。 お前が土足で入ったっていちゃもんつけてきたんじゃないかよ。
俺はそんな分別がつかない男じゃないぜ」
小町の顔は怒りを通り越したのか表情が和らいだようにも見えるが、どちらかと言うと呆れてものも言えないという表現の見本のような顔だ。
「木戸よ、小野寺の味方するわけじゃないけどさ、土足で入って来たってのは比喩表現だよ。
ずかずかと図々しい態度で入ってくるなって言いたいわけじゃん?」
「いや、それはおかしい。 俺は図々しくしてないし上履きも履いてるさ。
それに俺はこの学校の生徒なんだから、どの教室へ入っても咎められる言われはないぜ」
「あははは、木戸に難しいこと言ったって無駄さ、小町ちゃんは良く知ってるはずだろ?」
チビベンがそう言って小町をなだめようとした。すると小町はチビベンを標的に変えて小言を続けた。
「ちょっと山下君、私とこいつがまるで仲がいいみたいに言うのはやめなさいよ。
こんな奴大嫌いなんだから」
「いや、そういう意味じゃないけど、良く知った仲なのは事実じゃん?」
「百歩譲って私がこいつのことを良く知っていると言うなら、山下君だってこのバカ野郎の事良く知ってるでしょ?
だったらあんまり騒がしいまねさせないでよ」
話の内容を理解できていない様子の木戸だが、バカと言われたことには反応を示していた。しかしそれより先にチビベンが小町へ答える。
「え? 俺が保護者でもないのに木戸の面倒見なきゃいけないの? そんなの嫌だよ」
「嫌かどうかは聞いてない、そうしなさいって言ってるの。
拒否するなら…… かわいい年上彼女へ言いつけちゃうわよ」
「ちょっ、なんでそんな…… 小町ちゃんの知り合いなのか?」
「バレー部に仲いい子がいてね、その子から聞いたのよ。
年上の彼女なんて山下君にあってるじゃない」
やはり小町のように少し背伸びをした女子高校生ともなれば色恋沙汰には敏感らしい。チビベンも、まさかこんなところでバレー部の彼女について追及されるとは思っていなかったのだろう。突然のことに動揺してうまく言葉を返せないでいる。
「いや、まだ、その、彼女ってわけじゃ……
わかったよ、木戸にちゃんと言っておけばいいんだろ」
「それでよろしい。
そう言えば先輩はすごく喜んでるみたいってその子は言ってたよ、妬けるなあ」
「その話はもういいよ。
カズ、木戸、早く行こうぜ」
「おい、俺がちゃんと上履き履いてるのはわかったのかよ。
何がどうなってんのかさっぱりわからねえ」
僕は笑いをこらえながら木戸を後ろから押すように教室を出ていった。チビベンは恥ずかしかったのか顔を赤くしながら、それでも何となく嬉しそうに後に続く。三人が廊下へ出て部室へ向かって歩いている最中、木戸はしばらくの間自分の足元を気にしながら、盛んに首をかしげていた。
そんなどさくさに紛れてか、咲がとっくに教室を出て行っていたことに気が付いたのはもう部室へ着く直前だった。