魅惑の魅力に誘惑される苦悩
咲は今僕に寄り添って肩に頭を乗せている。僕の手のひらには咲が手を重ね、そして指を絡ませていた。この僕が女子とこんな距離でじっとしているなんて今まで考えてもみなかったことだ。
つい先ほどまでソファへ背中をつけたまま咲にのしかかられていた僕は、軽い疲労感に襲われている。でもこうやって並んで座っているだけで、そんなことはどうでも良くなるほどに幸せな心地だった。
咲に全てをゆだね、全てを捧げていたような、そんな幸せな夜の時間はもうすぐ終わりを告げる。
「もうそろそろ父さんが帰ってくるから僕も帰らないとだ」
「そうね、残念だけど今日はこの辺でお開きにしましょう。
今日は満足してもらえたかしら?」
「う、うん、なんて表現したらいいかわからないけど幸せな気分だよ。
僕はおかしくなってしまったのかな……」
「おかしくなんかないわよ、キミの気持ちはちゃんと私に伝わってきているわ。
この後帰ってからもきっと私の事を思い返してくれると信じているわ」
「そ、それは……」
僕は昨晩したことに対し罪悪感を持っていた。しかもそれを咲が感じ取っているのだとしたら恥ずかしいなんてもんじゃない。今日は絶対に我慢するんだと心の中で言い聞かせた。
「キミが私の事を想ってくれることが私の糧になるし、それが巡ることでキミの糧にもなるのよ。
だから自分に正直でいてくれて構わないし、私の呼びかけに応えてくれるのがキミのためにもなるわ」
「うん…… 正直言って今の僕は咲になにか言われたらすべて従ってしまうよ。
でもそんな主体性のない自分は頼りない男なんじゃないかもしれないって思うんだ」
「うふふ、難しく考えすぎよ、でも自分をしっかり持っていたいというのはいい心がけだわ。
もしかしたら今後、私の言うことがどうしても受け入れられないと感じることがあるかもしれない」
「そんなことあるのかな」
「さあ、それはわからないわ、でもね、人は誰でも心変わりすることがあるのよ。
もしもそういう時が来たら自分を信じて判断してちょうだい」
「それってどんな状況なんだ? 今は想像もできないな。
僕が咲に惹かれなくなるってことなんだろ?」
「さあ、それは私にもわからないわ。
少なくとも今はそんな気配を感じるわけじゃないしね」
僕は黙って考え込んでいた。そりゃ人の恋愛感情なんて一生続く方が稀かもしれない。でも咲と僕の関係はそんな一般的なものとは違うんじゃないだろうか。
咲に心を読まれているような感覚や物言いからすると、普通の頭では受け入れがたいことが多すぎる。それに疑問を持たない僕はすでにおかしくなっているのかもしれない。
「さ、そろそろお帰りなさい、お父様が帰ってきてしまうわよ。
帰ってきた時に家に居なかったら一つ目の約束を破ってしまうかもしれないわ」
「そ、そうだね、そうなる前に帰らなくっちゃ大変だ」
僕が立ち上がる前に咲がソファから腰を上げこちらに両の手を伸ばす。僕はその手を取り続いて立ち上がった。
両手を合わせたまま向かい合った僕と咲はゆっくりと顔を寄せ、今日何度目かわからないキスをした。
片手を離し手を繋いで玄関まで進んだ後、咲が僕へ声をかける。
「そういえば気になっていたみたいだから教えてあげる」
そう言いながら繋いでいない方の手首を掴んで自分の胸へ誘導した。抵抗もできずされるがままでさらわれた僕の手は、厚手のシャツ一枚越しで咲の乳房に触れることとなった。
呆然として繋いだ手が緩んだのを確認した咲は、その手を反対の胸へ持っていく。両手からこぼれたその二つのふくらみ、そしてその柔らかさが僕の体を固くする。
「うふふ、家ではいつもつけていないの。
ちょっと刺激が強すぎたかもしれないけど、女の子って柔らかいでしょ?」
僕は無言でコクコクと二度ほど頷くのが精いっぱいだった。体は硬直し顔は真っ赤で頭から湯気が出ていそうだ。
上目づかいで僕を見つめながら話していた咲がゆっくりと目を閉じる。僕は何も言われていないのに自然と顔を近づけ唇を寄せた。
「さあ急ぎましょう、間に合わなくなるわよ」
僕は急いでスニーカーを履き咲の家の玄関を開けた。振り返った僕は置いてきぼりにされた子犬のように情けない顔をしているだろう。それくらい後ろ髪を引かれる思いなのだ。
「大丈夫よ、愛しいキミ、また明日ね」
僕をあやすように咲が優しくささやいた。僕はその言葉を信じるように玄関を出て扉を閉める。そして急いで自宅へ戻っていった。
家へ戻り玄関の鍵を開けて中へ入る。門燈をつけてから僕は自分の部屋へ行き、布団をかぶって悶えていた。
もうあまりの苦しさに気が狂いそうだ。たった今別れたばかりなのにもう会いたくて仕方ない。いや、会いたいというよりはずっと一緒にいたいということか。
手を繋ぎ、体を寄せ合い、そしてキスをしてさらにもっと……
恋をするということがこんなにも苦しく、そして幸せなことだなんて知らなかった。頭の中は咲のことで満タンになっていき今にもあふれ出しそうだ。
枕に顔を押し付けて咲の名を叫んでいたところで玄関が開く音が聞こえ、僕は現実に引き戻されることとなった。




