強豪の本質
二回の表、三田は『危なげな』ピッチングでランナーを貯めてしまうが、相手の拙攻に助けられ無得点のまま。正直、点を取られていないのが不思議である。
こちはと言えば、衝撃的な初回に続き大盛り上がりだった二回の裏、チビベンが内野安打で出塁し、まこっちゃんのセフティバント崩れで二塁進塁、しかし後続が打ち取られて攻守交代だった。
しかし三回に三田が捕まってしまう。ヒット四球四球で満塁から、犠牲フライでまず一点。ワンナウト一、三塁でまた犠牲フライを打たれて同点になってしまう。その後もヒットを打たれたが、なんとか追加点は取られずに済んでようやくチェンジとなったが、戻ってきた三田はかなり疲れていて交代をせがんでいた。
「やっぱ三回は厳しかったかー
でも良くやったよ、なんてったって同点で済んでるからな。
予定では四点取られてるはずだったのに比べりゃなんでもねえ」
「そう言ってくれると救われるよ……
ぜえぜえ…… でももう無理だあ……」
みんなが三田へお疲れさまと声をかける。きっと野球部へ戻ってきて良かったと思っているだろう。僕はそれが何よりうれしかった。
「では勝ち越しに行ってきますかねええ!
もうホームランは追いつかねえからヒット狙いにするわ」
「うはは、任せとけよ!」
いつものように軽口を叩きながら木戸と丸山が打席へ向かった。丸山はネクストバッターサークルまでいくと木戸の尻をバットで突っついていたが、あれはあいつらなりの挨拶だろう。
しかし早々うまくいかないもので、山尻勝実は二人との勝負を避けるように四球を連発した。
「これをやられると厳しいですね!
やはり矢島は身より実を取ると言ったところですかね!
主将は打てのサイン出してますけどバントも有りな場面ですよ!!」
「いや、バントしてスクイズでもいいけど、まだ序盤だしね。
木戸に任せよう」
結局続く三人は凡打に終わり、追加点を取ることはできなかった。
「すまん、せっかくのクリーンナップだったのに……」
「別に涌井先輩のせいじゃねえし、気にしないでいいっすよ。
最終的に一点多く取ってれば勝つだけの簡単な話っしょ?」
初回に続いて三人斬りされてしまった三年生たちは申し訳なさそうにしている。だがそれは木戸の組んだ打順のせいだ。
「このあと一点もやりませんから負けは無いですよ。
その間にお願いしますね!」
僕は自分へ言い聞かせるように大見得を切った。
そして、球場に投手交代のアナウンスが響く。
『ピピッチャーあっあー、三田君に変わりましてってって、吉田君っうんっん
背番号いちっちっち』
自分の名前がこんなに大きい声で紹介されたのはもちろん始めてだ。かといってそれが緊張につながる気配は感じない。むしろ武者震いを感じるくらいに気持ちが高ぶっている。
僕はマウンドからスタンドを見て、咲がいるところを探していた。すると木戸が容赦ない言葉を投げつける。
「おいおい、彼女がどこにいるかが一番気になるとか、余裕すぎるだろ。
マルマンの気持ちも考えてやれよ」
「いや、別にそう言うわけじゃなくて……
やっぱりそうだけどさ、集中はしてるから問題ないさ!」
思わずムキになって答えると、木戸がスタンドをミットで指し示す。
「あのへんじゃねえか? パン子見えるだろ。
二年同士近くにいやしねえ?」
思わず言われた方向を見てみたが咲はいない。しかしそこから少し離れたところに咲と母さん、父さん、それに江夏さん夫妻が並んでいた。
「いたいた、別のとこだけど見つけたよ!
これで気にせず投げられる!」
「はあ、お前彼女出来てから変わり過ぎだろ。
女に免疫無いっていうかさ、野球にストイックだったのが嘘みてえだ。
ま、プレイにはいい影響が出てるみてえだから文句は無いけどな」
「お前こそ真弓先生とどうなってるんだよ。
今日めちゃくちゃ不機嫌じゃないか」
「それは今関係ねえ!
昨日の夜、飲ませようとする親父ともケンカして大変だったんだぞ?」
「まあお互いほどほどにってことで……
さあやるか!」
まさか決勝戦の大舞台でマウンドへ上がり、バッテリーがこんな会話をしているなんて誰も思わないだろう。それが僕たちにとって当然のことだなんて知ってる人はどこにもいない。
交代して最初のバッターは九番に入っている山尻勝実だった。この人は結構勝気だから、得意としている球と同じのを見せてアツくさせ、木戸や丸山と勝負するよう仕向けてやろう、とベンチで作戦を立ててきたばかりである。
そこまではわかっていたけど、木戸のサインはまさかの一辺倒。真ん中低めへのツーシームジャイロを連投し、手も足も出させず三振に斬って取った。
一番へ返ってからは、由布のノートに沿って、相手の得意な場所の近くに得意なボールを中心に組み立てていく。三田の時は苦手を突いていっていたから、急に攻め方が変わったこともあって効果絶大のようだ。一、二番をたった三球で仕留めて僕たちはベンチへ引き上げた。
「今日はかなり調子いいな!
スピードよりもキレがやべえわ」
「俺がプロに入るときはカズと違うチームにするわ。
今だって本気で勝負したいのにろくにできねえもんな」
木戸も丸山も随分と持ち上げてくれる。確かに調子は最高で、きっと出てくる前に受け取ってきた、咲の想いのおかげだ。
山尻勝実も調子はいいらしく、先頭のチビベンをきっちりと抑える。力なく戻ってきたチビベンが、愚痴をこぼしたくなっても仕方ない出来だ。
「向こうのエースもなかなかやるなあ。
狙い球は絞ってるけど、左右に散らされると捕らえるの難しいよ」
「チビベンは随分弱気じゃねえか。
表に出て彼女探してきた方がいいんじゃねえか?」
木戸がそう言うと、チビベンは真に受けてベンチの外へ出た。どうやら無事に見つけた、というか向こうから声をかけてきたらしく、ベンチの上では黄色い声援が名指しで飛んでいた。
四回裏は僕の打席からだ。今季まだノーヒットなのでなんとか打ちたいところだが、ピッチングに比べるとバッティングの冴えないことと言ったら、もう情けなくなるくらいである。
それでも低めのツーシームに狙いを絞ってなんとか喰らいついていき、ファールで粘って六球目、久しぶりの快音だ、ったのだが、セカンドの回り込みが早くて一二塁間を抜くことができなかった。
「ドンマイ、良い当たりだったのにな。
やっぱり低めの沈むやつか?」
「そうだね、あれは見えれば打ち頃だと思うよ。
低めに来たらスライダー、一瞬真ん中に見えたらツーシームだろうな」
「なるほどねえ、カズもやっぱセンスが違うんだろうな。
そんなの普通区別つかないぜ?」
そうチビベンが言うと、他の部員も頷いていた。それでも打っていくしかないんだから何とかしていこう、と声をかけるが、具体的なことが何も言えず自分が少し情けなく感じた。
そしてここから僕たちは強豪の恐ろしさを知ることとなる。といっても怯えているのはこちらではなく矢島の方だけど。
一番の木戸、二番の丸山を連続で申告敬遠、まったく勝負する気がない。ただでもらったワンナウト一塁二塁を活かせるかどうかは重要なポイントになってくる。
今のところ、初回のホームラン二本以外にヒットは出ていない。なんとか三年生クリーンナップに得点してもらいたいが、今日の山尻勝実を打てるだろうか。
この大チャンスに、三番池田先輩、四番柏原先輩はあえなく倒れ、ランナーも進めずに五番の涌井先輩だ。先ほどは悔しさを表に出していたこともあって期待したいところである。
その涌井先輩は、三球目に投じられた外への誘い球に引っかかってしまい、バットの先で力ない小フライを上げてしまった。それはサード後方へのイージーフライに見えたが、回り込んでフォローしようとしたショートと譲り合ってしまい、二人の間にポトリと落ちた。
これがなんとタイムリーヒットとなって木戸が生還、均衡を破って二対三、一点のリードとなったのだ。まったくもって幸運が重なったのだが、それを呼び込んだのは涌井先輩の執念だろう。だが続くチビベンはあっさりと打ち取られ攻守交代だ。
「いやー涌井先輩サイコー!
あの場面でタイムリー打つなんてさすがだよな!」
「俺がもうちょっと足早かったら二点入ってたのにすまねえ
今後は走り込み増やすわ」
「本当に凄かったです!
涌井先輩! ナイスすぎました!!!」
木戸も由布も大興奮だ。丸山だけ少し微妙なリアクションだったが、あれはまあ仕方ない。でもあの打球は、ツーアウトになる前だったらランナーが走っていなかったから下手すればゲッツーになっていたかもしれない。それくらい絶妙な所へ落ちた奇跡の一打だった。
これで一点リードだ。このまま守りきってこの試合を制してやる! 僕は気を引き締めなおした。