まさかそんなことが
ピッチングの話が一段落し、今度はビデオ再生を見ながらバッティングフォームのチェックや、タイミングの取り方について丸山と木戸が指導を受けていた。
少し昔であれば、プロアマ間での指導は禁止られていたのだが、現在では撤廃されてプロによる野球教室も積極的に行われている。ただうちの県のような地方、しかも小都市で開催されることはまずなく、プロ選手の実体験を聞ける機会はかなり貴重だ。
高校生レベルでは穴のなさそうな丸山や木戸のバッティング技術も、プロ選手から見ればまだまだといったものらしく、二人ともいつにない真剣さで話を聞いている。時折スイングしながらチェックしているのだが、夢中になり過ぎて料理をひっくり返さないか心配である。
さらに木戸は野林監督から、捕手として役に立つことが書いてあるという本を貰っていた。どうやらうわさに聞く野林ノートを印刷したものらしく、書籍として販売されているものではない。
今まで完全に独学でやってきた木戸と、少年野球や中学でも強豪にいた丸山では受けてきた指導に差があるのだが、それを感じさせないほど、木戸の技術と指導力は素晴らしい。専任コーチのいないナナコーにとっては、主将でありコーチであり監督である頼もしい男だ。
その木戸が野林監督に即戦力捕手と言われたことは、僕にっても嬉しいことだし、うまくいけばまだまだ一緒に野球がやれそうだと感じさせてくれる。
でも、もし木戸がプロに入ったらごっさん亭はどうするのだろうか。いつも店を手伝っていて、本人は跡を継ぐことを考えていたはずだ。しかし今は、まだ僕と一緒に野球を続けたいと考えるようになったと言ってくれた。
僕はその想いに応えられる投手になれるだろうか。まだ伸びしろがあると信じてはいるが、松白を完全に抑えたことにより、もしかしたら今が選手としてのピークなんじゃないかとの考えが頭をよぎる。
あれこれ考えても意味は無く、体を動かして結果を求めていかないと最終的な答えは出ないなんてことはわかっている。しかし不安と言うものは勝手に増えていくものだ。僕はまたカウンターへ戻り、コーラ片手に頭を悩ませていた。
すると、そんな僕のところへ母さんと真弓先生がグラス片手に近寄ってくる。なにか嫌な予感がして逃げ場を探したが、閉じられた店内にそんな場所は無い。
目の前まで来た母さんははっきり言って千鳥足だ。母さんのこんなところは初めて見た。そしてこちらも初めて見る、いや、噂には聞いていたがこちらも酩酊状態の真弓先生だ。
母さんは無言で僕の腕を取り、盛り上がっているのか、随分長く話を続けている咲と白川さんのところへ連れて行った。
どうやら真弓先生は、ここで始めて咲の存在に気が付いたようだ。おそらく白川さん同様、野球の関係者だと思ってたのだろう。
「あるああ? 蓮根さん、こんあところで会うなんて意外ね。
もしかして香さんの言ってた若い友人って蓮根さんのことだったのかな?」
「そうかもしれません、カオリとは一緒に買い物行ったりお料理したり、仲良くしていただいてます。
家もすぐ近くなのでついつい甘えてしまうんですよね。
素敵なお姉さまと言ったお付き合いでしょうか」
「何言ってんの、咲ちゃん、お姉さんだなんてよそよそしいわよおおお。
遠慮はいららいからお母さんって呼んでちょうだいよー」
やばい、母さんも酔っぱらうと父さんと同じ感じになるのか。僕は身の危険を感じ、咲へ目配せをする。しかし咲は動じずにニッコリとほほ笑むだけだ。
予感は的中することになるのだが、だからと言って防ぐ手段は何もない。もうこうなったらどうとでもなれとヤケクソ気分でコーラを一気に飲み干した。大人が酒を飲んで酔っぱらうのはこういうことなのかもしれない。
どうやら母さんは、城山選手と白川さんが結婚報告したことに当てられたらしく、若い二人を祝福したいと同時に、なぜか羨ましさも感じているらしい。それが白川さんへかけている言葉の節々に現れていた。
「私はもおお結婚してて幸せだけどお、あんんあお話を目の前で聞かされるとやっぱねええ。
なんというかあ、こーきゅんとしてええ、乙女に戻った気分なのよおお」
いや、マジで、いい歳こいて乙女とかやめてくれ恥ずかしい…… そう思って父さんへ助け船を出そうとしても、向こうは向こうでベロベロだし、むしろ大笑いしてけしかけている。
だめだこの夫婦…… そう思った直後にそれは起きた。
「若い子たちがああ羨ましいわけじゃあないけどおお、ちょっと焼けるので私も負けないよおにいい
えーっと、うちのカズ君とおおおこちらの咲ちゃんのー、婚約を発表しますああすうう」
はっ!? なにを言いだすんだ!? ちょっと、咲でも父さんでもいいから止めて! しかし誰一人として止めようとする者はいない。それどころか拍手まで巻き起こってしまう始末だ。
「ちょっろ香さん、私担任なのにきいれないんですけどもー
それに二人はまだ高校生ですよおお?
うらやましすぎやしませんかああ?」
ダメだ…… 真弓先生も当てにならない…… 酒癖が悪いとは聞いていたけど、まさかこれほどとは思ってなかった。というか、この世に父さんたちみたいな人が大勢いると考えたこともなかった。
ニコニコしながら大きな音を立てて拍手している人がいたのでそちらを向いてみると野林監督だったし、宮崎選手もかなりお酒が入ってる様子で歓声を上げている。当事者とも言える城山選手は、白川さんとべったり寄り添って目の毒である。
そして確認したくないがどうしても気になるので木戸と丸山をほうを見てみると、当たり前だけどシラフで、でも普通に真顔で拍手していた。
「つーか、カズ、その女子は誰なの?
真弓ちゃんのクラスの子だっけか?
いつの間にか可愛い彼女出来てたんじゃねえか」
「そうだよなあ、今まで誰もいなかったのがおかしかったんだ。
別に彼女がいてもおかしくねえさ。
でもマネジャーと二股は良くないぞ?」
なんでこいつは一言多いんだ。二股なんてするわけないし、由布からは一方的に押しかけられて迷惑しているのだ。
まあこれで咲とはそういう関係であると知られてしまったわけだし、だったら今後は堂々とふるまえて喜ばしいのかもしれない。
ところがここで母さんがまたおかしなことを言い出した。
「とはいってもおお、咲ちゃんがいいっていてるわけじゃあないのでええす。
でもカズにははやくいい子とくっついてほしいのよねえええ」
一瞬、迷惑ありがたかと思ったけど、やっぱりありがた迷惑な気がしてくる。これを聞いて僕は一体どうすればいいのだろうか。
「カズの母ちゃんってあんなに酔っぱらうことあるんだな。
すげえおもしれーじゃん。
ところでお前自身はどう思ってるんだよ。
母親と仲いいくらいだから、お前自身もただのクラスメートってわけじゃないんだろ?」
「いや、それは……
かわいいとは思ってるよ……」
そう言ってから咲を横目で見るが、なぜかその唇が目に入ってしまう。でも目を見なくても何となく表情はわかる。きっとあの、いたずらっ子じみて魅力的な目をしているに違いない。
それを想像するだけでなんかもういろいろ限界が近い。早く帰って咲と二人きりになりたいけど、それはきっと叶わず、酔っ払い二人の面倒を見るのかと思いうんざりしてくる。
そんな状況下で、想定外の男が望んでもいない行動に出た。こういう色恋話で味方になると一番厄介な男、木戸修平である。
「よし、わかった!
俺に任せとけ、こういうのは得意だからな!
いいか見ておけよ?」
木戸は曲がったネクタイと襟元をピシッと直してからつかつかと近づいてきた。もしかして僕の代わりに咲へ意思確認でもしようと考えているのだろうか。
それはやめてくれ! と、木戸の行動を制止しようと思ったその時、ヤツは思いがけないところで足を止めた。
「真弓ちゃん! 高校卒業したら俺と結婚しよう!
そんでごっさん亭を継いでくれ!
俺たちの子供と一緒に!」
えええええ!!
まさか過ぎるその行動に一同固まって動かない。ただ一人、空気を読まない人なのか、野林監督だけが拍手をしている。それにつられたのか、しばらくして他の人も拍手をし始めた。
その拍手を遮ったのは、今まで何度も聞いていたように思えるが、そのどれよりも大きな破裂音だった。
『パーン!』
ものすごい音がして真弓先生が木戸の頬をひっぱたいた。心なしか、先生の顔が赤くなり涙ぐんでいるように見える。いくらなんでもその場の勢いでトンデモないこと言いすぎだろ…… と思ったその瞬間、真弓先生は木戸へ向かって叫んだ。
「子供と一緒にとか!
まるでそんなことしてる関係だって思われるようなこと言わないでよ!
仮にも教師と生徒なんだから、うかつな行動や発言は控えなさい!
しかもこんな大勢の前で恥かかせるつもりなの?」
今まであんなにベロベロだったのに、急にしゃんとしてはっきりした口調で詰めよっている。そりゃ突然あんなこと言われてからかわれたら酔いも醒めるだろう。僕は当然そう考えていた。
でもなぜか木戸は胸を張っている。これが男のなすべきこととでも誇らしげな表情をして背筋を伸ばしている。いやいや、でもこんなの真似できるやついないって、そう思いながら、この気まずい静寂が早く終わるよう祈っていた。
真弓先生が続けて木戸へ話しかける。なんとなく品を作っているように見えるのは気のせいだろうか……
「それじゃあと二年弱か、待ってるからね。
卒業したらプロ野球選手になれるように頑張りなさい。
そして私を楽させて贅沢させること!
でも教師はやめないからお店はすぐに継がないわよ?」
えええええええええええ!!!!!!!
これってまさかのプロポーズ成功ってことなのか!? どういう状況かさっぱりわからず混乱している僕と丸山、それと置いてきぼり感の強い選手たち。やっぱり拍手している野林監督……
真弓先生は涙を流して喜んでいるし、母さんも先生を抱きしめて泣いている。カウンターの中にいる木戸の親父さんは満足そうにうなずいているし、ハッキリ言って混沌以外の言葉が見つからない。
そして恐る恐る咲へ向かって顔を上げると、そこには早くおいでと言わんばかりに僕を見つめる彼女の姿があった。
こうなったら腹をくくれ、カズ! とでも自分に言い聞かせた様な気もするし、何も考えていなかったかもしれない。でもフラフラと咲の前へ進んでいった僕は、思い切ってかすれた声を振り絞った。
「蓮根咲さん、僕と付き合ってください」
「はい、喜んでお受けします」
僕が告白するのを待っていたように即答だ。内緒だとか契約だとか秘密だとかあれこれ言ってたけど、本当は待っていてくれたのかもしれない。まあこれでホッと一安心だ。隠し事を抱えているよりもずっとすっきりするだろう。
「お前らってホント野球以外でもすげえのな。
俺も腹くくって明日にでも告白してくるわ!」
丸山が完全にあてられてその気になっている。でもまだ知り合ってから日が浅いんだし、焦ることでもないからやめておけと木戸が説得にあたっている。本人の気持ちが盛り上がってしまっているから今日はこのままだろうが、明日になったら頭が覚めていると願うばかりである。
こうして今夜は、なんと三組のカップルが誕生した? めでたい夜となった。
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