じらされた褒美
なんとなくソワソワして落ち着かない僕と違って、咲も母さんもやけに落ち着いている。そこへ突然木戸から電話がかかってきたので、僕は大慌てで着信ボタンを押した。
『カズ! なんかやべえぞ!
親父が頭おかしくなったかもしれねえ。
今までうちで出したこと無いような食材仕入れて来て、やたら豪華な料理仕込んでやがる!』
「ちょっと落ち着けよ。
状況がまったく分からないけど、祝勝会だって名目だから豪華でいいんじゃないのか?」
木戸がこんなに慌てているのはかなり珍しい。確か、一年の時に期末テストで平均点を超えた時以来の慌てっぷりじゃないだろうか。
『だってうちは街の居酒屋だぞ?
なんかローストビーフ? とか、オードブル? っていうのか?
修学旅行の朝飯みたいな感じに並べてるんだよ!
絶対なにかおかしいぞ!?』
「そんなこと言われても、僕は飲みになんて言ったことないんだからわかんないよ。
きっとパーティーならそういうものなんじゃないの?
親父さんはなんて言ってるんだよ」
『俺だってこのくらい作れるんだとか言っててわけわからねえ。
なんかこじゃれちゃってうちのメニューじゃないみたいだわ。
お前の親ならなにか知ってるんじゃないか?』
「まあ一応聞いておくけど、知ったところでなにも変わらないだろ?
それともなにか困るような心当たりでもあるのか?」
『何言ってんだよ!
俺にそんな心当たりはねえ!!
それじゃ忙しいからまたあとでな!』
そう言い残し、木戸は電話を切った。あんなに慌ててなにを心配しているのだろうか。料理が豪華なのを歓迎することがあっても、困ることなんてないと思うんだが。
それにいい食材が使えるくらいの売り上げが見込めるくらいの予算があるってことで、店のことをいつも心配している木戸にとっては喜ばしいことのはずなのに、と僕はいつもと違う木戸の態度に戸惑っていた。
「木戸君? 随分叫んでいたわね。
なにかあったのかしら?」
「僕にもさっぱりわからないよ。
出そうとしている料理が豪華だから、親父さんがおかしくなったって心配してた。
あいつは良く意味不明なこと言うから気にしないのが一番さ」
僕は咲へ電話の内容を伝えてから、念のため母さんへ確認することにした。
「料理が豪華すぎるのはなにか理由があるの?
父さんと江夏さんが開いてくれるって聞いてるけど、あんまり豪華にされても悪いよ。
結構お金かかっちゃうでしょ?」
「あんたはそんな心配しなくていいのよ?
江夏さんのお知り合いもいらっしゃるからね。
それもあって口に合いそうなものを用意してるんじゃないかしら?
私も詳しくは聞いてないから、あくまで想像で言ってるだけだけどね」
「まあそれならいいんだけどさ。
知り合いってどんな人?
その人を接待するついでに祝勝会やってくれるのかな?」
「さあ? あの人たちの考えは、いつもさっぱりわからないわね。
そんなことよりそろそろ早苗さんが迎えに来るわよ?
いつまでも制服のままでいないで、出かける用意しなさいよ?」
「さすがにジャージとかじゃまずいよね?
母さんも珍しくスカートなんて履いてるくらいだし……
なにかそれなりに見える服あるかなあ」
「キレイ目なら問題ないでしょ。
一応恥ずかしくないと思える程度にはしておきなさい」
「カオリ、私が見繕って来るわ。
部屋へ行きましょ、カズ君」
これ幸いと頷いた僕は、咲と一緒に二階へ上っていった。だがよくよく考えると着替えを手伝ってもらうと言うことは、一回制服を脱いでパンツ一丁になるというわけで…… 嬉し恥ずかしだけど、やっぱり色々とやばくない? なんで母さん何も言わないんだよ、なんて考えが頭をよぎっていた。
そうは言っても僕は咲の言いなりであることは事実なわけで、なすすべなく部屋へ押し込まれてしまった。そして…… まずはいつになく激しく抱きしめられ、そして唇を奪われた。
「はあ…… キミすごいわ。
メールの内容はよくわからなかったけど、きっと大活躍だったのね。
ん…… んん…… はあ……」
咲が話をするたびに、お互いの口から唾液が延びる。口の中へ入ってくる咲の舌は熱く、そして柔らかくてヌメッとした感触を僕へ残していく。それは決して違和感なんて感じさせず、それどころか気を失いそうになるくらい、非日常的で気持ちのいいものだった。
「やっぱりわかんなかったかあ。
完全試合って言うのはね、相手にまったく打たれなかったってことだよ……
んみゅ…… くはっ……
だから真っ先に知らせたくてメールしたんだけど……」
「すごくうれしかったわよ、愛しいキミ。
たとえ内容がわからなくても、キミが力を尽くして素晴らしい結果を残せたのはわかるもの。
はああ…… このまま食べてしまいたいくらい愛しいわ……」
咲は物騒なことをいいながら、歯を立てずに僕の下唇を噛んだ。それが何の儀式なのかわからないが、今の僕にとっては咲がしてくれる全てが気持ちよく、幸せなことである。もう誰になんと言われようとかまうことは無い。いつも一緒に、ずっと一緒にいたいのだ。
「でも今はここまで、ご褒美はまた今度ね
早く着替えてしまいましょ」
ほぼほぼ坊主なので後ろ髪はないけど、それを引かれる思いで咲との距離を取る。まあじらされるのにはもう大分慣れた。咲はそんな僕を横目に、勝手にタンスを開けてあれこれとベッドの上へ並べ始めた。
「そこまで真剣に考えなくてもいいんじゃない?
汚いカッコじゃなければ十分って言ってたし」
「でも私の愛しいカズ君が恥をかいたら嫌だもの。
それにしても見事にスポーツウェアばかりね。
こんどお買い物でも行きましょう。
遠出でデートするなら少しはオシャレしてほしいもの」
「えっ!? どこか遠出してデートなの!?」
僕は思わず驚いてしまったが、それがすぐになんのことかわかり、慌てて訂正した。
「いや、ゴメン、僕が言いだしたことだった。
あと一つ、必ず勝つ!
そして咲を甲子園に連れて行くんだ!」
「期待している、いいえ、信じているわね。
でも野球場だけでおしまいは嫌よ?
神戸の港の方には、オシャレなデートスポットが沢山あるらしいから楽しみにしてるわね」
「うん、任せて!
でも今は手持ちの洋服で何とかしないと……」
「この辺りがいいんじゃないかしら?
まったく履いてなさそうなジーンズは返って清潔感あるわよ?
上は白いポロシャツがあったからこれにしましょう」
「これ…… 父さんのゴルフのシャツだ……
しまうときに間違えちゃってたんだなあ。
あ、確か兄さんから貰ったシャツもあった気がする」
僕は制服と並べてカーテンレールへかけっぱなしになっていて、クリーニング屋のビニールがついたままのハンガーを手に取った。
「これいいわね、クラシックなデザインで素敵だわ。
アメリカの大学の名前が書いてあるみたい」
「良く知らないけど、兄さんがそういうの集めてて、家を出るときに一着貰ってたんだ。
今まで着る機会がなかったけど、こんな日が来るとなんてね、助かったよ」
ようやく着替えが終わって僕たちは下へ降りた。そう言えば咲の格好のことなにも言ってなかった。きっとこういうときは素直に褒めておくべきだと本能的に感じた僕は精いっぱいの褒め言葉を並べた。
「今日の咲、いつもより一段とかわいいね。
なんか大人っぽいのに子供っぽいって言うか、とにかくすごくステキだよ」
「あら、ありがとう、帰ってきた時にじろじろ見てたからおかしかったのか気になっていたのよ。
でも気に入ってもらえたなら嬉しいわね。
髪型も変じゃないかしら?」
「変だなんてトンデモない!
僕はポニーテール好きだしとても似合ってるよ!」
あれ? 僕は何を言ってるんだ? これじゃ誰がポニーテールしていても好きだってことにならないか? このタイミングで起こられちゃったら嫌だなと思い、恐る恐る咲の顔を覗き込んだ。
すると思いのほか咲は表情を変えておらず、どちらかというと照れて?…… いるのか? 珍しく、顔が紅潮しているようにも見える。今までこんなことは無かったのでびっくりした僕は、慌てて自分の発言へフォローを入れた。
「いや、その、あれだよ?
咲がしているポニーテールがかわいくて好きだってことだからね?
勘違いのされると困るから説明しておくけど……」
「そんなのわかってるわよ。
もう、キミったらバカね」
結局怒られてしまった…… 相変わらず気分の転換点がわからない。でも褒められてまんざらでもなさそうにも見えるので、ちゃんと褒めておいて良かった。考え込まなくてもそれなりのセリフが思い浮かんだことには少々驚いたけど、まあこれも父さんの血だとでも考えておくことにしよう。
台所へ戻った僕たちは、随分のんびりとした着替えだったと母さんに冷やかされ、お茶を飲みながら江夏さんの奥さんを待つのだった。
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