そんなバカなこと!
いやいやいや、いくらなんでもそれは無いだろう。父さんから話を聞いた僕は言葉も出ずに呆然としていた。一緒に聞いている咲のほうを見ても肩をすくめるだけで何も知らないらしい。そりゃ咲には全く関係ない話だから知らなくて当たり前なんだけど、それでも自分の気持ちを整理するために助け船を探してしまった。
「真弓ちゃん先生がさ、ごっさん亭に住み込んで働いてたんだよ。
おかみさんの言うこと聞いてしっかり働いてたわ。
ありゃ、お前の相棒とデキてるな、間違いねえ」
「いくらなんでもそれは無いでしょ……
確かに木戸は女の子に対してだらしないところはあったけど、いくらなんでも教師相手って……」
「でもカズ君? 遊びじゃなくて本気だったら構わないんじゃないの?
私は素敵な関係だと思うわよ」
意外とゴシップ話に食いついてくる咲にやや戸惑ってしまう。普段の言動からしても、色恋沙汰のこういう話は元々好きなのかもしれない。
「でもさ…… まてよ? 別に付き合ってるとかそう言う話じゃないよね?
公務員なのにバイトしてるのだけでまずいとは思うけど、それだけなら言い訳もできるんじゃない?」
「まあバイトする代わりにタダ酒飲ませてもらうとかか?
そんなことしなくても、高校教師なら飲み代に困らない程度の給料はもらってるとは思うぞ?
しかもわざわざ担任クラスの生徒の家でしなくてもいいだろ」
もう頭が混乱して訳が分からない。だいだい本当に付き合ってたとして、発覚不祥事にでもなったらどうする気なんだ。取り返しがつかないことになる可能性もある。
「それって普通に店に出てるってことだよね?
他の保護者にばれたりしたらヤバいじゃん。
あの辺から通ってる生徒だっていたはずだしなあ」
「だからその辺りどう考えてるのかは気になるところだな。
万一の場合出場停止まであり得るんじゃねえか?」
「なんで他人事なんだよ!
母校で野球部OBの癖に!」
「そこは何て言うの? エンターテイメント優先っていうのか?
何かわからんけど面白そうだろ」
もしかして珍しく木戸がメールしてきたのは、真弓先生のことを父さんが僕へ話したかどうか探りを入れるためだったのか? それなら納得がいく。
「ちょっと出かけてくる!」
「おいおい、彼女を置いて女房のところか?
いくらなんでもそりゃまずいだろ」
「あら、大丈夫ですよ、おじさま?
カズ君に急用なら仕方ないし、私帰りますね」
「ごめん、後で連絡するからさ。
明日の練習試合、見に来てくれる?」
「考えておくわ。
勘違いしないでもらいたいのだけど、別にすねてるわけじゃないわよ?
でも明日は出ないかもしれないって言ってたじゃない?」
「それも一緒に話してくるからさ。
とにかくあとで連絡するよ」
僕はいてもたってもいられなくなり木戸の家へ向かった。
◇◇◇
大分回復はしたけど、やっぱりいつもより身体が言うことを聞かない。よく考えたら別に電話でも良かったと思いつつ、それでも早足で歩いていた。こういう日には色々と重なるものなのか、僕の前に新たな刺客が現れた。
「吉田君じゃない、こんなところで珍しい。
そんなに急いでどこ行くの?」
「神戸さん、こんちは。
ちょっと木戸に用があって家まで行くところなんだ」
行き先なんて隠しても仕方ないので正直に言った。そう言えば木戸と神戸さん、それに小野寺小町は幼馴染だったな。もしかして何か知ってるかもしれない。いや、でも聞いて知らなかったら、余計なことを教えることになってしまうし……
「結構距離あると思うけど、わざわざ家まで行くことあるんだね。
どうしたの? 吉田君も真弓先生に勉強教わりに行くとか?」
「えっ? 真弓先生?
なんでそんな!?」
「知らなかった?
今、真弓先生って木戸くんちの上に住んでるんだよ。
昔はおじいちゃんの家だったんだけど、亡くなってから誰も住んでなかったから貸してるみたいね」
「それじゃごっさん亭手伝ってるのも知ってた? 理由とかも」
「木戸君のお母さんがぎっくり腰になったからじゃなかったかな。
一応お客さんとして飲みに行ってるみたいだけど、忙しくなると手伝っちゃうらしいよ。
でもその代わりにお弁当作ってもらってて、朝も起こしてもらってるって言ってた」
「だから最近朝練の時間にすでに来てるのか……
まったく人騒がせな……」
僕は一気に歩く気力を失ってしまった。もう半分以上は来てるから帰るのも一苦労でうんざりする。これもみんな、話を面白くしようとした父さんのせいだ。しかも咲のこと怒らせてしまったかもしれないことも気になっている。
「もしかしてそれを確認しようと思って家まで行く途中?
電話で聞けばよかったのに、野球部の人ってすぐ走りたがるよね」
神戸園子はケラケラと高笑いしている。全くその通りだし、自分でもそう思っているから言い返すこともできず、僕は一緒になって笑うしかなかった。
「せっかくこんなところまで来たんだから家に寄っていきなよ。
この時間ならまだ惣菜パンとか残ってるはずだからおごってあげる」
そう言えば園子の家はパン屋で差し入れをよく貰っていたんだった。
「神戸さんの家ってこの辺だったのか。
こっちのほうってあんまり来たことなかったけど商店街のほうかと思ってたよ」
「うん、うちは商店街じゃなくて住宅街にあるんだよ。
以前は繁盛してたんだけど、最近は大きいスーパーが出来て押され気味かな」
「木戸んちも近くにチェーンの居酒屋できてから売上下がったって言ってたなあ。
商売やってるところはどこも大変なんだね。
うちはサラリーマンだからそういう苦労は別世界の話に聞こえるよ」
「逆にうちみたいな商売屋だと会社勤めの苦労は知らないからおあいこだよ。
吉田君たちが野球部以外の活動や苦労を知らないのと同じこと」
まあ確かにそんなものかもしれない。そんな話をしているせいなのか、学校で接しているときよりも神戸園子が大人に思えてきた。そうこうしているうちに園子の家についた。
「ちょっと表で待ってて。
うちのお父さんって、野球やってる子を見ると話し聞きたくてしつこいの。
木戸君もそれが嫌で寄らなくなったのかもね」
僕は笑いながら頷いて表で待つことにした。看板には『おいしいパンの店 こうべ』と書いてあって、看板自体が食パンの形をしている。なんども差し入れてもらってウマイのはわかってるけど、店を見るのは初めてで新鮮だ。
しばらくすると園子が出てきて紙袋を渡してくれる。思ってたよりもずっしりと重いけど、いくつくらい入っているのだろうか。
「ちょっと多くない?
こんなに貰うの悪いよ」
「平気だよ、朝の売れ残りも一緒に入れたけど、そのままだと晩ごはんに出てきちゃうんだもん。
助けると思って持って行って」
園子に笑顔で頼まれたら嫌とは言えない雰囲気だ。僕はじゃあ遠慮なくと言ってそのまま受け取った。
「そう言えば小野寺さんとも長いんだよね?
あいつことあるごとに木戸や僕に突っかかってくるんだけど、なにか理由でもあるのかな。
何か知ってる?」
「あー、小町ね。
まだ木戸君が少年野球やってた小学生の頃にちょっとね。
私の口からは言えないけど、まあ色々あったんだあ。
多分木戸君はあんなだから覚えてないと思うよ」
「やっぱりなにかあったんだね。
それがわかっただけでも良かったよ。
僕まで巻き添え食ってるのは納得いかないけどさ」
「できれば詮索しないであげて欲しいな。
私のためにも、ね」
神戸園子も小町が木戸を嫌っていることに関係があるということなのかな。なんだか不自然な気もしたけど、どうせ木戸のことだからくだらない無いようなのだろう。
「もう今日はぐったりだから帰るよ。
パンありがとう、いつかお返しするよ」
「うん、明日も試合あるんでしょ?
応援行くからがんばってねー」
「ありがとう、出番があるかはわからないんだけどね。
もし出ることがあったら全力を尽くすよ」
学校以外で神戸園子と会うなんて考えたこともなかったけど、私服だと大分イメージが違って見える。かといって別に異姓として魅かれるってことは無いけども……
その子と別れ家に向かって歩き出したが、どうにも力が湧いてこない。足取りは重く気力にも欠けているのがよくわかる。木戸と真弓先生の件は解決したと思いたいが、もう一つ明日の試合について確認しておくのも必要だったことを思いだした。
気が乗らないが、メールだけでもしておくことにしようとスマホを取り出す。木戸のやつが隠し事をするなんて…… 結局のところ、そこが一番引っかかってるところだった。下手すりゃ部の存続に関わるくらいのことだと思われても仕方ないのに、僕に何も言わないなんて落ち込んでしまう。
色々と思うところはあるけど、それらをグッと飲み込んで明日のオーダーについてメールを打った。するとビックリするほど早い返信だ。まるで待ち構えてたかのようだな。そんなことを考えながらメールを確認した。
『スタメンは一年、三年中心、先発はハカセの予定。向こうが希望しなければカズの出番なし』
やっぱりそうか。考えていた通りだったから何とも思わないが、それよりも言うことがあるんじゃないのか、という気持ちが捨てきれない。こんな事で信頼関係を崩したくないから余計なことは言いたくないが、かといって黙ったままいられるのも納得がいかない。
僕はなんだか無性に腹が立ってパンの包みを開けて、中からあんパンを取り出して食べ始めた。本来のんびり屋で気の長い僕がこんなに怒ってるんだと言わんばかりにムシャムシャ食べる。完全にパンへの八つ当たりだ。
あんパンを食べ終わったらなんだか園子に悪いことをした気分になってしまった。それと同時に怒りも収まってきたのでとぼとぼと帰宅した。