約束の復習
目が覚めたのは何時頃だったんだろう。そして僕は何一つ身に着けていない、そう、丸裸だった。部屋にはおかしな空気感が漂っている気がする。淀んでいる? いや澄んでいないというべきか。
汗臭さのような不快なものではないけど、自然の物とは違う体臭のような匂いと言ったらいいのだろうか。でもこの匂いがなんなのか僕は知っていると感じる。
それはつい先ほど感じていた、液体とも気体とも言えない不思議な塊に囚われていた時に感じた匂いそのものだ。なんとも言えない心地よさと安心感が今も僕を包んでいるようだ。
でもなぜか部屋には僕一人しかいない。咲はどこへ行ってしまったんだろう。そういえば咲はこれは夢だと言っていた。しかも僕の夢だと。
いったいどこからどこまでが夢なのだろう。二人きりだったこと? いや、そんなことは無い。それならこの部屋で二人がしていたことか?
いやいや、していたことって!? もしかして!? 僕は自身の身体に残された痕跡に気が付いてしまい、全身が紅潮していくのを感じた。
ベッドに寝転んだまま床を見ると、脱ぎ散らかしたという表現がピッタリなくらいに投げ捨てられた僕たちの服と、おそらく一番最後に放り出されたのであろう、一番上には下着が乗っている。
これは色々とまずい! そう思った僕は片付けてしまおうと慌ててベッドから起き上がった。つもりだったが、起き上がろうにも体が言うことをきかず、そのまま無様に転げ落ちてしまった。
素っ裸で床に転がっているタイミングで、階段を上ってくる音が聞こえる。酔っぱらった親が帰ってきたなら騒がしいはずだし、おそらく咲だろう。
カチャリと音を立てて部屋のドアが開くと、そこにはお盆にマグを2つ載せた咲が、バスタオルを巻いた姿で立っていた。先ほどの事もあって恥ずかしいなんてものじゃないが、かといってこちらは、全裸で床に転がっている状態である。
「あら、目が覚めてたのね。
勝手で申し訳ないけどシャワーお借りしたわ。
あとカフェ・オレ入れなおして来たわよ」
「あ、ありがとう。
でもその格好で家の中を……?」
もしこんな姿で家の中を歩いている咲を親が見たら、なんの申し開きもできずどんな言い訳も通用しないだろう。そう言いながらも僕の視線は自分のパンツへ向いている。当たり前だけど、自分の部屋とは言え全裸で咲と対面しているのはかなり恥ずかしいのだ。
「ふふ、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。
さっきはうれしいって言ってくれたじゃない?
でもいつまでも裸でいたら風邪をひいてしまうかもしれないわね」
咲はそう言いながら机の上にお盆を載せた。
「う、うん、でもなんだか体が重くて自由が効かないんだ。
前も同じようなことがあったと思うけど、今はそれ以上、まるっきり力が入らないよ」
「そうかもしれないわね。
だって今日はとっても頑張ってくれたんだもの。
私幸せよ、愛しいキミ」
今日はとても頑張った、なんて言われると恥ずかしさが何倍にもなってしまい、前を隠している手を顔へ移そうか悩むくらいだ。一体僕は何を頑張ったというのか。
「一人で動けるかしら?
私ではキミのこと持ち上げることはできないけど、手を貸すからベッドに戻ってみる?」
「いや、でもさ、あの、ちょっと……」
言いたいことは色々あるけど、そんなことはお構いなしに咲が身体を寄せてきた。そして僕の下へ肩を差し入れるようにして力を入れてくれているのがわかる。
「せっかく下から押し上げているのだから、少しは自分の手も使って欲しいのだけど?
それとも私に見られるのがそんなに恥ずかしいのかしら?」
「そりゃ恥ずかしいよ……
だいたい、何があって僕が何をして、しまったのか…… 覚えてないんだ……
ゴメン」
「謝られるようなことはなかった、わよ。
私とキミで、心地よく幸せなひと時を共有しただけなのよ?
だから恥ずかしがることも、謝ることもないはずでしょ?」
「それは……
でもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいよ。」
「それもそうね。
それじゃ……」
ようやくわかってくれたか、と思った瞬間、僕の身体を押し上げていた力がふいに消えた。そして改めて僕の傍らに立ち上がった咲が、その白い肉体に巻きつけていたバスタオルを緩め落とし、全てをあらわにした。
「ちょっと! なにしてんの!?
それじゃ、っま、丸見えに!?」
「だってこれならお互いさまで恥ずかしくないでしょ。
私はキミにすべて捧げているから、なにも恥ずかしくは無いわ。
キミがどうするのかはまだわからないけど」
そういうと、裸のまま僕の背後にまわり、半身を起こしてから背中合わせに座り込んだ。もちろん背中どうしは素肌が触れ合っていてドキドキしてしまう。背中越しに心臓の鼓動が伝わってしまわないか心配になるくらいだ。
それでも僕は声を振り絞って咲の気持ちに応えようとした。一応姿が見えなくなって気持ちが楽になったというのはあるかもしれない。
「そんな、僕だって咲へ全部…… そうさ、僕のすべてを捧げるよ!
咲が…… 咲のことが大好きなんだ!」
「ありがとう、それはとても嬉しいわ。
でもね、全部でなくていいの。
キミには周囲へ希望や勇気、期待や熱意、そんな色々なものを与える力がある。
それによって愛や憧れ、感謝や喜び、場合によっては妬みや恨みなんてものまで得ることになる。
その繰り返しがキミの力となってさらなる高みへと押し上げてくれるのよ」
話がやたら難しくなってきて意味がよくわからない。いや、言っている内容はわかるけど突飛過ぎて理解が追い付かないと言ったところだ。しかし咲の話は続いていく。
「だからキミを取り巻くものすべてを私が真っ先に取りつくすことはできない。
そんなことしたら、キミは抜け殻のようなものになってしまうでしょ?
例えるなら畑だけを独り占めにしても、光や水、種、苗が無ければ収穫物は得られないってことね」
「つまり? 僕は畑ってこと?
わかったような、わからないような……」
「今はそれでいいわ。
日々一生懸命頑張っているだけで充分よ。
もちろん三つの約束は守ってもらう必要があるけどね」
三つの約束! 他の子とキスをしない、口外しない、他の子を好きにならない、の三つだったな。念のため、頭の中で復唱するように思い出しておいた。しばしば心を読まれたと感じるくらいに、咲の勘は鋭いのだ。
「約束では私以外の誰かとキスをしてはいけない、好きになったらいけないって言ったでしょ?
でも好きになられてはいけないってことではないの。
だから、誰かがキミに憧れて、代わりに愛情を得るというのは問題ないどころかいいことなのよ。
つまりは約束の範囲内なら何人分でも愛を受け止めてあげてね」
「そんな、僕は咲以外の女子に興味なんて湧かないよ。
確かに周囲からいろいろ言われることはあるけど、咲以外の子を好きになんてならないさ!」
「うふふ、ありがとう。
でも邪険にしたらダメよ?
スポーツマンならファンは大切にしないといけないわ」
「そ、そうだね、ファンは大切にしないとね……」
なんだか微妙な、複雑な気持ちをさらけ出すような答えを返してしまった。そんなことより重要なことを思いだした!
「そういえばさ、約束の二つ目の口外しないってやつさ。
あれって…… あの…… 父さんたちにばれてるんじゃない…… かな……」
自分で言いだしておいてなんだけど、恥ずかしさに思わずしどろもどろになってしまった。
「二人はただならぬ関係で、キミが私に精力を吸取られてることが知られてる?
それはいくらなんでも考えすぎじゃないかしら」
「ああ、それはそういう……
考えすぎだったのは僕みたいだ。
その…… 二人が付き合ってるというか、恋仲…… なのがばれちゃいけないってわけじゃないんだね」
「恋仲なんて随分古風で詩的な言い方で素敵ね。
別に恋人同士だって知られても問題は無いわ。
でもね、野球部のエースで女子に大人気の、野球一筋な吉田君に彼女がいたなんて知れたら大騒ぎになるでしょうね」
「そっか、そういうのもあるのか。
でも返って女子からの人気が落ちてくれるかもしれないし……」
「そこは任せるわ。
私はお宅にもお邪魔させてもらってるし、こうやって秘密っぽく過ごしているの気に入ってるけど。
それに共通の秘め事があったほうが、より親密な関係に感じられるような気がしない?」
「それは確かにあるかも。
まあわざわざおおっぴらにしたいわけじゃないし、誰かに知られたらと心配しすぎる必要がないならそれで充分安心だしね」
背後で咲が笑ったのが背中越しに伝わってきた。