試練は続くよ
「いいか! カズは俺の息子だぞ?
そんな情けないことあるわけないだろ!」
「いいや、確かにお前ににて守りは固く俊足だがな?
どちらかと言えば攻めは弱いほうだ。
これは投手の特徴なんだよ!」
「あなた?
吉田さんも…… お肉焦げちゃいますよ?」
もくもくと煙を上げるバーベキューコンロを挟んで、父さんと江夏さんが顔を真っ赤にして言い争いをしている。江夏さんの奥さんは笑っているようなひきつったような顔をしながら二人を止めようとするが、二人の言い合いは止まらない。まったく困った大人たちだ。
「カズ? こっちはもうできてるわよ。
咲ちゃんに取ってあげなさい」
「う、うん……
でも、せっかく時間かけて焼いてくれたのに、自分たちだけ食べててなんだか申し訳ない気分だよ」
「いいのよ、ほっとけば。
カズも知っての通り、あの二人のじゃれ合いはいつものことじゃない」
まあ確かにそうなんだけど、その言い争いと言うかじゃれ合いのネタが僕のことなんだから気が気じゃない。
二人とも早々に酒が入っていたせいで顔が真っ赤である。その顔を突き合わせて言い合っているところを見ていると、僕まで顔が赤くなってしまうのだった。
「おい、カズ!
もう咲ちゃんとキスぐらいしたんだろ!?
恥ずかしい事じゃねえんだから正直に言ってみろ!」
父さんは、江夏さんとのじゃれあいに飽きたのか、唐突に僕へ向き直ってとんでもないことを言ってきた。なぜかお相手の江夏さんも、江夏さんの奥さんもこっちをじっと見ている。
「ちょ、そんな……
僕たちはそんな関係じゃないよ。
家が近所なだけで…… どちらかと言うと母さんの方が仲がいいくらいじゃないか」
我ながらかなり苦しい返答だとは思うが、僕はなんとか話題をそらしたかった。
「ホレ見ろ、カズは野球一筋なんだよ。
大概ピッチャーってのはだな、孤高の存在なわけだ
俺みたいにな!」
「何言ってんだ江夏!
高校の時から早苗さんと付き合ってたくせによく言うぜ」
「いやいやそれは違うって何度も言っただろ!
早苗とはたまたま球場で再会してそれからだなあ……」
やれやれ、一体何度同じ話をしたら気が済むのか。また二人で大きな声で話しはじめた。今度は笑いながら追加の缶ビールを開けている。
「香さん、いつもうるさくてごめんなさいね。
あの人ったら今日も張り切ってお肉焼き始めたのはいいのだけど、飲むペースが早すぎたみたい」
「いいのよ、早苗さん。
うちのがお昼からごちそうになっちゃってご迷惑おかけしてすいません」
と言うことは二人とも昼から飲んでいるということなのか。相変わらず底なしの二人である。
「ねえカズ君? このお肉凄いわね。
こんな風にお庭でスモークしながら食べるなんて私初めてよ」
「江夏さんの得意料理、というかこれしか作ったことないらしいんだけどさ。
名前忘れちゃったけどこんな塊肉をそのまま使うんだから豪快だよね」
「ええそうね、自分では決して作れない料理だし、とってもステキ。
それに奥様もとても優しくて、どちらも素晴らしいご夫婦ね」
あの二人のやり取りが聴こえていたはずなのに、咲はまったく気にすることなく微笑んでいた。それを見ると僕は余計に恥ずかしくなってくる。
そんな僕の心を見透かしたのか、それとも気にも留めていないのか、咲はまったく別の、それも意外すぎる話題を振ってきた。
「そう言えばね、小町がお礼言ってたわよ」
「えええ!? なんで!?」
「試合見せてもらって子供たちがすごく喜んでたから。
小町も野球観るの久しぶりだったんですって」
確か木戸もそんなこと言っていたっけ。小学校以来かもしれないとか。あの二人の間にはいったい何があったんだろう。
子供の頃の話らしいから男女間とかそんな面倒な話じゃないと思うんだけど、あそこまで野球を毛嫌いしていることは気にならないわけがない。
「まあ社交辞令だとしても、子供たちが喜んでくれたなら良かったよ。
小町はつまんなかったかもしれないけどな」
「あら、そんなことないわよ。
小町だって来たくて来たんだから」
「まっさかあ、僕と木戸にはいつもすごい形相で文句言うの知ってるだろ?
一年の時からずっとあの調子だから苦手なんだよ」
「そうね、彼女は感情を素直に出せなくて悩んでるみたい。
今度二人でゆっくり話してみたらどうかしら?」
「ちょっと! それはどういう意味!?
僕は咲以外の…… っと」
知らずのうちに声が大きくなりかけていた僕は、ここが江夏さんの家だということを忘れかけていた。危なく酒の肴に立候補するところだった。
それにしても、咲が自分以外の女子と二人で話すように勧めてくるとは、意外を通り越して悪夢を見ているんじゃないかと思うほどだ。
すると咲がすかさず声をかけてきた。
「それも試練なのよ?」
試練って…… こんな辱めを受けている僕に、さらなる試練が必要なんだろうかと疑問を感じる。一体全体咲は何を言っているんだろうか。
そんな意味不明な言葉にきょとんとしていると、咲はいつものように優しく、そしてちょっと意地悪な笑顔を見せるのだった。