熱い仲
水曜に行う予定だったカワの退院祝いは本日月曜日に変更となっていた。先週は取材や練習試合もあってばたばたしてたからだ。
だんだんと部室に集まってきたみんなは、土曜日の練習試合で強豪相手に勝利を飾ったことも有り今日はやたらとハイテンションだ。
「おや? うるさいのが二人足りないようだが?
いつもは一番に来ているのにいないとは珍しいな」
「倉片とマネージャーなら居残りです。
今日までに提出だった公民の課題をやってなかったらしく先生に捕まってました」
木尾がハカセの問いにそう答えると、丸山がその会話に割り込んだ。
「課題はよ、期末の前までに出せばいいんだからブッチしてくりゃ良かったのに。
でも公民は進路指導の片岡だからなかなか逃げ切れねえか」
「そうだな、去年はブッチしすぎて夏休みの練習中にやらされてひでえ目にあったわ。
あんなのあれじゃね? 基本的人権の尊重ってやつだろ」
「何言ってんだよ木戸、それを言うなら基本的人権の侵害だろ。
尊重されてどうすんだよ」
「まあそうとも言うな。
シマ、紙コップは人数分あるか?」
木戸は相変わらず勉強なんてしてない様子だ。それに引き換え丸山は、大学進学を視野に入れているだけあって言葉の端々に知性を感じる。授業中もボールを握ってるやつがいるくらい勉強嫌いの多い野球部員の中ではかなりマシな方だ。
普段は男臭い部室が、段々と華やかな雰囲気になってきた。テーブルへはレジャーマットが敷かれてその上にペットボトルが何本も置いてある。スナック菓子も大量に用意されていて学校の中とは思えない。
学校が校則が緩いと言っても、さすがに校内で菓子を食べていると注意くらいはされる。いくらバレバレでも隠れて食べている分には何も言われないが、大っぴらにするのはやりすぎと言うことだろう。
「よし、一年たちはいったん休憩だ、十六時二十分に再集合な。
そんで誰か一人でいいから倉片たちの様子を見に行って時間とか伝えてくれ。
チビベンは三年生に声かけて来てくれよ」
「えっ、俺が行くの?
じゃあマルマンも一緒に行こうぜ」
「おう! いくいく、お前の彼女と同じクラスに野球部のセンパイ誰かいたよな?
そこから行くとしようか」
「声がデカいよ……
わかったから早く行こう」
チビベンはいつのまにか、あの三年女子の事を彼女と言われても否定しなくなっていた。そして最近はチビベンと丸山のコンビが増えてきている。
丸山のやつ、チビベンと一緒に行動してバレー部の女子を紹介してもらおうとしているらしく、今は絶賛売込み中なのだ。
「んじゃハカセはカワのところに行ってくれ。
えっと、十六時半になったら一緒に戻ってきてくれよ」
「承知した。
なにか他に必要なものはありそうか?」
「食いもんと飲みもんがありゃ他はいいだろ。
俺はカズとちと野球談議があるからよ、頼んだぜ」
こうして部室には僕と木戸のみが残った。
「さてと、カズよ、大切な話があるんだ。
もちろん野球の事だぜ?」
「おいおい、もったいぶってなんだよ。
お前の口から出てくるのは、もともと野球の話といびきくらいなもんだろ?」
「まあそうかもしれねえ。
でも今日のは考えに考え抜いたことなんだよ」
木戸はいつになく神妙な面持ちだ。僕はそれを見て思わず椅子に座りなおす。
「よし、まずは俺の話を聞いてくれ。
実はな、今期は本気で全国狙ってるんだ。
これは夢とか冗談とかビッグマウスとかそんなんじゃねえ」
「そうだな、それは同意見だよ。
僕も本気で言うけど、今度の夏か次の春しかチャンスはないからね」
「そうさ、だから心を鬼にしてオーダーを決めていくつもりなんだ。
そこで一番我慢してもらうことになるのがカズ、お前なんだよなあ。
練習試合で薄々感じたとは思うけど、投げたいところで投げられないって場面が出てくると思う」
思ったよりも真剣な話だったため、僕は思わず身を乗り出しながら聞いていた。まさか木戸が頭を悩ますほどに考え込んでいるなんて夢にも思わなかった。
普段どんなにバカの事を言っていたとしても、主将として真面目に考えているというのは当たり前と言ってしまえばそれまでだろうが、この木戸にそんな真似ができるとは意外中の意外と言うほかない。
「つまりよ、全試合通じて二人か三人での継投をしていくつもりなわけだ。
そんでカズの出番は一番最後ってことになる。
例え序盤でゲームがぶっ壊れちまっても、お前はベンチでじっと我慢ってことになる」
「いや、いくらなんでもそれは……」
「まあ最後まで聞いてくれよ。
もしそこで途中交代してうまいこと勝ちを拾えたとしてもだな、その次の試合はもっときつくなる。
カズの投球数が百球を超えないようにするのは当然として、そこへ繋ぐ木尾とハカセも同じく球数制限があるわけだ。
あの二人はそれなりに打たれるだろうと考えると、一試合五十球で三イニングいけるかどうかだ」
「まあそうだろうなあ。
こないだの試合が二イニングずつ投げて四十球超えたくらいだったからね。
でも二軍中心とはいえ矢実を相手によくやった方じゃないか?」
木戸は大きくうなづいた。途中はどうなることかと思ったけど、あんな乱戦を制したのだからみんなの自信につながったのは間違いないだろう。
「三回、または四回までに同点ならカズへ繋いでゼロに抑えつつ俺らが打てばいい。
もし負けてたら追い上げて逆転すりゃいい。
打てなかったら申し訳ねえってとこか」
「どんなに早くても四回までは出番なしってこと?
いくらなんでも序盤に打ちこまれたら代わった方がいいんじゃないのか?
僕がゼロに抑えられる保証もないしさ」
「いや、そりゃ駄目だ。
地区予選は七回までで当日の延長戦もねえからよ?
そんなところでお前の肩を使いすぎるわけにはいかねえ。
全国まで行ったら、最短中一日でフルイニングってこともあるわけだしな」
そうか、全国までを視野に入れて戦略を考えるということはこういうことなのか。腕を組んで考え込んでいる僕に向かって木戸は話を続ける。
「そんなこんなで考えた結果がこないだの試合展開ってわけだ。
序盤は乱戦で構わねえからとにかく食らいつく、そんで終盤は点をやらずに打って勝つってことさ。
どうだ? いけそうな気がするか?」
「まあね、こないだみたいにお前らがガンガン打ってくれたらイケるだろうな。
でももし打てない投手が出てきたらどうする?」
「そこにこの戦略の弱点があるんだけどよ。
そこはほら、カズ次第だしさ、何とかすると思ってるわ。
両チームゼロ行進なら負けはねえわけだしな。
木戸のやつ随分簡単に言ってくれるけど、それがどれだけ難しいことか。しかしそんなことは気にもしない様子で話を続けた。
「あと一点だけ絶対に言うこと聞いてほしいことがあんのさ。
きつい試合が続いてお前が投げ続けないと負けそうってことがあったとしても、必要以上の投球はさせないつもりだ」
「そんな! 僕は毎日百球投げ続けるくらいじゃ何ともないよ。
温存するような真似して負けちゃったらそこで終わりなんだ。
それが高校野球なんだから一度も負けられないんだよ!」
僕はやや興奮し思わず椅子から立ち上がってしまった。しかし木戸は落ち着いていて、立ち上がった僕へ向かって目線を動かしたくらいだった。
「いいかカズ、お前の野球人生は高校で終わりなわけじゃないんだ。
どのくらいを目指してるのかは知らないけどよ、少なくともプロへ進むことは見据えてるんだろ?
それなのに一時の栄誉を得るためにすべてを棒に振るようなことがあっていいのかよ。
お前の師匠はそんなこと望んでねえはずだ!」
それまでは落ち着いて話をしていた僕と木戸だったが、勝ち負けの話になったせいか段々と声が大きくなっていく。
木戸の言っていることを理解はしているしもっともだとも思っている。でもやっぱり何もしないで負けるようなことだけはしたくないという気持ちが僕を前のめりにするのだろう。
二人だけの部室には、険悪と言うのは言い過ぎだが微妙な空気が流れている。しかし仲がいいから、信頼関係があるからこそ言い合うことができるということもある。
現に木戸の言うことはもっともで、江夏さんのように一人で投げ続けて肩を壊してしまったら、それまでの努力やその後の道筋がすべてふいになってしまう。そうなって欲しくないという木戸の気持ちは有難いものなのは重々承知だけど、かといって力を残しての敗退となった場合、自分やチームメイトは悔いを残さないのだろうか。
僕が言葉を返さないまま拳を握りしめていると木戸がニヤりと不敵な笑みを浮かべた。そしてさらに続いた話の中で、つくづくこの男はとんでもない奴だと改めて感じることとなった。
「まあ落ち着いて続きを聞けよ。
地区予選の参加校が例年と変わらないとすると決勝まで七試合あるわけだ。
二回戦か三回戦までは問題ないだろうし、うまく行きゃ継投策でもベストエイトは狙えると思う」
「随分簡単に言うなあ。
でも三人で繋いで行けば可能性は十分あるし、県内強豪校が十も二十もあるわけじゃないしな。
ベストエイトまですんなり進みそうなのは六校くらいか」
「んでよ? そこまで進む間には強豪校にいるだろうやべえピッチャーもわかってくるはずさ。
もちろんすべての試合は見に行ってチェックするしな、ハカセとマネちゃんがさ」
人任せかよ…… と言いかけたが、これは場を和ませるつもりで言った冗談だろう。そして僕は当然の疑問を投げかけた。
「で? そうそう打たせてくれない投手相手にどうするつもりなのさ
お互いゼロなら確かに負けはないけどさ、勝ちもないわけじゃん?」
「そんなの簡単さ。
お前がゼロに抑えてる間に一点でも取って勝つ!
そのための練習がこないだの配球なんだからな」
「こないだの配球って言うのはあのボールのこと?
コントロールと球威のバランスがまだいまいち取れてなかっただろ?」
僕は正直言うと、あのボールを公式戦で投げる自信がなかった。江夏さんに教わってから大分練習をしたけど、いまだに結構な確率ですっぽ抜け気味になってしまうのだ。特に右バッターへ投げると死球の危険もある。
「あれな、コントロールが難しそうなのはわかるんだけどさ、俺の考えだと使い方が違うわけ。
空振りさせるために決め球として投げるんじゃなくてよ、早めに打たせるために投げてもらいたいんだ。
理想は一人当たり二球、無理でも三球ってとこか」
「こないだは運よく二十一球で済んだと思ってたけど、それって狙い通りってことか?
かといって強豪相手に、同じようにうまくいくと考えるのは危険じゃないかな」
「そりゃ理想通りってわけにはいかないかもしれないけどな。
ベストエイトからの強豪相手に一人で投げ続けるなら、一人に対してやたら構ってられねえんだよ。
だから多くて三球までってことさ」
なんだかしらっとすごいこと言ってるぞこいつ…… 僕がそんな風に考えて半ばあきれ顔をしていると、どうやら時間が来たらしく外が騒がしくなってきた。
「まあ今んとこはそんな感じに考えてんだよ。
一試合六十球以内に抑えりゃ、決勝までの三試合はカズ、お前ひとりでイケるってことさ」
「あ、ああ、頭に入れておくよ」
僕は返事をしてはみたものの、木戸の壮大な計画を実現するためには一点もやらないどころか、ランナーを出すことすら許されないのだと認識し気が遠くなる思いだった。
その後に始まったカワの退院祝いでも、そんな会話をしたことなんて微塵も感じさせない木戸のバカヤロウと丸山たちの大騒ぎを見ながら、どうしたらいいのかと頭を悩ませていた。
「カズ先輩? なんだか元気ないですねえ。
いったいどうしちゃったんですか?」
「いや、別に何でもないよ。
こないだの練習試合が二軍相手のせいか出来すぎだったからさ。
もっと強いところと公式戦前にやっておきたいなって思っててね」
「そうですねえ。
じゃあ矢島学園に申し込んでみたらどうですか?
あそこのエース、カズ先輩の知り合いなんですよね?」
由布からそのことを聞かされた瞬間、驚きの余り声が出ないままに口をパクパクさせてしまった。まさか、山尻康子の兄貴のことを言っているのだろうか。
「やだなあ、カズ先輩のモトカノと一緒にいた人です。
矢島学園高校三年生、山尻勝実、ポジションはピッチャーで春の大会での打順は六番です。
投げてヨシ打ってヨシな好選手ですが、惜しくも県大会決勝では2-3で敗れています」
モトカノなんかじゃないと否定しつつ話を聞いてみると、由布はすでに去年の矢島学園はチェック済みだった。あいつの兄貴そんなすごかったのか…… でも好成績を収めてるチームにそこのエースと繋がりがあるのは願ってもないことだ。今の自分の力を試すチャンスが持てるかもしれない。
僕は近いうちに山尻康子へ連絡をしようと決めていた。そのおかげか、急に不安から解放された気分になり、やがてみんなの騒ぎに交じっていった。