興奮はさめる暇なく
試合のあった矢島実業を出てから一時間ほど、僕たちは七つ星へ帰ってきた。持ち出した用具を倉庫へ片付けてから、全員部室の前に集まる。
整列が済むと木戸と真弓先生が全員の前に立った。
「今日はおつかれさん。
新体制になってから初の練習試合を白星で飾ることができた。
でもな、勝ったことよりも試合展開が思うように運べたことと、全員が役割をきっちりこなしたことが何よりも良かった。
それじゃ今後も慢心せず、予選突破を目指して頑張ろうぜ!」
「みんな今日はお疲れさま。
全員けがもなく終われてよかったわ。
今日これからと明日はゆっくり休んで、また月曜日から頑張りましょう」
二人の挨拶が終わった後はもう大盛り上がりで、全員がまだ動き足りないと言わんばかりに今日の試合を振り返っていた。
そこへ神戸園子が小走りで近寄ってきた。一緒に帰ってきていたはずなのにどこかへ行っていたのだろうか。
「真弓先生、今日は土曜日だからたい焼き屋さんお休みでしたよ。
どうします?」
「そっか、今日が土曜日だってこと忘れてたわ。
じゃあまた別の日にってことでいいかしら?」
みんなは疲れているところに甘いものを食べるつもりだったので、期待していたたい焼きにありつけなくてがっかりしたりブーイングをしたりと騒がしくなった。
「まあみんな、月曜にカワの退院祝いをやるからよ。
それまで我慢つーことでいいだろ?
というわけで月曜の練習は休みだ」
その木戸の言葉を聞くと、それまで騒がしかった部員たちが一斉に歓声を上げた。もちろん僕も両手を上げて隣にいたチビベンとハイタッチだ。
「それじゃ今日はこれで解散ね。
みんな、帰り道に浮かれてバカやるんじゃないわよ?」
「平気平気、俺と木戸はラーメン食いに行くけど、誰か一緒に行くやついるか?
駅の裏手にあるきたねえとこだけど、電車組、たまにはどうだ?
もちろん奢らねえけどな」
するとチビベンが小さく手を上げながら丸山へ向かっていき、その背中を押して帰りを促し始めた。最近は、この二人がつるむことが今までよりも多くなっているように思える。
「丸山、じゃあ俺が一緒に行くよ。
そうと決まったら早く行こう」
チビベンが追加で木戸の背中も押しはじめて先に引き上げていった。彼女とは学校の外で合流するのだろう。
一緒に食べに行くのかどうかはわからないが、一年生数人を引き連れて丸山たちが帰っていった後、神戸園子が驚いたような口調で話しはじめた。
「丸山君って凄くたくさん食べるのね。
試合終わってから片付けようとした残ってたパン、二つも食べたばかりなのに。
さらにこれからラーメン食べに行って、きっと夕ご飯も食べるのよね?
木戸君より食べる人なんてそうそういないと思ってたのに、まったく驚きだわ」
「あいつと木戸はおかしいんだよ。
まああの体のデカさからするとおかしくないのかもしれないけどさ」
園子が驚くのも無理はない。丸山と木戸はいったい一日何食食べているのか。朝昼昼夕晩の五回はほぼ確定として、さらに夜食も食べていそうな気がする。
よく食べてよく動くを体現しているような二人は、丸山の方がやや大きいが揃って190センチメートルを超えている。
僕だって身長は183センチメートルだから小さいわけじゃないが、やつらと比べたら線も細い。今年入って来た一年生だと丸山の後輩であるオノケンが僕と同じくらい、木尾は少しだけ上だ。
そんな風に考えていたらなんだか僕もお腹が空いてきてしまった。帰ってなにかおやつでも食べるとしよう。母さんへ試合結果を連絡するときに何かあるか聞いてみないとな。
「先輩! カズ先輩!
今日はお疲れ様でした!」
「ああ、マネージャーもお疲れさま。
今日は慌ただしかったな、ありがとうね」
「そんな! 私は自分ができることをやるだけです!
でもそう言ってもらえるのは嬉しい!
次からも頑張ります!」
相変わらず声がデカすぎて耳がキンキンする。試合中は僕も興奮しているので気にならなかったが、野球から離れたところで聞くとやっぱりデカい声だと改めて感じる。
「それじゃ掛川さん、私たちも行きましょうか。
たい焼き食べ損ねたから甘いもの食べたいままだわ」
「へえ、二人でどこか行くなんて、いつの間にそんな仲良くなったの?」
「うふふ、なんでかしらね。
同じ価値観をもってるから、かな」
そう言いながら微笑んだ神戸園子の笑顔は、優しい光りをまとっているかのように見え、僕は本日二度目のときめきを覚えた。
「やっぱりカズ先輩は神戸先輩みたいな女性らしい人がいいんですかねえ……」
「いやいやいや、誰がいいとかそう言うのはないよ。
ただ、神戸さんの笑顔は優しさがにじみあふれてるなあって思っただけさ」
「いえ、私にはわかります。
だからこれから作戦会議するんですからね!
神戸先輩、行きましょう!」
そう言って二人は帰っていく。同じ方向のハカセたちも帰っていき、あとは僕と倉片、それに真弓先生だけが残されていた。
「真弓先生も今日はお疲れ様でした。
休みの日にも出てこなきゃいけなくて、教師って大変ですね」
「そうね、でもやりがいを感じることも多いし、結構楽しい職業だと思うわ。
今日みたいにみんなで喜んでいるとこを見るのも楽しいし、私も嬉しくなるしね」
「そういってもらえるとやる気が増してきますね。
だから余計に思うんです。
今季、チャンスは逃さずモノにしていかないとって」
「ちょっと吉田君? 私は別に顧問やってるせいで婚期逃してるなんて思ってないわよ?
そういうのは巡りあわせ、なるようになるものだと考えてるんだからね」
「そうですか?
でもやっぱりガツガツ貪欲にってのも必要だと思うんですけどね」
「そんなみっともないまねしたくないわ。
どっしりと構えて、やることやっていればきちんと見てる人がいるはずよ」
「そりゃスカウトとかが見てくれればチャンスがあるかもしれませんね。
そのためにもしっかり結果を残すために、一戦一戦魂込めて投げていきますよ」
「え!? 今のは野球の話?」
「え!? 他に何があるんですか?」
なぜか横で倉片が腹を抱えて笑っていた。
「うーん? よくわからないけど僕たちも帰ります。
今日はありがとうございました!」
僕と倉片は真弓先生へ深々と頭を下げてからナナコーを後にした。
◇◇◇
帰り道の途中で倉片と別れ一人になった僕は、ここでようやくスマートフォンを取り出した。早く今日の結果を連絡しないと、いや早く連絡したいんだ。
伝えたいことはたくさんあるけど、文字数に限りがあるから簡潔にっと。僕は今日勝ったことといいピッチングができたことをまとめ、メールを送信した。
続けてもう一人にメッセージを送ってからまた歩き出す。ほんの少しで返信が返ってきたので大急ぎで確認し、そしてがっかりしながら返事をした。
「さて、コンビニでも寄ってから帰ろうかな。
といっても遠回りになるからなあ、どうしよ」
独り言をつぶやいたのか、心の中で言ったのか自分でもわからない。そしてまた歩き出そうとした瞬間、真後ろから静かに呻くような声がかかった。
「そのまま振り向かないでください」
背中には何か押し付けられている感触がある。いったい何事なんだ!?
「今日の試合、ピッチング……
あの…… 感動しました」
「う、うん、ありがとう。
若菜さんも見に来てくれてたんだね。
声かけてくれれば良かったのに」
僕は声の主が誰だかすぐにわかり安堵した。若菜亜美が来ていたなんて気が付かなかったが、せっかく見に来てくれたんだしお礼を言おうと振り向こうとした。
「こっちを見ないでください!」
亜美は声を荒げてうつむいた。僕は慌てて振り向きなおし、どうしていいかわからず宙を見た。
「みなさんすごく輝いてて、楽しそうで、青春って感じでした……
選手も…… あの女も……」
あの女とはマネージャー由布の事だろう。どうも気が合わないのか、亜美が一方的に嫌っているのか、まあどちらにせよ仲良しでないことは間違いない。
僕は返す言葉もなくただ佇んでいた。すると亜美はまた一方的に話し出す。声はまた落ち着きを取り戻したようだが、低く地の底から湧き出るような話し方で、それはそれで不気味さがある。
「私も応援はしてました。
でも…… ベンチで一緒に苦楽を共にすることはできない。
それが、それが悔しくて…… そのことに嫉妬している自分が情けなくて……」
「そんなことないさ。
試合中は無理だけど、終わってから合流してみんなと一緒に騒ぐのも楽しいよ?
次は若菜さんも一緒にどうかな?」
「できません!
私にはそんなことできません!」
亜美はまた声を荒げ、それは泣いているように震えていた。
「でも先輩? これからも応援していいですか?」
「う、うん、もちろんだよ。
応援してもらえるのは嬉しいよ」
「うふ、ふふふふ…… ありがとうございます。
これ食べてください」
そういうと背中に押し付けていた何かをさらに強く押し付けてきた。僕が背中に手を回すと、亜美はその手に何かを受け渡した。
なにかを渡された手を自分の前に戻し、その正体を確認しようと目線を下げたところで、亜美が背後から走り去っていく気配を感じた。僕は慌てて振り返ったが、亜美はすぐ先の路地へ曲がってすぐに見えなくなった。
相変わらずつかみどころがないと言うか、悪く言えば不気味だとも感じる亜美の行動と発言だ。好意を持ってくれているのはわかるんだけど、もうちょっと何とかならないのだろうか……
改めて手の中を確認すると、小さな細長い箱にリボンがかけてある。おそらくはまたクッキーか何かだろう。甘いものが食べたくなっていたことだし、家に帰ってからありがたくいただくことにしよう。
気を取り直したところでスマホを確認するとメールが一通来ていた。差出人は…… 咲だ!
『おめでとう。 残念ながら今日は会ってお祝いできないけど、明日はあいてるわ』
そのぶっきらぼうな文面に僕は小躍りしながら、家に向かって走り出した。