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episode4-6:起業とその原点―理子の大好きな大企業のエピソード

挿絵(By みてみん)

 その翌朝。午前九時くらいになるころに希は自分の家に父の車で到着した。

 車を降りて父親に挨拶する。

「じゃあね。バイバイ」

「ああ。またな、たまにはそっちから連絡よこせ」

「はいよ」

 短く言葉を交わし、車は走り去っていく。

 父の車を見送らずマンションに向かう。

 と、エントランスに人影があった。その人影がこちらに手を振る。

「おはよ」

「ああ……」

 理子だった。彼女が希の家を訪ねてくるとは珍しい。

「なんでいんの?」

「ラインの返事が無いからよ。連絡したのに……」

 ふとスマホを見る。ボタンを押しても画面がつかない。バッテリーが上がっていることに気づかなかったようである。

「バッテリー切れてた」

「まぁいいわ。大した用じゃなかったし。それより上がっていい?」

「家、汚いんだけど」

「知ってる。ついでに掃除もしてあげるわ」

 理子は半ば強引に希の家に上がった。そしてえづいて見せる。

「本当に汚ぇ……。てか臭い。女の部屋じゃない」

「うるせぇなぁ」

 理子はとりあえず散らばっているごみを片っ端から袋に詰め込んでいく。

 希もとりあえず本や道具の類を整理し始めた。

「さっきの、希のお父さんだよね?」

「ああ」

「親子で出かけてたの?」

「まぁな。久しぶりに町田にも行ってきた」

「ふぅん。お元気そうで何よりね」

 希は理子に背中を向けたまま、たんたんと話を続ける。

「親父ね、癌になったんだって」

「え?」

 理子は思わず振り返る。あまりにあっさり言うものだから、それがなにを意味するか理解するまでに時間がかかったようだ。

「いつ?」

「確か半年前だって言ってた」

「治るの?」

「いや……」

 否定する。

「もう治したってさ」

「えええぇ?」

 背中を向けていても、理子がきょとんとしているのが分かる。

 希からすれば、面白くもないしつまらなくもない話だ。


 癌の事を筒井おじさんの所為でバレて、親父は苦虫をかみつぶしたような顔になった。

 自宅に戻ってからその話を聴いた。家の中は相変わらず几帳面に整理されている。希と違い、父は整理整頓が得意だった。

「なんでなにも言ってくれなかったワケ?」

 希はそう父を問い詰めた。

「もっと早く言ってよ。どうして何も言わなかったの?」

「お前は忙しかったんだろ? それに本当に早期だったから、何事もなく治ったよ。チッ、筒井にも言わなきゃよかったぜ」

「再発とかは?」

「さあな。問題ないだろうとは言われているが、一応再検診とかは受けるつもりだ」

「親父……」

 希からすれば、こんなぶっきらぼうな父親でも、たったひとりの肉親である。

 唯一の肉親が突然死んだとなったら……さすがに希も耐える自信がなかった。

「アホ、そんな顔するなよ。今時、二人に一人が癌になるご時世だぞ。……ただまぁ、ちょっと人生の残り時間ってやつを見つめ直すこと機会にはなったな」

 そう言い、父はカナエに手を触れる。

 ある時知ったのだが、カナエは父が希のために自分の手で作った人形だった。

 カナエに宿っている魂は、父のものだったのだ。

「癌だと言われて死ぬって事がすごく身近に感じられたのは間違いない。俺がこれまでいったい何をしてきたのか、これまでやってきたことを振り返った」

 父の目がふと飾られている写真を見る。希と父、そして死んだ母の写った写真だ。

「まぁ、俺の人生はそこそこのものだよ。田舎から一人でこっちに出て本当に良かった。苦しくて大変でも本気で挑戦してきた自信が俺にはある。それに立派になった娘がいるんだ。明日死ぬとしても、悔いは無いかな」

「不謹慎だからそれ」

 希の声は、少し震えていた。


「そっか。まぁとにかく大事にならなくてよかったわね」

「まぁ、な」

 しばらく会話が途切れる。やがて理子が問いかけてくる。

「例の件なんだけど、いい?」

「なに?」

「あの件さ、私は本当はダメだと思った。カネにならないから」

 希はとりあえず口を挟まずに、理子が何を言わんとしているかを最後まで聞こうと思った。

「でも、メルクのような例もある。だからハナッから否定するのはやめようって思った」

「アンタが好きなエピソードだよね」

 理子は希に以前この話をしたことがあった。それを話した自分が忘れていたとはお笑いものである。

 理子が思い出したのは、このメルクという会社の、とある二つのエピソードであった。

 メルクとはアメリカの製薬会社であり、120年以上もの歴史を誇る巨大企業だ。2011年における売上高が480億ドルにも上る。

 メルクは「医薬品は人々のためのものである。それを忘れなければ利益は後からついてくる」という旨の言葉を基本理念とした企業であり、その基本理念のもとに成長した企業である。

 かつてメルクは、失明をもたらす感染症から人々を救う薬「メクチザン」を、貧しい国の人々に無償で提供したこともある。最終的にメルクは処方分にして通算二十億もの薬を、世界中の病気で苦しむ人々のために無償で提供したのだ。こうした取り組みはメルク流の信念を貫いたから、実現したことである。

 一方で、メルクにはまったく正反対のエピソードもある。2000年に入ってからの事だが、メルクは心臓疾患の危険性のある大型新薬を販売するという不正行為を行ったことがある。そこにはきっと様々な事情があったのだろうが、そのエピソードを紹介したとある本の一説には、『基本理念を背景に追いやり、利益や成長を追い求めたがゆえに、結果、メルクは不正に手を出すという過ちを犯した』という見解もある。

 いずれもがきわめて特異なエピソードではあるものの、極めて教訓的でもあると理子は思っていた。

 他にも偉大と謳われる企業は、その企業ごとの基本理念を持ち、利益を超えた何かを追求するべく会社を作った。日本の企業で言えばソニーもその一つである。

 そんな企業と比べ、今のアニマ合同会社はどうだろうか? こうした真に偉大な企業と対比して、今の自分にどんな理念があるだろう?

 儲けは確かに重要だ。

 だが、ただ儲けたいという気持ち以上の何かがあったから、アニマ合同会社を立ち上げたのではなかっただろうか?

 そして今の自分が「さくらの園」の子供たちのためにまず最初にやることは、人形を作るかどうかを考えることでも、金儲けを考えることでもない。

 それより先に考えなければならないことがある。

 それは、子供たちの笑顔のために何ができるのかだ。

 もちろん、考えた結果として、何もしないという選択肢もあるだろう。

 だが、まだ会ってもいない子供たちにそっぽを向き、儲けの事だけ考えて仕事を続けることは、絶対に間違っている。そんな確信が理子にはあった。

「希、とりあえず何をするかはこの際いったん忘れて、竹原さんって人と会って話をしてみたい。私たちが何をするかは、その後で決めましょうよ」

 それは奇しくも、父との対話で希が行きついた結論でもある。

 だからためらうことなく応えた。

「そうしよう」

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