なろうの問題点って批判じゃなくて、テンプレ以外が好きとかテンプレから少しでも外れた事を書いたら、イキりオタクに結構な確率で殴られる事だと思う。
最近よく思うのは、なろうで対立が起こるのって、誰かがテンプレ以外を肯定する事を書いたら、所謂意気がるオタク「イキりオタク」がテンプレは嫌いと意気がりながらも大好きなテンプレを貶されたと感じて、
結構な確率で殴りに現れる事に集約されている気がしてなりません。
そうした殴りにくる層は、みなさん敬語も使わなかったり、使ってもやたら上からのオラついた感じでガンガン殴りに来ます。
彼らの多くは理屈有り気に言ってる割に叩きたいばっかり、適当な事を言いながら問題をすり替えたり、見当違いな感じで来るんですよ。
私の作品への感想やメッセージで結構多いですよ、そのタイプ。
純粋にテンプレを楽しんでいる方と言うより、俺はテンプレ好きじゃないと意気がりる方々は、なろう小説全てにおいて自分が気に入らない展開を叩く、テンプレ大好きな人のようで「俺は他と違う、テンプレもアンチもクソ」みたいな事を仰る。
だから御自分が気に入らない展開なら、今まで読んでたテンプレ作品でも、手のひら返しで殴ります。
こういう自分の好きなタイミングで、どちらも馬鹿にしている人が、なろうの対立を煽りにきてるのかなぁと感じます。
テンプレアンチには確かに過激な人もいますけど、大抵は設定の甘さや、その欲望丸出しな所(ハーレムとか日常系と言う女の子動物園とか)や一部の声のデカいイキりが基本的に受け付けない感じなのに、時に変に拡大解釈して、時に被害者意識を煽る様に火をそこら中に付けて回って楽しんでいる様に感じます。
こうしてなろうで色々エッセイを書いて感じるのは、本当のテンプレ好きな方は理性的な人が多く、私の物言いを見ても目くじらを立てる事はあまりなく、むしろ割と好意的な感想を下さる人が多くいます。
私はそういう人たちと話す事で、やはり一部のイキりオタクと呼ばれる声のデカいオタクがなろうで幅を利かせ、それに乗っかる流動的な人達が居るんだろうなと、思う様になりました。
私が最初になろうへ来た理由も、テンプレ好きなイキりオタクの主張した「私が好きな物語はなろうでは底辺以下の無価値な物だ」と言う主張が本当に正しいのか調べる為でした。
実際一年やり続けてみた結果、彼が私に言っていた意見には正統性は無く、むしろ沢山の方が読んでくださり、拙い主張にも耳を傾けてくださった事実でした。
エッセイもランキングに何度も乗りましたし、エッセイとしては充分以上の過分な評価も何作か頂いています。
小説も日刊ランキングにも乗って、スコップサイトや、他の方の宣伝やレビューを頂き、一年で二作も底辺脱出できるなど、逆風ばかりでも無く恵まれたなろう生活が出来ていますから、感謝ばかりの一年となりました。
そんな中で、私を叩きたいのだろうなと感じる方のブクマと紹介を読むと、自分はテンプレ好きじゃ無いといいながらテンプレ作品を好んで居るのだなーって感じるラインナップや、過去にテンプレを書いて挫折した人など、アンチとテンプレどちらも叩きたいのだろうなと感じる方がやたら多い印象でした。
きっと理性的な好きな方は、なろうテンプレは外では大きな声では話すものでは無いと分かった上て好きだし、ご自分のテンプレ好きに自信があるので、私が何を言っても受け流せる余裕があると感じます。
だけど叩きたい人はそもそもの時点で自信がない、ランキングとか覇権などと言った、権威的な言葉で気に入らない人を殴る印象を感じます。
そういう人たちは、テンプレだろうとアンチだろうと気に入らないなら遠慮なく殴るから、結局どちらも疲弊していきますし対立は深く根強くなります。
テンプレ以外も流行る事と、テンプレを許さない事が違う様に、テンプレだけが素晴らしいと、テンプレ以外も素晴らしいは全く違うのです。
私はテンプレだけに偏る事が気になるし、そう言うテンプレ原理主義者が苦手だと話をしても、脳内で勝手になろうのテンプレはクソと拡大解釈して、周りを殴る方がテンプレ好きにも牙を剥くのが真の問題で、それはネットでイキりたい一部のオタクなんだろうなと、感じる次第でありました。