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生きていたくないこの世界で。  作者: 蒼伊織
一章 クレッシェンド 終りに向かって強くなる何か
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一章 六

    六


 出演者たちのプログラムは、地区に関係なくアトランダムに決まっている。

 コトハと同じ地区だからといって順番が連続にならないで済むのは、彼女の演奏を何よりも心待ちにしている翠にとっては、嬉しいことだ。


 コトハの演奏は、二日目。明日の午前だ。

 自分の演奏が終わった今、大概の演奏者は他の演奏を聴くのだが、翠にはやらねばならない、行かねばならない、場所がある。

 それらを聴かずに、午後に入ってすぐ、母の運転する車にて、移動を始めた。


「母さん、前から言ってるけど、今日は検査だけだからね。明日、大会が終わった後なら、すぐにでも入院するから」


 本当なら、それも嫌だ。

 感想戦、とでもいえばいいのか。自らを支えてくれた楽器と、それと、奏。彼女たちと、語らいたい。

 しかし、そもそも地区大会後すぐだった入院を、一ヶ月近く延ばしてもらっている。

 これ以上は、延ばせないだろう。


 気の弱い印象のある翠の母だが、その実頑固な部分もある。

 車窓から病院までの道を眺めつつ、それなりに強い口調で、母に宣言した。

 運転に集中しながらも、母は、溜息とともに応えてくれた。


「わかってる。本当は今すぐ入院して欲しけど……翠ちゃんを縛るのは、良くないものね……」


 渋々承知――というわけではないのだろう。

 母も、わかってくれているはずだ。娘の意思を尊重することは、ある意味、娘の命よりも、大切なのかもしれない、と。


「……ありがと」


 小さく、礼を言った。

 隣席を見ると、奏が、健やかな顔で眠っていた。

 他人から頼まれて出ることになった大会や発表事では、いつもそうで。

 奏はその前日、深い眠りにつけないらしい。

 その分演奏が終われば、この通り。よく眠る。


 奏を起こさないようにそれ以上何も言わないで、翠は窓の外に目を這わせた。

 見慣れない県大会会場のある街から離れ、ある程度見知った、大学病院に繫がる道に入った。


「?」


 通り過ぎる雑居ビルに、目がいく。

 その縁に、幾人かの人の姿が見えた。

 目は良い方なので、間違いない。

 

 若い男女が三人ほど、気のせいでなければ、その視線は、こちらに向いていた。

 ビルの屋上という場所に人が居ることが不思議で、数秒ほど、翠の中に僅かな印象を与えた。

 しかしそれも、十秒後には意識上から消える。


 それから数十分で、翠の通院している、そして明日からは入院の予定である、大学病院が見えてきた。

 寝起きの奏と連れ立って、院内に進んだ。

 途中で奏を彼女宅に置いて行くことも考えたが、奏が、それを拒んだ。

 奏は、何処までも翠と共に居ることを、選んだのだ。




 雑居ビルの屋上で、優は通り過ぎた車を目で追う。

 この距離では走る車の中までは視認できないが、仲間の少女が言うには、あれに、優たちの同胞が乗っているらしい。


「あれか……間違いないのかい、ココア」


 長い茶髪を風に遊ばせる少女――ココアは、屋上の縁に腰掛けたまま、軽く視線だけ下にやり、すぐに戻した。

 驚くほどに白い肌は、しかし何処も、不健康さを感じさせない。薄めのメイクが、そんな印象を与えるのだろうか。


「そ。あれが私たちの仲間……メサイア。それも、相当な力を持った、ね」


 ココアは、ことなさげに言い、茶色い目を伏せた。

 コンタクトレンズ使用者の彼女にとって、風の当たるここは、どうも居心地が悪い。

 いつも通りといえばいつも通り憮然な態度の青年――バンリも、あまりここ――優のそば――に居ることを、快くは思っていないらしい。


 優の仲間内は、ほとんどがそうだろう。

 彼の口車に乗せられたり、作り話に近い儲け話に魅了されたり、弱みを握られたり。

 その全てが、優を本気で慕って、彼についているわけではない。

 ココアとその相棒バンリも、利害が一致しているというだけで、その協力関係は他の仲間よりも、薄い。

 直に、この街からも去るだろう。


 それでも、これから起きる絶望を少しでも和らげるには、優の力が必要なのだ。ココアの仲間は、皆一様に自分の最終的な目的を語ろうとはしない。ココアのその目的は、優にすら知られていない。優の最終目標も、ココアは知らない、知ろうとも思わない。


「最後の駒は、やはり彼女か」

「……」


 知ろうとすれば、今の優の言葉の真意も、彼の最終的な目的も、ココアにはわかる。

 しかし、それはやらない。

 無駄だと思われることに、能力は使わない。

 使いたくなくても、使ってしまうことはあるが。


「君たちは、これからどうするんだい?」


 いつもの軽薄な笑顔で、優がこちらに問いかけてきた。

 バンリは質問に応える気もないだろうから、必然的に、この屋上に居る三人のうち、ココアが、彼の言葉に応えることになる。


「どうしようかな。まだ、旅に戻るつもりはないけど。……シュウ君のことも、あるしねー」


 言葉として聞けば明るい口調のココアの発言だが、その声音や俯く瞳に、陰鬱な想いが込められている。

 これから、否、もうすでにそこまで来ている絶望という名の悲しみに、想いを馳せているのだろう。


「ああ、彼か」


 これから起きることについて少し話す際、優には、彼や、傍らに居る少女について、いくつか教えていた。

 元来は嘘も付けないし、隠し事は苦手な性格であるココアなので、秘密主義など、成ろうとするだけ無駄なのだ。

 ココアの能力を考えれば致命的な気もするが、それでも、バンリのおかげもあり、今、何とかやっていけている。


 暫らくすれば、協力金として優からいくらかの報酬が入る。

 それがあれば、まあ、贅沢さえしないいつもの旅生活なら、一月は楽々過ごせるだろう。

 しかし、何とかやっていけないかもしれないのは、その後だ。

 もう少しすると、この街を起点に、世界がひっくり返る。

 多くの常識が淘汰され、適応出来たものだけが、生き残る。

 少し、いや、かなり大げさな言い方だが、そんな、一種のパラダイムシフトが、やがて起きるだろう。

 ココアの役目は、それを見届けること。全て知って、その先を、さらに見据えること。


「そのためだったら、私、死んでもいいんだ」


 狂った少女は、狂った瞳で、そっと、未来を見続けた。

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