一章 四
四
――辺境 海――
水口優は、控えめに言って、この世界に絶望していた。
何を望みもしないため、燻る憎しみを何にぶつければいいかわからない。
そんな歪んでも強い想いが、彼に「力」を与えた。
それは、それこそ優が望みもしないような力で、見たくもないこの世界を、克明に見せつけた。
「一騎無縁……無敵、と言い換えても良い。僕は、この力にそう名前を付けた。現存する一騎当千という四字熟語をもじったものだね」
海辺の小さなブレハブ小屋で、優は少女に向かって言葉を投げかけた。
歪んだ笑顔を作りつつ、白い八重歯をむき出しに、少女は彼に返す。
質の悪い絨毯の上で、表情とは裏腹に、自分を覆い隠す様な、膝を抱える座り方をしている。
「それ、あたしに言ってなにかなる? 正直、元の一騎……当千? の意味すら、わかってないし」
「僕は他人に理解を求める性格ではないよ。思考とは、言葉にすることで初めて完成される場合がある。考えを纏めるためにも、誰かに自身をさらけ出すのは意外といいことだよ」
その言葉に、今度は歯を、敵意と共に尖らせて、少女は返した。
「引きこもりのあたしへの当てつけかなんか? うっざい」
嫌悪を隠しもしない少女の台詞にも、優は貼り付けた笑顔を崩さず、きざったらしく言葉を並べる。
度々、笑い声をあげてすらいる。
「君は、知識が乏しいだけで実はとても頭の良い子なんだね。僕の言葉の裏に隠された意味を、正確に汲み取っている。後は語彙力と、思考スピードの問題か」
こちらに投げかけているようで、実の所自分至上の彼の言葉。
それはいつものことなので、少女も気にすることなく自分の中に籠る。
顔を上げれば、薄暗くも窓辺だけ明るい、そんな優の部屋に、視線を彷徨わせることになる。
――迷うのは、もう終わりだ。
――……もう、充分だ。
「さて、本題に入ろう。今週を最後に、君の研修期間は終わった。パトロンたちからも、それで良いと許可が出てる。そろそろ、本気で力を発揮できるよ」
「……やっとか。引きこもり続けてて、体なまるっつーの」
「引きこもりは、こっちの責任だけではない気もするけど」
笑んで、優がぼろぼろのソファに腰掛ける。
顔立ちが整っているだけに、来ている服や住んでいる場所が貧相でも、ある程度絵になる。
「君の救世種――メサイアとしての能力は、空喰みの部屋。空間を支配し統べるその力は、まさに可能性無限大だ」
「……中二くさい」
しかし、少女も本気で嫌がっているわけではなさそうだった。
存外気に入ったその名を、口の中で反芻する。
「まぁ、深い意味はない。そのままの意だ。でも、君の力はまさに唯我独尊。それのみで、世界すら統べることができる」
「世界……興味ないなぁ」
そこだけは、心底興味もなさそうな顔を作る。
それでも、目前に迫る混沌に胸を躍らせているのは、優と同じらしい。
彼らは、理不尽かつ不条理なこの世界に、反旗を翻そうとする。決起集団。
敵はこの世界。ひいてはこの世界に存在するものすべて。
味方すらもある種の敵で、協力関係はただの利害の一致。
必要があれば、いつかは裏切り、殺し屠る。手にする武器は、それぞれの力。
メサイアなんて名前は付けたが、彼らにとってそれは、もっとも相応しくない、見当違いの言葉だ。
「優の力は? なんで、一騎無縁、なの?」
「ああ、そうだね」
すっと、優が窓の外に目を向けて遠い目をする。目を細めて、考えを巡らせるように数秒の間。
「元の一騎当千というのは、一人で千もの敵を圧倒するような、強い力を持っていること。僕の、『何をどうすればどうなるかわかる能力』は、敵がどれだけ多くとも、戦う必要なんてない。それこそ、机上の駒を操作するように、敵をすべて退けることもできる。面白くないから、そういうことはしないけどね」
なるほど、そういう意味での、一騎「無縁」か。
敵と戦う必要もない、自分の負けとは無縁の能力。
それこそ、少女のそれ以上に、この世界を統べるのに向いているような気もする。
「細かいことはわかんないし、良いや。あんたの人柄は全く信用しないけど、能力は、そうね……それなりに信用できる。だったら、とことん利用されてやるよ」
「頼んだ」
少女は、立ち上がる。
この世界を、壊すために。
「僕たちの、アノミアーのために」