一章 三
三
結果から言おう。
翠の演奏の結果は、金賞だった。それもただの金賞ではない。
来月の県大会の出場を許される、上位二組のうちの一組に、なったのだ。
しかし、翠はわかっていた。自分は、一番ではないと。
「……伴奏者賞。逃がしたの意外と初めてかも」
二人の顔には、それぞれ達成感などなかった。
奏は、すべての組の中から一人だけ選ばれる伴走者賞を初めて逃したことにより、翠は、圧倒的力差の中、彼女と同じ位置に居ることに。
それぞれ、似ているが全く反対の不満を、抱えていた。
金賞の中から選抜される二組のうちもう一組は、なんと、というよりも、当然のように、綾崎コトハ・桐渓秀弥ペアだった。
周囲も納得と言った様子で、むしろ、誰も驚きはしなかった。
事実上そのコトハらと翠たちの成績に違いはないが、力量差は十二分に理解しているつもりだった。
その彼女と、自分が同じ位置に居る。
翠にとってではなく、コトハにとって、それは理不尽なことなのだろう。
客観的に見ても、自分とコトハが同じ位置に立てる存在ではないことは、理解していた。
心が打ち震え、身体すらも静かに震えた。
素晴らしいでは形容の足りないその演奏も、燃え尽き症候群に陥った二人にとっては、高すぎる壁を見せつけられている、そんな気がした。
「はぁ……」
今は、翠の母が車を駐車場から出してくれているのを待って、ロビーにて待機している。
腰掛けに並んで座って、静かに高い天井を仰ぐ。
「……樋掛、翠さん、だよね? それと、宮岸奏さん」
二人のフルネームを呼びながら、少女が歩み寄ってくる。
少女の後ろには、彼女同様制服姿の少年も、憮然な表情で立っていた。
「あ……っ」
「……綾崎さん」
少女――綾崎コトハの姿を見て絶句した翠に代わり、奏が会釈しつつ返答する。
微笑みをたたえつつ二人に声を掛けたのは、顔は日系ながら青色の瞳を持った、明るそうな少女だった。
セミロングの黒髪は、サイドに流してまとめてある。
制服をラフに着こなして、彼女もこれから帰るのだろう。
「今日はお疲れさま。二人の演奏、とっても良かったよ。控室で聴かせてもらったけど、本当に、鳥肌たっちゃった」
嫌味ではなく本心で言われ、何だか委縮してしまう。
翠は、会話はできる程度には落ち着いて、彼女に応えた。
この状況であれば、伴奏者よりも、メインで演奏をした翠が受け答えをするべきだろう。
「お疲れさまです。……でも、コトハ先輩に比べたら、全然……完敗です」
こちらも本心で、そう言えた。
個々の演奏としては満足のいくものだったが、彼女たちと比べてしまっては、それもあってないようなもの。
逆に翠などは、そのおかげで、コトハと話せる高揚感を抑えられたわけだが。
「そんなことないよ。そもそも、音楽って言うのは楽しんでやるものだからね。上も下も、勝ちも負けも、無いんだよ」
そう言って、満面の笑顔を咲かせた。
また胸が高鳴り、身体が熱くなった。
翠は、助けを求めて奏に視線を送るも、彼女は彼女で、秀弥に話しかけていた。
両者ともに声を掛けにくい印象を受けるが、奏の方は、興味があればとことん突き詰める性格である。
「なるほど、です」
「でも、まぁ、強いて順位を付けるなら、わたしは……翠ちゃんのクラが一番、好きだよ」
そっと、顔を近づけてコトハがそう言った。
控えめながらも綺麗な笑顔が、瞬間、翠の胸を締め付けた。
高鳴る鼓動は、言葉にできない感情を誘発させる。
至近距離の、女同士のその距離が、怖い。恐ろしい。
詰めたくて、詰めてはいけなくて、抑えられない。
相手が無意識でいるのが、余計に、そうである翠にとっては辛い。
――……翠。
――名前呼び……。
「どうもです……」
火照った顔を逸らして、コトハの眩しい笑顔から逃れる。
「じゃ、秀弥。そろそろ行こうか」
「ああ」
結局、軽い挨拶を交わした後、終始無表情だった秀弥を連れて、コトハは立ち去った。
それなりに会話を楽しめた奏は、先までの暗い表情を打ち消して、満足そうだ。
詳細は違うが、翠もまた、暗い表情を消していた。
「私たちも、行こうか」
ちらりと、奏に目線を向けつつ告げた。
「ん。だね」
奏も、薄い笑みで、そう応えてくれた。
こうして、県大会に向けた二人の戦いが、再開した。