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世界の終わりに転生してやれやれ  作者: サトイチ
世界の終わりに
4/11

4.「ロックなんて学生か肉体労働者の聞くもんだ」

「おはようございます、今日もいい天気ですね」と老婆は言った。

「ええ、本当に」と僕は言った。

「いい日はいくらでもあります。手に入れるのが難しいのは、いい人生です」

「アニー・ディラード」

 僕と老婆は互いに微笑み、すれ違った。

 

 僕がこの街に来てから二週間ほど、僕はパスタ作りの合間を縫って街を散策した。おかげで、この街には一定の傾向があることがわかった。

 まず、どの飲食店も、食べ物はパスタとサンドウィッチ、飲み物はビールかウィスキー、そしてコーヒーだ。誰も彼もがジャズかクラシックをレコードで聞き、持って回った言い回しをして、夜はバーでピーナッツの殻をひざ下まで積み上げる。

 ここは完璧な街だ、と門番が言っていた。どこにも行き着かない、何者でもない、生産性や効率性から切り離されたそういったものに、それは支えられていると僕は思う。


 僕は歩きながら夏のことを考えた。夏もまたやはり、美人ではないが魅力的な女性であった。それはすなわち、この街の住人であるということだった。



◇◆◇



 午後8時。今日のノルマのパスタとサンドウィッチを作り終えた僕は、郷に入っては郷に従うべく、近くのバーを訪れた。薄暗い店内にはよく磨かれたグラスが積まれ、暖色の照明を纏っていた。僕はビル・エヴァンスのオータム・リーヴスを聞きながら、間を埋めるようによく冷えたビールを飲んだ。心のひだが解きほぐされていく一方で、緩やかに死に向かっているような気がした。


 ビールも4杯目になると、酔いが回ってきた。白髪の混じり始めた初老のマスターは、丁寧にグラスを磨き、照明にかざし、また磨くということを繰り返していた。それは何かの儀式か、あるいは祈りのように見えた。

 しばらくマスターを眺めていると、隣に赤鼻が来た。トナカイだ。トナカイだって?

「マスター、バドワイザーをくれ」と赤鼻は言った。


 赤鼻はバケツ一杯のバドワイザーを事もなく飲み干すと、僕に向かって「お前、新人だな?」と尋ねた。彼の口からバドワイザーの泡沫が飛び、綺麗な放射線を描いて僕のズボンについた。僕は、バケツでビールを飲むのはどんな気持ちだろうと考えながら、手短に自己紹介をした。この二週間、自己紹介の機会はいくらでもあったから、簡潔に要領よく話すことは問題なかった。たとえ僕が酔っていて、相手がトナカイだとしても。赤鼻はナッツの殻を蹄で割り、実だけを丁寧に食べていた。


「それにしても、こうしっとりしたジャズばかりだと気が滅入りますね。たまにはロックが聞きたいんですが」とここ最近のもやもやをぶつけてみた。僕は酔っていた。

 赤鼻は吐き捨てるように、「ロックなんて学生か肉体労働者の聞くもんだ」と言った。僕の頭の中で、カチンという音が聞こえた。ロックを馬鹿にされた気がしたからだ。

「いい大人は、クラシックかジャズと決まってるんだ。地球が太陽の周りを回ってるようにな」と言って、赤鼻は鼻を鳴らした。

「なんてこと言いやがる。枯れ葉でも食ってろ、クソトナカイ!」

「む、ビル・エヴァンスは最高だろうが。ロックかぶれなんざ、ショットガンで頭を撃ちぬいて死んじまえ!」

「カート・コバーンが何したって言うんだ! ちょっとヘロインやってただけだろ!」

「だいたい、腕をグルグル回しながらギター弾くような奴の音楽なんて認められるか」

「ピート・タウンゼントはーー、それは同意だ。でも、カートは悪くない。それを言うなら、ジャズのプレーヤーも大概キメてるじゃないか」

「なんだと!?」


 我々が互いにビールの泡を飛ばしていると、突然店内のBGMが切り替わった。会いたくて会いたくて震えているようなJ−POPが流れだした。

 マスターは我々に向かって低い声で、「音楽のことでこれ以上喧嘩するなら、今後はJ−POPしか流さない。さて、どうする?」と言った。有無を言わせぬ凄みがあった。

「すみませんでした」

「それだけはご勘弁を」


 我々はしおらしく謝り、マスターは頷いた。せっかくだから聞きたい曲はあるかい、とマスターに尋ねられたので「ヘイル・アンド・キル」と答えた。マスターは左手で右手首を掴んで僕に見せた。僕達はニヤッと笑った。


「ヘイル・アンド・キルだって!?」と赤鼻は言った。

「口論はやめろって言われたばかりじゃないか」と僕は言った。マスターもこちらを睨んでいる。赤鼻は慌てて否定した。

「違う、違うんだ。マノ・ウォーはな、彼らはメタル・ウォーリアーなんだ。神に遣わされた無頼の侍なんだ。そこらのロックかぶれとは違う。お前、わかってるじゃないか」

 赤鼻がバドワイザーを飛ばしながら熱く語り始めた。どうやら赤鼻も好きなようだ。


「ヘイル!ヘイル!」

「ヘイル・アンド・キル!」

 僕は頭上に掲げた右手首を左手で握りしめ、赤鼻は首を激しく上下に揺らした。マスターはグラスを磨き、照明にかざし、また磨いていた。何人たりとも、音量を下げることは許されない。

 

 外では冬が音もなく忍び寄り、冷気が底に沈んでいた。家々は窓を締め、鍵をかけた。僕らの戦いは、偽りのメタルに死を与えるまで続くはずだった。でもそれは、朝日とともに訪れた憔悴と眠気によって唐突に幕を閉じることとなった。形而上学的な存在であるマノ・ウォーリアーとしての僕らは、朝日とともにどこかに消えてしまったのだ。僕らは互いの健闘を讃え、熱い抱擁を交わしたあと泥のように眠った。


 

次回、第5話「イタリアは孤独を輸出している」

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