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舞踏の章

 ふらついて、フィアと掴みあいながら床に倒れ込んでから、ようやく外の音が耳に届いた。


「……うっせえぞ! てめぇらいい加減にしろ! もし床ぶち抜いてみろ、お前らも八つ裂きにしてやる!」


 気が付けば階下に住む家主の怒鳴り声と、壁を殴る音が鳴り響いていた。

 床に荷物が散乱している。その上に、わたしたちも体を投げ出した。



 言い合いは別として、こんな喧嘩に乗ったのは久々だ。

 でも、すっきりはしない。

 フィアの憂さを晴らす助けの振りで、わたし自身の苛立ちも解消できるかと便乗したから、罪悪感で苦い気持ちになる。

 未だに、あんな男に振り回される時があることが、どうしようもなく腹立たしかった。


「いたた……アメリ、あんた本気で来たよね。虫の居所が悪いからって、いい加減にしてほしいわ。もう、十代の小娘じゃないってのに」

「昔より悪いでしょ。フィアも、ほんと容赦ないんだから」


 体のあちこちが痛い。骨にヒビでも入ったかな。いや、動ける。腫れただけね。

 フィアの頬に引っかき傷がついている。たぶん、わたしも。

 冒険者になってからは怪我なんか日常で、体だって傷だらけ。

 気にしても、今さらだ。


「今日の稼ぎは、薬草代に消えちゃうね」



 荒い息を落ち着かせながら、わたしに投げられた、フィアのささくれた言葉の意味を考えていた。

 想いの返ってこない相手に、いつまでもしがみついてるように見えるわたしが、フィアには腹立たしかったんだ。

 きっと、フィアの中にも同じ気持ちがあって、それを忘れさせてくれないから。


「天上級のやつ、あんたが振ったんじゃないんだね。あんた、あいつに……」

「振るも振らないもない! 『雷帝の饗宴』から、都で活動しないかって、誘いが来たんだって……そんなの、断れないじゃない」


 フィアが弱気を見せていた。いつもの底意地悪そうな勝気さも影を潜めれば、フィアだって女らしく見せる。


「泣いてんの?」

「……うっさい」


 目じりに光る、必死に堪えている涙は、殴り合った痛みとは違うものだ。


 今朝、天上級の男たちと、すれ違ったときの姿を思い出した。

 やたらと、ごてごてとした装備に、大荷物。

 あれ、街を出て行くところだったんだ。

 だからフィアは、どうしても今日、外での依頼を受けたかったと気付いた。


 這いずってフィアの元にいき、力ない体を抱き起した。そのまま頭を胸に引き寄せる。


「ちょっと、汗臭い体を押し付けないでよ。それにあたし、そっちの気はないんだけど?」


 フィアの強がる声は微かに震えている。

 天上級の男と絡んでいたのは、わたしじゃなくてフィアの方。ついグイルに名前を出したのも、フィアのことを思い出したから。

 そりゃ上級のやつらに言い寄られたら、わたしだって満更でもない。羽振りがいいし、あいつら普通は、毒蛾のように寄りつく街娘から女を選び放題なんだから。


 わたしたちは結果である華々しい現状よりも、それだけの力があったという経過に惹かれる。

 だからって、じゃれ合う以上のことはない。期待なんかしない。

 特にフィアの割り切り具合なんて、気持ちいいくらいさっぱりしてた。

 いつまでも後を引いてる、わたしと違って、そう見えていたんだ。


「ごめん、フィア」


 分かるよ。わたしも、おんなじ想いをしたから。

 フィアの目から大粒の涙が溢れた。

 わたしもフィアを抱きしめたまま、グイルを信じた日の事を思い返していた。

 まったく色褪せずに、しつこくこびりついている記憶に、涙が零れる。

 これは、釣られ泣き。


「バカね……あんなやつに、本気になるなんてさ」


 わたしも一度、勘違いしたことがある。

 誰かが本気で、わたしに惚れてくれてるんだって。



 ◆



 火照った体を落ち着けるように、ベッドに腰かけてグイルに抱き付いていた。

 グイルが、私の顔にかかる髪をはらう。

 髪は切っても、少しでも女らしく見えるように、顔にかかる髪は顎辺りまでは伸ばして揃えている。


 その髪を摘まみながら、珍しくグイルは、なにか考え込んでいた。

 そして言われた言葉に、わたしは弾かれたように体を離す。


「え! か、髪? わたしの髪って……なんで、そんなもんが欲しいのよ」


 質の悪い冗談かと思ったけど、グイルがどこからか小さな袋を取り出したのを見て、本気だと分かった。

 その袋が、汚れ除けの魔法をかけた緑色をしていたからだ。


「なんだよ、その顔は」


 わたしは思わず、おえっという顔をしていたらしい。


「なんでそんなもん欲しがるのよ、気持ち悪い」


 途端にグイルは、剣呑な空気をまとう。魔障の前に立ったときのように。

 その目がわたしに向けられ、ぞくっとする。


「いいか……アメリ、よく聞け。真面目な話だ。こいつはな、信仰みたいなもんなんだよ。分かるか?」


 信仰なんて言葉が、こいつから出たのも驚きだし、なにより、こんな真剣な顔を見たのは初めてだった。


 こんな街にも建っている、治癒の魔法を神の奇跡として崇める、神祠(しんし)に通う人々を思い浮かべる。

 神の祠で、どこの誰だかも知らない者を模った像を見上げる人々と、同じ顔だ。


 敬虔な信徒なんて、こいつには最も似合わない。

 でも、眼前にある真剣さは、本物だ。

 噛んで含めるような物言いは、怒りが本物だからだ。


「いいな、こういったことだけは、コケにするな。俺も、女を殴りたくない」


 最後の言葉に呆れた。

 なにが信仰よ。人を都合よく扱うなっての。

 グイルの言いぐさに辟易していた。


「分かったわよ。そこまで言うなら、しょうがないし……」

「いい子だ」


 渋々と了承すると、グイルは微笑んだ。本当に腹立たしい。


「こっちに座れ」


 大人しくベッドに座る。

 グイルはわたしの髪を一房つまみ、真っ赤な細い紐で縛った。その紐の上をナイフで切り取り、真面目な顔をして袋に収めるのを、奇妙な気持ちで眺めていた。


「げっ、すっかりなくなってるじゃない!」

「すぐ、伸びんだろ」

「そういう問題じゃないよ」


 泣きたくなっていたわたしを、グイルは抱き寄せて口づけした。


「誰にも頼めなくてな。恩に着るよ。お前は、俺の『女神』だ」

「めっ、めがみ!? よく、そこまで浮く言葉を言えるわね。恥ずかしいやつ!」


 照れたように笑いながら言われたら、それはわたしだけのものだって、勘違いしてもしょうがないでしょ。


「……わたし、ずっとグイルのそばにいるのね」


 グイルが革紐でつないだ袋を首にかけ、それが胸元で揺れるのをつつきながら、そう言った。


「そういうことだ」


 卑怯にも、そんな言葉を返しておいて。

 その夜は、いつも以上に乱れさせたくせに。

 次に見たとき、あいつは他の女とよろしくやっていた。




 ある晩、酒場に見慣れない女がいて、周囲にはあからさまに狙う奴らが横目で互いの動きに目を光らせていた。魔法を使える新人が来たという情報は、冒険者たちの間に、瞬く間に広がる。


 魔法を使えるやつなんざ、ほとんど生まれが良いとかで立派な後ろ盾があり、しがらみまみれだ。冒険者組合なんてものは、使い捨てにできる余りものを、危険へと送りこむための装置に過ぎない。いくら落ちぶれたとしても、そんな大した身分の奴らが登録になんて来ないものだ。


 ただの農村出身者が魔法を使えて、しかもわざわざ冒険者になろうと出てきたなんて、本当に珍しいことだった。



 まともな神祠(しんし)を建てることのできない辺境の村々を、定期的に巡る者がいる。

 神僕(しんぼく)と呼ばれる、神の祠に仕える者たちで、治癒魔法の習得方法を独占している輩だ。


 国の命令で目を光らせてるのかは知らないが、神僕らはあちこちへと出かける。

 わたしは金をせびるためだと思っている。祝福を授けられたい村々は、宿泊も食事も無料で提供するし、有り難がられて、さぞやいい気分だろう。


 彼らがお返しに何をするかといえば、極々稀に素質のある子供を見つけると、施しを与える。


 彼らの持つ、神祠魔法<マジック・シュライン>を教えるのだ。


 もちろん簡単な傷を癒せる、傷薬魔法<スペル・ハーバル>といった簡易の魔法でしかないけれど、何もない村落には過分な施しだ。

 わたしには、近場に神祠がなくとも決して忘れるなよという、不穏な忠告としか思えなかった。


 ともかく祝福を受けた者は、村にいるかぎり安定した暮らしが約束される。

 それでも、時にこうして出てくる者はいる。


 餓死や魔物の牙に切り刻まれる心配はなくとも、一生閉じ込められて、村民のために働かされる者もいるという噂がある。この女も、それが嫌で逃げ出してきたのかもしれない。

 残念なことに冒険者なんて、冒険と言いながら大した自由なんかないことは、身を置くまで分からない。だから、こうして勘違いして来ちゃうんだ。


 それでも貴重な技術持ちだし、ただ食いあぐねて出てきた者よりも待遇は随分と良くなる。それに気付けるかは、初めにどこに属するかにかかっているだろう。

 初めに獲得したパーティーが勝者だ。大抵は、その後の関係も、働き方もそこで定まってしまう。どんな手を使ってでも仲間に引き入れたい気持ちは、持って当たり前。

 実際わたしも、その一人だった。



 女の傍らには、あいつがいた。

 視線を向けなくとも、店内に踏み入れたわたしに気付いたのは分かっていた。

 自分で気が付いても、どうしようもない癖ってのはある。あいつの、左の目の端がぴくりと反応したのが見えたから。


 そうでなくとも、わたしも訪ねてくることは予想していただろう。わたしの存在には気付かないふりで、馴れ馴れしくその女の肩に腕を回している。

 女の反応も悪くない。よっぽど、うまい話をそれらしく語ったんだ。

 あいつは、そういうヤツだから。


 先を越されちゃったな。

 そう思ったのは、どちらに対してなんだろう。


 わたしはただ、まだ生えそろわない髪の一部を震える手で押さえて、背を向けていた。





 ――アメリ。お前は、俺の『女神』だ。


 神祠でいうところの神ではないけど、民間伝承としてある、縁起の良い神様のことらしい。

 わたしがそれだと、グイルは言った。


 そこまで言ってくれるのに、パーティーに誘われたことは一度としてなかった。

 もちろん、幾ら惚れてても、役割や実力のつり合いは考えなければならない。

 だから、当然だって気にしていなかった。



 その女を、グイルはパーティに引き入れた。

 神祠魔法は、選ばれた人間のみが使える奇跡。


 グイルは、本物の『女神』を見つけたんだ。




 ◆



 身体が痛む。頬が腫れて、朝食がうまく噛めない。

 昨晩は、予定の話し合いどころじゃなかった。

 多分、今日はなんの予定もないはずだけど。


「話、しよ」

「ん」


 どちらも真っ赤に目を腫らし、痛む顎を撫でながら向かい合った。

 まずはフィアが、ぽつりぽつりと予定を告げる。


「次は、少し遠出、しようかと。こっちの依頼は、ちゃんと話つけてる」

「そっちは、決まってるの。そっか、ちょうど良かった。悪いんだけど……」


 また小言の一つでも聞かされるのは覚悟で、グイルから受けた依頼の話をする。

 もちろん、内容には触れない。

 案の定、フィアは聞いた途端に訝し気に目を細め、口の端を下げて、わざとらしく不満顔を作る。


「ふん、なるほどねぇ。払いがいいんなら、いいんじゃないの?」


 言いたいことは透けて見えるけど、わたしが悪い。我慢だ。

 金払い良さそうな依頼を持ってきてくれたんだから一晩付き合ってやるくらい、お安いもんよね、なんて言い訳を昨日はしてたわけ?

 そういった内容を、汚い言葉を連ねて心の中で罵ってる。実際、言われたこともあったな。


 わたしがテーブルの上で、折れた椅子の脚を無意味に転がしていると、フィアは溜息を吐いて言った。


「あたしが、言えたことじゃないけどさ……」


 ずっと、こうして部屋にこもっていても気が重くなるだけだ。


「じっとしてるのもなんだし、傷薬の補充がてら仕事の口でも探しにいこう」

「こんな顔をさらして? まあ今さらか」

「ああ、そうだ。家主に何か買ってこようよ。かなり怒らせちゃったし」

「それもそうね」


 わたしたちは消えない胸の痛みを忘れるようにと、外へと軋む階段をおりた。



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