跳躍の章
振り下ろした手斧から、腕に重みが伝わる。
飛びかかって来た魔障を、叩き割っていた。
膝の高さほどまである小型の魔障は、頭頂部から尾まで真っ二つに割れて、両側に倒れる。
動いている間は掴みどころがなく黒い霧に包まれた中心は、はっきりと黒く、すっぱりと割れた断面は、平らだ。
――まるで何かの結晶のようだ。
そう言ったのは、魔法具屋だったっけ。
小型は、こうして真っ二つになることが多いが、大きくなるごとに欠け方も複雑さを増す。
どこか艶やかでもあり、石が意志でも身に着けたのか、何か別の生き物なのかも分からない。
魔障<イビル・フェノメナ>は、今倒したもののように、四本足の小動物だったり蛇のようだったりする。
形は定まっていないが、その場所で動きやすい生き物の形を借りているように思えた。
割れた魔障は、少し待っていると粉々に砕けて影の一部に戻っていく。
その欠けた一部を残して。
指先ほどの黒く尖った破片を、慎重に拾う。
鋭い破片で皮手袋を切ることもあり、修繕も買い直すのも懐に痛い。
二重の道具袋へ詰めて振り返ると、フィアの方も一段落ついたところのようだ。
まだ昼も半ば。
肝心の野草集めの収穫は……良くはないけど、ぎりぎり達成ってとこかな。
「こんな日に粘るのは良くないよ。かえろ」
わたしが頭を振って中止を告げると、意外にもフィアはすんなり頷いた。
荷物を背負って、道を引き返す。
いつもより魔障と出くわしたけど、たまにはこんな日もある。
とくに冒険らしい冒険もなく、雑用を終える。
もう何年と経ってしまった今では、こんなものだ。
日暮れ前だけど、ちらほらと戻ってくる者の姿があった。
わたしたちのような理由ではなく、日の出前から出かけていたのだろう。
門番が驚いたように声をかけてくる。
「なんだ、本当に早かったな」
「慣れた作業だからね」
ひらひらと手を振って門をくぐると、ここからそう遠くない場所にある、冒険者組合取次所へ向かう。
宿屋と酒場と雑貨屋が最悪な形で合体したように、歪で小汚い小屋だ。
胴周りしか隠れない扉を押し開いて、室内に入ると、奥の席からすすり泣く声や低く後悔に満ちた声が聞こえた。
わたしとフィアは、特になんの感情を浮かべるでなく、それを聞き流す。
瞑想級のパーティだろう。
また、誰かが死んだ。
よくある、取次所内での光景だった。
雑貨用の商品棚の奥へ目を向ける。
狭い勘定台の向こうで、くたびれた男がこちらから体を背け、やる気なく椅子にもたれて飲んだくれている。
ちらと、そのすぐ頭上を見た。
蜘蛛の巣が埃をかぶる板壁には、文字が刻まれている。
『瞑想級<クラス・メディテーション>、目を閉じ静かに呼吸せよ』
冒険者組合が掲げる方針だ。
わたちしたちは、それをこう訳す。
「……ひよっこは大人しく準備に充ててろ」
地元が同じ奴らは、固まりたがる。その気持ちは分かる。
でも冒険者になり立ての瞑想級の奴らがパーティを組んで、人数がいるからと気が大きくなって行動すると、すぐに人数を減らすことになる。
だから組合は、新人らに欲を出すなと忠告している。
そして、聞く耳を持つ者は少ない。
少しだけ我慢して、組合の指示通りに開眼級の奴らの下で動くだけでいいのに。
そうすれば最低限、どうすれば死に辛くなるか学べて、すぐに開眼級に上がれるというのに。
勘定台に着き、壁の文字から座る男へ目を向けると、フィアが声をかけていた。
「所長ぉ、起きてる? 精算してよ」
わたしたちは傍らの広めの台に、種類別により分けた野草の束と、魔障石を置いた。
ゆらゆらと頭を揺らしながら、所長は体を起こす。毛細血管が浮き出て赤い鼻を鳴らし、目だけは力強く品を睨んだ。
「なんだ、こりゃ。てめえら何年、開眼級やってる。はした金にしかならん依頼だからって、舐めてんのか?」
フィアは気まずそうに横を向く。
いい歳して貶されるのもうんざりだけど、こんなナリでも見る目はあるし、生にしがみつき続けている人間だ。忠告は、聞くに値する。
「開眼級<クラス・サーチ>、目を開け全てを見よ」
わたしたちに言い聞かせるように、所長は臭い息とともに方針を吐き出す。
「……生きながらえたきゃ、目ん玉むいてなんでも見てろ」
フィアが、わたしたちの言葉で繰り返す。
所長は頷きながら、ぶつぶつと小言を続ける。
いつもいつも、誰かを死なせないように助言を繰り返す。飽きもせず、誰に対しても。よく言えば根気よく熱心に、悪く言えば壊れたように。
酒がなくては、まともに人と向き合うこともままならないなら、壊れてるのが正しいのかもね。
それでも、こんな仕事を続けて、この貧民街の要である組合の維持を、どうにかして続けている。
鬱陶しくても、感謝の念を持たない冒険者は、少なくともこの街にはいない。
採集依頼の結果はぎりぎりの評価でも、魔障石が多めだから稼ぎはとんとん。
でも、組合は街の住人との関係を重視しているから、依頼の成果の方を主に判定材料とする。
魔障討伐で荒稼ぎはできるけれど、それは一時的な金策にすぎない。
安い依頼でも住人の数は多く日々の生活にはありがたい仕事だし、住人も商人や貴族などと格が上がっていけば、依頼の達成の信頼の方が大事になってくる。
そうすれば将来、今よりマシな仕事を手に入れている可能性もある。
だから、所長は口うるさく言い続けるのだ。
たぶん、国なんかの思惑とは逆だと思うんだけど。
後がつかえてきたといった理由で、ようやく小言から逃れて通りへ出ると、フィアが肩を落とした。黒い髪が頬に落ちる。
「ほんと、まいるわ」
同感だと苦笑で返す。
「はぁ、次の依頼どうしよ」
フィアがあれこれと悩んでいるのを見つつ、わたしも依頼の予定をどう伝えようかと、考え込んだ。
◆
グイルからの依頼は、ただやるための方便ではなかった。
「アメリ。魔障検知、できたよな」
わたしは、むっとして見上げた。
体格に恵まれず、戦闘技術の向上もさして見込めず、なにもないわたしが身に付けられるとしたら手先の技術しかないと思った。
仕事の話だというのに口説くような振る舞い。女を馬鹿にしてる。
苦労して魔法具の扱いを身に着けたのは、こんな奴に利用されるためじゃない。
魔法具を扱えるのは、冒険者では珍しいことだ。
利用法は限定的だけど、魔障が残す魔障石を利用して、魔法の真似事ができる技術。それらの扱いは、子供のころから職人として育てられて得るもので、いい歳して手に入れることができたのは運もあった。
だからって普段の依頼には、使い途なんてそうそうあるものではない。
仕事は仕事と割り切ってもいいけど。
こいつは戻ったら、その些細な報酬さえ体でうやむやにしようとしてくる。
生意気な女を捻じ伏せてやりたいだけの、鼻持ちならない男だ。
わたしだって何度も負けてやるほど、お人よしじゃない。
でも、酒場には埋まるほどの冒険者が揃っているのに、なんでわたしに声をかけるの?
この場には、わたししか居ないかもしれないけれど、もっと魔法具屋に融通の利くやつも揃っている。
その違和感に、首を傾げる。
「言ったろ。割りがいいって」
そうだ。違和感は、技術の問題だけじゃないんだ。
使用場所に来てほしいということなら、冒険者の方が都合がいいんだろう。
ふとダンジョンでの仕事かなんて考えたけれど、この辺のダンジョンと呼ばれる場所に、知らない部屋が増えていたなんて噂は聞かない。
それとも、まだ情報が出回っていないってこと?
それにしては、悠長だけど。
ただ、このお祭り騒ぎの理由も、大きな依頼の達成と昇級の二つだけではない。
割りがいいとはっきり言ったなら、後ろ盾を手に入れたってことになる。
そいつが金を出すってことだ。
私は口を引き結んだ。
それは、冒険者なら即答すべき依頼だった。
是非、引き受けたいと媚びていいくらいの。
失敗しようが金が出るということだもの、断るなど愚かなことだ。しかも、働きぶりによっては、その支援者へと名を売る機会でもある。
それでも、口を閉じてグイルの顔を見上げ、睨むように目を覗き込む。動揺の一つでも見せてくれればいいのに。
腹立たしいことに、こいつは交渉に関しては天性の屑だ。決して弱みを、感情らしいものを相手に見せたことが無い。
わたしの中の、わだかまりは消えていない。
逆にグイルは、わたしの葛藤を捉えている。こいつは分かっていて、話を振っている。
わたしも最後は、いいよと頷くだろう。
奥歯を噛んだ。
「……詳細による」
「言質は取ったぞ。外で待ってろ」
グイルは、わたしの鼻先に人差し指を突きつけてそう言い、口の端を上げて笑うと、ようやく離れた。
むかっ腹を立てて乱暴に扉へと向かいながら様子を窺えば、グイルは仲間に声をかけていた。
「ラティス、先に帰る!」
帰る? 詳細を聞くだけなのに?
そこで、わたしは逃げていれば良かったんだ。
すぐに酒場から出てきたグイルは、壁にもたれて待っていた私を、顎で来いとだけ示して歩き出す。
「どういうつもり」
「見せたいもんがある」
「話が変わるでしょ、それじゃ」
そこまで隠すような資料なんか、見てしまったら断れない。
グイルは立ち止まった。
薄汚い連中がふらふらと歩く通りで、堂々と振り返る。
危険なんか向こうから避けると、自分自身でも言うように不遜な態度で。
暗い通りには、家から漏れる灯りだけ。揺らめく炎が、グイルの冷たい表情を引き立てる。
「お前は、断らない」
低く脅すような物言いに、何も言い返せない。
それからグイルは、ふっと表情を和らげる。
「心配するな。開示できる情報は二段階ある」
一段目までなら、断ってもいいと言いたいんだろう。
わたしはグイルの横に並んで歩き出した。
理由に納得したからじゃない。
計算尽くのつもりだとしても、与える影響は天然のものだ。
わたしは、まだ、グイルの影響から逃れられない。
グイルの部屋は狭い。家具はベッドの他にはテーブルだけで、周囲の床に荷物が放り投げてある。記憶と変わらず。
その何処に何を置いてあるのか把握できるらしいグイルは、荷物の隙間に手を突っ込むと何かを取り出し振り返る。
汚いテーブルの上に折りたたんだ紙が置かれた。
まだ紙の上から指は離さない。
仕方なくグイルの顔に視線を移す。
「実を言えば、現場の情報ってわけじゃない……怒んなよ」
グイルは一瞬、にやけ面を見せるが、すぐに消す。
「確かな依頼だと、保証するためだ」
わたしから目を離さず、グイルは手をどけた。
黄ばんだ四つ折りの紙を広げる。
ただの依頼書だ。
だけどそれは、個人的なもの。
わたしは目を閉じた。
もう、遅いけれど。
とんだ失敗だ。
確かに危険とはいえない仕事だし、わたしていどの冒険者でも、同行して問題はないだろう。
「……なんで、あんたらが?」
「聞きたいか?」
グイルは笑いながら、わたしを抱き寄せた。
◆
余った保存食を晩の食事として消費する。
フィアもわたしも黙ったまま、それらを水で流し込む。
外でならまだしも、自宅で食べると味気無さが際立つ。
些細な苛立ちが積もって、機嫌が悪くなる一方だ。
少し無理をしてでも、外に出るべきだったと後悔しても遅い。文句が口を衝いて出る。
「なんなの、今日のあんたの体たらくは」
「そっちこそ、妙な腰つきでさ、本気で魔障を倒す気があるのか不安だったんだけど? 獣に発情でもしたのかと思ったわ」
「そっちだって意識ここにあらずで、見落としがあったじゃない。あんたこそ、さかってたんじゃないの?」
本当に今日は散々だけど、小金が手に入ったのは確かだ。
たかが硬貨数枚だけど。
ようやく、わたしは朝から避けていた言葉を口にした。
報酬を収めた小さな袋を指で弾く。
「それで、こんな小金を稼いで、何をしたかったの? わたしも機嫌が悪かった。けどフィア、あんたも八つ当たりしてたでしょ。なんでよ?」
物おじしないフィアが、怯んだ。揺れる瞳は、真っ直ぐ見つめるわたしを避けるようだ。
フィアは机を叩いた。両手は微かに震えている。
「うらやましいのよ、アメリ……なんども、いいように扱われて平然としてるその、おめでたい頭がさぁ!」
街の中で、ましてや自宅で、こんなに切羽詰まったフィアなんて見たことが無かった。
わたしも、つられるように動転してしまった。
「あんただって、天上級の男掴まえておきながら、平気でやり捨ててんじゃない。そりゃ、ろくでもない奴だけど、一人の男に執着してる方がマシでしょ!」
テーブルに乗せたままだった荷物が飛び散った。
フィアが乱暴に立ち上がったせいだ。ほぼ同時にわたしも椅子を蹴倒しながら立ち上がっていたから、物がぶつかり合う音は激しく響いた。
フィアがテーブルを乗り越えて飛びかかってくる。いつもの口汚さで。
「この、あばずれ!」
バカみたいに正面から飛びかかったフィアに組みつき、その勢いを流す。
「自分の軽い尻を見て言いな!」
体を捻って、フィアを背中から床へと打ち付けた。
「ぐがああああ!」
「アハハ! ひどい声ね! ああ、そういえば先週の晩に、数件先まで魔獣の声が響くなんて噂があったけど、あれあんたの喘ぎ声? 相手した奴もとんだとばっちりね、ギァッ!」
気を取り直したフィアから腹に蹴りを喰らった。
「アメリぃ! そのひん曲がった性根を叩きなおしてやるよ!」
「こっちが言いたいね!」
「キィェエエエエアアアアァッ――!」
「ハアアアアァッ!」
互いの髪を掴んで、殴り合っていた。
外で鬱憤を晴らせなかった。
弱い魔障相手だからと憂さ晴らししようにも、とても気を抜くことはできない。
全力で挑んで逃げる道を断つことなんか、わたしたちにはできない。