表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

瞑想の章

 なんで、わたし、グイルの部屋にいるんだろう。

 ひび割れた木枠の隙間から、朝日が差しこむのを恨めしく睨んだ。

 飲み過ぎたせいだと言い訳もできるけど、わたしの意志が弱いだけだという結果を変えてはくれない。


 ぼろきれのようなシーツから、そっと抜け出そうとした体に、背後から熱が絡みついた。


「アメリ……やっぱお前の体が一番締まりがい、ってえな! 殴んなよ、よく鍛えてるなって話してるだけだろうが」

「あんたは、いちいち下種いのよ」


 男女の欲を晴らした朝なんだから、言いたいことはそのままだ。

 平然と他の女と比べる言葉を口にする無神経さに、わたしも今さら本気で腹を立てているわけではない。


 しくじったと、唇を噛んだ。

 なんで誘いに乗っちゃったのよ。


 グイルは無造作に腕を伸ばし、毛先が跳ねるうなじから髪に手を差し入れ、逃れようとするわたしの身体を引き戻す。


「飴色ってのもいいよな」


 そう評されたわたしの、日に焼けてぱさぱさの髪が視界に入る。

 眇められたグイルの目は、まるで愛おしいものに触れたように見えるが、ただ下半身に頭をやられているだけなのだと今は知っている。

 こっちの気も知れず、いい気なもんね。

 首に押し付けられた頭が下がっていき、無精髭が胸に赤い筋を引く。


「ちょっと、やめてよ」


 人の話を聞かず、当たり前のようにベッドに押し付けてくる肩を叩いた。


「やめるよ、後でな」


 苛立ちが募り、拳で殴るようにして体を押しやる。そうでもしないと本気で嫌だと分からないのだ、こういった男たちは。


 そのなかでも特に、頭ん中のどこかが吹っ飛んでしまったように鈍感な、冒険者の男には――。


「なんだよ、汗まみれになるの好きだろ?」

「依頼があんのよ」

「おい、そんなこと晩には何も言ってなかったろう! 久々に昼までやれると思ったのに」

「あんたが聞かなかったんでしょ」


 分かってたら、他の女を選んでたのにってことね。

 まったく、心底腹が立つ。


 物があふれた床から、投げ捨てられた服をわたしが見つけて着る間、グイルはにやつきながら人の体を舐めまわすように見ていた。以前と変わらず。

 げんなりする。


「アメリ」


 呼びかけられても無視していると気配が変わり、横目に様子を窺う。

 これまでの記憶と違いなく、グイルはベッドに横になったまま片手で頭を支えつつ、わたしを見ている。

 今違うのは、視線に真剣味があることだ。


「……なによ」

「またな」


 しかたなく返事したというのに、それだけ?


「ないわ」

「それ、前も聞いたな。で、この状況はなんだ? 嫌々であの反応はないだろ」


 やっぱり何も変わってない。ただの下種だ。

 噴き出すのを堪えるように俯き、喉を鳴らして笑うグイルに、腹が立って言い返さずにはいられなかった。

 服を着こむと、振り返って笑顔を見せてやる。


「あんたも、まあまあ立派だからね。『雷帝の饗宴』の奴には劣るけど。ああ、もちろん、けっこう鍛えてるよねって話よ?」


 グイルの呆気にとられた顔を見て、本当に可笑しくなってきた。


「雷帝の饗宴だ? ハッ、天上級<クラス・スカイハイ>クランの奴と寝ただと? 開眼級<クラス・サーチ>止まりのお前が? 見栄をはるのも大概にしろよ」


 そうバカにしながらも苦い表情を見せるグイルに満足して、わたしは部屋を飛び出した。


 あいつの言う通りだ。最上級の奴らが、わざわざ同業の女を抱く意味はない。

 華々しい活躍をした男たちを、街の小娘どもが放っておかない。

 冒険者の女なんかと違って、髪を切る必要のない女を、選び放題なんだから。


 わたしより、一つ級が上がったグイルの顔が浮かんでしまう。

 何杯か飲むのに付き合うだけのはずが、ここまで長くなってしまった昨晩を思い返していた。



 ◆



 その夜、冒険者ご用達の酒場の一つ『お手上げ亭』、わたしたちの間での通称<虫けら亭>は、大層な賑わいだった。年に一度あるかないかの大繁盛だ。

 理由はめでたくない。中心にいる顔ぶれを見て固まった。


 いつもなら極力避けている酒場だけれど、この日組んだ相手に任せたら、ここだった。

 そんな時に限って、よりによって最も会いたくない男が騒ぎの中心にいる。

 グイルの率いるパーティが、この酒盛りの主催者らしい。


「やった、アメリ! ただ酒だって!」


 一緒に来た相手が、そこらで馬鹿騒ぎする連中から話を聞いて弾んだ声を上げるのを、皮肉気に笑って聞いていた。気分は最悪だ。

 なにか高額の依頼を達成したってことだけど、それにしても派手なことだった。

 ただ大金が入っただけなら、低級の奴らの僻みから守るためのお裾分けだけど。

 誰彼構わず奢るのは、ただ儲けただけではない理由がある。


 もう一つは、新たな伝手の開拓。

 その場合は、特別なことがあったということになる。

 級が上がるとか、後ろ盾が付いたなど立場的な変化があった場合だ。

 足りない技術を持つ者を取り込みたい意図があり、嫌いで避けていた相手だろうと、話す口実を作るためだ。

 接する機会の少ない者同士の情報交換を活発にすることで、新たなことを知る足掛かりにもなる。

 それが、避けている相手に、声を掛けるべき儀式のようなものにもなっていた。


 騒ぎの中心人物らの話題だ。すぐに理由は分かる。

 人を掻き分け、なるべく店の隅の壁際に向かっていると歓声が上がった。


「新たな跳躍級<クラス・トリガー>に、乾杯!」

「級上がりに乾杯!」


 どうやら、なにかでかい山を当てて、級上がりを果たしたってことのようだ。

 やる気があるのか疑わしいグイルたちパーティーに先を越されたと思うと、気分はますます盛り下がる。


 同じ世代のほとんどは、初心者から一つ級が上がっただけの、開眼級<クラス・サーチ>だったのに。

 最近では、徐々に跳躍級へと上がっていく。



 なるべく店の中心から視界を外すようにして壁にもたれたが、グイルがこちらを向くのが見えた。

 そのまま無視してくれると思っていた。いつものように。


 願いも空しく、グイルは人を掻き分けると、わたしの前に立った。

 木杯を二つ手にしている。


 髪は焦げた薪のような暗い色なのに、瞳は残された灰のように明るい。

 その瞳に、梁から吊るされた灯りの炎が揺らめき、不思議な輝きを見せる。

 それは特別な光に見えた――過去の、愚かなわたしには。


「よう、まだ生きてたか」

「……あんたもね」


 いつも、たまに出くわしたところで、挨拶どころか視線すら合わせず互いに無視する。そんな相手だっていうのに。

 腹立たしいほど上機嫌に木杯を押し付けられ、嫌々受け取ると、わたしの頭の横には空いた手が付かれた。

 それが当たり前のように、グイルは私を壁に押しやり体で行く手を遮る。圧力をかけるように、身体を寄せて上から見下ろした。

 このクズは、相手が女なら誰にでもこうする。


「アメリ、来ると思ってた」


 本当に図々しいやつ。

 相変わらず態度はだらしなく、髪も跳ねるままにしている薄汚い身なり。だというのに、唯一、輝きを放つ瞳に間近で覗きこまれると、頭の芯が痺れるようで落ち着かない。どうにか目を逸らした。


「おあいにくさま。わたしは誘われてきただけ」


 顔は強張っているだろうけど、一応の礼儀は果たそうと、手短に祝いの言葉を告げて終わるつもりだった。

 そんな態度も、グイルは気にかけもしない。


「連れねえ? で、そいつはどこに居んだよ」


 言われて側を見れば彼女の姿はなく、グイルの背後の人垣の間から頭を出し、ゴメンと口を動かすのが見えた。

 逃げたわね。


 腹立ちまぎれに勢いよく杯を呷ると、枯草色の液体が首筋を伝って落ちた。雫は鎖骨にとどまらず、固く巻きつけたさらしが盛り上げた隙間へと流れる。

 古くて襟元の緩んだシャツだ。悪びれもせずグイルは視線を落とす。


「いい眺めだ」


 杯をグイルの鼻先に突きつけながら、本来の用事を思い出させてやる。


「おめでと。それで?」

「もうちっと、愛想よく言えねぇのか」

「他にも挨拶したい奴が待ってるでしょ」


 義理でも口をきいてやるだけ、感謝してほしいくらいだ。

 でもグイルは動こうとせず、目を細めると口の端を上げた。何か企んでる顔だ。

 まるで、あの頃と関係は何も変わっていないかのように、グイルは私の耳元に顔を近づけ、かすれたような低い声で囁く。


「少し、別の場所で話さないか」

「なによ依頼? 仕事のことくらい普通の態度で話せないの?」

「つまらない女になったもんだ。昔は頬を緩めて……おい」

「蹴り入れられたくなければ、その辺でやめておいた方がいいと思うけど」


 膝はグイルの股間を狙っている。見栄っ張りなグイルが、祝いの席で醜態をさらしたくはないはずだ。

 意外なことに、グイルは厭らしい表情を引っ込めただけで、その場を動かない。


「その通り、真面目に依頼の話だ。お前に、頼みたいことだ。割りはいい」


 わざわざ、わたしに頼みたい――そんな仕事といったら、ダンジョンで隠し部屋でも見付けたんだろうか。


 資料を見せたいというグイルに、部屋までついていくなんて、どうかしていた。




 グイルの暗い部屋で、肌を合わせる。

 どうせ、この一時だけ。

 これは憂さ晴らしの一つで、それ以上のことはない。

 誰もがその時々で、気まぐれに体を重ねる。

 酒や勝利、敗退もが体を酔わせる……質の悪い薬水のように。

 たとえ心を移しても、わたしたちが互いの未来を重ねることなんか無意味だ。


 そう言い訳しながら、自ら体を委ねるのを抑えられなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ